【カブミス】その目を見る時

黄金城の展望台にいるカブルーを探すミスルンの話。カブルーがミスルンにプロポーズしています。

 お前の目を見ると、何も分からなくなる。私が何だったのか、何を求めていたのか。そして私は悩み、迷い、こんがらがって、最後にただ一つになる。お前と一つになる。
 
 
 黄金城で働く者は、たとえば西方エルフの城に比べれば少ないが、その分新興国として見てみれば多くの人種が働いている。トールマン、ハーフフット、エルフ、コボルト、ノーム、ドワーフ。だから私がその人種のるつぼに入っても目立つことはなく、入城証を持つのをいいことに、迷宮に潜らない日や、女王からの命令がない日には、黄金城の中をふらついていた。
 というのもそこにはカブルーがいて、そして彼がしつらえた城の雰囲気好きだったからだ。もちろん、直接宰相補佐室を訪ねることもあったけれど、私は何も持たずに城をうろうろするのが好きだった。誰かが持ち込んだエルフ文字で書かれた書籍を書架のある部屋で読んだり、世界地図が貼られた部屋で、かつて住んでいた北中央大陸とメリニ国の距離に思いを馳せたり、忙しそうに歩き回る侍女たちの足音で、そろそろ仕事が終わる夕暮れ時だと気付いたりするのが、私は好きだった。
 今日も侍女たちがせわしなく廊下を歩き、官僚や役人たちがその仕事を終える。でも彼らの仕事が終わっても、カブルーの仕事は終わらない。下から上がってくる書類を丹念にチェックしなくてはならないからだ。でも、私は知っている。彼はそんな大変な仕事の前に息をつくのがルーティーンで、そう、私も愛している展望台に、彼はこの国を眺めにゆくのだと。
 窓からは夕暮れの日差しが差し込んできている。私は席を立ち、展望台に急ぐ。彼に会いたくて、偶然を装って彼に会いたくて、私は席を立ち、展望台に急ぐのだ。
 
 
 私が酩酊するほど長い螺旋階段を上り、ようやく展望台に出ると、そこには仕事を終えた城仕えの者たちが空を見ては笑い、城下を見ては笑っていた。元々ここは王族、特に妃を楽しませるための秘密の展望台だったらしいのだが、今はライオスが妃を迎えていないため、人々の憩いの場所となっている。
 私はそんな展望台の壁に寄りかかって、愛しい男を探す。ちょっと早く来すぎてしまっただろうか? もっと人がはけてから、あの男はやって来るだろうか? でもそれじゃあ、この美しい黄金郷の景色が見えない。一日の疲れが取れない。
 私はそんなことを考えて、やっぱり辺りを見回す。すると誰かが階段を上ってきた音がして、そこにはやはり、少しつかれた顔をしたカブルーがいた。彼は目立つ男だったが、人々はカブルーに知らんぷりをして声をかけない。それはカブルーが願ったことだった。美しい景色を見るときは、どうか私を一人にして欲しいと、彼はそう自分のもとに集まるしもべたちに言ったのだった。
 だから私は、最初のうち彼に話しかけるべきか迷った。今日は一人にして欲しい仕事があった日だろうか? それとも誰かと分かち合いたい成功があった日だろうかと、そんなことを考えたのだ。でも、そんなことを思うちに、彼は私を見つけてしまった。引き締まった表情がにわかにほぐれ、口元が緩み、夕陽を受けて赤みを帯びた青い青い瞳が細められる。褐色の肌は、やはり陽の光で美しく照り、その肌のなめらかさを教えていた。
「ミスルンさん、来てたんですね」
 部屋に寄ってくれてもよかったのに。
 カブルーはそう言って、私に近づいてくる。私はそれを受け止めて、いつの間にか引いていった人の波に感謝して、私たちの仲を知らずとも二人きりにしてくれた側仕えの者たちに感謝して、カブルーの側に立った。
「仕事が忙しいと聞いたから。邪魔はできないだろう」
「確かに今日は少し忙しかったですが……。ちょっとの会話くらいならいい休憩になるのに。分かりましたか? 今度からは城に来たら絶対に俺を訪ねて」
「善処する」
 そう言うとカブルーは笑って、展望台を先に進んだ。私もそれに続く。黄金の麦畑が見える、そんな美しい光景を眺める。あれは人の営みだ。みんな精一杯朝から晩まで働いて、質素なスープを飲んで愛しい者たちと手を繋いで寝る。それでもこの国の農民はいい暮らしをしている方だ。ライオスが魔物食を普及させたおかげで食料自給率が高く、他の大陸では考えられないほどみな剛健だ。
 でも、そこにも幸せがあり、不幸がある。もしかしたらその両方がある。私はそれを嬉しくも思うし、寂しくも思う。私には欲望なんてなかったはずなのに、そして欲望があった昔は高慢ちきなはずだったのに、今ではこの国の人々が幸せなら嬉しいと思うようになってしまった、人々が不幸なら寂しいと思うようになってしまった。
 カブルー、私は生きるのが苦しい。お前とともにいるのに、お前がともにいてくれると言うのに、生きるのが苦しい。迷宮に潜り、女王の命令をこなし、趣味に没頭し、カブルー、お前とともにいるのに生きるのが苦しい。だって何をしたらいいのか分からないんだ、お前以外何もいらないのに、それで間違っていないはずなのに。確かに、あの時はそう思ったはずなのに。
 そんなことを思って黙っていると、カブルーは何かを悟ったのか、少し寂しげに、でも楽しそうにこう言った。
「あなたの人生は長い。だからこの国が繁栄するところを見てください。きっと人々にとっていい国になります。あなたにとっても生きやすい国になるはずだ。そう思うんです。それに俺はあなたのために働いているから」
 いたずらっぽく笑うカブルーに、私は少し泣きそうになる。私のためにこの国を作るか、なんて大それたプロポーズだろう。
「ねぇ、ミスルンさん。この光景を決して忘れないでください。夏の入道雲も、その後に来る雨も美しかったでしょう。この景色もあなたにとってきっとそうなる。だから忘れないで」
 カブルーが私の左手を取る。そしてどういうわけか薬指にキスをして、こんなふうに笑った。
「今度、指輪を仕立ててもらいましょう。あなたの悲しみはそれでは薄れないかもしれないけれど、俺の誓いをずっと側で見ていて欲しいから。寂しくなった時、それを見て心を慰めて欲しいから」
 カブルーの笑顔は、私を慰める。黄金の麦穂、走り回る子どもたち。それは展望台からは豆粒ほどの大きさにしか見えないが、彼らは満たされて楽しそうに、幸福そうに笑って遊びまわっていた。私はそれが続けばいいと思う。家庭教師から学んだ西方エルフの歴史のようには、この国はなって欲しくないと思う。ずっと幸せで、不幸なんて数えるほどで、そんな国になって欲しいと思う。みなに守られ、愛しい人が生きていければいいと思う。私はその側にいて、その人を守って生きていければいいと思う。
 鼻の奥がつんとする。私は手のひらをカブルーに握られたまま、いつの間にか人がいなくなった展望台で、彼の頬にキスをする。するとたくましい手のひらが腰に回されて、私はいつの間にか彼と唇を合わせている。甘く香ばしい、彼の体臭は風に流されていくけれど、私たちを包んでくれる。さっきの愛撫みたいな告白に、プロポーズに、私はじっとカブルーの瞳を眺める。青い目は、彼を生家から遠ざけた。でもそうじゃなければ私たちは出会わなかった。それぞれの不幸が重ならなければ、私たちは出会わなかった。幸福にはならなかった。
 カブルー、お前とともに生きるのが苦しいのは、幸せだからだろうか? 幸せすぎて、息の仕方を忘れてしまったからだろうか? 今も口付けの最中に、どうやって息をすればいいのか分からない。お前が丁寧に教えてくれたのに。
 カブルーは私の左手の薬指をさする。
 残るものが全てじゃないのは分かっている。でもお前が欲しい、お前がくれるものが欲しい。もう分からないんだ、お前を愛していること以外、何も分からないんだ。
 風がさざめき、麦穂がさらさらと流れてゆく。それを二つに分けるように、小川が集まり、やがて大きな川となって流れてゆく。私たちはそれに流されるように生きるしかないのだろう。そして時折お互いの目を覗き込んでは、愛を確かめるしかないのだろう。きっと、それが人の幸せなのだろう。私は本当に、お前以外何も知らないから、分からないけれど。