半衿の話のもう1本書きたかった話です。半衿というか着物側からなすぎて調べながら書いていますがご容赦頂けると…!養父の和装は反物から小物まですべて把握している執着つよめ鬼くんです。でも妖怪だから執着強くてもいいと思って…。いい感じの野外でデートするふたり。いいところで終わる。すみません!!
※ここまでのあらすじ(?)あさかわさんの半衿ときめき委員会に入会させて頂いて大喜び!これもやりたかったので…。
落ちついた鉄紺の着物をまとった姿は実によい男ぶりで、黒色の足袋と落ち着いた風合いの草履の組み合わせ何ともちょうど良い塩梅だった。
内側に覗く半衿の色だけが春のような淡い黄色で、アクセントが利いている。
…利いている、のだが。
待たせたな、とにこやかに現れた水木に、鬼太郎は胸がざわつくのを抑えなければいけなかった。
水木の和装も最近は見慣れてきたが、元々彼がその装いを特別好んでいたということでもない。鬼太郎が半衿を贈ったことをきっかけに、特に鬼太郎と会うときには和装をしてくれるようになったのだ。そうなると鬼太郎はますます喜んで、あれやこれやと和装や小物を贈りたくなる。元の関係が義理とはいえ親子だから、間隔を測らないと水木に「おまえはもっと自分のことに気を遣いなさい」とやんわり断られてしまうこともあるのだけれども。
とにかくそんなわけで、暗黙の了解というか、水木が和装をする時、鬼太郎が知らない半衿が登場することはなかった。着物の方も大体知っているが、元々水木が持っていたもの、つきあいで誂えたもの等もあるとのことで、単や袷、羽織については時々知らないものもある。けれど半衿だけは、鬼太郎が贈ったものしかないはずだった。…それなのに…。
つい、じっと首元を見てしまうのを止められなかった。
自分で用意したのかもしれない。そういう色も好きなのか、そういう色を着るイメージはあまりなかったが顔色が明るいとか、まさか他の誰かに…。
ははっと軽く笑う声がして、水木が鬼太郎に顔を近づけてくる。
「見過ぎだ」
「…………」
鬼太郎は思わず水木の袖をぎゅっと掴んだ。
無言の訴えに、水木は肩をすくめた。そして、背を丸めるようにして鬼太郎に顔を近づける。そうされると体格の違いを思い知らされ、もっと言うと自分が中身も実年齢も子どもだった頃に戻ってしまったような気がして複雑だったが、鬼太郎はじっと水木の目をのぞきこんだ。
水木は楽しそうな、…どちらかというと、いたずらっぽい顔をしていた。
そこで、あれ、と鬼太郎は思う。
小さな頃は気づかなかったけれど、水木には案外子どもっぽい所があり、ちょっとした悪戯やからかいはさらりと日常に織り込まれている。自分や父はそれに結構な頻度で引っかかってきた。引っかかったな、と楽しそうに笑う水木の少年のような顔が好きで、鬼太郎は「また…」と呆れるだけで怒ったことはない。小さな悪戯だったら命に関わりがない、ということもある。
「気になるか?」
「……いじわるしないでください。そんなに僕に焼き餅を焼かせたいんですか?」
口を尖らせて言ってやれば、水木はきょとんと目を丸くした後、にんまりと笑った。悪戯を隠しきれなくなった時の子どものにやけ顔のような顔だ。
かわいいなあ、この人、と鬼太郎は頭を抱えたくなる。
「焼いてほしい」
水木は目をにんまり細めて答えた。躊躇のようなものは見て取れなかった。
「もう……」
「好きな子ほどいじめたいって、本当なんだな」
なあ、とウィンクをして囁いてくる。
はたして周囲に二人を見る人がいたらどう思うのか、という親密さだが、人間はひとりもいない空間だから特に問題はない。…見えないだけで、その辺の木の陰にいる妖怪のたぐいはのぞき見ているかもしれないけれど。
「水木……」
くくっと笑って、水木は肩をすくめ、シュッ、と衿の上で手を滑らせる。
「気がつかなかったらどうしようかと思った」
「……気がつかないわけない。あなたの持っている半衿は、全部僕が贈ったものでしょう?」
執着のにじんだ台詞に、水木はただ笑っただけだった。
恐ろしいとは思わない。今更でもあるし、まっすぐに愛されることの心地よさをもう手放せない。
水木はこそりと片手で囲いをつけてまでして、鬼太郎に耳打ちする。
「…どうなってるか見たくないか?」
「………?」
耳打ちしなければならない程特別な台詞とは咄嗟に思えず、鬼太郎はいぶかしげな顔をした。水木は色気のにじんだ顔で笑う。…ただ、目尻に少し朱がのって、本人も全く照れがないわけでもないのかもしれなかった。自分がごくりと生唾を飲み込んだことに、鬼太郎は後から気づいた。
「──見たいです」
鬼太郎は水木の胸元に手をそっと置いた。そのままじっと、値踏みするような目で苛烈に見つめる。
「どんな秘密があるのか」
水木はにこりと笑った。顔はそこまででもなかったが、鬼太郎のてのひらには彼の鼓動が普段より早いことが伝わってきていた。
かわいい人、とそっと胸の内養い子だった子が呟いたことなど、水木は知るよしもない。
元々、いわゆるデートというか、湧き水のきれいな森に行かないかと鬼太郎が誘ったのが最初だった。古風というか、ある意味典雅というか、と思いつつ、水木も頷いた。森を歩くような格好がいいのかと一応確かめたのは、その行き先からピクニックを連想したからだ。それならそれで、弁当と敷物を用意して行くのもいいな、と水木の脳裏をそんな思いがかすめたのは事実だ。
だが養い子にして連れ合いに関係性を変えた、またはくわえた男は、いいえ、と首を振った。
歩きにくいところは歩かないし、きれいな四阿があります、あなたは手ぶらでかまいません──彼は実に頼りがいのある様子でそう答えた。
水木ももう幽霊族との付き合いは長いので、歩きにくい所は歩かない、という言葉の意味する所が、純粋に道があるという意味ではなく、獣道は背負うか抱いて連れて行くという意味だな、と予測していた。一反木綿に頼むことも考えられないではないが、逢い引きに他者が介在するのを鬼太郎はあまり好まない。水木も好むわけではないが。
果たして、待ち合わせたのはゲゲゲの森の入口付近だったが、水木の予想通り、ひょいと水木を横抱きに抱えたかと思うと、鬼太郎は糸くずひとつの重さも感じていない様子で小走りに駆け出した。俗に言う、羽根より軽い、というやつだ。なお、歩く速度だと、まず間違いなく水木がおろせと言うと学んだ結果でもある。
心頭滅却、と念じながら水木が運ばれたのは、確かに深い森の奥だった。
「どうぞ」
丁寧に下ろしてくれた先は苔がふかふかしていて、わ、と水木は思わず声を上げてつま先を上げた。小さく笑った気配がして思わず振り返ったが、鬼太郎はすん、とした顔をしていた。こいつ、と思ったが、あまりつっかかるのも子どもっぽいと思い、水木はこらえる。
彼の目の前には、透き通る青に満たされた泉があった。
いわれなくても、これが鬼太郎が言っていた湧き水だというのはわかった。
「……きれいだな」
深い森だが、差し込んでくる光がないわけでもない。風に合わせて木漏れ日が揺れ、木々の中から飛んでくるくるのか、色とりどりの蝶達が飛んでいるのが見えた。中にはちょっとその辺では見ない色柄のものもいて、果たして森の奥だからいるのか、そもそもこの世ならざるものなのかはわからなかった。
水の照り返しを受けながら、こちらも鬼太郎が言った通り泉のそばに立っている四阿に入る。そこまで古そうでもないが、いかにも最近建てましたというのとも違う。なかなかに雰囲気のある様子で、大きくこそないが、有名な日本庭園の中に建てられているようなそれと遜色ない。中に設えられた長椅子に腰掛けようとした時、鬼太郎がやんわりと片手を上げてそれを制し、座面をさっと払ったのがあまりに自然な動作で、水木は不意打ちに頬を軽く染めてしまった。照り返しで見えなくなっているといいのだが、と望みの薄いことを考えたが、幽霊族の視力なら見逃されていないだろう。
水の音や木々の間を抜ける風の音、遠くの方から聞こえる何かの鳴き声…、その静かな空間に、気持ちがほぐされていくのを水木は感じた。様々な経緯からはからずも長寿となってしまった、半分くらいあやかし側に足を踏み入れてしまっている水木だが、もう半分は人間の世界に軸足を置いているわけで…、めまぐるしく変わる日々の喧噪に、知らず知らず澱のようにたまってしまうものもある。それらが洗い流されていくような心地がした。
「……どうでしょう」
「ん?」
そんな水木をしばらく黙って見ていた鬼太郎だったが、どこかで鳥が一声鳴いたのをきっかけにおずおず尋ねてきた。
「え?」
完全に気を抜いていた水木は首を傾げてしまう。普段は察しの良さで意味をとれるのだが、今は本当に気を抜いていた。
「あの、…ここが」
ああ、と水木は目を瞠り、それからふんわりとゆるめた。
「連れてきてありがとう。とてもいいところだな。静かだし、…鬼太郎みたいだ」
「え?」
今度は鬼太郎が目を丸くした。
水木は二、三瞬きした後、意地悪なところがひとつもない、優しい顔で笑った。
「おまえといると気持ちが落ち着く。昔からだ」
「……嬉しいけど、…複雑です」
「え? …ああ、…」
最初不思議そうな顔をしていた水木だったが、三十くらい数えられるところで気づき、肩をすくめるようにして笑った。
確かに、一緒に居て落ち着くというのはどちらかといえば良い評価だけれど、恋仲ならばドキドキしてほしい、そんなところなのだろう。そう思ったら鬼太郎が可愛くて、水木は段々笑いがこらえきれなくなってきた。
肩を小刻みに揺らして笑いを堪える水木に、鬼太郎は難しい顔をする。
「…水木さん」
「ああ、すまん。…いや、…おまえといると、ドキドキすするけど」
「そんなとってつけたように…」
はは、と水木は笑い、懐から取り出した扇子でもってそよそよと風を送ってくれる。それはただの風ではなく、くゆらせた香を帯びた雅やかな風だった。いよいよもって、これはどうしたことだ…と鬼太郎は思う。こんな扇子、鬼太郎は知らない。
「…沈香、好きじゃないか?」
うかがうような水木の顔にぐっと何かを飲み込みながら、鬼太郎は、いえ…、と曖昧な答えをする。
「白檀の方が良かったか」
「そういうことではなく…」
わかっているくせに、と少々恨めしげに見つめれば、水木はあはは、と軽やかに笑った。
「……ここは誰か来るのか?」
「…? 人は来ませんし、妖怪もまず来ないでしょう」
ここをねぐらにしている妖怪がいないことはわかっている。
…実は、四阿だって鬼太郎がこつこつここに建てたものだ。それを言う気はないが。だが、妖怪にはここに四阿を建てたのは鬼太郎だとは気配でわかるだろう。だから、そうそう近づいて悪さをすることはないと思われた。
「そうか…」
少し考え込む様子を見せた水木に、鬼太郎は首を傾げた。なんだろう、と思って。
「鬼太郎」
逡巡は短いものだったらしい。鬼太郎は水木に微笑むと、おいでと手招きした。四阿の中では長椅子をコの字に配しており、少し距離を開けて座っていたのだ。水木に、もっとも泉がよく見える位置を進め、鬼太郎はその視界を遮らない横に腰掛けていた。
「なんです…」
招かれるまま水木の斜め前に寄れば、水木はにっこり笑って鬼太郎の手をとると、そのまま自分の膝に引っ張りあげた。純粋な力は鬼太郎の方が強いけれど、元々水木には油断している面があるし、予想外だったというのもある。
「水木、さんっ」
自分の膝に座らせるようにした鬼太郎を見上げ、水木は笑った。
「気になってただろ、これ…」
水木は鬼太郎の手を引っ張って、自分の襟元に触れさせる。片目を見開く少年の姿の男に、水木はにんまり笑う。
「誰も来ないんだよな…?」
ごくり、と鬼太郎は唾を飲んでいた。連れ合いとなってくれたとはいえ、水木は嫌なことは嫌だと認めてくれない。鬼太郎に甘いので流されてくれるところもあるが、それでも根本的に意思は堅いし、強い。
水木は微笑んだまま、鬼太郎の両手をゆっくり取り、自分の着物のあわせに触れさせる。緩めていい、そういう仕草だった。
唾を飲んだ音がやけに大きく聞こえて、鬼太郎は我ながら恥ずかしくなったが、水木がからかうことはなかった。
「………脱がせても…?」
水木は黙って頷いた。むしろ、早くそうしてほしいと望んでいるようにさえ見えた。願望といえばそうだが、己の願望だけとも思えず、背の割には大きめではある手でしゅるりと着付を緩めていく…。
淡い黄色からも、扇子と同じく香を焚いたような匂いがする。
「あ…?」
乱したことで、外からは見えなかった部分まで見えてくる。ちょうど着物に隠れて見えなかったあたりに、何かうっすら…刺繍なのか、染めや織りなのか、字が見えた。その色は極めて生地の色に近く、普通の人間であれば見落としていたかもしれない。
「…なにしおはば…、」
小さな声で出だしだけを口にして、はっと鬼太郎の目の色が変わる。水木はくすぐったそうに、だが少し得意げに目を細めた。本当に、そういう表情は子どもっぽく、普段は大人の男して毅然とした振る舞いをしている彼がそんな顔を見せる相手は限られているのを、鬼太郎は知っている。そして、自分はその限られた相手の中に入っていることも。
「……昔…、おばあちゃんと、百人一首をしましたね」
鬼太郎の静かな声に、水の音が微かに重なった。石でも落ちたか、魚でも跳ねたか。あるいは、鳥が水面をかすめたか。
水木は目を細め、何も言わず鬼太郎の顔を引き寄せた。唇が静かに重なる。
「…『人に知られで、くるよしもがな』…?」
確かめるように下の句を口にした鬼太郎に、目元を微かに染めた水木が黙って頷いた。かと思うと、少し油断した鬼太郎の両の頬を自分の両手で挟むと、それ以上喋らせるまいと自分から唇を重ねる。ほんの少し開いた隙間からぬるりと舌先をうかがわせるに至って、鬼太郎も結局我慢できず、水木のよりも長い舌でもって舌を絡め取り、喉の方まで深くあさった。
名にし負わば、逢坂山のさねかづら、
鬼太郎の脳裏に、幼い日の正月に家族でやった百人一首の記憶が蘇った。上の句を読み上げる水木の母の声、「名に」で取り札へ走り始めていた目玉の父、鬼太郎を膝にのせ、耳元で「ひとにしられで…」と囁きながら、小さな手を持ち上げて取り札の上に寄せる水木。目玉はとことこ走っていたが、今にして思えば、わざと違うところへふらふら走っていたようにも思う。つまり、目玉の父と水木がやりあっているように見せつつ、二人とも鬼太郎に札をとらせてやろうとしかしていなかった。
今はもう、その時の二人の意図どころか、歌の意味だっておおまかに知っている。
恋しい人をどうにか、人に知られずたぐり寄せるすべはないものか、あればいいのに、そういうことを歌っている。
「…、俺が、自分で用意した」
「え……?」
唇が離れた隙に、息を短く区切りながら、水木はそう言った。鬼太郎はとっさに反応できない。ただ目を丸くして、中途半端に着物を乱した水木を見つめる。
水木はちょっと得意げな、しかし同時に恥ずかしげな、何ともいえない顔で鬼太郎を見ていた。してやったり、でもあるし、年甲斐もなかったか、でもあるその顔。彼の中の稚気と理性が葛藤している顔だ。鬼太郎は気づいたら水木をぎゅうっと抱きしめていた。
「たぐり寄せてください。あなたの声ならどこにいたって聞こえる」
「…それはちょっと困るな…」
「困る?」
「……寝言で言ってるかもしれないし」
そんな可愛い理由じゃない気がする、と鬼太郎は思ったが、そこは突っ込まないでおくことにした。
「山や草になんか願わないで」
「…………うん」
水木は少し長めに考えていたようだったが、結局頷いてくれた。そして、おずおずと抱きしめ返す。
「……なあ」
「はい…?」
「ここ、誰も来ないんだよな…?」
鬼太郎は思わず顔を上げた。乱れた着物、恥じらいを目の奥に隠してあだっぽく笑う、いとしい人の姿が飛び込んでくる。
「……っ」
気がついたら長椅子の上に押し倒していた。水木が頭をぶつける寸前にかばえたのは、褒められてしかるべきことだろう。
自分にまたがる伴侶を見上げて、水木はくすりと笑った。たぐり寄せてしまったのだから、責任は水木がとるしかない。
「……きてくれ」
それでも言葉がぶっきらぼうになってしまったのは、こればかりはもうどうしようもない。照れくさくて、気恥ずかしくて…。ふーっと長めに息を吐くことでどうにか情動を整えたらしい鬼太郎は、まるごと食い尽くしたいと眼差しで訴えながら、それでも安心させるような微笑みを浮かべた。彼の中に渦巻く嵐が見えるようだった。それでも、優しく触れようと努めている。それが痛いほど伝わってくる。
「………いい男に育っちまって」
水木は苦笑し、さらりと鬼太郎の頬に手を置く。鬼太郎はそこに自分の手を重ね、あなたの男ですから、と照れた様子もなく答えたもので、端から先の見えた勝負ではあったようだ。
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