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時緒
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ダンジョン飯(カブミス)
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【カブミス】月の下
仕事が終わらないカブルーを迎えに、ミスルンが夜に街を歩く話。
カブルーがライオスを守って負傷した『守りたいもの』の続きです。
お前と同じものを見ていたい。
お前と同じものを見て、ただ笑い合っていたい。
私はうまく笑えないかもしれないけれど、お前の笑顔を見ていたい。
ただ、それだけが、そんな大それた願いが、私がいま抱く欲望の萌芽だった。
カブルーは今夜も遅くまで根を詰めて仕事をしていたので、彼に会うためには黄金城まで馬車を飛ばさねばならなかった。
私に仕えてくれている馭者は、そんな突然の夜の仕事にも文句を言わず、主人に向かって綺麗な月ですよと、太陽が沈み、ぽっかりと明かりがなくなった空に浮かぶそれを指さした。
私は馬車のカーテンの隙間から月を見る。確かにころんと丸く、美しい銀色をしていると思う。それはかつてあった私の目や、今は艶をなくしてしまった髪の色と同じで、それでもカブルーは私を月のような人と口説くのだった。私はそんな甘ったるいことを思い出し、自然と口元を緩める。カブルー曰く、美しいひとを月とたとえてくどく地域があるらしく、それがぴったりだと思ったのだとか。甘ったるくて、薄荷水が欲しくなってしまう睦言だ。
カブルーに女の影はなかったが、それでもどこか遊び慣れた青年だと思う。彼は今は私だけだからというけれど、それもどうかは分からない。彼にその気がなくなって、みなが放っておかないから。私は美しい月の下、どす黒い気分になる。そしてあぁ、これは欲望なのだ、と思う。これはきっと、嫉妬っていう感情なのだ、と思う。
頭を冷やしたくて、私は馭者に向かってここまででいいと言い、扉を開ける。馭者はここいらは危ないですよと言ったが、私は酒の匂いが漂う道に足を下ろし、大丈夫さ、先に城に行っておいてくれと、気まぐれな主人らしい命令をした。
私が降りたところは歓楽街で、酒や吐瀉物の匂いが漂うところだった。飲食店の客引き、胸を大きく開けた娼婦、薄汚れた物乞い。この国の一番汚れているところ。ライオスが知らない、王に知らされない、その側近だけが知っている、そんなところ。
私はそんなところを見てどういうわけか安堵する。綺麗なものばかり見ては、きっと私は駄目になってしまうから。自分の汚らしさを再認識しないと、綺麗なものにばかり囲まれては変になってしまうから。
でも、カブルーは違うのだろうな。
カブルーはどれだけ汚れたとしても、心根は美しいままなのだろうな。
私はそんなことを考えて、先日ヤアドとカブルーに、王に知らせぬまま宰相直属の実働部隊の設立をしてはどうかと、あろうことか他国の役人に進言したことを思い出す。
一応メリニ国には今も軍隊はあるが、手続き上すぐに動かせるものではない。先日のような王の暗殺未遂、カブルーが庇ってことなきを得たものの、一つ間違えばこの国が終わってしまってたかもしれない事件が起こってしまったのだから、宰相直属の実働部隊を作るのは急務のように思えた。
でもカブルーは、最後までためらっていたように思う。
一度進めば、二度とは戻れないことを聡い彼は知っていたから、だからきっと、快諾してくれたヤアドとは違って、すぐに返事はしなかったのだろう。でも、私は彼と血生臭さを共有したかった。そうしないと、彼を守れないと思っていたから。
「お兄さん、いい酒があるんだよ、飲んでいかない?」
「お兄さん、遊んで行かない? エルフは私初めてなの」
「どうか、旦那さま、お恵みを
……
」
客引き、娼婦、物乞い。私はそんな彼らに金をばら撒くこともなく、ただひたすら月を見て歩いた。薄暗い道を、ランプの明かりすらぼんやりとした道を、月を見て、その光を魔術で取って、手元に置いて歩いた。私の簡単なそれを見て、多くがトールマンの客引きや、娼婦や、物乞いたちが驚いて声をあげる。私はそれを聞いて、見せてやるものでもなかったか、と思ったが、足を取られてはいけなかったし、黄金城に続く道を静かに歩いた。
馭者も、カブルーも、あの月を美しいと言った。
カブルーは私を月のようだと言った。そうしてカブルーは私に口付け、愛していると言った。誰からも愛されるあの男が、私を愛していると言った。私はそれが嬉しかった。悪魔に食われてしまった欲望が何か分からず、ただ残ったわずかな感情だけで私は多くの人に愛される誰かに愛される自分が、価値のある人間なのだと思った。それは傲慢な考えだったが、それだって、嘘じゃないだろう。あんなに人に愛される男に、価値がないわけがない。そしてそんな男に愛される私に価値がないわけがない。そう思うのに、私は時折、こういう歓楽街にやって来てしまう。金のためならなんでもする男女がたむろする、そんな場所に来て、人の薄汚さを知らされて、安堵するのだ。自分の汚らしさを改めて知って、安堵するのだ。
私は手の上にのせた月の光を弾ませて(この頃にはみな、魔術に驚いていた者たちは興味を失っていた)、小さい頃祖母がハープとともに歌ってくれた歌を、声には出さずに口ずさんだ。
『命あるうちは輝くことよ
けっして思い煩わないで
人生はほんのつかの間
時はいつも命の期日を待っている』
ただ、それだけ、それだけの歌。古代魔術の遺構が発掘されたらしい迷宮に書かれていた碑文から作られた歌。祖母はその歌が大好きだった。
祖母は私が不義の子であることを知っていたのだろう、表舞台に立つことは叶わないと知っていたのだろう、兄と私にその歌を歌いながら、よく私の髪を撫でてくれた。人生は月の満ち欠け、人生はほんのつかの間、だから決して思い煩わず、楽しく生きるのよと、彼女は言ったのだった。
そんな祖母も、今は療養中の身だ。家を取り仕切っている彼女が亡くなれば、当主争いも活発化する。父が継ぐのか、それとも一足とびに兄が継ぐのか、それとも叔父がその力を発揮するのか。私には分からない。興味もない。ただ、一日一日を生きるそれだけで、私は必死だったから。祖母が歌ってくれた歌のように生きることは叶っていない。思い煩いは続き、今も消えることはない。
でも、あの男のために全てを引き受けられたらいいのに、とは思う。私はこの国の人間ではない、他国の、西方エルフの人間だ。だからあの男を芯から抱いてやることは出来ない。
私がこの国に馴染むことはないだろう。愛しい男が携わった国だ、親愛の情がないわけではなかったが、私は結局、この国の住人にはなれない定めだった。それでも宰相補佐がやがて宰相になり、この国を守ってゆくのを守れたら、と思うのだ。
月が輝く、私はその下を歩く。黄金城まではそろそろだ。歓楽街はいつの間にか消え、住宅が連なる区域にたどり着いていた。私はそれに空から取った光をかき消し、薄暗い、通りにランプもない地区を歩く。そこは歓楽街よりもずっと危なかったが、それでも人の寝息が聞こえ、しみじみと美しいところだと思った。あんなに汚らしいものを見たいと思ったのに、私は結局、美しいものに惹かれているのだった。たとえばカブルーだとか、彼が惚れたパーティーの人間たちだとか、彼が気に入っている役人たちだとか、そういう善人たちに憧れているのだった。自分はそうはなれないから、自分は結局は薄汚れた人間だから。多くの仲間を殺し、冒険者を殺し、自分すら殺してしまいたいと、殺されてしまいたいと、心の底からそう思っていた人間だから。
深夜、黄金城に着くと、そこには先に馬車が辿り着いており、その側にはカブルーがいた。馭者の姿はもうない。彼が城に部屋を取らせたのかもしれない。
カブルーはにこやかにほほ笑み、「こんばんは」と、私に向かって夜の挨拶をする。私はそれに口の端を釣り上げて笑って、一歩ずつカブルーに近づく。
私たちは最後に手を取り合って、月の下で抱き合う。まるで私たちが共有する血生臭さなんて何もなかったみたいに、ただの何もない、普通の恋人同士みたいに。
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