ゆい
2024-10-04 12:59:42
4668文字
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【宗みか】旅だって道連れ

お友達からタイトルを貰って書く企画第二弾です。
Web企画に提出させていただきました。
未来同棲設定でもいちゃついてるだけの秋の二人です。

「影片、明日の打ち合わせだが、‥夜逃げか?」
「まだお昼前やでぇ」

 ノックの後に開いた扉の向こう側には、本当に足の踏み場も無かった。少し硬く呆れた僕の問い掛けに、円やかに惚けた返事が語尾を伸ばして響いて消える。非日常な雑多の真ん中で、両手に持ったトップスを身体に当てながら影片は姿見を通して僕を見た。咎める視線もへの字の口元も余さず全部見つけた上でへらりと笑い返す能天気さに、もう吐き慣れてしまった溜め息を零す。
 普段はまあまあ片付いている部屋が今日は棚の上から椅子の下まで様々な洋服や装飾品で溢れ、あまりの色鮮やかさに目が眩む。床に物を置くなといくら言い聞かせてもすぐに言い付けを破るから、あらかじめ影片の部屋には毛の長い絨毯を隅まで満遍なく敷いてある。家に入れば靴を脱ぐ決まりだった日本から土足が当たり前の異国へ連れて来たのは、僕だ。だから、時々なら長年染み付いた習慣が出てしまうことは仕方ないと目を瞑ったり環境から変えてやったりもした。だが、それに甘えて無邪気さを加速させるのはいただけない。僕に攫われてもう数年も経つのだから、そろそろ腹を括ってこの地の当然も身に付けて欲しい。
 結局漏れてしまった溜め息に舌打ちを追加して、なるべく音がするように扉を閉めて中に入る。爪先に当たる諸々を片っ端から拾い上げながら、最短距離を作って影片の背後まで進んだ。広く誂えた筈のクローゼットには何度も出し入れした跡が色濃く残り、恐らく持ち得る全ての帽子が倒れたスーツケースの上に並んでいる。格式より軽さと容量の多さを重視したそれはこちらへ渡る時に二人で選んだもので、出番の度に影片の扱いに負けて傷や汚れに塗れていった。それらを隠すように僕の趣味では無いステッカーが次々に貼られていき、元の淡い空色が今では殆ど見えなくなっている。これが出ているということは、どこか長期で出かける用事でもあるのだろうか。自分の全く進んでいない荷造りを思い出して、すぐに忘れるように努める。秋の古都は過ごし易いからと謎の理由で七種から半ば強引に組まれた出張のせいか、何かと先伸ばして来週の出発を目前にまだスーツケースすら取り出していない。ロケ先予定の美術館やギャラリーはなかなか僕の趣味に近かったが、スケジュールは分刻みに近いしホテルも観光地からは微妙に離れたところを押さえられていた。準備の時点から既に憂鬱な僕とは対照的に、目の前の影片は靴下一つ選ぶのも楽しそうで少し眩しい。確か影片の方には長めの移動や宿泊の伴う仕事は暫く無かった筈だ。壁のカレンダーを確認してもオフ以外の印は無く、せいぜい昨日のディナーの時間が見慣れた癖字で記されているくらいだし。一応脳内で二人分の予定表をざっと見直してみるが、やっぱり目ぼしい予定は見つからない。仕事で無ければ私用だろうか。行き先や理由は違っても、せめて帰国の日取りくらいは揃えて飛行機の座席を取りたいものだ。ちなみに、まだ欠片も帰国の詳細は聞いていない。報連相は徹底するよう教えてきたが、その理由まではまだ理解していなかったらしい。鏡の中で一気に締まる僕の表情を見ても、影片のだらしない表情は崩れない。昔ならこちらが少し機嫌が悪くなっただけで無駄に怯えたり萎縮していたというのに。手塩にかけて図太く靭やかに育てた笑みを見返しながら、にんまりと僕を呼ぶ声を聞く。

「いま履いてるパンツに合わせるんやったら、どっちがええと思う?」
「当然右だろう」
「やっぱりそれが正解かなぁ。でも、景観との相性とか考えると、左の緑もありやと思うんよ」

 僕の断定に賛同しつつさらりと流して、影片は大仰に眉根を寄せて尚も悩んでいる。神の采配に異論を述べるとは良い度胸だ、これもまた反抗期と呼ぶべきだろうか。判断に迷う成長に言葉を飲みつつ、改めて影片の纏う個性を眺める。独特な刺繍と大胆な切り返しが奇妙に混在する洋服達は極端に人を選び、僕ですら着こなしに少しの閃きが必要だったりする。どんな形やデザインだって己の感性で飼い慣らし、オーダーメイドのように着こなせなければ手間暇をかけて着飾る意味が無い。その点で言えば影片も充分偶像としての素質があるし、昔よりは魅了する側としての自覚も芽生えてきたように思う。勿論、まだまだ詰めも見立ても甘く、お互いの趣味嗜好の乖離には首を捻る時もあるけれど。その擦れ違いすら吹き出して小突き合う二人に辿り着けたことを、僕はこっそり嬉しく思うよ。
 噛み締めるむず痒さを胸中に隠して、迷いつつ浮かれる旋毛を密かに覗く。艶めき上向く睫毛でどの星を弾こうと知ったことではないが、この煌めきが自分以外に降り注ぐとなれば話は別だ。この僕が見初め育てて鍛えた美しさを、今更どこぞの幕間から掠め取られて黙っていられる気はしない。勝手に一文字を結んだ唇を誤魔化すより早く、鏡の中で僕に向きっぱなしの瞳が僕を見つけてまた蕩けるように彩度を増す。 

「どっちがおれに似合うやろか」
「どちらも似合うから困っているのだろう」
「似合わんお洋服着てたらお師さんに怒られてまうもん。久しぶりにお仕事以外で長めの帰国やし、季節感とか考えたら止まらんなっちゃった」

 楽しいのも考えもんやね、含み笑いを星のように零しながら影片が小さく呟く。陶器めいて光る頬が仄かに赤みを帯びているように見えるのは、きっと窓から差し込む陽光の加減だけでは無いだろう。帰国、と確かにさっき聞こえたし、落ち着いて辺りを見ればなるほど今の母国に似つかわしそうな布地と色合いの洋服ばかりが散らばっている。影片がここまで手間暇をかけて浮かれる相手なら恐らく鳴上や朔間だろうと推測するが、灰を飲んだような息苦しさが何故か消えない。口角の一つも上げられずに黙り込む僕に何を思ったか影片は更に笑みを深くして、唐突に背後の僕へと倒れ込む。慌てて受け止めても驚く程まだ軽い身体は大した衝撃無くすっぽり僕に埋まり、踵一つ動かさずに影片の全てが手に入った。せっかく集めた洋服達を取り零しながら両手で支えた腰は、何時までも細く頼りない。後ろを確認することも無く、ただ受け止めてくれると信じ切って重心を手放した星が僕の胸で髪を乱して悪戯っぽくまた笑う。すっかり見上げ癖のついた形の良い顎がつんと輪郭を誇る様を努めて気難しく見下ろしながら、嫉妬深い心音に気付かれないよう深く息を吸う。なけなしの理性よ、ここが紳士の瀬戸際だと思え。僕の不機嫌なんてどこ吹く風と影片が笑う時は大概僕に分が悪い話となる。

「京都楽しみやね。お師さんも回りたい所ちゃんと考えといてな」
「‥京都が、楽しみなの?」
「おん!おれ、良い子でお仕事終わるの待っとるから、お師さんはおれ以外のご用事入れたらあかんよ」

 せっかくの二人旅なんやもん。猫のように僕へ凭れかかりながら、影片は素顔と演技のちょうど真ん中をいくしおらしさで囁く。寄せた頬を僕の形に潰したり膨らませたり忙しなく変えて甘えてくる様があまりに安心しきっていて、食い込む指が後ろめたさに少し揺れる。やけに潤んだ瞳も少しずつ均されていく体温も、今更可愛げなんて言葉では到底誤魔化しきれない。人を安易に誑かすことは品が無いから止めなさいとどれだけ言い聞かせてもまるで学ばないしなだれ方に、咄嗟に奥歯を強く噛んで様々を耐えた。こんな無防備で無作為な蜜を致死量で浴びながら理性の綱を手放さずにいる僕に、君はもう少し感謝とか畏怖の念を覚えた方が良い。一層壮絶に険しさを増したであろう僕を至近距離で覗きながら尚も照れたように目を細める神経は素直に感服するが、今はお互いそれどころでは無い筈だ。旅行、と言っても今回の帰国は打ち合わせや下見ばかりの味気無い三泊四日だ。そのくせ拘束時間が長くなることだけは分かりきっていたから、日程だけは伝えてどう誘い出そうかずっと悩んでいたのに。これじゃあ貴重な休みを待ち時間に費やしても良いのだろうかと迷った僕が、食事も観光もきっと中途半端になるからいっそ一人の方が潔いかと思い始めていた僕が、空回りして馬鹿みたいじゃないか。

「んあっ、ちょっ、おれ潰れちゃうんやけどぉ」

 油断しきった身体を後ろから強く抱き締めても、影片は肩すら揺らさず腕の中で烏のように鳴くばかり。体幹だけはしっかりとした身体は両指を前で組める程に薄く、洋服越しでも骨の形がよく分かる。顔を埋めた黒髪からは僕と同じシャンプーの匂いがして、目を閉じていても艶やかさで瞼の裏が薄く光った。不平不満を装いながら実はちっとも異論は無くて、されるがままを好むところは昔から全然変わらない。雑に扱われる方がときめくなんてぬかす口はその度きつく塞いでやっと近頃は言われなくなったが、喜んでいるのは気配と語尾ですぐに分かる。今だって身動き出来ないこの状況に戸惑う真似をしながら、きっと頬も口元も目尻も眉もにやけるに任せて緩みきっているに違いない。さりげなく僕の手に絡んできた指先が偶然の顔をして肌を滑る度、隠しようもなく背筋が粟立つ。お師さんに触られてしまうと自分勝手に胸が疼くの。酷く不埒な言葉選びで影片がこっそり打ち明けてくれたのは、一体いつの閨だったろうか。全く堪え性の無い困った子だと思う。いつまで経っても甘え下手で、命懸けで、用意周到な癖に弱点の多い呆れた子。こんな打算と抜け目だらけの君を、僕以外の誰が正しく愛してやれるのというの。
 突如訪れた沈黙にも上機嫌な雰囲気を隠さない影片が、それでも少しはしおらしく首だけ動かしてこちらを窺う。長い睫毛が首筋を叩く危うさも息を詰めて耐えれば、やがて上がる鳴き声がひときわ明るく鼓膜を揺らす。

「笑っとんならお顔見せてや!こっそりにやにやすんのずるい!」
「見せないし狡くもない。言い掛かりはよしたまえ」
「おれ分かるもん!お師さんこそ言い訳は美しくないで!」
「あんまり生意気だと留守を守らせるよ」

 心にも無い脅しを埋もれてくぐもった放てば、きゃんきゃんと騒ぐ声は思った通りぴたりと止まる。でも、それも数呼吸の間だけで、すぐにまた溢れ出す笑い声が鈴のように部屋中を転がった。芯も捉え所も無い幸せが広がっていくのに合わせて、今度は明確な意志を宿しながら僕に添う指を決して解けぬように繋いでやる。それにすら心地良く吹き出しながら、やがて転がり終えた星は迷いなく僕の名前を呼ぶ。

「お留守番なんて寂しいこと言わんで。お師さんの行くところなら、どこでも連れて行ってくれんと嫌や」
「たとえそこが地獄でも?」
「地獄にも四季とかあるとええんやけどね。あっても無くても、うんとおめかしして閻魔様へご挨拶に行こな!」

 全て何でも無いことみたいに答えを出して、影片が鏡に向けてはにかんだのが目を閉じていても分かった。戯言だって鼻で笑うことは容易い。だけど、それもいいねと両手に力を込めて隙間無く距離を消す方が今の僕には遥かに簡単だ。確かに絡んだ指が本人達を差し置いて熱を分け合っている。どこに行っても楽しみやね。一つの恐れも不安も見当たらない唯一の声が願いとも念押しとも聞こえる当然を吐く。そうだね。つられて間髪入れず応えてしまった自分の声も、その能天気さにお似合いの浮かれっぷりだ。どんな旅路も君とだったら笑って往こう。誓うまでも無く決まりきった日々にまた口角が下がるのを感じて何だか嬉しくなった。