いを
2024-10-04 20:50:20
2287文字
Public 刀神
 

踊りましょうか終点まで

菊司
・定之さん【higasa_onink】
お借りしています。

 義足が砂浜に沈む。少々重たくなった足は、前にきたときよりもいとも容易く靴を砂に埋めた。細かい砂がスニーカーの隙間に入るけれど、菊司は気にしない。
 歩くのも、ずいぶんゆっくりになった。走ろうと思えば走れるけれど、もう前のような戦い方はできないだろう。
 無人の海辺なんて、あまり見たことがない。定之はとなりを歩き、靴に絡まりそうになる海藻をうまく避けていた。
「急に海来ちゃったけど、誰もいないね」
「寒いから……
 スニーカーの布の部分がすこし濡れた。海にコンバースなんて履いてくるものじゃなかったなと思う。
 空はホリゾンブルーみたいな色で、水平線のあたりは杜若色みたいだった。
 秋の海の色、こんなに濃かったっけ。
 さすがに白衣は着ていないけれど、代わりに薄いサマーコートを羽織ってきた。生地がかるいから、風が吹くと容易に裾が捲れる。
「あ」
 ポケットをまさぐってから気付いた。
「スマホ忘れた。……財布あるからいっか」
「どこに……?」
「どこだろ。たぶん家……か、天照のロッカー、かな」
 今日は休みを取っているから、緊急のメールや電話がきても許してほしい。
「スマホなくても、なんとかなっちゃったね。定之くんと今日ばったり会ったのも偶然だし」
 アハハとなんとなく笑ってみせる。定之はすこし呆れたような顔をしていた。
「盗まれたりはしていないだろうから大丈夫だよ。盗んでも絶対ロック解除できないだろうし」
「絶対」
「そう。こう、スマホを改造してさ……。えっと、そんな感じ」
 もっともすべて自己責任のもと、だけれど。
 薄いコートのポケットに両手を突っ込んで、ゆっくり歩く。菊司の歩幅は今までより狭い。ざく、ざく、と乾いた砂浜が音を鳴らす。潮騒と、砂を踏む音が響く。そして呼吸音か。片足を失ってから、ついでに体力も失ってしまったようだ。
「大丈夫?」
「うん。へーき」
 定之が見上げてくる。菊司は笑顔で答えた。ふと立ち止まって、水平線を見た。まっすぐでどこまでも、永遠に続いていると錯覚してしまうほどの線。
「海ってさ、広いよねぇ」
 昔の童謡を思い出した。海は広いな大きいな。月が昇るし陽は沈む。という歌だったか。
「今も特別好きってわけじゃないけど、たまにくると好きだなー、って思うかも」
 調子の良いことを言っているという自覚はある。
「それとも、定之くんといるからかな」
 ぼそりと呟いた言葉は届いたか分からない。届いても届かなくてもいいと思う。
 オレンジ色の短い髪の毛先が潮風に揺れるのを、視界の隅で見た。水平線から視線を外して定之を見下ろす。
「きみといると、別に好きって思わなかったものまで好きになっちゃうな」
 彼は頭をすこしかたむけた。そして、「どうして?」と言った。
「ふふ。どうしてだろうね。俺が好きになりたいわけでもなかった、好きだと思わなかった。……定之くんと一緒にいると嬉しいからかな。結構、単純なのかもね。俺」
 定之は頷きも首を振ることもせずに、菊司を見上げていた。
 つんつんと跳ねた髪をゆっくり梳くように、菊司の手のひらが頭を撫でる。
「ひとと一緒にいると、やっぱり寂しくなるんだね」
「?」
「誰かといるとその分、ひとりでいる時サミシイっていう気持ちが強くなるってこと」
 目尻を下げて、笑ってみせた。きっと情けない顔をしていることだろう。
「今、寂しい?」
「寂しくないよ」
「じゃあ、今日俺と会う前、寂しかった?」
「うーん……。そうだった、かな? たぶん」
 まわりに人がいない海は、こんなにも静かだっただろうか。
 目を伏せ、くちびるをゆるめる。そうだったかもしれない。寂しかったのかもしれない。だからあてもなく外にフラフラ出歩いていたのかもしれない。
「抱きしめてもいい?」
「ここ、外……
 すこし咎めるような目をしている。まあ、それはそうなのだけども。けれど定之は軽く両腕を広げた。
 その好意に甘えて、そっと抱きしめる。そのまま目を閉じて、潮騒を聞く。とおくで海鳥が鳴いている。けれども腕の中には、定之の体温があった。音には触れられないから、今菊司が触れているのは定之の体温だけだった。その事実がすこし、嬉しい。
 きっかり十秒抱きしめてから、ぱっと腕を離す。
 近くにタクシーが停まっていた。
「あ! タクシー!」
 砂浜を小走りに歩いてタクシーに向かって腕を上げた。
「定之くん! タクシー乗ろ! これ逃したら次ないかも!」
……
 定之は呆気にとられたように口をすこし開いてから、うなずいた。
 砂浜から繋がる小さい階段をのぼって、タクシーの運転手に話かけると、ちょうどここを通ったと言っていた。今は休憩していたらしい。

 窓から青白い空が流れていくのが見える。
 いずれ着くであろう場所を思い浮かべて、座席に座りながらコートのポケットに片手を突っ込んだ。すみのほうに丸いものが指先にあたる。とりだすと飴玉だった。一個しかないので、ポケットに再度入れておいた。覚えておいたら食べようと考えているが、たぶん忘れるだろう。
「お腹空かない? 着いたらどっかで食べよっか」
「うん」
 タクシーのメーターにはデジタル時計が表示されていた。十三時。そろそろ店も空く頃だろうか。
「なに食べたい?」
「いろいろ」
「色々かあ。いいねぇ」
 アハハと再度笑って、座席に深く座り直す。
 空の色は徐々に濃くなってきた。雲も、少しずつ出てきている。
 けれども空はずっと心地よく晴れていた。