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mishiadd
2024-10-03 22:47:04
4177文字
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宮本伊織は生きにくい:秘密主義/トラウマダンピング
人の相談を受けてばかりの伊織くんが自分のことを話すのはごく稀で、いざ話してくれたと思ったらなんかものすごいよね、という小噺。【アレルギー表記】彌伊示唆
伊織は人に物事を相談されやすい性質だ、というのは、彼に出逢ってすぐにセイバーが気付いたことのひとつだった。
セイバー自身は、自分が他人にとってとっつきやすい性質である、と思ったことはないし、むしろ敢えてそう見られないように振る舞っている部分さえあった。それですら、ただ父王の命の下に感情もなく殺戮を繰り返すだけの傀儡であった頃よりはまだ
人間のふりができている
、と言えた。自分の感情の居場所さえ、
彼女
に出逢い、そして目の前で失うまでは碌に理解してすらいなかったのだ。
――
いわんや、他人の感情をや。
最初は、それはひどく煩わしく無駄な行為だと思った。名前も知らない人々の言の葉にいちいち耳を傾け、心を砕き、その感情に寄り添ってその道のりを共に歩んでやる。当初は、セイバーはそれを『余分』だと思った。もっと言えば、大変な労力だと思った。いちいちひどく骨の折れる、大変な大仕事だと。
――
伊織は彼に、自分のそれは決して優しさなどからくるものではないのだと言ったけれど。
たとえそうだったとしても、その行いは、誰かにそうしてあげられること、それ自体が既にすごいことなのではないかと、今のセイバーなどは素直に思うのだ。
◆
顔見知りの万屋の女主人が客に絡まれていたのをたまたま助けてやったところ、そのまま彼女のおしゃべりに捕まってしまった。
店先での立ち話に二刻ほど付き合ったところ、最後の方では元々話し好きの性質とはいえ彼女の方がすっかり伊織に心を許してしまい、「ここだけの話だよ」を四回は繰り返して、しまいには彼女の義母が役者趣味に店の売上を使い込んでいるのを夫に言えないでいる、などというひどく立ち入った話まで聞かされる始末だった。
「すまないねえ伊織さん、すっかり話し込んじまって」
いろいろ打ち明けて心の重荷が降りたのか、どこか晴れ晴れとした顔をした女主人が伊織に詫びて、とりあえずその場にあった一番高価な雑貨を彼に押し付けた。
「アンタったら随分聞き上手なんだもの。自分の家の恥でも隣の家の秘密でも、なんでもかんでもついつい喋っちまう。
――
アンタが与力にでもなった日にゃ、アンタに取り調べを受けた下手人はどいつもこいつもすぐに自白しちまうんだろうねえ。
そういう不思議な力がアンタにはあるよ。人の心の中にすっと入ってくるんだ」
随分早い段階で彼女の身の上話に飽き飽きしていたセイバーは、その言葉だけにはぴくりと反応した。伊織のそういう側面に身に覚えがないわけではなかった。
「まあ、愚痴やら相談話なんてのは、聞かされる方だってそれなりに疲れるものだからね。アタシだって隣の奥さんから旦那がどこの陰間と浮気したなんて話を年がら年中聞かされて辛気臭くて
――
っと、またやっちまった」
ぺしん、と芝居がかった身振りで自分の額を軽く叩いたあと、女主人が伊織に男勝りのにかっとした笑みを浮かべて見せる。
「だからまあ、アンタも聞いてばかりじゃ疲れるだろう? なんか悩みでもあるんなら、アタシに言ってくれてもいいんだよ。お互い様さ」
「
――
いや」
不意を突かれたのか、伊織がやや戸惑ったように月夜の色の瞳をぐるりと巡らせた。それから、「大丈夫だ。特にない」と端的に答える。女主人が肩を竦めた。
「まあいいさ。
――
ただ、アンタも人の事情を背負ってやるばっかりじゃなくて、たまには自分のことも外に出してやった方がいいよ。息を吸ってばかりだと胸が苦しくなるだろう? たまには吐かなきゃならんのさ」
「肝に銘じておこう」
女主人と別れて長屋への帰路につく。大通りを歩きながら、セイバーがぽつりと尋ねた。
「本当に、悩みはないのか?」
「ん?」と伊織が傍らのセイバーを見下ろす。少しだけ背伸びをして、セイバーが繰り返した。
「彼女に同意するわけではないが、実際きみは
――
」
優しすぎる、という言葉を使おうとして、敢えて引っ込める。代わりの言葉を探した。
「
――
他人の苦労を背負い込みすぎだ。
人の心に寄り添ってやって、ひとりひとりの事情を受け止めてやって、個人の問題に一緒に向き合ってやる
――
というのは、悪いことではないのだと思う。実際、そのやり方で救われる人間が大勢いるのだろうし
――
」
現に私もそのひとりだ、という言葉は、言外に留めておく。
「だが、それは話を聞いてやる側にとっても負担なのだ。心労を強いられる。誰かの相談に乗ってやり、話を聞いてやるというのは、自分の心の体力を少しずつ削りながらやることなのだ。
だからそれは、誰にでも当たり前にできることではなく
――
」
伊織が、何を言われているのかよくわかっていないような訝しげな顔で、セイバーを見ている。
またうまく伝えられていないな、と薄々思いながらも、自分の表現力のうちでできる限りの言葉選びを重ねながら、続ける。
「だから、そうできる人間というものはきみが思っている以上に希少で、価値があり、つまりどういうことかというと
――
皆、きみに助けを求めてしまうのだ。大勢に頼られてしまう」
つまり。
……
つまり
――
。
「だから。
……
あまり、背負い込むな。きみの問題でないものをきみの内側に抱え込みすぎるな。きみは
――
」
そして結局、さっきは避けることができたあの言葉に頼るしかなくなるのだ。
「
――
優しすぎる」
伊織が複雑そうな顔をする。傷ついたようにも、どこか居心地の悪いようにもとれる表情で、そっとセイバーから目を逸らす。
「セイバー、俺は」と言いさしたところを、慌ててセイバーが言葉を被せた。
「それに、きみは人の秘密を聞いてばかりで、自分のことは碌になにも話さないではないか!」
「うん?」
伊織の鋭いような眼光が、きょとんとしたあどけない表情を浮かべてセイバーを見る。
「人の秘密ばかりを聞き回って、まるで隠密ではないか。
――
あの万屋の女主人ではないが、確かにきみもたまにはなにか心中というものを吐露してみせよ。
……
まあ」
急に自信がなくなって、きょと、とセイバーが大きな瞳を逸らす。
「私が相手では
――
話したくもないかもしれないが」
「
……
そんなことはないよ、セイバー」
はた、と伊織が立ち止まる。セイバーが見上げると、思いのほか真摯な瞳で、伊織が彼を見下ろしていた。ちらちらと白目の端が木漏れ日を反射して光る。
「俺は、今まで誰にも言ったことのなかったことを
――
カヤにすら言ったことのなかったことを
――
お前だけに、言ったことがあるよ」
「
――
え」
まじまじと、セイバーが伊織を見る。
硬くも脆い硝子のように透き通った不思議な色をした伊織の瞳が、ちらちらと光っている。それが、
彼
いおり
を見上げているセイバーの顔を見ているのがわかる。
彼
セイバー
の顔のすべてをよくよく見ようとして、その円い月夜の瞳が細かく揺れているのがわかる。もの言いたげに
――
もしくは、なにかを
暴かれる
のを待つように。
――
彼の内側へと、
誘
いざな
うように。
その瞳に見られている、ということを意識して、セイバーが急に気恥ずかしくなって目を逸らした。
「な、なん
――
突然そんなふうに人を見るのはよくないぞ、イオリ」
「そんなふう、とは」
まるで自覚のない様子でけろりと言い、それから伊織が改めてセイバーを見た。どこかあどけないような表情で、言った。
「昔から
――
あまり自分のことを話すのは得意ではないし、興味もないんだ。
――
話しても特に何も得ないし、相手だって困るだろう。だから
――
誰かに『話してもいいのかな』と俺が思ったのは
――
否、『話さなければならない』と思ったのは、おまえが初めてなんだ、セイバー」
「そう、か」
「うん。
――
おまえは、困ったかもしれないが」
「いや
……
」
皮肉なことだ。
――
自分の言ったことが、そっくりそのまま自分に却ってきてしまうのを、セイバーは自覚した。
かつて伊織に『余分だ』と吐き捨てた行為を、彼自身が飽きずに繰り返している。
――
毎日、毎晩、そっと
彼だけに
吐露された伊織の心の裡ばかりを考えて、想う。理解したいと願って、寄り添いたいと願って、想う。酷い労力だと、大変な大仕事だと、
やるだけ無駄
だと
――
。
だからきっと、伊織は今まで誰にも話さなかったのだとセイバーは思った。誰にも期待などしていなかったし、誰にもそれを背負わせる気はなかった。
――
でも、伊織はセイバーを選んでしまった。選んで
くれて
しまった。
伊織が再び歩き出す。その少し後ろを歩いていたセイバーが、慌てて歩を速めて伊織の隣に並ぶ。ぽつり、ぽつりと伊織が言葉を朝露の雫のように零す。
「
――
誰にも
――
話したことがなかったから、加減がわからない。どこまで話していいのか
――
どう、話していいのか。だから、おまえは困るかもしれない。でも
――
おまえには、知っていてほしかった。知ってもらいたかった」
「そう
――
か」
「本当は、まだある。
――
おまえに、ただ聞いてほしいこと」
セイバーは、伊織に
選ばれて
しまったのだ。あなたになら話してもいいのだと。あなたになら知られてもいいのだと。
――
あなたになら、私を知ってもらいたいのだと。
伊織は、八百八町のあまねく人々の想いを受け止めていたのだ。対してセイバーは、宮本伊織ただひとり。
――
無論
、
できない筈などあるものか
。
そんな比較はまったくの無意味であることを知りながら、なんならその理屈で言えば伊織の負荷とセイバーの負荷は当人の体感としては
ほぼ等価
であるということにも目を瞑りながら
――
それでもセイバーは、伊織が彼を選んでくれた、その奇跡を想う。
――
彼がセイバーにだけは話してもいいと思ってくれた、その得難い『栄誉』を、思う。
長屋の引き戸に手を掛ける。カラカラと音を立てて開きながら、伊織がセイバーを見た。
「
――
聞いて、くれるか?」
「ああ」
カラカラと、長屋の引き戸が閉まる。
――
「セイバー、俺は
処女
じゃないんだよ」から始まる、長い長い、あの湊の一夜の出来事の物語を
――
伊織が生まれて初めて言葉にして紡ぐのを、セイバーは聞いた。
秘密主義/トラウマダンピング・了
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