しくるの納戸
2024-10-05 21:07:49
5287文字
Public 狛日
 

アン・ビバレントの承認

狛日/自己矛盾を孕んだ感情に振り回されている

 乾いた道が、水を得たことでその色を濃く染める。砂埃を被った葉たちは、上からシャワーを浴びせられて、本来の緑を取り戻す。
 トウモロコシ畑に満遍なく水を撒き終えたところで、日向はホースの詮を閉め、額の汗を軍手で雑に拭った。半袖から剥き出しの腕に、日差しがじりじりと降り注ぐ。
 本日は快晴だ。
「んー、随分育ったな」
 草丈が50cm程にまで伸びた茎の表面をしゃがみこんでそっと撫で、麦わら帽子の下の赤い目が緩やかに細められる。
 最初この土地は、雑草ひとつ生えない程に枯れていた。それから日向がここにトウモロコシを植えようと言い出して、ここまで来たのにどれくらい時間がかかったことか。
 どうか、このまま元気に実って欲しい。
 きっとこの成功は未来へ繋がり、いつか、ここでマンゴーも育てられたら。そうすれば、今では希少な贅沢品を資本に、外との交流が可能になるかもしれない。
 茎を撫でながら未来に想いを馳せる日向は、だから、後ろから忍び寄る影に気がつかず、いきなり項に押し当てられた冷気にぴやりと跳ね上がった。
「ぅお!? な、な、なんだよ!!」
……何茎見てニヤニヤしてるの、ボクに言われるのは不愉快かもしれないけど、気持ち悪いよ」
 ──本当にお前にだけは言われたくないな!?!
 汗のせいだけでなく微かに濡れた首後ろを押さえて、日向は忌々しげに振り返る。姿を確認せずとも声だけで間違いようがないのだが、そこにはやはり、夏でも変わらない苔色ロングコート姿の狛枝が不機嫌そうにそこにいた。
 その右手には水筒が握られていて、恐らく先程項に押し当てられたのはこれだろうと推測が出来た。
 狛枝は日向の視線がそこに注がれていることに気がつき、日向とお揃いで大粒の汗をかく水筒を、彼の鼻先につき出す。
 それを受けとり、一口含むと程よく冷えた浄水が喉を潤す。渇いた身体に巡らせるように勢いよく流し込む様を見届けてから、狛枝は右手をこめかみに当て、心底見下したポーズで口を開いた。
「キミさぁ、こんな気温で水筒持ってこないって馬鹿なの? ここはゲームじゃないんだよ」
「悪い、忘れてたんだ。ありがとう」
「お礼ならソニアさんに言って、ボクは押し付けられただけだよ」
「分かった、伝えておくな」
「あと昼ごはんだから」
「あぁ、もうそんな時間なのか」
 土寄せをしている間に随分と時間が経っていたようだ。
 目的は果たしたとばかりに踵を返す、無愛想な狛枝の後を追うために日向は慌てて立ち上がった。

……あ、れ?」

 突然、太陽の白い影がぶれて何も見えなくなる。
 脳が大きく回る。たたらを踏んだところで左腕を遠慮なく掴まれて抱き寄せられ、間一髪、転倒だけは免れたようだ。
 麦わら帽子は、二人の足元で裏向きに落ちた。
 丁度狛枝の肩の位置に顎がぶつかり、日向は小さく痛、と漏らす。
「全く、何やってんの?」
「な……んでもない、ありがとな」
……別に」
 やはり不機嫌そうにして、狛枝は日向から離れると、麦わら帽子を拾い上げて元の場所、アンテナ癖毛の真上へと押し付けて再び歩き始める。
 今度は、手をしっかりと握り直して。
「帰るよ」
…………
 日向はそれに、何も言えなくなる。
 繋がれた左腕がヒリヒリと痛むのは、恐らく日焼けのせいじゃない。ただでさえ暑くて仕方がないのに、止めてくれ、その一言が出ない。
 二人とも無言で歩き続けた。目の前の男がどんな表情をして自分の腕を引いているのか、日向の位置からは見えない。
 見えなくていいと、思った。




 一回目。お互いに嫌悪と恐れを抱えていて、それでいて歪んだ、奇妙な信頼で繋がっていた。
 二回目。コロシアイのない世界でようやく分かり合える気がした。二人は友達だった。
 三回目、四回目も、 付き合い方が分かったからだろうか、前回より仲良くなるのは早かった。
 五回目。心の奥底に積もっていった互いへの愛情は、とうとう一線を越えさせた。二人は恋人になった。
現実世界。自分は狛枝のことを、確かに憎んでいる。そして、それ以上に。
──そこまでをベッドの上で考えていたところで、日向は来客のノックに気がついた。
「入っていいぞ」
そう言うや否や、乱雑に開けられた扉に苦笑する。
「来てくれたのか、狛枝」
「来てあげたよ、体調管理すらできない浅はかな元予備学科クンの為にね」
「浅はか……
 反論は出来そうにない。
あの後、日向は結局ホテルまでたどり着いた瞬間、操り人形の糸が切れたように体から力が抜け、狛枝を下敷きにして倒れこむと、そのまま気を失ったのだった。
自室で目覚めた後、丁度額の濡れタオルを交換するところだった罪木に、炎天下で長時間屋外労働をしていたことと水分不足を原因とした熱中症であり、今日は絶対安静だと告げられた。昼食に参加できなかった日向に、ミーティングの報告などを行いながらテキパキと看護を行う姿は普段の気弱な態度からは想像もつかないような頼もしい姿勢で、思わずカッコいいなと口に出せば、赤面で一時停止した後、ゆゆゆゆっくり休んでくださいねぇ!! と逃げるようにコテージを飛び出ていった。褒められることにまだ慣れない背中を、日向は微笑ましく見送って、二度目の眠りに就いた。
看病の合間に罪木が話してくれたことが、少し、気にかかったが。
「フードプロセッサー……、っうおっ」
 回想に浸っていると、狛枝の手元から林檎が放物線を描いて投げられる。何の準備もできていなかったため、日向はわたわたとそれを受け取る羽目になった。
「果物なら食べられるでしょ?」
「いや、丸ごとかよ」
「別に僕が包丁を使ってどうなるか覚悟の上なら、切ってあげてもいいよ」
「あ」
 手首から先が無い左腕を見て、日向が短い声をあげた。
……ごめん、そうだな、包丁は使いづらいよな」
「え、」
 日向は申し訳なさそうに眉をひそめる。
しかし、狛枝が言及していたのは自身の不運に関することで、日向の返答は全くの的外れだ。まるで予想とは違う言葉に、狛枝は居心地の悪いむず痒さを感じた。
「何……キミ、そこまでお人好しだったっけ」
「は?」
 いや、お人好しではあるのだ。
「キミたちを皆殺しにしようとした僕なんかを目覚めさせようと何回もプログラムに潜って、目覚めてからも一日中付きまとうぐらいには、キミはお人好しだけどさ、けど、」
「??」
「少なくとも僕に対しては決して過保護じゃ、なかったはずだよ」
 今まで聞いたことのない不安定な声色に、思わず見開いた日向の瞳に映ったのは、一見不貞腐れたように視線を落とす狛枝だ。
 その長い睫毛の奥を注意深く覗き込んで。そして漸く、日向は気づいたのだった。

 あぁ、そうか、狛枝は。

「そっか、そうだったんだな……ふはっ、はははっ」
「ちょっと……いきなり笑いださないで気味悪い、暑さで狂ったならもう寝れば」
日向はそんな狛枝の苦言などお構い無しに笑い続ける。ひとしきり腹をよじれば落ち着いたのか、漸く笑い声を押さえて悪い悪い、と反省の欠片もなく目尻の涙を拭う。
それから、海の凪いだような笑みで、狛枝を見据えた。
「林檎、ありがとう」
「は? ……まあ、レストランに放置してあったものを拝借しただけだけどね」
「そうなのか」
「そうだよ」
「そうか」
 繰り返しの問答に、日向は満足げに笑う。
「じゃあさ、訊きたいことがあるんだが、いいか?」
 その瞬間。狛枝の表情が、一瞬だけ、分かり辛く、微かに強張った。
 普段なら見過ごしてしまいそうなその動揺を、サインを、真紅の瞳はしっかりと捉える。
「罪木がぼやいてたんだ」
キッチンのフードプロセッサーが林檎を詰まらせてあり得ない故障をしてたらしいんだが、何か知らないか。
……最早質問じゃないよね、それ」
 口調はどう聞いても断定だ。
 いや、それもそうだろう。
 何故なら、花村も目覚めず新品同然のフードプロセッサーで、原因不明のショートを起こしてしまう、そんな不運な人間なんて、苗木がいないこの島には一人だけ。
 言い逃れのできないことを悟り、狛枝が盛大に顔を顰める。長い長い息を吐き出して、話すための、口を開いた。
……兎に角小さくしなくちゃと思って、擂り林檎を作ろうとしたんだ。人の看病なんてしたことなかったけど、病気の時に固形物を含むと吐きそうになっていたことは覚えていたから。簡単な機械なら大丈夫だと高をくくったらあのザマだよね」
 最初から他の誰かに任せとけば良かったかもしれないね。狛枝は自嘲的な笑みを見せた。
「でも何かしなきゃ気が済まなかったんだよ。僕が、何かしてあげなきゃって。理由なんて訊かないでね、元絶望の予備学科なんかに何でこんなこと思ったのか、自分でも分からないんだから……あぁ、でもキミなら、とっくに気が付いているのかな?」
 純白のレースカーテンを揺らす生ぬるい風が、同じ温度の記憶を蘇らせる。
 遊びに誘われてどうしていいか分からなくなる狛枝の心の音を的確に読みきって、不安を撃ち抜いてみせた記憶だ。
 きっと、あの日向なら。
予想通り日向は頷く。
「分かってる……いや、知ってるって言うのかもな」
「どういうこと?」
「お前と同じ気持ちだってことだよ」
 日向が思い出すのは、狛枝と同じようで、もっと、特別な意味を持って刻み込んできた記憶だ。
「本当、訳がわからないよな。だって俺はお前が嫌いだ。お前の思想はちっとも理解出来ないし、俺が才能ないって分かった瞬間手のひら返して予備学科連呼だし、自殺するし、せっかく仲良くなったと思ったのに起きたらつっけんどんな態度に戻るし……それなのに、」

 遊びに誘うと見えない尻尾を振りながら、嬉しそうについてきたお前が。
 贈った希望ヶ峰学園印の指輪を、泣きそうな目で見つめていたお前が。
怯えて少し震えた腕で、それでも必死に友達になってくれるかと、握手を求めたお前が。
壊さないよう、失くさないように、大事に大事に俺を抱いたお前が。
そして今、予想不可能なタイミングで不器用な優しさを見せてくるお前が。
 大好きなんだ、狛枝。

「どうしようもなく、お前が愛しいなんて」

恋と呼ぶには不純物が多すぎる感情を、破裂するほど詰め込んだ掌が、ベッド脇で揺れるコートの裾を握り狛枝を引き寄せる。
 狛枝は、日向から突き付けられた、相反するどうしようもないモノに狼狽しながらも、嘗ての、情事の始まりの合図を無意識になぞって日向をベッドに押しつける。
右手が全部の指で絡められている。それの出来ない左手は日向の頬に添えられて、包帯の感触で擽った。額を合わせて見詰め合う。

紅に映る、熱に浮かされた自分の姿が、答えのような気がした。




 外はすっかりと闇に包まれている。
 隣で身じろぎ始めた茶髪を擽り、狛枝は意図なく呟いた。
「日向クン」
 日向が瞠目して、初めて現実で名前を呼んだことに気が付く。
「な、なんだよ」
……日向クン」
 声に出す度に感じる、焦げ付くような気持ちは、いっそ大嫌いだったあの時も、ひたすら甘く愛したあの時にも感じたことがなかった。
 確かに、これを自分のものとして抱えて歩くのは、絶望的に骨が折れそうだ。
 上半身だけ起き上がった日向を背後から抱えるようにして、狛枝が首に顔を埋めた。
「日向クン、ずっとこんな気持ちだったの?」
「それが俺もさっき自覚したばかりだよ」
「何でそんなすんなり受け入れられるのさ……
「そういえば、お前には苦手分野かもな」
 希望か、それ以外の無価値なゴミか。世界をそうやって二分していた狛枝にとって、同じ対象に二つの感情を一遍に向けていることを自覚するのは、かなりの無理に違いない。
「でも、それなら、少しずつ慣れていけばいいだろ」
 そのための時間なら、たっぷりあるはずだ。
「そうだね」
 狛枝が微かな笑みで同意し、それから手を顎に当てた。
……取り敢えずは、証拠隠滅が先かな」
「ゔ」
 見渡せば、脱ぎ捨てられた服と様々な液体でぐちゃぐちゃのシーツ、止めにお互いは全裸で、もし罪木などが様子を見にでもきたりしたら、一発でアウトの惨状だ。
 慌ててシーツから抜け出し、砕けた腰でよたよたと衣服を拾い集める日向を狛枝はそっと観察する。
 そのまま暫く考え込むと、ベッドから降りて日向の背後に忍び寄る。
「日向クン、やっぱり僕はキミが嫌いだよ」
 そう言いながら頬に寄せた唇の意味を、きっと日向は知っているから。
 愛着とも憎悪とも言えそうで異なる、未だ認めがたいそれをいつか、目の前で破顔する日向にきちんと口で告げるまでは頑張ろうと狛枝はそう決意して、拾い上げたトランクスに足を通した。



───日向に夕飯を運びに来たソウルフレンドが絶叫する、5秒前の話である。