高い金属音がして、25セント硬貨が床に落ちた。くるくる、ぱたり。床の上で駒のように回転したそれは、やがて力をなくして倒れる。ジョージ・ワシントンが恨めしげに虚空を見つめている。
あ、と声をあげたのはどちらだったか。身をかがめて先にそれを拾ったのは、いったい。
小さな硬貨の上で二人の指先がふれあい、互いに引いた。それから、わずかに大きい方の指先が改めて硬貨を拾い上げる。
「なかなかうまくいかないもんだな。結構いい感じだと思ってたんだが」
「……表が出たから、お前の負けだ」
「仰せのままに、President」
金髪の男──スミスが立ち上がり、ベッドがぎしりと揺れた。サイドテーブルに置いてあった菓子の空き箱に、拾った25セントをそのまま投げ入れる。
イサミは財布から1ドル硬貨を取り出し、自分の座っている場所と、スミスが座っていた場所の間に置いた。
「Wow, 大きく出たな。というかよく持ってたなこんなの」
硬貨として使うことはほとんどないその額面にスミスが目を丸くして、またベッドに腰掛ける。シーツにシワがよって、1ドル硬貨はスミスの方に滑っていった。
「あんたが負けてばかりで気の毒になったんだ。先に選ばせてやるよ、カウボーイ」
イサミは片眉をあげてスミスをじっと見つめる。ともすれば無表情にも見えるそのかおだちに挑発と喜びを見出すことができるようになったのは、スミスにとってもここ数日の“訓練”の賜物だ。
「じゃあ、裏だ。そろそろ女神が微笑んでくれなきゃな」
「わかった」
イサミが頷いたのを見て、スミスはシルバー・ダラーを摘み上げた。松明を掲げた女神に一つキスを贈り、硬貨を親指と人差し指の間に挟んで、二人の間に拳を出す。イサミも同じように、手を出し、スミスの小指に自らの小指をぴったりとつけた。
「3, 2, 1, GO!」
合図をするとスミスは硬貨を倒し、人差し指の第一関節に乗せた。慣れた仕草で硬貨を立て、倒し、次は中指に。そうして流暢な動作で硬貨は送られ、薬指まで辿り着く。スミスの小指が硬貨のへりを引っ掛けて押し下げ、薬指と小指の間に硬貨を挟んで立てる形になった。すぐさま薬指を押し込むようにすると、硬貨がスミスの小指の上に倒れる。
その瞬間、イサミの小指がぴくりと動いた。スミスの小指に乗った硬貨を奪い去るように、スミスが硬貨を送ったペースを乱さぬように。滑らかな動きでイサミは小指をやや下に倒し、スミスは逆に小指を上に傾けた。
ぱたり、硬貨がイサミの小指の上に倒れる。ぱた、ぱた。小指を押し上げ、薬指で引き込んで、次は中指。そうして親指と人差し指の間までたどり着いた硬貨を挟み、今度は反対向き、自らの小指に向かってイサミは硬貨を送った。ぴったりと触れ合ったままのスミスの小指にわずかに力が籠るのを、感じ取れないほど鈍ければオルトスの後部座席に乗ったりはしない。スミスと呼吸を合わせるようにイサミは小指を傾け、硬貨は無事スミスの小指の上に戻った。ぱた、ぱた、また送って、スミスの人差し指まで。ぱた、ぱた。合衆国大統領の肖像と自由の女神像がスミスとイサミの指の上で交互に現れては滑らかに運ばれていく。
「今更だが、これ本当に意味あるのか?」
「さあな。でも確実に効果のある訓練なんて誰も知らないさ。オルトスはただでさえ試作機で、俺たちはその一号パイロットなんだぜ」
軽口を叩きあい、視線を交えながら、二人はコインのやり取りを続けていた。
──キャリブレーションが必要だと、ミユは言った。ライジング・オルトスは日米合同で作られた新型TSの試作機で、その一番の特徴は複座式であるということだ。そのメインパイロットとコパイロットに選ばれたスミスとイサミは、針に糸を通すような正確さで、互いの感覚を合わせる必要があった。
本当は、TS乗りを二人乗せるつもりの設計ではないはずだとミユが説明してくれた。ライジング・オルトスの後部座席に座るコパイロットの役割は、その優れた五感で文字通りメインパイロットの目となり耳となることにある。つまり、使用するのは五感、平たく言えば脳機能だけという話だ。だから、優秀なTS乗りをメインパイロットにし、後部座席の脳波測定装置に適応する一部の人間をコパイロットにする。コパイロットに必要なのは優れた互換だけであって、それは多くの場合天性のものであり、訓練は必要ない。ゆえに、量産されればTS戦闘の可能性を大きく押し広げる次代のTS。それがライジングオルトスである、はずだった。
はず、というのは、未知の機械生命体の侵略化にある地球では、量産どころかテストすらままならないということだった。烈華でも、より新しい機構を備えたイクシード・ライノスでも立ち向かえないデスドライヴズの脅威を前にして、オルトスの実用化は急ピッチで進められ、その試作機の一台にスミスとイサミは乗っている。
本来なら、スミスもイサミも単独でメインパイロットに選ばれてもおかしくない技量の持ち主だ。特にイサミは、同年代どころか現役のTS乗りを世界中から集めてもかなり上位に食い込むほどの操縦技術の持ち主で、本当ならば後部座席でその腕前を腐らせるのは勿体無い。
それでも、オルトスの後部座席に適応したのはイサミだけだった。少なくとも、アド・リムパックで生き残った兵士たちの中には。
そういう訳で、ライジング・オルトスは文字通り、熟練のパイロット二人が乗り込む双頭の犬となったのだ。互いに自らの技量に自信を持ち、違う環境で技術を培ってきたパイロット二人が、一つの体に押し込められればどうなるか? 答えは簡単で、バランスを崩したオルトスは盛大に転倒した。試運転を兼ねた演習での話だ。
どちらの技量が足りない、という話ではない。二人羽織を想像してみればいいだろう。イサミの意志とスミスの意志は絶妙に食い違う。そのわずかなズレが、TS操作という精密動作においては致命的だった。イサミ一人で操縦していたら右に動いただろうタイミングで、スミスは左に動く。右への動きを予測したイサミの脳波による視覚モニターは、左に動こうとしたスミスにはとてつもない違和感をもたらす。
ひっくり返ったオルトスを見て、ミユが言ったのだ。キャリブレーションが必要だ、と。
「ライジング・オルトスの性能を百パーセント発揮するためには、お二人の体と心を一つにする必要があります。スミスさんもイサミさんも優秀なパイロットなので、かえって難しいのかもしれませんが……お互いを信頼し、心を預けあい、まるで二人で一人であるかのように、存在を溶け合わせなければなりません!」
拳を握ってミユが熱弁する。それってセックスなんじゃないか? と、その言葉を聞いていた整備士たちは誰もが心に思い浮かべたが、口に出すほど自制心の足りないものはアド・リムパックには召集されていなかった。
「ふたりでひとり、か。sweetな響きだが、実際やるのは難しそうだ」
「もう少し具体的に、何かないのか」
スミスは苦笑し、イサミは眉を顰めた。
「ひとまず、お二人で一緒に過ごしてみるというのどうでしょう! 訓練はそもそもお二人でしていると思いますので、それ以外の時間を共に過ごすと言いますか!」
スミスとイサミは顔を見合わせ、それでも最後には頷いた。自分たちがオルトスに乗れなければ、デスドライヴズへの対抗手段はいよいよないと言って良い。やれることなら全てをやるべきだ。たとえそれが、必要とは思えないし小っ恥ずかしいものだとしても。
そんな経緯で、スミスとイサミは部屋を共にすることになった。トレーニングを一緒にしてみたり、余暇の時間も体のどこかを触れ合わせるようにしてみたり。その中でどちらともなく言い出したのが、このコインロールだった。二人の手をひとつの手に見立てて、端から端までコインを渡す。10往復するまでに落とした方が負けで、負けた方は倉庫からくすねてきた空き箱──今は二人の貯金箱になっている──に、回していた硬貨と同額、自分の金を入れる。当初はこんなルールだったが、そのうちに勝敗を決めるのが難しくなった。このコインロールは二人のからだを一つにすることが目的で、実際にそうなりつつあったからだ。コインを落とした時、それがどちらのせいなのか二人にも判別がつかなくなっていた。だから最近では、表と裏を宣言する。落ちたコインがどっちを向いたかで勝敗を決める。ある程度まで金が貯まったら、なんとか生きている飲食店で二人で飯を食べる。感覚と肉体のコントロールの練習もでき、仲も深まるので良いのではないか、と。こんな状況でなければ鼻で笑ってしまいそうな訓練を、それでも二人は続けていた。
「なぁ、イサミ」
イサミは言葉を返さなかったが、代わりにその鳶色の瞳でじっとスミスの蒼を覗き込んだ。
「俺は、お前とオルトスのパイロットに選ばれてよかったと思ってるよ」
「どうしたんだ、いきなり」
ぱた、ぱた。硬貨を送る指先は少しも乱れないままに、スミスは目を伏せた。
「いつ死ぬか、わからないだろう。こんな状況じゃ」
「そうだな」
否定する言葉を、イサミは持ち合わせなかった。そもそももっと前、彼らが異星からやってきた時に、死んでいてもおかしくなかった命だった。
「俺たちで世界を救う、あいつらを全員倒して、この星に平和を取り戻す。もちろんそうだ。俺たちはそのために戦ってる」
ぱたり。現存しているかも定かではない自由の女神が、スミスの指の上で踊る。
「でも、正直言ってどうだ? 俺たちが勝てる可能性は、どれくらいある?」
「それは俺たち次第だろう。俺たちがオルトスを乗りこなせなけりゃ、ゼロだ」
「乗りこなせれば、1%ってとこか?」
「さあ、0.5%かも」
「はは、イサミは正直だな」
ぱたり、硬貨がイサミの手に渡り、くるくると翻る。スミスはほうと息をついて、目線をあげた。
「オルトスに乗った俺たちは、二人で一人だ。生きるも死ぬも、お前と一緒。俺はそれを、すごくいいと思ったんだ。イサミ」
きん、くるくる、ぱたり。硬貨はイサミの指から滑り落ちて、自由の女神が床にキスをした。スミスの眼は、硬貨を追わなかった。刺すような蒼が、感情の機微を読みにくいイサミの小さな瞳を捉え続けている。うろうろとイサミの視線が彷徨って、床に落ちた。
「……お前の負けだ」
「Shit! 俺って運が無さすぎないか? これで何回目だ?」
スミスは大袈裟に肩をすくめて財布から1ドル札を引き抜き、空き箱に放った。あっけらかんとした明るい声音は、二人ぽっちの暗い部屋には些か不似合いだった。
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