【カブミス】恋文は舞い上がる

喧嘩をした翌日、ぎくしゃくしたまま一緒に仕事をしていたカブルーとミスルンの書類が風に舞い上がって…という話。

 二人はいつも仲がいいのねって、からわれるように言われる俺たちだけれど(主にマルシルさんに)、そんな俺たちだってたまには喧嘩だってする。どちらが先に使用人を呼ぶかだとか、どちらが水の入ったコップを二人のために取るかだとか、そういうくだらない喧嘩をする。でも、時折、本当に時折声を荒げるような喧嘩をしてしまって、そういう時はしばらく気まずい。しかし、少し離れていたら怒りはおさまるし、またあのどうしようもない愛しさは戻ってくる。
 俺たちが今回してしまった喧嘩は、そういう類のものだった。しばらく待っていたら治る、そういういつもの喧嘩だった。
 でもどういう偶然か俺たちは、今、同じ部屋で仕事をしている。
 俺に与えられた宰相補佐室で、じりじりと、喧嘩の熱が静まり返るのを待っている。
 
 
 昨日した喧嘩の原因は忘れてしまったけれど、多分お互いの身体を探り合って、気持ちよくなった後になぜかどうでもいい言い合いをしてしまったのは覚えている。――のだが、普段なら距離を置いてしばらく経てば終わる喧嘩も、ずっと一緒にいるといまいちぎくしゃくして終わらないのだから困ったものだ。
 だったら別の部屋で仕事をすればいいと思われるかもしれないけれど、今回ともに取り組むことになっているそれは、あろうことか西方エルフからの先端技術提供についてだったのだから厄介なのだ。俺とミスルンさんは一緒に書類に向かうしかなく、だというのにやっぱり喧嘩の余韻は尾を引いて、どうもぎくしゃくして仕事もうまく進まなかった。
 いつもなら嬉しいはずなのに、いつもなら天にも昇る気持ちなのに、今日はちょっとよく分からない感じがする。全部、俺がくだらない喧嘩に夢中になって、一人で怒っているだけかもしれないけれど。
 俺はインク壺に羽ペンを浸して、西方エルフの女王からの書状に返事を書く。先端技術の提供の代わりに、そちらに渡せるものは何か、そしてメリニ国の政治的立場は、どうそちらに都合よく変化するか。おべっか、ごますり、直接的な褒め言葉に、喉笛にナイフを突き刺すような礼儀を欠いた注文。俺は他でもない政治の中にいて、そのゲームに夢中になりかける。でもやっぱり、テーブルの向かいにいるミスルンさんが気になって、羊皮紙の切れ端で試し書きをしてから、また女王への書状を書き連ねる。
 ミスルンさんは、俺のこと、どう思っているのかな。迷宮にいたときはお互いしかいないような気がしていたけれど、今はただの厄介で、面倒くさい短命種に見えているのかな。一緒に寝るのはいっときの恋? 俺にはあなたが全てなのにな。――いや、僻んじゃ駄目だ。それに今もらえている愛情を、もっともっとと望んじゃいけない。だって、あの人は俺に全てをくれたのだから。エルフとしてのプライドも捨てて、周囲の目も気にしないで、俺という短命種と交わってくれたのだから。俺はそれを受け取って、とっても嬉しかったのを覚えているのだから。
(でも、ミスルンさんは言葉が足りないんだよな。やっぱり、欲望を食われて、恋人によく思ってもらおうっていうのがないのかな……
 俺はとんとんとテーブルを叩き、そんなことを考える。欲望を食われたミスルンさんは、それでも最近はわずかにだが新たな欲望が生まれてきている。俺たちがする喧嘩だってその一つだろうし、だからまぁ、それは喜ぶべきことなのだろうけれども、どれだけ愛しい人とするものでも喧嘩は喧嘩で、どうにもならない。いらだって、心がめちゃくちゃになって、なのに愛しくて、何も分からなくなる。
 俺はもう頭の中がぐちゃぐちゃで、女王への書状を書くのもやめ、羊皮紙の切れ端にミスルンさんの名前を書き連ねる。共通語、ウタヤで使用されていた文字、エルフ文字、などなど。ミスルンさん、ミスルンさん、ミスルンさんって、あの人の名前を、涼しい顔をして仕事を続ける彼を見て、名前を書きつける。
 するとどういう偶然かその時、開け放たれていた宰相補佐室の窓から風が吹き込んできて、書類が舞い上がってしまう。女王からの書状は重しを置いていたから大丈夫だったが、先端技術の概要や、まだ乾ききっていていない羊皮紙の切れ端はふらふらと舞い上がって、部屋を飛び回る。そしてどういう偶然なのだろう、俺がミスルンさんの名前を書きつけた羊皮紙の切れ端は、彼の手元にぽとん、と落ちてしまった。
 俺は息を飲む。今さら回収なんてできない。だったら腹を括るか? でも、どんなふうに? 仕事をするふりをして、ただあなたの名前を書いてましたって大きな顔ができるものか?
 俺はとりあえず席を立ち、部屋中にばら撒かれてしまった先端技術の概要を書いた紙を拾いまわり、テーブルの上に散らばってしまった書類も片付けた。もちろん窓も閉めた。でもその最中もミスルンさんは立ち上がらず、ただ手元にやってきた、羊皮紙の切れ端をじっと見つめていた。いっそ早く笑ってくれたらいいのに、と俺は思う。するとやっぱりどういう偶然なのか、ミスルンさんがくつくつと笑い始める。
 いざ笑われてしまうと、小さくなってしまいたくなる。窮屈なところに身体を納めて、笑い声が過ぎ去ってゆくのを待ってしまいたくなる。でも、だんだんむかむかしてくる。俺はミスルンさんと喧嘩したけれどあなたが好きで、あなたも多分俺が好きで、いつ喧嘩をなかったことにするか悩んでいて、そしたこれがきっかけになるかもしれなくて。
「いけませんか」
 俺は書類を机の上でとんとんと整えながらミスルンさんを眺める。
 するとミスルンさんは「カブルー」と俺を呼び、あろうことか言葉通りに側に寄った俺に、椅子に座ったまま俺の襟元を引っ張って、そっと口付けてきた。優しく、あんなに激しかった喧嘩なんてなかったみたいに、本当に優しく。
「エルフ文字も書けるんだな?」
「言葉も使えます。ミルシリルには舌ったらずって笑われましたけど、俺はエルフ語であなたを口説けますよ」
「じゃあ、早く」
 ミスルンさんがくすくす笑う。俺は腹を括って、ミルシリルが物語で読んでくれた詩を思い出し、それを諳んじる。
『あなたが俺の名を読んだ時、振り向いてくれた時から恋が始まりました。私は今も深い深い恋の底にいます』
 エルフは詩で求婚する。いまいちくすぐったい方法だが、ミスルンさんは機嫌が目に見えてよくなってゆく。
「確かにちょっと舌足らずだが文法は完璧だ。……カブルー」
 またミスルンさんにキスをされる。俺たちは静かに口付けをして、俺は椅子に座ったままのミスルンさんに屈んでキスをして、いつもみたいに穏やかに額をこすり付け、そこかしこに口付ける。
「エルフの求婚の仕方はミルシリルに習ったのか?」
「はい。ミルシリルはロマンチックな物語が大好きで、俺によく読んでくれたので……
「それでお前は人たらしなんだな」
 ミスルンさんが笑う。俺はその美しい、失われた右目や、夜を重ねたような真っ黒な左目や、柔らかな灰がかった銀の髪や、ほっそりとはしているが屈強な身体が全部好きで、喧嘩なんて贅沢をしてしまったことをちょっと後悔した。俺たちには時間があまりないのに、普通の恋人たちのようなことをしてしまったことをちょっと後悔した。
「すみません、ミスルンさん」
「いや、私も悪かった。でも喧嘩をしたら求婚されるとはな。なかなかない経験ができたよ」
 そう言って、ミスルンさんは俺をからかう。でも、俺はまんざらでもない。彼にからかわれて、愛されることが、俺は何よりも好きだったから。
 俺たちはまたキスをする。今度はテーブルの上にミスルンさんを広げて、ぎゅうと抱きしめて、唇を何度も何度ももくっつけて、繰り返し繰り返し、キスをする。
 恋文は舞い上がった、俺も舞い上がった。俺たちは二人して舞い上がった。
 できればそういう日々をこれからも重ねて、ずっとずっと一緒に生きていこう。ねぇ、ミスルンさん。