【カブミス】秘め事

迷宮に潜って銀色の宝石を取ってきたミスルンと、彼の怪我を手当するカブルーの話。

 ミルシリルに拾われて、エルフたちの間で暮らすようになってから、ずっと劣等感や喪失感みたいな、虚無に似た存在に襲われていた。それはつまり充足感、自分が存在することの意味はないってことで、結構つらかった。
 でも、それは今も誰にも秘密だ。だって、誰かに気づかれちゃいけないって分かっているから。それは大切にしてくれた人を悲しませるし、それ以外の誰かには弱みを見せることになってしまうから。
 俺が弱みを唯一見せるのは、ミスルンさんだけだ。触れ合い、キスをして、身体を切り開く。ベッドを軋ませて、彼の小さな身体を抱き込む。
 彼とするキスは特別に好きだった。何度も何度も、笑っちゃうくらい粘膜を触れ合わせるのが、俺は好きだった。
 ミスルンさんはどうかな、俺とするキスは好きかな。好きだったらいいのだけれど、俺は、あの人に愛されているだろうか。
 
 
 ミスルンさんは迷宮探索を終えると、毎回妖精を飛ばして黄金城に連絡をしてくる。というのも、彼が潜るのはメリニ国所有の迷宮の跡地だったから、そういう細かで些細な報告が、軍事的にも政治的にも必要なのだ。
 普段はその連絡を受けて、俺は数人の軍人をやる。そしてミスルンさんが何を持ち出したか検査して、それがありふれたものだったら持ち帰りを許可する。ありふれたものじゃなかったら呼び出して、王に謁見してもらう。
(今日はどっちかな……
 ミスルンさんに早く会いたい。何か特異なものを持って帰って、王に会いに来てくれたらいいのに。そう思ったけれど、軍人からの報告によると、今回の探索では特に収穫はなかったらしい。中にいる怪物たちの動きが少し鈍くなっている、ということ以外、何もなかったそうだ。
(なんだ、はずれか)
 俺はため息をついて、宰相補佐に与えられる執務室で羊皮紙にペンを走らせる。
 今俺が書いているのは、憲法の草案だ。と言っても俺は政治家未満であるので、城に跋扈する有象無象の政治家たちの静かな戦い、自分が正しい、お前が間違っている、いや、私の方が正しい、との言い争いの末に出来た草案を清書している、と言った方が正しかった。でもまぁ、うまくまとまった方だと思う。それは当然のことだったかもしれないが。
 それから俺は羊皮紙を乾かし、ヤアドの呼び出しに応じ、今日すべき事柄について話し合った。それはいつものことだった。ミスルンさんが迷宮の探索をルーティーンにしているように、俺にもそういうものがある。刺激的じゃあないが、ちゃんと地に足がついた事柄。そういうものに、俺は今囲まれて暮らしている。
 だから、ミスルンさんが黄金城を訪ねてきた時は驚いた。来る理由なんてなかったのに? と思ったのだ。でも、それだけじゃあ終わらなかった。
 そしてモンスターでもなんでもない、本物の宝石を、満身創痍になりながら俺に差し出したのには、もっと驚かされたのである。
 
 
「この宝石は……
 銀色に光る、月の色に似た手のひらサイズの結晶を差し出されて、俺は思わず頭の中で計算した。もちろん、これで何人食わせられるか、である。宝物庫に飾ろうかと考えなかったのは許してほしい。
「冒険者の取りこぼしだろう。私は目利きでな、珍しい宝石じゃあないが、これで臣下十人は食わすことが出来るだろうから、お前にやろうと思って」
「えぇ……ありがたいですけど、その怪我、大丈夫なんですか」
 さっきも言ったけれど、ミスルンさんは満身創痍だった。聞けば迷宮のトラップに引っかかったフレキを助けて怪我をしたらしいのだが、そのフレキは屋敷に置いてきたという。きっと女王への報告をさせるつもりなのだろう。
「大丈夫だ。全部細かな擦り傷だ。それよりいるのか、いらないのか。いらないなら、私はこれを一応女王に献上せねばならないが……
 ミスルンさんはそう言って、椅子に座った。灰色がかった銀の髪、ちぎれた耳、右耳の義眼は髪に隠れ、夜の闇のような色をした大きな瞳はこちらをじっと見つめている。まるで監視するような瞳だが、そこに甘さが隠れていることを俺は知っている。傷だらけになってまで宝石を持ち帰った彼は、それを俺にくれた。多分愛情を示しているのだろう。それが俺はとても嬉しかった。
「もちろんいただきます。……さぁ、手当てをしましょう。傷が痛む前に」
 俺はそう言って、ちょうど水の入ったピッチャーを運んできた侍女に、薬草を注文した。するとすごすごと城付きの薬師がやって来て、俺に苦い匂いのする薬草を渡す。そして俺たちは二人きりになって、手当てを始める。
「ミルシリルに稽古をつけてもらっていた時、よく怪我をして、こういう薬草で手当てをしてもらってました」
「そうか」
「ミルシリルは俺を迷宮にやりたくなかったみたいで、稽古はすっごく激しかったんですよ。……そういえば俺が迷宮に潜るって言った時、みんな無理だって言ったな。トールマンには無理だって、お人形さんのままでいろって」
 今でも覚えている。弱い俺を気遣うふりをして、ずっとミルシリルの大切なおもちゃでいろって、俺を囲むエルフたちは言ったのだった。
「お前は対人戦が上手いだろう」
「まぁ、確かに。でも肝心の魔物についての知識は、ライオスさんには及びませんでしたけどね」
 それにしても、エルフに囲まれて生きるのはつらかったな。自分はみんなとは違うんだ、異物なんだって思わされて、ミルシリルにも相談できなかった。ずっと笑われているみたいで、俺は弱虫だったから特につらかったんです。
 そこまで言おうとして、俺はミスルンさんの足に包帯を巻き付けながら口をつぐんだ。こんなネガティブな感情、ミスルンさんに知られたくない。
 執務室の窓からは、昼の光が差し込んでくる。薬草の苦い匂い。煮沸消毒された包帯の清潔な匂い。ピッチャーにたたえられた水が光を浴びて輝き、それはきらきらとミスルンさんの髪を輝かせる。彼はとても美しかった。それはエルフ特有の顔立ちからくるものなのかもしれないけれど、俺には、それでも彼に自分の中の一番の美しさを見た。失われた目や耳は戻らないが、失われたものに宿る美もある。
 そんなことをぼんやりと考えていた時、ミスルンさんの足に巻いた包帯をハサミで切り、結ぼうとした時、俺は彼に引っ張られて、いつの間にかキスをしていた。今日ずっと思っていた、そんなキスをした。粘膜と粘膜が触れ合う、ちょっといやらしいキスをした。
「お前は私を助けてくれた。力がないなんてことはなかった。今もちゃんと人の役に立っているし、また私を助けてくれている」
……これくらい恋人として当然ですよ」
 俺は話を切り上げようとする。けれどミスルンさんはさらに続けた。俺が口にしなかった言葉まで、瞳から読み取ってしまったように。
「今いる席を勝ち取ったのはお前の力だ。どれだけ劣等感を抱こうとも、お前はこの国の役に立つ人材だ」
 ミスルンさんが、俺の瞳を覗き込む。テーブルの上には彼が持ってきた宝石がある。それはやっぱり窓からの光にきらきらと輝いて、かつて彼の瞳の色だったらしい銀色に輝いて、俺はミスルンさんは、失われたものにちゃんと向かい合っているのだ、と思った。だったら俺が見なくちゃいけないものはなんだ? エルフたちに囲まれていた時に抱いた劣等感か? それとも今恋人がくれる優しさか?
……あなたはいつだって俺を安定させてくれるな。まるで空きっ腹に蜜を飲むみたいだ」
 俺はそう言って、ミスルンさんにまたキスをした。すると、すこしかさついた唇が擦れて、甘い痺れが身体をよぎった。この人は俺を言葉でも、腕でも抱きしめてくれる。俺が彼を癒したように、この人も俺が隠す痛みを癒してくれる。
 俺たちは部屋の中で、誰も来ない部屋の中でキスをする。早く手当てを終えて、仕事を終えて、二人の暖かな家に帰りたいって思う。そうしたら、もっと甘く、長く続けられるから。
 俺たちはキスをする。セックスよりも秘密みたいな、秘め事みたいなキスをする。甘い甘い、秘め事みたいなキスをする。