
〈カレンデュラ〉
「なんであんたがここにいるんだよ」
「少し時間があったものでね。顔を出したら福島が配達に出かけるところだったんだ。それで、留守番を」
年下の従兄弟はたいして面白くもなさそうな顔をして、ふうん、とだけ応えた。
「邪魔はしないよ、もちろん」
「べつに邪魔だとか思ってねえよ」
「だったらいいんだけど。
……いつ来ても見事なものだね」
壁一面にディスプレイされた花をぐるりと眺めた。外の強い陽射しをやわらげるかのように、南国の白い花と緑の蔦が揺れている。目には涼をもたらしながらも夏の花は力強く、そしてしなやかだ。
「それにしても暑っちいな」
号はバックヤードから戻ってくると、デニム地のエプロンを首から掛けた。その下は制服からTシャツに着替えている。
「夏季講習って毎日あるのかい?」
「や、週三日ってとこ。午前中だけ」
ぱたぱたとエプロンの胸のあたりをあおりながら奥の冷蔵庫を開ける。喉かわいたな、コーラまだあったっけ、と言いながら腰を屈め、舌打ちとともに冷蔵庫を閉める音がした。怠そうに後ろ頭を掻きながら戻ってくる。
「隣で買ってくるけど、実休は? なんかいる?」
「ああ、それなら僕の
……」
「あ。悪りぃ、ちょっと待って」
買い物の支度もそこそこに、号は店の扉をすばやく開けた。店の前を通りかかった人影に向かって、長谷部、と大きな声で呼びかける。
足を止めたのはスーツのジャケットを小脇に抱えたサラリーマンらしき青年だった。涼しげな顔をしてはいるが、この炎天下でもネクタイをきっちり締めて、相当な暑さだというのは想像に難くない。
「なにしてんだ、仕事中だよな?」
「外回りからの帰りで社に戻るところだ」
「だから逆から来たのか。こんな時間に珍しいと思ってさ」
「そっちこそ
……ああ、今は夏休みか」
外から聞こえてくる、にわかに弾んだ従兄弟の声につられるようにしてドアノブを押した。同時にこちらを向いたふたりに、緩やかに笑ってみせる。
「よかったら、お茶、飲んでいかないかい。冷やしておいたのがあるんだ」
「はあ?」
号が片眉を上げた。
「立ち話もなんだし、ほら、ちょうどそこにテーブルもあることだし。ああ、でも
……椅子が一脚しかないね」
店先には小さな鉄製の丸テーブルと椅子が置いてあった。カフェの外で見かけるような瀟洒なやつだ。
「なぁ、それディスプレイ用だから。そーゆーのに使うわけじゃ、」
号の横で長谷部と呼ばれた青年がそろりと遠慮がちに後ずさった。
「じゃあ、あの
……俺は、」
「ハーブティー、好きじゃないかい?」
「いえ、そういうわけでは」
じっとのぞき込むようにして問いかけると、長谷部は弱々しく微笑みながら、また一歩退くように背を反らせた。
困らせるつもりでは決してないのだけれど。
ああもう、と間に割って入るようにして号が言った。
「わかったよ、椅子持ってくればいいんだろ、持ってくれば。長谷部もそこで待ってろよ」
いいか帰んなよ、とさらに念を押してから、号は店の中に入っていった。
その様子をなんとはなしに並んで見送りながら、口を開く。
「口はああだけど、優しい子なんだ」
「そうみたいですね」
店の扉に目を向けたまま、長谷部は答えた。反射するガラスが眩しいのか、少しだけ目を細めている。困惑が浮かんでいた表情も和らいでいるようにみえた。
「おい実休、お茶ってどれだよ」
号が扉から顔をのぞかせた。手にした盆にはグラスを三つ、載せている。
ほらね、と長谷部のほうを見れば、それにうなずくようにして口許がわずかにほころんだ。
レジカウンターの折りたたみ椅子と、店内で荷物置き用にしているというスツールと、形も高さもばらばらな三つの椅子が小さな丸いテーブルを囲む。
「ハーブを育てたり、それでいろいろ作ったりしてるんだけどね。これは今年の新作で、夏のハーブをメインにブレンドしてるんだ。殺菌作用や免疫機能の向上、リラックス効果もある。どうかな?」
冷えたジャグから薄褐色に色づいた茶を注ぐ。厚手のグラスはまたたく間に水滴を纏った。冷やしている分淹れたてよりも香りは減るが、さわやかな野草と果実の甘みを感じるには充分だ。
「はあ、」
こういう類いには疎くて、と言いながら長谷部はグラスを口に運ぶ。その向かい側では号がごくごくと喉を鳴らして一気に呷り、グラスを空にしていた。喉かわいてたんでね、と肩をすくめる。おかわりは、と訊くと首を振るので長谷部のほうを見た。
「ところで、どこかで会ったことあったかな」
「は、」
「ごめんね。僕、なにかと忘れっぽいみたいで」
すると長谷部は落ち着いた声音で答えた。
「母校が同じなのでどこかで会ってるかもしれないですね」
「マジ? 初耳なんだけど」
途端に号が身を乗り出した。
「福島と光忠とは違う学校だったんだよな?」
「うん。それで号もそっちに行ったんだよね」
「そうだったのか」
「うわ、なんだよこの、なんか負けた感」
ハハッ、いいだろ、と号を煽るように長谷部が笑う。
「生徒会長やってたり、長船先輩といえば他の学年でも有名だった」
「じゃあ、僕の後輩になるのかな」
「といっても俺は中等部でしたけど」
「そっかぁ」
そう言って微笑むと、ずっとそわそわと落ち着かない様子だった号が痺れを切らしたように立ち上がった。
「おい実休、さっきからなんなんだよ、人の
……」
「
……ひとの?」
なんでもねえ、とふたたび座る。気まずさに噤んだ口はへの字に曲がっていて、だだをこねていた幼い頃を思い出させた。
「そうか、やっぱり君が福島たちが言っていた
……」
「なんでもねぇって言ってるだろうが」
遮るように口を挟んだのを引き継ぐように、長谷部が口を開いた。号とは正反対の、おだやかな口調だった。
「さて、もう戻らないと」
ひと息つけた、ご馳走様でした、と笑顔を見せる。
「じゃあな、号」
バイトがんばれよ、と席を立ちながら声をかけられた号はだだっ子の顔をまま、ちらと目線を上げた。
「
……おう」
長谷部が立ち去った後、号は脱力したように長々とした溜め息をテーブルのうえに吐いた。
「実休よぉ」
珍しく切々とした声だ。
「頼むぜもう、余計なこと言うなよマジで。あいつただのリーマンで、俺が勝手にその、言ってるだけなんだから」
「うーん、そうなのかな」
「ああ?」
「うん、たしかに秘密にしておいたほうが良いこともあるよね」
「や、まぁべつに秘密でもなんでもないけどさ
……」
そうなのかな、とふと思う。
花の実の甘酸っぱい香りが小さなテーブルに広がっていた。どうでもいい話を交わすふたりの間にも、撫でるようにして。
どちらかといえば、秘密を隠し持っているのは。
とてもかすかであるけれど、ふわりと匂いたつような、どこか甘い、あの視線。
けれどもそれも、今は秘密にしておこうか。
(2023/8/20 いろはにほへし14)
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