『今日はちょうど七夕で日曜日だし、もしよければ一緒に街の飾りつけを見に行かないかい? 季節の催し物の雰囲気を自分たちで味わってみるのも、何かの役に立つかもしれないからね。もちろん、用事が入っていたらそちらを優先してくれて構わないよ。』と昼前に類からメッセージが入った。
要するに、七夕デートの誘いだ。断る理由はひとつたりともないため、すぐに了承の返事をすれば、昼食も兼ねてすぐに待ち合わせて出掛けようということになった。ついでに『七夕デート、楽しみにしているぞ』と送っておく。既読マークだけがついて返事が来ないのは想定内。かわいいやつだ。
待ち合わせ場所で開口一番に、ずるいだの何だのと言われたが、素直でないほうが悪いだろう。耳をうっすらと赤く染めてこちらを詰る類を宥めながら手を引いて歩き始めると、案外素直に半歩ほど後ろをついてくるのがいじらしい。
偏食の類でも楽しめる店を提案してランチを済ませた頃にはすっかり機嫌も上向いたようで……まあ、元より機嫌を損ねていたわけではないのだろう。とにかく、上機嫌で街のあちこちにある七夕の飾りを発見しては、その色の組み合わせや飾りの種類、作り方などをメモしつつ説明してくれる。類に改めて説明されて初めて気づいたが、案外知らないものが多い。複雑な切り方で作られるものなどは、よく思いつくものだと唸ってしまう程だった。
そうしてしばらく散策していたが、発見も多く楽しい時間とは言え、さすがに暑い。どこか涼しい場所へ避難しようという事になり、行き慣れたショッピングモールへ足を運んだ。
「――おや、」
モール内の空調に感謝しながら隣を歩いていた類が、何かに気づいたようで足を止める。
「司くん、見てごらんよ。ここにもあったよ」
類の視線の先にあるのは、色とりどりの短冊や折り紙の飾りで彩られた背の高い笹だった。
街中の通りや店舗の軒先にあったものは、その規模に応じて小ぶりなものが多かったが、類が示したそれはショッピングモールのイベントスペースに設置されているだけあり、一段と大きく華やかだ。
「ふむ、モールの催しだけあって、大きいな! それにしても、随分と豪華じゃないか?」
「ああ……それは多分、みんなで飾り付けているからじゃないかな? ほら、笹の周りにブースが設けてあるみたいだよ」
類が指差す先には確かにいくつかのテーブルが用意されていて、その上に短冊やカラーペン、既に作ってある七夕飾り、まだ四角いままの折り紙などが設置されている。自分で七夕飾りを作ることもできるらしく、折り紙と工作道具だけが載っているテーブルもある。小さい子供も気軽に参加できるようにだろう、床にジョイントマットが敷かれた広めのスペースも見え、なかなか力の入った企画のようだ。
「飾ってあるものを見るだけでも充分きれいで楽しいけれど……こうやってみんなで参加して作り上げるのは、やっぱり周りも賑やかになって良いね」
「そうだな。ひとりひとりが追加するのは短冊と飾りひとつくらいのものだが、それが集まってどんどん豪華になっていく所も良いと思うぞ」
「ふふ、積み重ねが得意な司くんらしい着眼点だ。それなら、どうだろう。僕たちもその中のひとつになってみないかい?」
「もちろんだ! オレたちであの大きな笹を更に輝かせてやろうではないか」
「そうこなくては。じゃあ、さっそく行こうか」
そうと決まれば、と類はオレの袖をとってイベントスペースの賑わいの中へ滑り込んでいく。その足取りが軽やかなのが、賑やかな催し物が好きな類らしい。
「まずは定番の短冊からかな。うぅん……願い事、か……たくさんありすぎて悩んでしまうな」
さっそく短冊とペンを手に取り、悩み始める類を横目に、オレも箱の中から一枚短冊を取る。
とは言え、願い事か。七夕の習わしには悪いとは思うが、特にこれといって、誰かに託すような願いが思い浮かばない。
実現したいことは山ほど、それこそ星の数ほどある。しかしそれはどれも、誰かに願うよりは自分で掴み取りたいものだ。我ながらこれはこれで強欲だと思う。
「う~む……やはりここは、抱負でも書いておくか」
「司くん、初詣の時もそうだったねぇ」
隣でくすくすと笑う類は、まだ願い事を決めかねているようだった。
「そうだね、あまり大きなお願い事では神様も困ってしまうだろうから……ここは身近なものを……」
しばらく考えていたが、書くことが決まったようだ。テーブルの上に短冊を広げ、長身を屈めて願い事を書き入れようとする。
――類のその左手を、オレの手が掴んで止めた。
自分が何をしたのか、オレ自身も把握するのに数秒かかった。
類の手を止めた。オレが、何故?
「司くん?」
類が怪訝そうにオレを見ている。それはそうだろう。だがどうしても離す気にはなれなかった。
「類、これは……」
類が、願い事を書こうとしていた。それを止めた。
神への願い事、つまりそれは、今叶うとは思えないことへの力添えを神に頼む行為だ。
類の中に、表現は大袈裟かもしれないが、今手が届かないと僅かでも感じる願いがある。しかも身近に、類の呟きを拾えばいくつも。それがまず歯痒い事だ。
「これは、だな……」
しかし何より、類が、ささやかであっても叶って欲しいと思っている願いを、まずこんな紙切れに乗せて、神に託そうとした、そのことがオレはどうにも気に食わなかったようだ。
つまりこれは、嫉妬だ。願いを託すならまずオレに託せと、そうすればどんな願いだって応えて叶えてみせるのにと、この強く掴んだ手はそういうことらしい。
――類の願いを叶えるのは、いつだってオレが良い。
自覚すれば、あまりの傲慢さと幼稚さに顔が熱くなってくる。
「これは、その……あ~……」
先程までは自分でも困惑していて言葉が出てこなかったが、今は違う。理由があまりに情けなくて、とてもじゃないが類には言えない。その言い淀みだった。
「ねえ、司くん」
気まずくて逸らした視線を引き戻すような、やけに甘い声だった。
「う……な、何だ」
声に逆らえずに類を見ると、やけに嬉しそうににやけた表情をしている。
「手を離す前に、理由を聞かせてほしいなあ。どうして、こんなことしたんだい?」
いたずらっ気を含んだ声で、きらりと輝く視線で、類が問う。絶対に、明らかにオレの心を知っての質問だ。まるで狩りを楽しむ猫のようだ。
「それ、は……その、」
「うんうん」
ああ、これは白状しないとずっと聞かれるし、機嫌を損ねる。腹をくくるしかない。
改めて類の手を握り直して、深呼吸をひとつ。
「類の願い事は、オレが全部叶えるから、短冊には書かなくて良い」
そういうことだ、と類の目から視線を逸らさずに、淀みなく言い切った。
開き直って気持ちをぶつけてしまえば、だいぶ気持ちもスッキリとした。対して類は、先程のからかうような表情はどこへ行ったのか、ついさっきのオレよりも赤い顔をして驚いている。
「そ……」
「ん?」
「そう、なんだ……」
「そうだぞ! 試しに、書こうとした願い事をオレに聞かせてみるといい!」
胸を張ってそう言うと、大きな声で言うのは恥ずかしいからと、もっと近くに寄るように促される。
ひそめられた声でおずおずと紡がれる〝願い事〟は、あまりにもかわいらしいもので、オレは聞きながら卒倒しかけたし、それこそ本当にこんな所で願ったりせずオレに直接言えと憤慨したくなった。
――曰く、『好きな人とずっと笑顔でいられますように』と。
「……類」
「な、何だい?」
「他の願い事は? たくさんあると言ったな。身近なものでどれだけあるんだ?」
そうしてしばらく、ささやかで身近な日々を大切にする、それがより良くあってほしいと願う優しさのこもったいくつもの愛しい〝願い事〟を、全部オレが叶えてみせると短冊に書くことを却下し続けた。
あれも叶えてみせる、これも任せておけと宣言するたびに、類の表情が嬉しそうにふやけていくのはきっと、気のせいではないだろう。
そうして、オレの愛しさのキャパシティも類のふやけた顔も限界が近づいた頃。
「ふむ……できるならばオレがやってみせたいが、さすがにこれは手に余るか……」
そう音を上げることになった願い事は、『みんなの願い事が叶いますように』だった。
「なんだか、随分と規模が大きくてざっくりとしたお願いになってしまったね……」
集まってしまった熱を散らすように手のひらで顔を煽ぎながら類が笑っている。
「まあ、自力で叶えられそうにないのは悔しいが。神様への願い事なんて、これくらい大雑把で良いんじゃないか?」
「ふふ、何だいそれ。適当だなぁ」
「む……失礼な。適当などではない。神だって人間全体の事を願われた方が、たくさん居る個人を的にするより狙いをつけやすいのではないかとオレは思うぞ」
「ふっ……あはは! 狙いって何だい、司くん、君、本当に面白いことを言うね」
オレの発言はいたく類のツボを刺激したらしい。そんなに変なことを言ったとは思わないが、まあ、類が楽しそうだから良しとする。
「でも、この願い事、みんなを笑顔にしたいと思っている僕たちらしいと言えばらしいのかな」
「確かにそうだな。そう考えれば、これが一番良かったんじゃないか?」
「そうかもしれないねぇ」
何だかんだでお互いに納得のいく、丁度いい所に落ち着いた。情けない所を見せたが、満足のいく結末だ。
「……ところで、司くんは抱負、何を書いたんだい?」
七夕飾りを自作できるテーブルに移動して、テーブルに貼ってある作り方の図にも、今日街中で見たどの飾りつけの中にも無かったような美しく繊細な切り絵や飾りを、その手元から手付きも鮮やかに次々と生み出しながら、繋ぎのように類が問う。
「オレか? 人生の抱負は初詣で叫んでしまったからな。七夕は恋人同士の伝承があるだろう、それにあわせて類に関する抱負にしたぞ。まあ、さっきの流れで決まったようなものだが、オレの抱負は『類の願い事を全部叶えてみせる!』だ!」
自信満々の答えだったが、何が引っかかったのか類の手の動きがふと止まる。
「うん……? それって、つまりさっき決めた願い事も、ということになるのかな?」
「類が願っていることだから……そうなる、のか?」
「何ということだ……司くん、君には神様の才能もあったなんてね。さっきの視点の発言は、そういう、こと……ふふっ、駄目だ、面白い」
神妙そうな話し出しから一転、類は堪えきれないと言うようにまた笑い出す。よほどツボに刺さったようで、次は司くんを神様役にした脚本を作るのも悪くないかもねなどと言いながら、くふくふと小さく笑い続けている。それで作業の手元は狂わないのだからさすがだ。いまひとつ、笑われる理由に納得がいかないが。
そうして出来上がった見事な飾りの数々と、大きな願い事とそれより一回り大きくなってしまった抱負の書かれた短冊を、どうせだから一番目立つようにとオレが類を肩車する形で笹の天辺に飾り付ける。
類を肩から降ろすと、周囲からわっと拍手が飛んで来た。どうやら類が手際よくいくつもの飾りを作っていた時から注目を集めていたようで、この飾り付けの肩車も含めて、ゲリラパフォーマンスのように人々の目に映ったらしい。
隣に立つ類を見ると、その目に驚きと喜び、誇らしげな光が宿っていた。きっとオレも同じだろう。期せずしてショーをひとつ終えたような満足感を胸に、2人で揃って、舞台の上のように礼をしてイベントスペースを後にした。
外を見ると、すっかり日が暮れていた。せっかくだから夕飯も、と家族にメッセージを入れ、モール内のファミレスで類と夕食を共にする。ああだこうだと野菜を食べたがらない類に手を焼いたがいつものことだ。
日の落ちた街の、街灯や店の明かりに照らされた七夕飾りの風情を楽しみながら、類を家まで送る。
類の自室兼作業部屋のガレージの前で、また明日と言い交わした直後のこと。
「ねえ、司くん」
背を向けかけたオレを、類が呼び止めた。
「今日言ったこと、絶対に忘れないでおくれよ? 僕は欲張りなんだ」
冗談めかしてはいるが少しだけ不安そうな、緊張と懇願が顔を覗かせる声だった。ガレージからの逆光で、その表情は見え辛い。しかし、俄に翳ってしまう類に怯えるオレではない。何と言っても今日は散々、オレは類からの愛情を〝願い事〟という形で受け取ったのだから。
「……ああ、任せておけ! 類こそ、満たされすぎて音を上げるなよ?」
類の不安を吹き飛ばすように一笑、まずは試しにと類の頬を撫で、期待するように伏せられた視線の望むまま、薄く開かれた唇に軽くキスを贈る。近くで見る類の表情は、花が綻ぶような笑顔に変わっていた。
ああ、やはり、類のこの顔を向けられる役は、神にも譲れそうにない。
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