【カブミス】舞踏室のおとぎ話

図書室でカブルーが結婚するとの噂話を聞いたミスルンが取り乱す話。
ハッピーエンドです。リクエストありがとうございました!

 噂話は城の花だ。いくつも咲いては城を彩り、やがて散っては消えてゆく。
 とはいえ、私は特に誰かの噂話、例えば誰が昇進するだとか、誰が誰を愛しているだとかなんて気にならなかった。メリニに滞在しているとはいえ、そういうものから遠いところにいるのが私だったので、気にすることもなかったのだ。
 そう思っていたのに、いざ知り合いの噂話を聞いてしまうと、心がざわついてしまうのだから、私はちょっとおかしくなってしまったのかもしれない。
 これはそう、ちょっとおかしくなってしまった私の、数日間の記録だ。
 
 
 噂話を聞いてしまったのは、夕暮れ時の大きな書架がある図書室で、懐かしいエルフ文字を辿っていた時のことだった。仕事を終えたのか数人の侍女がやって来て、私以外人のいないその図書室の窓際で、小さく言葉を交わし始めたのである。
……わ、……だって、知ってる?」
「知らなかったわ……でも……よね」
「本当にびっくり……あぁ、すごく……
 彼女たちの声は虫食いだらけで、最初のうち、一体何を話しているのかは分からなかった。でも興奮しているのは確かで、私はため息をつき席を立った。噂話に巻き込まれるのはよしたかったのである。けれどそんなふうに部屋を辞そうとした時、耳に入り込んできたのは思ってもみない言葉だった。
「カブルーさまが人のものになってしまうなんて……
「でも、相手はカーカブールド一番の貴族のご令嬢なんでしょう? それにお二人はとても仲睦まじいと聞くわ」
「あぁ、どんな方なんでしょう! とっても気になるわ。お優しい方だといいわね」
 カブルーが結婚? 私は耳を疑った。というのも、彼は仕事に専念するためにと、山のように押し寄せる縁談をことごとく断っていたからである。でも、気が変わったのかもしれない。彼はこの国の未来のために結婚してもおかしくはないくらい、メリニに入れ込んでいたから。
 そうして、私は噂話を後にして自分の邸宅に戻った。戻ってひとしきり馬鹿をやり(皿を割ったり、転移術を失敗したり、女王の書状にインクをぶちまけたり)、しばらくする間にはどっと疲れていた。だというのに、この夜は全く眠れなかった。多分カブルーが結婚すると聞いて、私は動揺していたのだろう。ずっと年下の友人の結婚だ、驚いたって不思議じゃあない。
 
 
 二日が過ぎ、三日が過ぎたあたりで、私はカブルーからの誘いを無視して、ようやく平静を取り戻した。全く、何を動揺していたのだろうと、私はいつもの紅茶を口にし、迷宮に潜る準備をした。私の邸宅の離れに住んでいるフレキも呼び寄せた。でもその時、思ってもみなかったことが起こった。黄金城からの使者が馬車でやって来て、私に一通の手紙をよこしたのである。
 それは封筒が美しく装飾された手紙で、カリグラフィーが見事に国の名をかたちどり、私の名も正式なエルフ文字で書かれていた。ケレンシル家のミスルン様へ。こんなに豪華な手紙は、一体何の案内だ? 貴重な紙に書かれた、流麗な文字。私はペーパーナイフで封筒を開け、中の、やはり貴重な紙に書かれた内容を見つめる。
 そこには、明日カーカブールドの貴族たちを招いて、一晩の宴をする、と書かれていた。私はそれを聞いてなぜか椅子に座り込んでしまい、私を急かすフレキに数日の暇をやってしまう羽目になった。
 カーカブールドの貴族たち、カーカブールド一番の貴族の令嬢と結婚するカブルー。ならばこれはやはり、その令嬢のお披露目会なのだろうか。私はため息をつき、椅子に座り込み、頭を抱えて、迷宮に潜るのを断念する。今はどうも、そんな気分にはなれなかった。カブルーが結婚する、それだけに動揺している自分がいて、それが信じられなかったのである。私は誰かと結婚したいわけではない。ただ心優しい友人たちと過ごせたら、それで余生を送れたらよかった。でもカブルーに誰か大切な人が出来たら、その関係も変わってしまう。私はそれが恐ろしかった。いや、なぜ関係が変わるのが恐ろしいのだ? 私には欲がない。私は頭をひねり、そしてまた紅茶を口にする。
 とにかく、明日は黄金城に行かねばならないだろう。突然の申し出だが、きっとみなはやって来るはずだ。そこで酒を飲むだけで帰ってくるのもいい。それに、カブルーと仲睦まじいらしい令嬢も見られる。気になっているのだろう? と、私は自分に問いかける。でもどうしてなのだろう、どうしてカブルーが気になるのだろう。自分を助けてくれた、救ってくれた恩人だからだろうか? 献身的に世話をしてくれた恩人だからだろうか? でもそれだけで、どうしてこんなに胸がざわつくのだろう。こんな時カブルーがいたら、私のみょうに複雑な心境を一刀両断してくれるのに。
 あぁ、どうしたら。
 私は悩む。
 
 
 カブルーの噂話を図書室の隅で聞いてから、四日が経った。
 城から手紙を受け取った私は正装し、夕暮れ時に馬車に乗って黄金城に向かった。たどり着いた場所はいつもよりきらびやかで、舞踏室に続くカーペットの足元には花びらがばら撒かれ、いつも廊下を照らしてくれるランプには、花の咲く蔦やレースが巻きつけられていた。これは例の令嬢の好みだろうか? それにみな、特に侍女たちは浮き足立っているように見える。新しく自分たちが仕えることになる貴族のご令嬢が気になってしょうがないのだろう。
 私は花びらを踏み、舞踏室に入る。そこにはすでに大勢の見知った顔がいて、私はそれに安堵しつつも、朗らかにワインを飲み交わすカブルーを見つけて、胸がきゅうと締め付けられた。なぜかは分からない。私はカブルーに特別な感情を持ってはいない。でも持っていたとしても、結ばれないことは分かりきっていた。だって私は長命種で、彼は短命種だ。男同士子をなすことも出来ないし、メリニに貢献することも出来ない。いくら彼と話すのが楽しくったって、私は特別ではなかった。そう、私は彼の特別ではなかった。
 身体がずっしりと重い。重しをつけて迷宮に潜るような気分だ。でも、あたりにいる人々はみな笑顔で、楽団による音楽が始まると、手に手を取り合って、男女が踊り始めた。
 私はカブルーをじっと見つめる。彼のとなりにいるのは、着飾った若い、金髪の巻き毛の女だ。緑の目が、カブルーの青い目と重なる。二人は楽しそうに踊っている。私は壁の花という年頃でも性別でもなかったが、楽しそうに軽食を食べる者たちにまぎれ、静かにカブルーを見つめた。
 過去の私の美しさを保っていられたら、カブルーは私を選んだだろうか? いや、彼に自分を選ばせるなんて傲慢もいいところだ。鼻の奥がつんとする。カブルーの特別になりたいと思う。ただの友人でいいのだ。いつものようにお互いの家を訪れて、食事をするそれだけでいいのだ。それくらいなら、彼が結婚しても許されるだろう。だったら私は何を恐れるのだろう。私は何の欲望を抱き恐れているのだろう。
 褐色の肌、青い瞳、黒い巻き毛、よく回る口、あの唇で、睦言を囁かれたのなら――
 私は動揺する。動揺して舞踏室を出るべく壁際を歩く。だというのに、みなを観察していたのだろうカブルーに、私は見つけられてしまう。
「ミスルンさん、来てくれたんですね」
「あぁ」
「よかった。疲れたのなら椅子に座って休んで……ミスルンさん?」
 怪訝な声が聞こえる。そりゃあそうだろう、私は年甲斐もなく目に涙を浮かべていて(きっと酒のせいだ)、それが恥ずかしく、どうしようもなくつまらない自分が恥ずかしかったから。
「どうしたんですか? 気分が悪い?」
「いや、すぐに治る。お前は結婚相手を大事にしろ。不義の子は作るな。私みたいなのが出来てしまう」
 カブルーは、令嬢ではなく突然説教を始めた私の手を取る。私はそれに喜び、そして動揺する。どうして、どうして、どうして。どうしてお前は私によくしてくれる。迷宮にいた時は私の力が役に立っただろう。でもこここはメリニだ。私はお前の役に立つ人間じゃない。まだ迷宮に固執する、そんなただのエルフだ。
「結婚? 俺はまだ結婚なんて考えてませんよ。誰から聞いたんですか? 誤解です。あぁ、おかしかったのはそのせいか。俺を無視してたのはそのせいなんですか」
「違う!」
「聞いて、ミスルンさん、これから大事なことを言います。……あなたは俺が好きなんですよ。だから泣いてるんだ」
 私はじたばたと握られた手のひらを振り回す。みなの視線が痛い。そんな、馬鹿な。そんな、なんてことを今言うんだ。私の欲は叶えられるというのか。
「大丈夫、俺もあなたが好きだ。あぁ、やだな、もっとちゃんとしたときに言うつもりだったのに。あなたが好きです、ミスルンさん」
 誰かが口笛を吹く。令嬢方すら笑っている。カブルーは舞踏室の隅で、馬鹿みたいに誠実に告白する。私は頷くか悩む。だって、お前にやれるものはほとんどない、それでいいのか? お前はそれでいいのか?
「ねぇ、早く私もだって言ってください。お願いだから、どうかお願いだから……
 カブルーが言う。みなが私たちを見守る。私はもう耐えきれなくて彼の手を握り返し、ようやく頷く。誰かが拍手をする。悪趣味だと思うのに、私は嬉しくてたまらない。カブルーが私の涙を拭う。侍女たちは口を開けて私を見つめる。彼女たちが想像した恋物語は、形を変えてしまった。でもそれは私に都合のいい形だったので、私は子どもっぽく喜んだ。そしてカブルーにこう伝える。私もだって、私もずっとその言葉を待っていたんだって。
 おとぎ話が言う、めでたしめでたしの中にいるみたいに。