吾妻
2024-10-02 16:56:21
3255文字
Public アークナイツ
 

ある夜のバーにて

テキ博♀。バーでやけ酒をしているドクターを迎えにきた彼氏……を観測するバー従業員視点の話。

0:38 A.M. 天候/雨
ロドス本艦・バー

 カラカラとグラスの中で氷が揺れる音がする。
 私はカウンターの内側でグラスを磨きながら、不躾にならない程度のさりげなさで音の出所へ視線を向けた。
 カウンターの向こう側に座る今晩のお客様。
 ロドス・アイランド製薬が誇る戦術指揮官。
 〝ドクター〟。
 常日頃フェイスマスクで顔を覆い、防護服のフードを目深に被っている〝彼女〟も、今夜は素顔を晒している。酒を嗜むのにマスクが邪魔だからか、それとも色々と自棄になっているからなのか。
 今日のドクターはあんまり機嫌が良くなさそうだった。関わりが浅い私にもわかるくらい、まとう雰囲気がピリピリとしていた。別に誰彼構わず当たり散らすとか、私たちバーの従業員に横柄な態度を取るとか、そんなことは全然なくて、人当たり自体はいつも通り柔らかいのだけれど。
 それでも確かに、何かに怒っているように見えた。

 ドクターは、日付が変わる前頃にバーにやって来て、強めのカクテルを数杯飲み干し、今はテキーラをロックでちびちびと舐めている。普段は隠されている大きな瞳も随分と重たそうに潤んで、同性である私から見ても妙な色香を感じてしまう。
……女の人、なんだよね)
 大っぴらに吹聴されているわけではないけれど、特段隠されているわけでもない。外勤に出る時は完全防備でも、本艦内では素顔で歩いていることもある。だから、彼女の性別については元々知っていた。知っては、いたが。
 改めてこうやって向き合うと、新鮮な驚きがある。
 化粧っけはないが、整った顔立ちだ。目の下にくっきりと刻まれた隈があるのが惜しくなるほどに。
(嫌なことでもあったのかな)
 ドクターがひとりでバーを訪れるのは珍しい。オペレーターたちの飲み会に付き合わされても、数杯も飲まないうちにいつのまにかするりと姿を消してしまうのが常だ。
 だからこそ、自棄酒のような飲み方が気に掛かった。
 カラカラとグラスを揺らす音が止まる。拭き終えたグラスを棚に戻して振り返れば、ドクターはピカピカに磨かれたカウンターのおもてをじっと見つめて、難しい顔をしていた。
 いや、あれは難しい顔ではなく――
……ドクター、こんなことを言うのも何なんですが、今日はもうお休みになったほうがいいんじゃないですか……?」
 客に向かって「帰れ」と言うようなものなので、あまり言いたくないセリフなのだが、今にも寝落ちしてしまいそうなドクターを見ていたら、思わず口が滑った。
「んー……
 返ってきたのは応とも否とも判断し難い、不明瞭な声。
 ……ダメだなこれ、もうほとんど寝てるわ。
 本人を説得するのは無理そうなので、別プランを考えることにした。定期的にバーの手伝いをしてくれているラ・プルマちゃんに連絡してみようかな? 彼女はそもそもドクターの部下 オペレーターだし、親しくしていると聞いているし、なにより――
「あっ、やっと見つけた! こんなところにいたの?」
 呆れと安堵が混じった男の声がして、上背のある青年が歩み寄ってくるのが見えた。
(テキーラ、さん)
 確かそんなコードネームだったはずだ。今まさにドクターが飲んでいる酒と同じ名前のオペレーター。
 連絡をしてみようと思っていたラ・プルマちゃんの義理の兄で、そして。
(ドクターの恋人)
 そう聞いている。
 同僚たちとの噂話でも話題にのぼるし、ラ・プルマちゃんの口から直接聞いたこともある。曰く、「お兄ちゃんばっかりドクターの秘書をしててズルい」のだそうだ。
 だから、付き合っているのは確実なのだけれど、ふたりが世間一般でいうところの恋人らしい恋人関係なのかどうかはわからない。
 業務時間中は勿論上司と部下だし。業務時間外に二人でいるところを見たのは今日が初めてだ。
 正直なところ、二人ともしっかりとした大人である上に仕事人間のイメージがあるから、付き合いと言ってもドライな関係性なのかもしれない。
 ……そんなことを思いながら成り行きを観察していると、テキーラさんはドクターの肩にそっと片手を置いて体を屈め、彼女の顔を横から覗き込んだ。
「ほらドクター、帰るよ」
 穏やかで優しい囁きだった。その声は、今にも寝落ちしてしまいそうな恋人に対する労りと慈愛に満ちていた。聞いているこっちが思わずドキリとしてしまうくらいに。
 そして声を掛けられたドクターはというと。緩慢な動きでカウンターから視線を上げ、自分の顔を覗き込む恋人の方を見て。
 右手を持ち上げたかと思ったら、テキーラさんのフードから覗く柔らかそうな垂れ耳をきゅっと――掴んだ。
……ドクター?」
 耳をふにふにと揉まれながら、テキーラさんが子供をたしなめるような声を出す。続けて、やんわりと耳に触れるドクターの手を引き剥がしにかかった。
 むぅとドクターの唇が尖るのが見えた。なんだあの不服そうな顔。もしかして、拗ねているんだろうか?
 ドクターってもしかして、プライベートでは結構彼氏に甘えるタイプだったりするんだろうか? 対するテキーラさんはそうでもないのかな、と思いきや。
……みみ」
「あとでね」
 〝あとでね〟!?
 思わず声が出そうになったが、何とか耐えた。
 つまり、〝あとで〟なら触ってもいいということ? それにやたらと慣れた窘め方だったので、こういったやり取りは日常茶飯事なのかもしれない。……耳を触るのが?
 窘められたドクターはというと、更に唇を尖らせて不服そうに恋人を睨む。
「あとでいくらでも触っていいからさ、とりあえず部屋に戻ろう。もう眠いでしょ?」
「さわるだけ?」
……それ以外に何があるの?」
 ドクターからの問い返しに不思議そうな顔をしたテキーラさんだったが、すぐに何かに気づいたのか、ハッとしてドクターの口元を手で覆いにかかる。しかし、時既に遅く――
「くちにふくみた――
 語尾こそ口を塞がれてモゴモゴと不明瞭になったが、ほとんど聞こえてしまった。
 居心地の悪い沈黙が流れる。ええと、私、ここにいないほうがいいかな。酔っ払って普段とは違う姿を見せるお客さんは少なくないし、そういう人たちの秘密を守るのも私たちの仕事ではあるので、何を見聞きしても誰にも言うつもりはない。ないんだけど。
 口に含むってマジ?
 それはもう、キスとかするより破廉恥じゃない?
…………部屋に戻ってから応相談ね」
 いたたまれない沈黙の後、ドクターの口元を掌で覆ったまま、テキーラさんがぎこちない笑みを浮かべた。応相談であることにも驚きつつ、間をもたせるために一度仕舞い込んだグラスを取り出して手慰みに磨き始める。仕事をしているフリでもしていないと平静を装えそうにない。
 しかし、そんな私の努力は、恋人の掌からなんとか逃れたドクターの、
「まえはさせてくれたのに!」
 という一言によって無に帰してしまった。
 思わず咳き込みそうになって、反射的に背中を向ける。背後で「もご」という不明瞭な声が聞こえたので、ドクターは再びテキーラさんに口を塞がれたのだろう。
「あとで。あとでね?」
 若干焦りをにじませた声で、それでも優しく言い含める。その振る舞いだけで、どれだけテキーラさんがドクターを甘やかしているのか察せられるようだった。
 その後テキーラさんは、まるで何事もなかったかのようなソツのない態度でドクターの飲食代を支払った。念の為に片手でドクターの口元を覆ったままの体勢なのがやたらとシュールだった。
 ちゃんとひとりであるける、と言いつつも足元が覚束ないドクターの手を「俺が繋ぎたいから」とスマートに捕まえる手腕はさすがとしか言いようがない。そんなふたりが連れ立ってバーを出ていくのを見送ってから思わず。
……前はさせてくれたんだ」
 と、堪えていた一言が唇からこぼれ落ちてしまった。


【おわり】