【カブミス】秘密の休日

ミスルンの家で過ごした翌日、仕事をズル休みをするカブルーの話。

 あなたに触れるたび、俺はいつも無力さを感じる。
 あなたには消えない傷がある。あなたはそれを一人背負っている。なのに俺はそれに知らんぷりをして、その傷に口付ける。もう大丈夫だよと言って、何の力もない口付けをするのだ。
 
 
 気分が乗らない日というものは誰にでもある――と、俺は思っている。
 仕事をしたくない日、学校に行きたくない日、家事をしたくない日、などなど。
 俺にとっての今日は、まさに仕事をしたくない日で、かと言って俺が抜けるとこの国は回らないから(回ったとしてもぎくしゃくするだろうから)、俺はまだ眠るミスルンさんの髪をひと撫でして、ベッドから抜け出した。寝間着を脱いで、宰相補佐に与えられる役人服に腕を通す。そこかしこに刺繍が施された、少し重いが動きやすい服だ。今日はどうも着たくはないが仕方がない。俺には仕事があるんだから。この国のために、俺にしかできないことがあるんだから。
 いつもよりのろのろとだがズボンを履いて、一通りボタンも留めて、さぁ彼が起きる前にもう一度キスでも、と思った時、変な重りが腕にかかった。俺ははたと振り返る。ミスルンさんに腕を掴まれていると気付いたのは、割とすぐだったように思う。
(かわいいなあ……寝ぼけてるのかな)
 ミスルンさんは枕に顔を押し付け、うんうんと唸っている。俺はそのほっぺたにキスをして行ってきますをしようと思って、ゆっくりと近づく。だがその時、また変な重りが腕にかかって、俺はいつの間にかベッドに後戻りしていた。ミスルンさんに引っ張られて回転させられたと気付いたのは、見慣れた天井を見た時のことだった。
「ミ、ミスルンさん……?」
 朝から、男一人をひっくり返すなんてすっごく元気ですね? でも一体どうして?
 俺はぐるぐる考える。でもミスルンさんはそんな俺に、ひとこと、こう言っただけだった。
「今日は風邪ってことにしておけばいい」
 いやいやいやいや。それって何か全体的におかしいのじゃないか。だってここはミスルンさんの家で、いいや、みな俺たちの関係をどこかしらで知っているのだけれど、恋人の家で風邪をひきました、恋人の寝室で休みますだなんて、休む理由にしてはちょっとおかしいのじゃないか?
「で、でもここ、ミスルンさんの家だし、どうして俺がいるんですか……
「じゃあ、私と酒を飲んで酔っ払った、でもいいぞ」
 ミスルンさんが笑う。
 確かに、さっきの風邪よりは説得力があるかもしれないが、それはそれでちょっと情けない。それに俺は酒には強かったし、平日に飲まない理性もあった。多分みなもそれを知っている。そして平日は仕事があるのだ。俺がいないと回らない仕事が。なのに飲むって、やっぱりおかしいのじゃないか? ということは他の理由を……。いやいやいや、仕事はしなくちゃいけない。いくらするのが嫌な時だって、仕事は待ってくれるものじゃないのだから。あぁ、でも。でもミスルンさんと一緒にいたい。細切れの時間を慈しむのもいいが、長いこと、無為に過ごすのも捨てがたい。だって俺たちは恋人同士で、つい最近結ばれたばかりで、昨日もそれを散々確認しあって、俺は後ろ髪を引かれているんだから。俺だって本当は仕事がしたくないんだから。
「あなたの方が弱いのにですか? ……馬鹿な理由でも風邪の方がマシですよ」
 俺はそう言って、ベッドに沈む。
 ミスルンさんのベッドはふかふかで、スプリングが抜群に効いていて、そして彼の匂いと俺の匂いが混ざり合って、昨日の情事の残り香もした。このままだと、彼を襲ってしまいそうだ。せめて窓を開けて、空気の入れ替えもしないと。じゃなきゃ、俺がおかしくなってしまう。
 というわけで、俺は今回、秘密の休日を送ることにしたのだった。ミスルンさんと二人きりで、誰にも(多分)邪魔されない日を、送ることにしたのだった。
 
 
 仕事を休む、登城はしないと決めたとはいっても、なぜか黄金城からは魔術でできた鳥たちが飛んできて、その少し不恰好な伝書鳩、主に西方エルフが情報収集のために撒いている鳥たちが書状を口にコンコンと窓を叩いた。ミスルンさんは勝手知ったると窓を開け、王の印が入った書状を受け取り、ベッドに横たわる俺に渡す。
 というか、その鳥はメリニを飛んでいていいのだろうか? 確かマルシルが徹夜で魔術よけをしたはずだったが、それをさらにかい潜るものが出てきたということか? でもそれを使ってこんなふうに書状を送ってくるのだから、今は一時休戦状態なのかもしれないが――
 俺はそんなふうに頭をぐるぐるさせて、書状を広げ、溜まっている連絡事項を書き付け、やっぱり魔術に綻びが出ているのか、少し不恰好な伝書鳩に書状を渡した。鳥たちはピピピピ……と鳴いて去ってゆく。ミスルンさんが窓を閉める。
「お前は頼りにされてるんだな」
 感心したように言うミスルンさんに、俺はちょっと背中が痒くなって、「人材が足りないからですよ」と、珍しく謙遜する。するとミスルンさんはいつの間にか飛び立ち忘れた鳥の胸をさすり、次のように言った。
「お前の国の機密は、これで筒抜けになった。もちろん、私たちの関係もな」
 まったく、冗談がすぎる。魔術で作られた鳥と気付いた時から、今回の手紙には機密事項は書かれてはいなかった。ライオス王も、この鳥の正体についてちゃんと分かっていたのだろう。それとも、マルシルに口酸っぱく言われたのか。というわけで、俺のもとに届いたのは侍女たちの給料の支払いについてだとか、年中行事についてくらいだった。それもヤアドが詳しいのだから、別に俺に聞くことでもないのだが、多分風邪を引いた俺を面白がっていたのだろう。これが仮病ってことはもう気づかれているだろうし、恋人の家で仮病を使う意味を彼らは知っている。
「私たちの関係は、女王には、とっくの昔に筒抜けだったがな」
 ミスルンさんが笑う。そうやって時間がすぎてゆき、やがて時計は終業時刻を指し、太陽も傾く。
 彼は今日、とても機嫌がいい。ずっと一緒にいるから? 彼の言った通りに風邪のふりをして、一緒にいるから?
 でも、この人が昨日泣いていたのを俺は知っている。けれど言いはしない。だって俺たちは大人だから。知らないふりをして、風邪のふりをして、今も仮病を使って、ベッドに横たわったまま、ミスルンさんと手を繋ぐ。するとミスルンさんは口元をほころばせて、「子どもがえりしてしまったか?」と言った。俺が幼くして母を亡くしたことを知っている彼だから、心の隅にある寂しさに気づかれてしまったのかもしれない。昨日は寂しくて、散々彼を求めたから。
「冷たいコケモモのジュースが欲しいな。俺が風邪をひくと、よく母さんが作ってくれたんです」
「私はお前の母親か?」
「違いますよ。もったいないくらいの恋人です。恋人に看病されるのって、男の夢じゃないですか」
 俺は笑って、ミスルンさんにキスをする。そしてこう言う。
「今度はミスルンさんが風邪を引いたことにして、一緒にいましょう」って。するとミスルンさんは首を傾げて、少し真剣そうな顔をして、でも笑ってこう続けた。
「宰相補佐がわざわざエルフの看病を?」
 俺たちは指を絡める。何度もキスをして、言葉を確かめながら続ける。
「迷宮じゃあ日常茶飯事だったじゃないですか」
「あれは介護だった。それに私はもう一人で身の回りのことができる」
 なぜか胸を張るミスルンさんに、俺は首を傾げて、そして声を意図的に甘くする。彼が好む色にする。
「残念だなぁ……あなたに尽くしたいのに。ねぇ、ずっと一緒にいましょう。病める時も健やかなる時も、風邪を引いてたってキスをしましょう」
 そう言って、俺たちは手を繋いで、ベッドに潜り込む。
 もうすぐ夕暮れ時がやってくる。夕餉を作る使用人たちの、忙しない足音がする。俺たちはもう、今日を無為に過ごした。いや違う、お互いを確かめ合って過ごした。優しく、お互いを思い合いながら。


 ミスルンさんに触れるたび、俺はいつも無力さを感じる。ミスルンさんには消えない傷がある。ミスルンさんはそれを背負っている。でも、それに知らんぷりをしても、優しさが偽物だって、その傷に口付けよう。もう大丈夫だよと言って、何の力もない口付けをしても、俺は確かにミスルンさんを愛しているのだから。