千代里
2024-09-30 08:12:33
12117文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その51話とエピローグ


 コーディにとって、この街で暮らした年月はさして長くはない。彼の人生の長さから数えるなら、半分にも満たないほどだ。
 だが、少なくとも、彼にとってこの街は故郷と呼んでも差し支えないくらいの日々を与えてくれた。
 それでも、どれだけ名残惜しいと感じてもコーディは街を出なければならない。
 竜の血が一滴でも体の中に流れていると分かっている以上、何も知らない住民のそばに素知らぬ顔で居座っているわけにはいかない。
 その程度のことは、帰還者の中では最年少のコーディにも理解できた。
「荷物もクララさんに手伝って、整理できたし。プリシラさんやちびたちにも、ちゃんとお別れできた」
 コーディは、小声で自分がこの数日間の出来事を振り返る。
 自分の部屋として割り当てられたのは、騎兵たちの宿泊所の一角だった。子供一人が使うにはやや大きな部屋の片隅に、取手がガタついたトランクが転がっている。かつて、孤児院に預けられた日に持って行ったものだ。
 そして、それだけが今のコーディの全財産である。
 ――いや、あの頃にはなかったものが、もう一つ。
「プリシラさん、綺麗に直してくれてよかった」
 コーディが手に取ったもの。それは、棚の上に置かれていた古びた帽子だった。
 かつては、無口な友人が被っていたもの。そして、あの事件の際に破れてしまったものを、プリシラに頼んで補修してもらったのだ。
 これもコーディのトランク同様、グレンにとっては唯一の持ち物だったのかもしれない。それを彼自身に問う日が来ることが二度とないことを思い出し、少年は誰知らず小さな息を吐く。
 その時だった。こんこん、と扉をノックする音が響いたのは。
「鍵なら開いてるから、入っていいよ」
 兵が明日の段取りでも確認しに来たのだろうと思っていたコーディは、振り返って目を見開く。そこに立っていたのは、会いたいと願っていた相手だったからだ。
「ノエ兄ちゃん。来てくれたんだ!」
「突然尋ねてしまい、すみません。出立が明日と聞いて、急がねばと思って、事前の連絡ができませんでした」
「俺だって、兵士の人に伝言を預けられたのは今朝だったからさ。仕方ないよ」
 本当ならば、もっと早くノエに会いたいとは思っていた。
 けれども、プリシラとの面会やら、大人たちからの事件に関する事情聴取やらに時間がとられて、なかなかゆっくりと話をするタイミングを得られなかったのだ。
 もちろん、理由はそれだけではない。
「それに……俺の中で、なかなか勇気が出なかったんだ。だから、ぎりぎりになっちゃって、ごめん」
 ノエの後に続いて、エレゼン族の兵士が一人、部屋に入ってきた。面会の際に、第三者が入るのは、竜の血を飲んだ者に対する当然の措置だ。今でもまだ落ち着かないが、いずれこれも当たり前となる日が来るのだろう。
 ノエは兵士の方をちらりと一度見やったが、何も言わず、改めてコーディに向き合う。
「僕からも、コーディさんに伝えたいことがあるんです。先に、良いでしょうか」
「うん、いいよ」
 コーディの許可をもらったにも拘らず、ノエは少年が示してくれた椅子にも座らずに、自分よりもうんと小さい子供を前にして、膝を折る。
 目線を合わせた彼は、しばらくは言葉を探すように口を開いたり閉じたりを繰り返してから、
……すみませんでした」
 ようやく口にしたのは、謝罪の言葉だった。
…………
「僕が、あなたの友人の命を奪いました」
……うん」
「話をしたい、とあなたは言っていたのに。……ですから、僕は謝罪をします。今の僕には、それしかできることがない」
 言い訳をしようと思えば、いくらでも出来たはずだ。ノエはグレンによって命を危険にさらされた張本人なのだから。
 なのに、ノエはコーディに頭を下げた。
 謝るぐらいなら、最初からしなければいいという人もいるだろう。
 守ったことを誇りに思うのなら、謝らなければいいと、ノエの判断を支持する者もいるかもしれない。
 けれども、ノエはそれでも自分が殺めた者の友人に謝ることを選んだ。それが自分にできる精一杯のコーディへの誠意だと思ったからこそ。
 そこまで複雑なことを考えたわけではないが、コーディにもノエがどんな思いで頭を下げているかは伝わっていた。
……ノエ兄ちゃんが、そういう言葉を選んでくれる人だからさ。あいつはノエ兄ちゃんのこと、好きだったんだと思う」
 声を震わせるまいと、頑張ったつもりだった。けれども、コーディの言葉はすぐに濡れてしまい、不自然な震えを交えるようになった。
 泣くな、泣くな。泣いてしまったら、きっともうちゃんと話などできなくなる。強く己に言い聞かせながら、コーディは続ける。
「ノエ兄ちゃんと会ってから、グレンは何度か俺に兄ちゃんの話をしてたんだ。本物の剣を持っていて、強そうで、でも優しくてかっこいい人だって」
 ノエの表情が、わずかに揺れる。沈痛だけではない。人知れずグレンから送られていた賞賛への純粋な喜びからだろうか。
「俺も、ノエ兄ちゃんのこと、何でもできる冒険者みたいだって思ってた。俺たちのことも助けてくれたし、領主様に俺たちのことを認めさせるためにも奮闘してくれたって、プリシラさんが言ってたよ」
 だから、と喉の奥が震えた。
……本当は、グレンのことも助けてくれたらって……期待していたのかも、しれない」
……
 自分の理想が裏切られてショックだ感じている部分はあった。同時に、そんな無邪気で重たい期待を背負わせていいほど、ノエたちも万能ではないことも、あの日思い知った。
 剣も折れ、ぼろぼろになって倒れ伏した冒険者たちは、コーディに『竜と戦う』現実をこの上なくはっきりと突きつけていた。それは、想像以上に泥臭く、血生臭く、痛ましいものだった。
「でも、どうにもならないことは、あるんだよな。俺が、竜の血を飲んでないことにならないみたいに」
……はい。僕の力では、彼を人に戻すことはできませんでした」
「うん。だから、俺はノエ兄ちゃんに怒るのはやめようって、そう思ってたんだ」
 さっきの弱音は、最後の弱音にしよう。
 コーディは今この瞬間、決意する。
「だって、グレンは兄ちゃんに伝えてくれって、俺に頼んでたんだ」
 一つ、呼吸を置いてコーディは言う。
「『ごめんなさい、ノエさん。でも、僕を止めてくれて、ありがとう。コーディだけは傷つけずに済んで、本当によかった』って」
 今度こそ、ノエの目は大きく見開かれていた。
 それこそが、ノエに伝えてくれとコーディに託された、友人の最期の願いだった。
 この優しくて勇敢な青年は、きっと自分を殺してしまったことを責めるだろうから、と。
……これが、俺がノエ兄ちゃんを呼んでくれって頼んだ理由。友達の最後のお願いぐらいは、ちゃんと叶えてやりたかったんだ」
 そこまで言い切ってから、わざとらしいかと思いながらも、はー、と大きく息を吐き出す。
 伝言を伝えねばと無意識に気負っていたからか、コーディは自身の肩が急に軽くなったように感じていた。
 今度こそノエに椅子へと座るように促す。膝を伸ばし、着席したノエの前にコーディも腰を下ろす。
「グレンとは、もっとちゃんと色々話をしたかったんだけどなあ! アラン先生のこともだけど、他にも沢山。あいつ、肝心なことはぜんぜん教えてくれなくってさあ」
「あの。……アランさんとグレンさんの件について、なのですが」
 ノエは何か言いにくそうに、しかし言わねばという雰囲気と共に口を開いた。
 だが、コーディはノエが話し始める前に、「待って」と制止の言葉をかけた。
「兄ちゃん、グレンがアラン先生を傷つけた理由って……何か知ってるんだよね」
 無言で頷くノエ。コーディは、数度瞬きを繰り返したあと、
「やっぱり、いいや。気になるけど、俺はそれは聞かないことにする」
 目を見開くノエに、コーディはからりとした声音のまま続ける。
「きっと、グレンのことだからさ。アラン先生のことも何か理由があったんだって、俺はそう思ってるよ。……この前は、グレンが全然違う怖いやつになったんじゃないかって、少し不安だったんだけど」
 だが、コーディは知っている。竜の姿になって荒れ狂ってしまったけれど、あの友人の願いは最後まで誰かのためのものだった。
 それは、コーディの知るグレンの姿と大きくかけ離れたものではない。
「グレンは、グレンのままだったよ。だから、もう無理に知ろうとは思ってないんだ。俺の知らないグレンがいても、今の俺はあいつのこと、ちゃんと信じられるから」
 グレンは、アランとの間にあった何らかの確執を、友人には教えない選択をした。ならば、自分はこれからも知らないままでいい。コーディは、そのように結論を出していた。
 それは、友人が最期まで知らないでいてほしいと思ったことでもあるのだから。
……そうですか。コーディさんは、そのように決めたんですね」
「うん。それで、俺はいいんだ」
 ノエも、コーディの決意を感じたのだろう。静かに一つ頷き返すだけだった。
「ただ、少し気にかかるというか、引っかかることはあってさ。グレンのこと、この街の人も孤児院のチビたちもきっとよく知らないだろうから、きっと半年もしたら、皆忘れちゃうのかなって。それは、少し……寂しいかな」
 頬杖をついて、コーディは外を見やる。
 点々と並ぶ、積み木細工のような家々に住む人々。その中の何人が、グレンという少年のことを知っていて、何人がこの先も覚えていてくれるのだろうか。
 あの無口で物静かな、不器用な優しさを抱いたコーディの友人のことを。
……僕は、覚えています」
 柄にもなく物思いに耽りかけたコーディに、青年の声が届く。
「この街の人にとって、いつか忘れてしまう出来事だったとしても。僕が……グレンさんのことを、覚えています」
 そこには、恐らく悔悟の念も混ざっているのだろう。それでも、コーディ以外の誰かがグレンのことを覚えてくれると言ってくれたのは、確かな救いとしてコーディの胸に届いていた。
「ありがとう、ノエ兄ちゃん。じゃあ、さ。もう一つ我儘言っていいかな」
 そこで終わらずに、少年はノエへと身を乗り出す。
「俺が、グレンのことをもっとノエ兄ちゃんに教えるよ。そしたら、兄ちゃんはグレンのこと、もっと忘れずにいられると思うから」
 重荷を背負わせることになるだろう。他ならぬノエが手にかけてしまった少年のことを、より深く彼の心に刻むというのだから。
 それを承知の上で、コーディは提案する。
 きっとこの青年なら、贖罪以外の形でグレンを未来へと連れて行ってくれると信じられた。
「では、オデットも呼んできていいでしょうか。下で待っているように頼んでいたんです」
「うん、是非そうしてよ。俺、オデット姉ちゃんにも、グレンのこと知ってもらいたい!」
 ともすれば湿っぽくなりそうな空気を跳ね飛ばすように、コーディは大きな声で賛同した。
 
 ***
 
 コーディとの会話を終えたノエたちは、施設の騎兵に挨拶をしてから外へと出た。団欒の間に雪雲が流れて来たのか、沈みかけた日の中をちらちらと雪片が雪を舞う。夕陽を乱反射した雪が、外へと出たノエたちを迎えてくれた。
……グレンさんのお話、聞けてよかったです」
 扉が閉まる音が響いたのを待ってから、オデットが白い息と共につぶやいた。
「わたし、グレンさんのことはそこまで詳しく知っていたわけじゃありませんでした。きっと、今日が無かったら、わたしの中でグレンさんは竜になってしまった可哀想な子供、という言葉だけで片付けられてしまう存在だったと思います」
 彼女にとって、グレンはそこまで親しい間柄ではなかった。最初の邂逅に至っては、財布を盗み取っていったというもので、交友を深めたくなるような出会い方ではなかった。
 母が異端者であったという経緯を聞かされて、同情の念を抱くことはあった。だが、オデットが彼に向けて思うことは、そこまでが限界だった。
「その人がどんな人だったのか。どんな環境で生きて来たのか。……知らないというのは、寂しいことでもあるのですね」
 オデットは、ノエと共に初めて領主の屋敷に向かったときのことを思い出す。
 父と面会しているノエを待つ間、ノエとは腹違いの妹にあたる二人がオデットたちの元に押し寄せてきた。
 彼女らは、ノエを知らないが故に、ノエに全ての責任を背負わせて、悪し様に彼を罵った。だが、それは彼女がノエをただの『形』としてしか知らなかったからだ。
(ヤルマルさんの話を聞いたからか、お二人は兄さんと顔を合わせたときは、部屋に来たときのような刺々しさを見せなくなっていました。きっと……今回のこれも、同じことなんです)
 グレンを知らなければ、気の毒な少年としてオデットは心の棚の片隅に整理できた。だが、今はそうしなくてよかったと、心の底からそう思う。
「忘れてしまった方が、楽なこともあると思うよ。だから、グレンさんのことを忘れてしまう人がいても、僕はその人が殊更に冷たいとは思わない」
 だけど、とノエは続ける。
……僕は、背負っていきたい。いつか時が流れて薄れてしまう日が来たとしても、どうでもいいことにはしたくない。それが、僕の願いだ」
 ノエは通りの途中で足を止め、自分たちが出てきた建物を振り返る。そして、ふ、と唇を緩めた。
「まあ、コーディさんったら。風邪をひいてしまいますよ」
 オデットも、ノエが見ているものに気がついて目を細める。
 視線の先――コーディが窓から身を乗り出し、帽子を掴んだ手を大きくぶんぶんと降っていたのだ。大きく上下に揺れる帽子は、まるで旗のようである。
 少年に向けて、ノエは大きく手を振る。そして、今度こそ別れを告げるために、大仰な所作で一礼をしてみせた。
 明日には、コーディは旅立つ。故に、これはノエが彼に送る長い別離はの挨拶だ。
 オデットも、ノエを見習ってスカートの裾を引いて一礼する。
 頭を上げた直後、オデットはコーディが深々と頷いたのをその目で見た。
 きっと、その彼の顔には笑顔があるだろう。まだ、悲しみの残滓が消えず、ぎこちなさが残っていたとしても。
 
 コーディが窓から引っ込んだのを確かめてから、再び雪がちらつく道を歩き出したノエとオデット。帰路を急ぐ人々を横目で見やりながら、ぽつぽつと交わしていた会話も、いつしか話題が途切れ、どちらからともなく沈黙が二人の間に積もっていった。
 だが、その沈黙も長くはなかった。
「オデット」
 暫しの静寂に浸っていた少女に、ノエの声が届く。
「この先の話になるのだけれど。オデットの記憶の手がかりが見つかって、君が安心して暮らせる場所が見つかったら。僕は――イシュガルドに、残ろうと思う」
――――!」
 それは、今まで口にすることのなかった『この先』の物語だった。
 オデットが腰を落ち着けて暮らせる場所が見つかるかも、未だはっきりとしていない。なので、これはあくまで仮定に過ぎない。
 だが、たとえ仮定の話であっても、ノエは自分の手で自分が向かいたい道の先を見つけたのだ。
「それは……イシュガルドに残って、お父様の手伝いをする、ということですか?」
「いや。父さんの世話になるつもりはないよ」
 父の仕事に対して敬意の念を抱いていたようなので、もしかしたらと思った。
 だが、オデットの問いは、やはりというべきか、首を横に振る仕草と共に否定された。
「ただ……僕が、この先、僕らしく生き続けるためには、この場所に背を向けていられない。そう思っただけなんだ」
 グリダニアに戻り、冒険者として日々を生きる自分と。
 イシュガルドに残り、いつ終わるともしれない竜の戦いに助力する自分。
 どちらが、より自分自身に誇れる生き方なのか。捉え直した結果が、この答えだった。
「もし、オデットが僕と一緒に行きたいと思っているのなら、危ない目に遭わせてしまうことになるかもしれないけれど……
 申し訳なさそうに切り出すノエに、オデットはゆっくりと首を横に振る。
「兄さん。わたしを理由にして、自分の気持ちに嘘をつくのはやめてください。確かに、わたしとしては、兄さんが安全なところにいてくれた方が嬉しいのは事実ですけれど」
 だが、それはノエのノエらしさを殺すことになる。その問答は、すでに竜に攫われた人を助けにいくと決めたときに済ませている。
「だから、わたしは同じことを言います」
 ノエの手に、自分の手を滑り込ませ、きつく握る。
……ちゃんと、帰って来てください」
「うん。約束、したからね」
 ゆるく握り返された、大きなノエの手。たとえノエがどこまで遠くに行こうと、自分だけはこの手を離さない。
(どんな記憶がわたしの中に眠っていたって、兄さんの――ノエの夢と未来は……わたしが守る)
 そのためにも、今はただ隣にいることを願って。少女は自分の手を覆う青年の指に、少しだけ自分の指を絡めたのだった。
 
 ***
 
「全くもって忌々しい! 竜の血を飲んだのなら、大人しく異端者として突き出されればいいものを!!」
 己の不満をこれでもかとぶちまけながら、司祭はチョコボ車の中で何度も足を組み替えていた。
 寒さを退けられるような作りとなっていても、チョコボ車の車両はお世辞にも居心地がいいとは言いきれない。一番高い金を払って選んだというのに、やはり乗り合いチョコボ車など、イシュガルド正教の司祭が乗るものではないと男は唇を曲げる。
 かと言って、皇都からの迎えは望めまい。ラペイレット家の当主の前では居丈高に振る舞えたが、実際の所、司祭の立場は皇都においてはさほど高くない。
 ラペイレット家が直轄で治めている街から、チョコボ車を使って旅立ってから早三日。一刻も早く皇都に戻りたいと焦る気持ちとは裏腹に、雪崩によって街道が塞がったせいで司祭は迂回を余儀なくされていた。
 その上、今日の旅程も散々な結果となりそうだ。何せ、チョコボ車の振動が止まってからもう何時間も経っている。
「おい、御者! 何をモタモタしている! まだ動かないのか!」
 客車から顔を出して怒鳴りつけたが、平民の御者はゆっくりと首を横に振るばかりだった。
「すみません、司祭様。どうやら、異端者がこの先に出没したとかで、民間人の通行が規制されてるんですよ。今、兵の方が安全を確認しに行ってるそうです」
「なに? また異端者か!! 異端者如き、さっさと排除すればよいものを。この前の領主といい、中途半端に竜の血を飲んだようなやつを生かすから、我々のような敬虔な信徒が迷惑を被るのだ」
 ふん、と吐き捨てるような捨て台詞を残して、司祭は客車の扉を勢いよく閉めようとした。
 だが、その扉が閉まりきる前に、ほっそりとしたブーツが間に挟み込まれる。
 一体誰がそんなことを、と思い司祭が不満を混ぜながら顔を上げると、
「こんばんは。待っている間、退屈だったから暖かい飲み物を用意したの。よかったら、私も入れさせてもらえると嬉しいな」
「ほう。平民にしては気がきくな」
 どうやら、別の乗り合いチョコボ車を使っている者のようだ。分厚い毛皮の帽子をかぶっているが、その下に見える面差しはまだ若い。歳のころは、十四か、十五の幼さが抜けきっていない少女が、司祭に向けて笑顔を見せた。
 雪のような白い髪の毛に、木苺のような真っ赤な瞳。猫のように釣り上がった眼差しではあるものの、まだまだ愛嬌が抜けきれていないのは若さゆえか。
 少女の容姿をひとしきり確認してから、司祭はわざとらしく深々と頷いてみせた。
「いいだろう。入りなさい」
 少女はパッと顔を明るくして、意気揚々とチョコボ車の中へと足を踏み入れていく。その様子を眺めながら、彼は笑みを口角に滲ませていた。
(ふむ。何か理由をつけて、こちらに暫し留めておくのも悪くあるまい。そのまま、皇都に連れて行けば、いくらでも好きなようにできるだろう)
 司祭は愛想のいい言葉で少女を出迎えながら、それとなく扉に鍵をかける。内側からなら簡単に開けられるが、勝手の知らない平民には高級車両の鍵の開け方などすぐに分からないだろう。
 司祭にとって、平民の子供は自分の鬱憤や欲望を晴らす対象にすぎない。自分が気に入った平民を己の所有物とするのに、彼は何の躊躇も抱いていなかった。
「わあ、すごい! こんなに豪華な車両もあるんだね!」
 そんな司祭の思惑など知らず、少女は、持ってきた飲み物を渡すのも忘れて、無邪気に車両を見つめていた。
 確かに、司祭は不満を抱いていたが、平民がよく乗る乗り合いチョコボ車と比べれば、この車両は一線を画している。
 天井に吊るされたクリスタルの照明に、座っただけで腰が沈みそうになる柔らかなソファ。壁紙も、貴族の屋敷でも使われているような品だ。カーテンですら、名のあるブランドの一級品というこだわりようである。
「だが、皇都のチョコボ車はもっと広いぞ。私とお前が向かい合って座っても、足を伸ばすこともできるぐらいだ」
「そんなすごいチョコボ車があるんだ! なんだか信じられないなあ。夢の世界のお話みたい……あ、ごめんなさい。飲み物、渡してなかったね」
 そこまで話してから、少女はようやく司祭へとカップを差し出した。
 身分が上であり、明らかに裕福そうな身なりをしている自分に対して、少女は敬語を使う素振りすら見せない。そんな彼女の振る舞いに、思うところはあったものの、今は不必要に権威を振り翳して萎縮させる場面ではないと司祭は己に言い聞かせる。
 信頼させ、油断させ、味方と思わせる。そうやって、司祭はこれまで多くの場面を切り抜けてきた。
 それに、籠絡したのは政敵だけではない。
(さてさて。この娘は、果たしてどんな声をあげるのやら)
 平民ならば、どのように扱っても構わない。そんな考えが司祭の根底にあった。故に、自分の憂さを晴らすために、あの同胞のように目の前の少女を踏み躙る手法を、彼は『楽しみながら』考えていた。
 油断はしすぎないように、注意しているつもりだ。とはいえ、すでに圧倒的優位に立つ自分と、すでに罠にかけられているとも知らずに、呑気に茶を啜っている少女。心理的な格差を実感し、司祭は満足げな笑みを浮かべた。
「そういえば、中途半端に竜の血が飲んだ者がどうこうって、さっき話していた気がするんだけど。それって、どういうこと?」
「ん? ああ……聞こえていたのか」
 異端者によって通行止めを食らっているのは、目の前の少女も同じだ。同じような話題として興味を持ったのだろうかと、司祭は特に気にも留めずに、
「竜の血を飲んだが、まだ人の姿を保っている、恐るべき異端者がいるのだ。そのような者など、中途半端に生かしておく必要はないだろう、という話だ」
「そんな人たちがいるの? それじゃあ、私たちの近くにいても、異端者かどうか分からないね」
「ああ、全くその通り! しかも、ここからそう遠く離れていない領地の領主が、またとんでもないことを口にしていたのだ」
「とんでもないこと?」
「ああ。奴は、そのような異端者であっても生かしておきたい、などとふざけたことを口にしているのだよ。私は、イシュガルド正教の司祭として、そのような異端の子羊を認めるわけにいかぬと言っておるのに」
 司祭は熱弁を振るっているが、少女の方は今一つピンときていないのか、ゆっくりと瞬きをしただけだった。
……じゃあ、その異端者の人たちは、まだ生きてるの?」
「ああ。だが、そいつらの命もあと少しだ。だから、お嬢さん。安心するといい」
 これまで一人旅だったせいもあって、聞き手が加わったことになり、司祭は饒舌となっていた。急に舌を動かしたせいか、なんだか喉が渇く。早速、彼は少女が渡したカップの中身を呷った。
「どうして、あと少しなの?」
「この私が、異端審問官を呼んでくるからだ。あろうことか、あの街にはまだ異端者がいた。そいつのせいで、私の友人は殺されてしまったのだ。その証拠を突きつければ――
 そこまで話して、不意に司祭は腹の奥がぐるりと蠢くような違和感に襲われた。
 嘔吐感とも、発熱したときの倦怠感とも違う。高揚にも似た感覚だが、その一方で己の内側がひっくり返ったような違和感もある。
 まるで、自分が内側から作り変えられていくような――
「内側から、作り変えられる……?」
 つい先日、これと同じような事象を目にしていなかっただろうか。
 あの忌々しい少年が『竜』へと変化したときの姿は、まさに人が内側から作り変えられていくようだったことを、司祭はよく覚えている。
 めきめき、と車両が軋む音が響く。ガシャン、とガラスが割れる音が車両内にこだました。クリスタルの照明が割れ、ふつりと灯りが消える。そのせいで、外の雪景色がやけに白々しく輝いて見える。
「よかった。あの人たち、ちゃんと家に戻れたんだね。ラペイレットの領主様が、優しい人で助かったよ」
 暗闇に染まった世界の中、少女の声がやけに明るく響いた。
「でも、異端審問官なんて礼儀がなっていない人を連れて来ちゃダメだよ」
『な、何を、言って――
 自分が発した声は、およそ自分の声とは思えないほどに低く濁っていた。まるで――竜の咆哮のような。
 刹那、内側から何かが爆発したような音と共に、冷たい外気が司祭を取り巻いた。
 視線が妙に高い。周囲に見えるのは、一面の雪景色だ。なのに、雪の冷たさが、奇妙なまでに遠い。
 いったい何が起きているのか。体を見下ろし、そこで司祭は絶句する。
『な――、これは――!』
「おめでとう。あなたの大嫌いな異端者に、これであなたも仲間入りだね」
 司祭の目には、眼下の少女が先ほどよりもずっと小さく見えた。けれども、彼女が目を細め、こちらを嘲笑っていることだけは彼にもわかった。
 異端者の仲間入り。その言葉の意味を察し、司祭の心はすぐさま怒りに染まる。
『貴様、よくも!! 私を謀ったな!!』
 しかし、司祭が怒りの声をあげようとするより早く、少女は雪原を駆け出す。
 突如現れた『異端者』の姿に、悲鳴をあげる御者たち。だが、その中には偵察に出ていた騎兵の姿も混じって見えた。あろうことか、少女はその騎兵たちの元に駆け寄り、声をあげる。
「兵士さん、助けて!! 異端者が襲ってきたの!!」
 騎兵たちは、突如現れた竜から少女を救うために、武器を構える。
 彼らの目には、自分たちの仇敵がそこにいるようにしか見えないのだから当然だ。
『待て! 私は、イシュガルド正教の司祭だぞ!! お前たちは騙されているんだ。待っていろ、じきに姿が戻れば――
 そこまで言って、司祭は気がつく。
 たとえ、竜の血の効果が切れて人の姿に戻ったとして、騎兵は果たして自分を人として扱うだろうか。
 他でもない。自分が思っていたことであり、ラペイレット家当主にも告げたことだ。
 たとえ竜の血を飲んだだけの者であったとしても、異端者として処すのが当然である、と。
『そんな、そんな馬鹿なことがあってたまるか!! 私は、まだ――
 竜の咆哮を開戦の合図として、騎兵たちが一斉に群がる。司祭が人の姿に戻るのが先か、それとも騎兵たちに殺されるのが先か。
 はたまた、戻ったところで、その先に待つのは厳しい異端審問なのかもしれない。その未来を知る者は、今この場にはいなかった。
 
 殺されまいと必死に足掻く、竜に変じた男の姿を遠目に見やりながら、少女は軽く目を伏せた。
……これぐらいは、責任をとらないとね」
 あの日、山に残さざるを得なかった、三人の罪なき人々。仲間を増やすためだと協力者の大人たちに言われて、少女は竜の血を彼らに渡した。
 だが、その行いに諸手をあげて賛成していいかと、悩んでいた部分もあった。
(ドラゴン族の全てが人を憎んでいるわけじゃない。それを皆に伝えたくて、竜とも仲良くしたいって人たちの言葉に従っていたけれども……
 竜の血を飲めば、竜の力を得る。結果、竜の気持ちを知ることに繋がる。
 そのような意見に、自分も一度は賛同した。だが、たとえ竜の血が混ざろうと、人々を傷つけるような活動に賛同できないと主張した者もいた。
 彼らを山中に捨てていくと、仲間たちに言われたとき、自分は少なからずショックを受けた。その上で、あまりに非情が過ぎないかと反論もした。
 けれども、自分の声はあまりに小さく、同時に無責任だったと気が付かされただけだった。彼らの帰る場所を奪ったのは、自分が渡した竜の血によるものだと言われれば、自分は何も言えなくなってしまった。
 中途半端な偽善を振り翳していいかと悩むことすら、あまりに遅きに失していたのだ。
「だから、これは自己満足の罪滅ぼし。……何の贖罪にもならないだろうけれど、無いよりはマシというだけの選択だよ」
 竜と変じた司祭が、人の姿に戻る前に、少女はチョコボ車から離れていく。ここまで辿り着けば、約束していた合流地点はすぐそこだ。
 遠く、竜の咆哮が響く。懐かしさすら覚えるその声の元へと、彼女は一歩一歩歩み寄っていく。
 最後に、少女は木々が生い茂る林に踏み込む前に、もう一度だけ足を止める。
 
 ――ゲルダ姉ちゃん!
 
 耳の奥に残った少年の声を思い返し――しかし、彼女はそれを断ち切るように、木立の中へと消えていった。