両手によっつビニル袋を持ってよろよろと歩いている姿は曲がりなりにも刀遣いなのに、かなりだらしがないと思う。天照に行くまでの急勾配の坂は息が切れる。あごに汗がつたって、アスファルトに黒い点をつくった。両手が空いていないので、すこしだけ捲れてあらわになった腕でひたいの汗をぬぐう。
袋の中身は食べものだったり、酒だったり、急遽必要になった硯だったり墨だったりする。酒はガラス瓶だから、余計重たい。
天照に辿りついたときには日が翳っていた。ふう、と息を軽くついてから、下緒院にある共同の冷蔵庫に水まんじゅうを押し込み、ふせんに「ご自由にどうぞ」と書いて貼っておいた。
硯と墨は自分の抽斗に仕舞い、ずいぶん軽くなったように感じるビニル袋の持ち手を開いてみせた。果実酒と泡盛。瓶二本を下げて、通い慣れはじめた場所へ向かう。
建物の中は外よりもかなり涼しかった。汗は引くが、そのぶん汗臭くはないだろうかと衿をそっと引っ張って嗅いでみる。とくににおいはしないが、自分のにおいに慣れてしまっているだけかもしれない。
「紫垂月殿。私です」
声をかけてから戸を引くと、彼は「うん」と軽く返事をした。
「おかえり」
「……? ああ、そうですね。今朝こちらに顔を出していました」
買い出しに出たのは仕事がひと段落した時間だったので、外は少しずつ暗くなり始めている。
「それは?」
「クランベリーの果実酒と泡盛です」
真っ赤な色をしたその果実酒は、よくみれば人間の血肉のようにも見えた。彼は泡盛よりもその赤い液体と、果肉の入った瓶をしげしげと見ている。青嵐と同じことを思っているのかもしれない。
「果実酒のほうがお気に召しましたか」
「飲んでしまえばおなじだけど」
彼の瞳が瞼に隠れたが、すぐに開いた。くちびるは面白そうに弧をえがく。
「真っ赤だね。すごく」
「飲んでみますか」
「君は?」
「お望みならお付き合いします」
キャップを捻って開けると、甘酸っぱい匂いが微かにただよった。炭酸水と果実酒をコップに入れて渡す。
瓶の中のものよりは薄まったが、やはり血のような色をしていた。とろりとしたクランベリーの果肉が数粒、コップの底に沈む。青嵐にはそれが臓器のようにも見えた。
自分の分も注ぐと彼はそっとグラスをかたむけ、喉を動かした。
「甘酸っぱい」
「お口に合えばいいのですが」
「なんでも好きだよ。僕は」
酒ならね。
彼は淡々と呟いた。青嵐は口もとをゆるめて、「そうですか」と言いながら果実酒のキャップを軽く締める。
「特別好きなものができればよいと思って色々お持ちしていますが……まだまだ、理解が甘いようです」
「全部ひっくるめて好きだから楽だと思ったんだけど」
「ふふ、楽。そうですね。そういう考え方もあります」
キュ、とキャップが回らなくなるまで入念に捻ってから、手の届く場所に置いた。
「たくさんのお酒がありますし。せっかくなら特別好きなものを見つけるの一興と……」
彼の手が、うなじあたりに回る。引き寄せられて口付けをした。着物の衣ずれの音がすぐ近くで聞こえる。軽くついばむような口付けを、何度か繰り返す。
生気を吸われた気配はないが、もしかすると自分でも知らない間に与えたのかもしれない。
「……」
一度、顔を離すと美しい目の色がわずかに滲む。無花果の実のような色が目に映った。合間に息をつき、眼鏡を取る。それを瓶の横に置いた。
今度は自ら彼にくちびるを押しつけ、果実酒の残り香を味わう。
クランベリーと、藤の匂い。
おなじ植物だが匂いが根本的に違う。彼の匂い――藤の匂いは体の芯が沸騰するような熱っぽさを感じた。
熱くて苦しくて優しくて、激しい。
知らないうちに指は彼の着物をきつく掴んでいた。縋っているのか、それとも求めているのか。今の自分には判別がつかない。
差し入れられた舌を受け入れ、ゆっくりと絡める。粘ついた音が耳をも犯した。青嵐の喉はアルコールを若干でもとったせいか、乾いていた。流れ込む彼の唾液が喉にゆるゆると流れ込むと、不思議と喉の渇きは癒えた。
爪をたてる。彼の皮膚がそれを受け入れるように感じて、顔をずらした。熱い吐息が漏れると、舌と舌でつながった糸がぷつりと切れる。
「やっぱり、」
彼はふくみのある顔で笑った。
「君のほうが甘くて、酸っぱい」
「私とクランベリーを比べるなんて、意外とロマンチストなんですね」
「そういうわけではないけれど……」
空中を見つめてから、彼が目を細める。長いまつ毛がほおに影を落とすようだった。繊細さのある、緩慢な動きで彼は再度青嵐を見据えた。
「雰囲気……みたいなものかもしれないね」
血のように、真っ赤な。
肉っぽい膿んだような色。
クランベリーの実を思い出す。
「そのように、瑞々しくあれればよいのですが」
「君は若いよ。僕よりずっと」
「……ええ。そうでしょう。私はあなたと比べれば赤子ですらない」
白い両手首をゆっくり持ち上げ、おのれの首に回させた。
「こうして――その手に力を加えればいとも容易く死んでしまう。そういう存在です」
彼の表情は変わらない。そして青嵐の表情も変わらない。
ゆっくりと自重で首から腕が落ちていく。先ほどとは違う、衣ずれの音。
「私たちは」
――脆いから、弱いから、戦うすべを得たのです、と呟く。
「そしてあなたがたが私たちの前に座したから、命を繋いでこられた」
「そうかな」
「……すこしだけ、そう思わせておいてください」
ほんの、すこしだけ。
自分勝手だなと、うつむき吐息だけで笑う。
カミは、カミでなくてはならない。そういう決まりなんて、どこにもないというのに。
――人間性や倫理観をなげうった人間など、どこにでもいるのに。
「すみません。忘れてください」
「僕たちは命を与えることはできないよ。……僕たちでも」
刀神は、万能ではないから。
「決して……決して、都合のよい存在だとは思っていません。あなたがたを」
「うん」
「助けてほしいとも思いません。ただ……紫垂月殿。あなたがあなたの思うように。すべきことがあるのなら、私に。人間でいう老いぼれですが誠心誠意、努めましょう」
急に日が落ちたように暗くなった。顔を上げて、濃い紺色の空を見つめる。
てんてんと、銀色の星が出ていた。ここから見れば爪の先よりも小さいけれど、実際の星は太陽よりも大きかったり小さかったりする、そんな規模の大きさだ。
人間も刀神も星の寿命に比べればはるかにちいさい命。
そう考えると、青嵐の命や悩みごとなど些末なことなのだろう。それでも、青嵐は星のような命をほしいとも、悩みのない生がほしいとも思わない。
どうしようもなく、人間なのだから。
今の自分の手はとてもとても、軽かった。
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