しくるの納戸
2024-10-05 21:03:34
4712文字
Public 狛日
 

リネンの海のあいだ

狛日/カクテルを作る狛枝に日向がめろめろなはなし。

……おぉ、終わった……
 日向の目の前に広がる無数の文字列。これらは嘗て、仮想の楽園の一部を形作っていたものだ。
『お疲れ様、かな』
『ありがとうございまちゅ、これであちしも完全復活でちゅよ!!』
 メインコンピューターの脇にある小さなモニターには、柔らかな笑みを浮かべるナナミと、自らの手元に戻ってきたよだれかけを小さな両手で握りしめるウサミがいる。
 三日間碌に眠らずよだれかけと向き合っていた、というとなんだか頭を抱えたくなるが、こんな小さな布かけにも、楽園を『楽園』たらしめる重要な情報が詰まっている。
 かつて日向たちが幾度も修学旅行を繰り返した『希望更生プログラム』、それに代わる新たな精神治療プログラムを開発するためにも、このよだれかけは重要な役目があり、それ故、新たな世界に対応できるようにと、日向は必死にコードを書き換えていたのである。
 しかしその作業も終わった。フィールドはナナミや、彼女の兄である不二咲アルターエゴが、日向がちまちまとよだれかけを作成している間に流石人工知能というべきスピードで組み替えてくれた。残すは不自然のないシナリオの作成だが、そこらへんに関しては狛枝が上手くやってくれるだろう。
「これで俺も当分は寝坊できるな」
『うん、私も寝不足だった分、いっぱい眠ることにするよ……』 
「ああ、お休みナナミ、ウサミ」
 人工知能が寝不足とはどういうことなのか、いや、まあナナミだしな、と日向は無理矢理自分を納得させて、半作業場と化している自室コテージからレストランへと足を向けた。 

 レストランには、月一で運ばれる荷物を積んでいる。主に未来機関からの物資であったり、日向と狛枝、ナナミとウサミ以外の、世界中を飛び回る仲間たちからの贈り物(前回の荷物には狛枝への誕生日プレゼントが山積みになっていた)であったり様々であるが、その仕分けや片付けは全て元気よく立候補した狛枝に一任していたため、彼から荷物の内容を尋ねる必要があったのである。
 日向がレストランにたどり着くと、あちこちに出来ていたダンボールの山はすっかり消えていた。
 ついでのようにピカピカと綺麗にされた床の上には狛枝が突っ立っている。視線を下にして微動だにしない彼が熱心に見つめる義手の内には、琥珀の液体が揺れる瓶が、握られていた。
「それ、どうしたんだ?」
 日向が近寄ってきたのは雰囲気で勘付いていたのか、大した動揺もなく狛枝は答える。
「コニャック。ほら、この間ソニアさんが帰ってきたときにマンゴーをあげたじゃない。あれが向こうで凄く喜ばれたみたいで、そのお礼だってさ」
 日向たちはこの島で、事件で枯れた土地の再生研究を行っている。その主な内容は農作物の栽培で、マンゴーもその一つだった。
 そういえば、ソニアが向かっていたのは雪国だったか。それならマンゴーはますます貴重だろう。
 自分たちの精一杯育てたものが誰かを喜ばせることができたのは、それはとても幸せなことだった。

 かつて、絶望の下に人々からそれらを奪い取ってしまった自分たちには、いっそう。

……そっか」
 たっぷりと間隔をあけて漸く相槌を絞り出し、再び狛枝を見遣るとそこにいない。
 見渡すと、奥のキッチンをおもむろに漁っている。
「何してんだ?」
 日向の問いをスルーして、狛枝はコンロの下の戸棚を探る。
 確か、そう、四ヵ月前だ。澪田を中心に女子が全員集合して、お菓子作りをしていたはず。
 その時の余りが、確かまだあった。
 『幸運』のおかげか、探し物はすんなりと見つかる。腕に抱え、顔を上げないまま狛枝は声を上げる。
「日向クン、今日22時にボクのコテージに来て」
「は?」
 野菜庫にはレモン。これならいけそうだ。
「せっかくお互い修羅場も超えたことだしさ、飲もうよ」




 日向は言われた通り、22時丁度に狛枝のコテージを叩いた。
「いらっしゃい、別にそのまま入ってきてもいいのに」
 そうは言うが、やはり恥ずかしいのだ。半分はキミの部屋みたいなものなんだからさ、と今みたいに含みのある声で囁かれると、猶更。
「お風呂入ってきたんだ、石鹸のニオイがする」
「ああ、約束まで一時間もあったしな」
「ふーん?」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
 狛枝はニコリと微笑んだ。

「さてと、」
 狛枝は日向を自室奥のダークブラウンのソファに座らせると、自分はその正面に立つ。そして中央のテーブルに、先程コンロの下で探っていたラムやキュラソー、そして貰ったコニャックを並べる。
 テーブルの下から黒いトランクを取り出して、その中から銀の筒やバケツ、マドラーなどを並べ、冷えたグラスを冷蔵庫から取り出すと、やっと狛枝が何をしようとしているか気付いた。
「お前、カクテル作れるのか」
 日向がほぅ、と感心の声を漏らす。
 頬を掻いて、狛枝は照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「ちょっとだけ勉強したんだ」
 そういってトランクを指さす。
 この間の誕生日、物価が高いこの時勢にそれを送ったのは、意外にも花村であった。
「これをもらったときから、ずっと出番をうかがってたからね」
 ハーフカットのレモンを置き、最後に氷をバケツに入れたところで、狛枝は気を落ち着かせるためにひとつ、短い息を吐いた。
「美味しくなかったら、殴ってね」
「そんなんで殴るか馬鹿」
 白魚のような、というには少し骨ばった二本の指がメジャーカップを挟む。そこから液体が次々と筒型の容器──シェーカーに注がれ、さらに、水晶玉を砕いたような、不規則に光を透す欠片をみっつ、よっつと落としてゆく。それが容器の九分目までを埋めると、狛枝はしっかりとストレーナーをセットし、キャップもかぶせる。人肌と金属、両の親指がキャップに添えられて、日向は妙な緊張感に喉を鳴らした。
 カラン。
 シェーカーが垂直に浮かぶ。
 カラン、カラン。
 狛枝の胸元から、腕を伸ばして右上へ、右下へ。
 カランカランカラン。
 徐々に上がるペースと同調して揺れ動く狛枝の腕に、日向の目が釘付けになる。
 シェーカーの動きは、相当予習を積んだのか戸惑いなく決められた線をなぞる。タイミングを計るように遠くを見つめる、真剣な横顔と相まって、美術品を目の前にした溜息が、知らず知らずに零れ落ちた。

 ───シャンッ。

 小気味よい音がひとつ鳴らされて、それは唐突に終わった。



 キャップを外され、霜を纏うカクテル・グラスにゴールドが注がれる様を、日向は夢からゆっくりと戻ってくるような心地で眺めていた。
「おまたせ」
 狛枝の声で我に返る。
 どうやら自分は相当こいつに見惚れていたらしい。
 むず痒くなって日向は首の後ろを摩る。それから、勤めて冷静を装って、差し出されたグラスを掲げた。
「凄く……綺麗だな」
「キミもう少しぐらいボキャブラリー増やそうよ」
「ほっとけ」
 笑顔で毒を吐く狛枝をあしらって、グラスの淵に唇を薄く当てる。
 流れてくる色水を暫く舌の上で転がし、喉へ送り出すと、両眼の鶯茶がぱちりと瞬いた。
……おいしい」
「本当?」
「ああ、オレンジの香りがする」
「キュラソーはオレンジのリキュールだからね」
「そうなのか。まろやかで飲みやすいし、いいな」
 連日の激務で疲れた体は、切実に娯楽を欲していたのか、流れ込むアルコールをするすると受け入れる。
 段々と重力を失っていく思考と、上昇してゆく体温がふわりと心地よい。
「すごいな狛枝……いっぱい練習したんだな」
「不味い酒作って、日向クンにみっともないトコロを見せるわけにはいかないからね」
「そうか……その、かっこよかったぞ」
 普段の彼からは中々見られない、気の抜けた笑みで褒められ、狛枝の声も無意識に甘くなる。吐息を多分に含んだそれにすら酔わされるのか、日向はさらに唇をほころばせた。
「ね、一口頂戴」
 アルコールを一滴も取り込んでない手が、赤らんだ掌をグラスごと包む。
 既に空になったそれを映して、日向の首は傾げられた。
「もうないぞ」
「いいよ、」
 握られた指が絡まって、一瞬のうちにグラスが奪い去られる。
 日向が視線で追いかけるより早く、唇に柔らかいものが触れた。
 酔いの回った日向の口腔内は火傷しそうに熱い。その原因を隈なく舐めとるように、狛枝の長い舌が蠢く。
 思考回路はとっくに溶けてしまったのか、抵抗はない。それどころか、自分から積極的に舌を擦り付けていた。零れた唾液がテーブルを汚したがそのあとすぐに、倒れたシェーカーから転げた氷で見えなくなる。
「ん、こまえだ」
 薄い胸をか弱く押して、キスを中断させると、日向は両手で狛枝の左腕を掬った。
 まるで、主人に忠誠を誓う忠臣のごとく、しかしそれにしては熱が籠もりすぎた態度で、恭しく指先を掬い上げ、一つ一つにキスを落としてゆく。それが終わると腕へ、その後は右腕に、スタンプの要領でキスを落とし続け、満足したところで、頬を摺り寄せる動作に変わった。
 流石に動揺したのか、何も訊けずに瞠目する狛枝を、見つめて日向は白い歯でニッと笑う。
 それから恐ろしく犯罪的な甘さで、コトダマを紡いだ。
「うそじゃないぞ、みほれちゃうぐらい、こまえだ、かっこよかったんだからな」
…………日向クン、ホント酔うと凄いよね」
 さすが相談窓口だよ、そう茶化さなければならないほどに、今の言葉は効いた。
 日向は、お世辞を言わない。
 彼が嘘じゃないというのならば、お酒のせいでうっかりと洩らしてしまった、照れ屋な日向の本心だ。

 だからこそ、狛枝は今急激に心臓を速めている。

「本当にこの予備学科どうにかしてよ……!!」
 大動脈がたっぷりと送り出す感情が、血管を突き破りそうに溢れてくる。
 自分の激情なんていざ知らず、目の前で大輪を咲かせている日向が恨めしい、愛おしい。
 その衝動のままに頭を抱え込み、テーブルに乗り出してきつく抱き締めた。
 唇には丁度真っ赤な耳が当たり、狛枝の呼吸が掠る度に小刻みな震えを示した。狛枝は更に、掠れた声を直接吹き込むように囁きかける。
「このカクテルは『ビトウィーン・ザ・シーツ』といってね、お疲れな日向クンが快く眠れるための寝酒なわけだけどさ、」
 これは”お誘い”とみていいんだよね?
 そのままソファへ沈み込んだ日向は、瞬きを三回ほどしてから、事態を飲み込んだように微笑む。
「それは、ちがうぞ」
「違う?何が違うの?」
 お前、最初から寝かせる気なんてなかっただろ。
 たどたどしい舌づかいで、日向は確かにそう告げた。
「それと、ここじゃダメだ……『これ』は、ソファじゃ、いみ、ないだろ」
 酔っぱらって尚、学級裁判を主導してきたその立ち振る舞いは不動か。
 ここまで言えば分かるだろ? そう言わんばかりに、テーブルをに取り残されたグラスを指先でタップする日向に思わず苦笑が漏れる。
「ベッドに入った瞬間寝ないでよ」
「それは、こまえだしだい、だな」
……言ったね」
 それならばもう容赦はしない。
 限界まで喘がせることを決め、抱っこをせがむ恋人を引き上げる。
 翌日、酔っても記憶を失わない日向が、どんな照れ隠しを見せてくれるのか。
 殴る蹴るは痛いからいやだなぁ。
 全く嫌そうには見えない、満面の喜色を頬に滲ませ、狛枝は同じ表情の酔っ払いをベッドシーツの間へと突き飛ばした。