きなこ湯
2024-09-28 14:16:31
3348文字
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膝上の猫

 冠氷・特待生・星喰サンド。
 Episode7読了前提の内容です。
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 シノストラのカジノは悲喜こもごもな声に満ち、熱気と怨念とが入り混じっている。左手のルーレットで歓声が上がったと思えば、右手のテーブルでは顔を真っ白にした生徒が呆然と佇んでいた。彼らの声の間に陽気なジャズミュージックがBGMに流れ、カジノのどこにいても騒がしいという印象を持つのが通常である。
 あるトランプ台のテーブルの一画を除いて。

 特待生は固唾をのんで二人のグール生徒を交互に見上げた。片方は上機嫌に目を細め、もう片方は不機嫌そうに唇を引き結んでいる。彼女が声をあげると上機嫌な方も途端物騒に声を低めるとわかっているので、結局自分からは何も言い出すことができない。

 ふと、大きな手がざらりと特待生の腰を撫でた。思わず悲鳴がせり上がり、すんでのところでそれを呑み込むと、喉の奥で変な音が鳴る。彼女を己の膝に乗せている星喰大我はしどろもどろな猫を横目に見て、面白そうにはちみつ色の瞳を細めた。気分屋な星喰にしてみれば珍しいほどの機嫌の良さだったが、もう一方から降り注ぐ冷え切った視線のせいで特待生はまったく笑えない。

 テーブルを挟み星喰と特待生を高く見下ろすのは、フロストハイム現寮長――冠氷尋である。

 DA各寮は所によって相性が悪い。格式高く育ちの良い寮生が多いフロストハイムと、寮生のほぼ全員が公然と銃刀法を違反するシノストラもその例に漏れない。そもそも寮長同士の気質が待ったく合わないため、相対すればこうなることは必然だった。しかし何より異例なのは、冠氷が直々にシノストラへ踏み込んできたことである。

 制服のジャケットを肩に羽織り、大仰に両腕を組んでいる。硝子細工のような瞳が低い温度で星喰と特待生を見下ろし、このテーブルの付近のみ肌寒さを覚えるような冷気に満ちていた。もちろん錯覚だが、氷の王が直々に来たとなれば他の一般寮生には何も口出しできない。
 すらりとした指先がトン、トン、と自分の肘を軽く叩く。固く結ばれた口元といい、それが不機嫌を表す仕草であるのは疑うまでもなかった。

 一方で、特待生を膝上に捕まえて離さない星喰は一定して上機嫌だった。冠氷の凍てつくような眼差しにまったく動じる様子なく、今にも鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。テーブル付属の丸椅子にどっかりと腰掛け姿勢悪く冠氷を見上げる様は、毅然と仁王立ちする冠氷とはまた違った種類の威厳があった。

 ふと、特待生の脳裏に全校集会での一幕が思い浮かんだ。彼女の呼びかけに「パス」と言って席を立った星喰と、それを強制的に引き留めた冠氷。その後の応酬は周囲を大いにざわめかせ、今年のガーラをより特殊なものへ押し上げた原因の一端である。三倍、そして五倍と褒賞金の吊り上げられた時――星喰はその金額ではなく、冠氷を挑発する意図であのような態度だったのだろうと、特待生は何となく察していた。ガーラの開催が決まった後の任務でも、星喰はまるでやる気を見せなかったからである。

 つまり。今の星喰が上機嫌であることも、同じようなつもりなのだろう。
 首の裏に嫌な冷や汗がだらだらと流れる。星喰に正面から苦言を呈するなどできるはずもないが、同時に冠氷の意向を無視することも恐ろしかった。



 そもそもは監査役の仕事の一環で星喰を訪ねたのだが、どういうわけか「お前がいると調子がいい」と縁起物扱いされ、幸運の招き猫よろしく彼の膝の上に座らされていた。星喰は宣言通り景気よく勝ちを重ねてご満悦。ちょうどゲームの切れ目で特待生のスマホに着信があり――彼女が反応するより早く、星喰が通話ボタンを押してスピーカーに切り替えた。

 現在地など言うまでもない。通話口の向こうからは、低く咎めるような声が聞こえてきた。

――おい。お前、今……
「ざんね〜ん、メス猫ちゃんは取り込み中」
「ほ、星喰さん⁉」

 星喰は特待生からひょいとスマホを取り上げ、通話口に嫌味っぽく囁いた。

――どこのマヌケな王サマだか知らねぇけど、今はコイツ、俺んだから。それじゃ、Ciao〜」

 ぶつり。
 一方的に告げた星喰は躊躇いなく通話を切り、満面の笑みで特待生へスマホを返した。

「あ、あの、星喰さ……
「お前、まさか文句でもあんのか?」

 途端、地を這うような声が耳朶に触れる。カチャリとかすかな金属音が響き、背中を固いなにかがなぞった。腰元から上へ、リボルバーの銃口が背骨をなぞってゆく。
 特待生は身震いし、何度も首を大きく横に振った。

「っい――いえそんなまさか」
「だよなぁ」

 否定の言葉を聞いた星喰は先の雰囲気から一変し、また機嫌良く目を細めた。これが本物の猫ならゴロゴロ喉を鳴らしていそうな様子だ。
 特待生の意志が諦めの境地へ傾いたその時――熱狂するカジノの一画に、凍てつく冷気が吹き込んできたのである。



 相対する星喰と冠氷とを交互に見上げ、特待生は青白い顔でどうしようと頭を悩ませた。星喰に逆らうことはできないが、冠氷を無視し続けるわけにもいかない。特待生のスマホに着信があったということは、冠氷なりの用向きがあっての連絡だったのだろう。グール生徒の監査役である立場を踏まえると、冠氷の話を確認したい気持ちがあった。

 それはそうと、携えてきた必要書類はまだ星喰のサインをもらえていない。当初の目的すら果たせていないので、まずはどうにかこの目的を果たしたい。上機嫌な星喰からならサインをもらえるかもしれないが、話を切り出すタイミングを間違えればサインではなく銃弾を受け取るはめになるだろう。
 であれば、やはり星喰の説得が先だろうか。しかしリボルバーの脅しを思い出すと、星喰の機嫌を損ねることなくサインをもらうのは難易度が高い。冠氷に対し不敵に笑う姿を前にすれば尚更だ。

 あるいは、いっそ目の前の冠氷に助けを求めるべきか。全校集会で星喰の気まぐれを圧したのは冠氷だ。傲慢で冷徹だが、星喰と冠氷であれば〝優しい人〟なのは冠氷だ。この状況を打開する手助けをしてもらった後、改めて用向きを伺えば――そこまで考え、はたと気付く。
 星喰の膝の上にいる限り、冠氷の手が特待生に触れることはないだろう。それはつまり、冠氷のスティグマが発動できないことを意味する。

 ハッとして傍らの星喰を見上げると、彼は特待生を横目に見下ろし――今日一番の意地悪い笑みを浮かべた。色素の薄い瞳孔に狂気の光を宿した、危険ギャンブルをこよなく愛する男の眼だ。

「星喰さ、」

 彼の意図するところを察し、特待生は思わず声を上げた。呼びかけの末尾がきちんと言葉の形になるより早く、星喰は彼女の右手を無遠慮に掴む。有無を言わせぬ力で己の口元へ引き寄せ、手のひらに薄い唇が触れた。ふは、と、笑う呼吸が肌に薄くはりつく。
 星喰の視線は、右手の薬指を間近に捉えていた。

――なァ、黙って座れよ
……
「欲しいモンがあるなら賭けろ。それがここのルールだ。厳格なフロストハイムの王サマが、まさかこんな簡単なルールすら守れねぇなんて、あるわけねぇよなァ」

 酷く挑発的な物言いに、冠氷は形のよい眉をくしゃりと歪め――鋭く舌打ちし、星喰の向かいに座った。
 星喰は声を上げて笑い、

「そうこなくっちゃなぁ!」

 と、勢いよくテーブルを叩いた。
 まさか星喰の言い分を呑むと思っていなかった特待生は裂けそうなほど目を見開き、青い顔でつぶやく。

「か、冠氷さ」
「主人の顔も覚えられねぇ下僕は黙ってろ」
「は……、はい……

 覚悟していた以上に冷え切った声が返ってきて、特待生は反論を諦めた。
 星喰は機嫌よくチップの山を切り崩し、冠氷は唇を引き結んでテーブル台を見下ろしている。ここで駆けられた商品が自分であることに、嫌な予感ばかりがひしひしと募ってゆく。冠氷と星喰、どちらが勝っても今日の目的は果たされないであろう。傍若無人を体現するグール二人に挟まれ、ちっぽけな自分の意思が尊重されるなどあり得ない。特待生は静かに諦め、どうか何事もなく穏やかに終わりますようにと無駄な願いを心の内で唱えた。