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何某
Public
花国
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類は、
元カノからの電話を律儀に受けちゃった花巻さんと巻き込み事故を食らう国見くんの話
風呂から上がって廊下に出ると、リビングに繋がる扉の向こうから珍しく圧の強い声が聞こえてきた。
「──、────、────!」
電話でもしているのだろうか?テレビ画面に向かってぼやくような人ではないから、おそらく誰かとやりとりしているのだろうということは何となくわかる。だが、他人に関することではめったに声を荒らげない花巻さんがこうも固い声を出しているのは久々なことのように感じられた。
まだリビングに入らないほうがいいかな、と扉から漏れる光を眺めて思う。いくら自宅とはいえ、誰かと暮らしている以上はプライバシーへの配慮が多少なりとも必要なのだった。
「
……
ら、
……
って、
……
ってんじゃん、」
途切れ途切れに漏れ聞こえてくる言葉はハギレにもならず、縫い合わせて推測するということも難しい。湯船に浸かった体は冷たい水を欲していた。スマホはリビングのテーブルに置きっぱなしだった。そうなると、廊下でできることなんて何もなくなってしまう。玄関で散らばっていた靴をなんとなく直しても、傘立てに突っ込んであるビニール傘の損傷具合を確かめてみても、花巻さんの電話が終わるような様子は感じられない。
洗濯は今朝終えたばかりで機械の中はほとんど空だし、ドライヤーをしようにもいつも彼が率先してやりたがるからなんとなく手が伸びない。喉の渇きと腹の虫が限界値に届きそうになって、こうなりゃ職場でやっているように電話に聞き耳を立てなければいいんだと強引に理由づけて扉を静かに開いた。花巻さんはソファに座ってこちらに背を向けたまま、やっぱりスマホで誰かと話しているようだった。詳細を聞くつもりはないが、できるだけ音がしないように扉を閉め、キッチンに引っ込もうと足を進める。
「────何回言わせんの?」
「
……
!」
鮮明になった声が耳を刺し通した。今まで一度も聞いたことのない零度の声音に背すじが冷える。聞き耳を立てるつもりは本当に無かったのに、小さな機器の向こうから高い怒声のような音が聞こえてきて、女の人だ、と思った。
「ずっと言ってるよな?引っ越したんだって」
心底うんざりしているといわんばかりの深い溜息をついて、後頭部を乱暴にかき混ぜてから、花巻さんはイチから説明し直すような口調で言った。
「そう、だからその部屋にはもう居ねえ
……
なんで言う必要があるわけ?」
少しずつ、じわじわと、苛立ちが積もっていっているのが分かる。5分にも満たない数分の間で、花巻さんは何度も体勢を変えていた。
「関係ねえじゃん」
当事者でもないのに、思わず手のひらを握っていた。もともと言葉を飾らない人だ。だから、花巻さんの言葉はいつでも重たくならなくて、けれど時にこうして鋭くなる。心が抉れるなんてまだカワイイものだと言えるほどに、ひと刺しで心臓のすべてをずたずたにできる。
「はあ?
……
あのさあ」
花巻さんがいちだんと大きな溜息をついて項垂れた。片手で頭を抱え、深く息を吸って、努めて静かに、怒りを殺すように言葉を吐き出す。
「俺、恋人いるから」
途端に静寂が部屋へ満ちていった。どう足掻いても恋の話をしているような空気ではない。そもそも明るい話をするような相手でもないのだろうが、ここまで理性的に話しているのは初めて見るのかもしれなかった。
「嘘ついて気ぃ惹こうとするほどお前に興味ねえよ」
言葉の棘が鋭くなっている。そろそろまずいかもしれない。相手はなぜか相当粘っているようで、それがかえって余計に花巻さんの苛立ちを呼ぶということも知らないような間柄のようだ。
「ふざけんな」
自分が言われていることではないにしろ、こういう言葉を花巻さんの声で聞き続けるのはしんどいな、と思う。いよいよ冷蔵庫の扉をがぱ、と音を立てて開いた。
「!」
ピンクブラウンの頭が勢いよくこちらを振り返る。その目は、いつからいたの、と言いたげにこれ以上ないほど大きく開いていた。首にかけたままのハンドタオルで大袈裟に髪を拭いてみる。花巻さんは一瞬のうちに何かを思いついたらしく、なぜか、本当になぜか、隣に来るよう指先の動きだけで俺を呼んだ。
絶対に嫌なんですけど。
麦茶を取り出しざま、表情だけで訴える。ろくなことにならないということは明白だったし、巻き込まれてなにか得をするようにも思えない。あくまで麦茶が最優先事項ですという姿勢で冷蔵庫の扉を閉め、キッチンの奥へ引っ込もうとすると、俺よりほんの少しだけ歩幅の大きい花巻さんが数歩で追いついてきた。
お。
い。
で。
声もなく、口の形だけで花巻さんが俺を誘う。
い。
や。
だ。
同じように声を出さず、けれどはっきりと告げた。電話の向こうから焦ったように花巻さんを呼ぶ女性の声がして胸が悪くなる。さっさと離れたくて、グラスを取るため2歩先のシンクに近づいた。麦茶を注いでようやく気がついたが、この家のキッチンは袋小路のようなものだった。左側は壁、右側は花巻さんが通せんぼをするように体の正面をこちらに向けながら立っている。
「だから、そっちの思い込みだよな?それ」
人の横でケンカ続行しないでもらっていいですか。そう言いたくなる。花巻さんの通話相手が及川さんだったり松川さんだったりしたなら、無遠慮に声を出せただろう。そうしないのは、できなかったのは、スマホの向こうでずっとキンキン声を上げている通話相手がおそらく花巻さんの元恋人だからだ。花巻さんが通話をスピーカー状態にしないのも、たぶんそういうことなんだろうと思う。誰かと暮らす以上はプライバシーを考慮する。他人に干渉されすぎたくない俺たちの暗黙の了解で、自然にできていることだった。だからこそ、なんとなく何が起きているのかが分かってしまう。
不明瞭な会話でもこれだけ聞くに耐えない状態だというのに、相手はさらに声量を上げて花巻さんに何かを要求したようだった。
「
………
あァ?」
ごくごく小さな舌打ちが聞こえた。横目で盗み見ると、花巻さんの頬がひくり、と片方だけ上がっている。いつも半分くらいしか開いていない瞳も細んでいた。どんな中古の電化製品よりもぎゃたぎゃたと喚いているどこかの通話相手は、花巻さんをいっそう捲し立てているらしい。麦茶をひとくち含むと、氷なんかひとつも入れていないのにいつもよりずっと冷えているような気がした。
「じゃあ納得のいく説明してやっから黙って聞いてろよ」
低い声でひと息にそう言うと、花巻さんはほんの少し長い瞬きをして表情を戻し、スマホを持ち直しながら俺に近づいてきた。え?は?そんな声すら出ない。どうやら自分の喉は賢くできているらしく、脳が一度「静かに」という信号を出すと状況が落ち着いたと判断しきるまでそのままであるらしい。
影が濃くなって、花巻さんとの距離がなくなっていく。
とうとう背中が壁に張り付いた。
「
…
ん、っ!」
「
……
、
……
」
「ッは、ん、
……
んんぅ、
……
」
この人絶対ばかじゃん、とこれまで何度も思ってきたことを改めて思う。最初からかなり深いキスが降ってきて、グラスになみなみと注いでおいたはずの麦茶が全部シンクの中へ流れてしまったのが見えた。スマホは花巻さんの耳に宛てがわれたままだったが、通話口を口元に向けているようにも思える。抵抗しようにも、花巻さんの力と手足の技にはどうしたって勝てない。いつの間にか知恵の輪みたいに絡んだ足も、花巻さんの身体から逃げ出すという選択肢を完璧に潰していた。
──────おれのことすきっていって。
スマホを持ったまま、花巻さんが通話口からすこし遠ざかって、反対側の耳へ囁いてくる。
「
……
っ、
……
」
言いそうになって、すんでのところで正しい躊躇いが生まれた。仮に言ったとして、電話の相手から何を言われるか分かったもんじゃない。そう視線で訴えても、花巻さんは口の端にいちど口づけ、それから唇を避けながら鼻や頬や首すじなどのあちこちへわざと音を立てながら口づけを落としつづけた。そうやって態度で急かすばかりで何も言わないまま。シャツをつかんでも、体をよじっても、すり抜けるなんてできそうになかった。花巻さんは俺が好きだと言うまできっとやめてくれない。
黙って聞いてろ、という花巻さんの指示を相手も律儀に守っていなくたっていいのに。バカがバカを呼んで、俺はただそれに巻き込まれている。こんな状況を何とかしたくて、震える息を吐きだした。
──────だいすき。
どうしてか名前は呼べなかった。声になっていたかもわからない。言葉尻に花巻さんがまた深く口づけをしたから。水音を響かせて、あまつさえ俺が声を漏らしてしまうようなやり方をして、こんなの策士なんかじゃなく阿漕だった。花巻さんの奸策に乗っている俺自身もまたそうなのかもしれなかった。
電話の向こうで相手が息をのんだ気配がした。
「
……
これで分かったっしょ」
何かしら相手から返答があったのだろうか、酸欠気味になっていた俺は花巻さんの肩にしがみつくばかりで、頭の上で響く花巻さんの声と目蓋の向こうの体温を感じることしかできずにいた。
「二度と邪魔すんなよ」
しばらくなにがしかの操作をした後、スマホをシンク横に置いた音が聞こえた。タコってこんな気持ちなのかな、とまるで見当違いなことを考える。身体のどこにも力が入らなかった。
「大丈夫か?」
「
……
なん、だったんすか
……
」
「あー
……
イタ電?」
「ただのイタ電にキレるタイプじゃないでしょ
……
」
「はははっ」
「
……
復縁要請でもされたんですか」
「さあな。喚くだけで何言ってっか分かんなかったし。あんま話聞いてなかった」
拒否設定にしたしさっさと履歴も消した、と支え直され、顔を覗かれた。俺を心配しているようで、俺が怒ったり拗ねたりするんじゃないかと不安がっている瞳の色だった。
彼が東京を離れたとき、「キャリアごと番号も変えたから登録し直しといて」とピースサイン付きで元青城バレー部のトークラインにメッセージが飛んできた。次々と再登録完了のトークが飛んでくる中、最後に了解の返事をしたのは俺で、花巻さんはその次に「ありがと。愛してる~」と冗談めかして全員に返事をしていた。花巻さんに再会したのはその翌夜、仙台駅の自由通路だった。
別に元カノと繋がりがあったとして拗ねるようなことはしない。若干心に引っかかったとしても、それで勝手に何かを疑ったり不安になるようなこともない。だって花巻さんは、どれだけ演技が上手くても嘘がどうにも下手くそだった。いま俺をみつめているこの瞳に少しでも嘘があるのなら、俺はもうとっくにその嘘を見抜いている。
「
……
あんなの聞かせて、なんて言われるか」
「国見がどこの誰かなんて分かりゃしねえから大丈夫だよ」
「
……
じゃなくて」
「ん?」
「花巻さん、友だち失くしますよ」
「なに、心配してくれてんだ?」
そう言って額や目蓋にキスを振りまいてくるのだから、本当にわかっているのだろうかと思う。心配なんてするだけ損だ、そんなふうに言われているような気がした。
あまりにあちこちへキスをしてくるので、頭ごと避けてやる。唇に降りてくるはずだったそれは下顎に着地した。
「長い、しつこい」
「ええー」
「もう話済んだしいいじゃないですか」
「よくない」
「
……
なんで?」
「そりゃ、だいすきーなんて言われたらさあ」
「
………
」
目は口ほどにものをいう、とはよく言ったものだ。滾る熱が虹彩で揺れている。
次にくる言葉は分かっていた。その言葉に、俺が是を差し出すことも分かりきっていた。
「したくなっちゃうじゃん?」
「
……
ちょっろ」
よろしいでしょうか、なんて挨拶は今さら必要ない。だってもう、花巻さんの手は俺の服の下へ潜り込んで好き勝手しているし、俺の手は花巻さんの服の上から下腹をたどっている。ちょろいのはお互い様なのだと思う。
仕方がない。馬鹿はバカを呼ぶのだ。もうそれでいい。
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