【カブミス】夢の中で甘い言葉を

蒸し暑い夜、目がさめてしまったカブルーとミスルンが秘密の川辺に行く話。

 何度も夢に見る。
 あなたが笑いかけてくれる時の、細められた目の色、あなたが近づいてくるときにほのかに香る、ハーブのさわやかな香り、あなたが俺に口付ける時に、つま先立ちになって寄りかかってくれるときの、わずかにかかる体重。俺はそれを何度も夢に見る。まるでそれ自体が子守唄みたいに、夢うつつの中で俺は何度も、何度も夢を見るのだ。
 
 
 夏のある日の深夜、俺はどういうわけかぱちりと目を覚ました。あたりは薄暗く、けれど壁に掲げられたランプのほのあかりの中で、寝室の間取りは見て取れた。俺はわしゃわしゃと頭をかき、汗ばんだ首筋をかいて、小さくため息をつく。夢を見ていたような気もするし、そうでなかったような気もする。それはやはりあやふやで、どれだけ考えても分からなかったけれども。
(なんだか、少し蒸し暑いな……
 黄金郷は一年を通して過ごしやすい風土で、暑い夏も夜は涼しく風が吹くが、今日は違ったようだ。どうも蒸して、それで目がさめてしまったらしい。
 そういえば共寝していたはずのミスルンさんはどうしたのだろう? さっき簡単に部屋の間取りを見た時には、彼はいなかった。水でも飲みに行ったのだろうか? そういえば、俺も喉が渇いた。まだ、サイドテーブルの上のピッチャーに水はあるだろうか? 俺は身体を起こす。するとどういうわけか停滞していたはずの空気が動き、窓の方から風が吹いた。涼しい、いつもの夜の空気だ。俺ははっとして、窓を眺める。するとそこにはミスルンさんが腰かけていて、魔術で俺に向かって風を流していた。
「起きたか? カブルー」
「ミスルンさんこそ、眠れなかったんですか?」
 俺はベッドの上に座り込み、ピッチャーからグラスに水を入れる。それを口に含むと、うちにこもった熱がいくらかマシになったが、それでも身体が持つ熱は相変わらず俺を苦しめた。どうしてしまったんだろう? 風邪でも引いたのだろうか? でも、ミスルンさんもちょっと苦しそうだ。やっぱり、今夜はどうやら蒸し暑いようだ。
「眠れないことはなかったんだが、今夜は少し暑くてな」
「あ、そうですよね。やっぱりそうですよね……
 二人で寝てたら、余計に蒸し暑いですよね。
 俺はちょっと恥ずかしくなって、お互いの身体をさすったり、探ったりして寝たから、余計に蒸し暑く感じたのだろうか? と思った。
「でも、お前を置いてゆくのはあまりにも可哀想だったから、ずっと寝顔を見てた。何を夢見てたんだ? 楽しそうに笑っていたぞ」
 楽しそうに笑ってた? 俺が、夢の中で? 蒸し暑いと目を覚ます前に、俺は幸せだった?
……きっとあなたの夢を見ていたんですよ。夢の中でもあなたは乱れていたかも」
 俺は甘い台詞を口にして、ミスルンさんにささやいた。
 するとミスルンさんは少しだけ肌を赤くして、「よく言う」と、魔術で作った風を強くし、俺の額を弾いた。表面の熱が少しずつ引いてゆく。魔術は便利だなぁと思う。でも内側にこもった熱は、まだ蒸し暑く俺を苦しめていたけれども。
 それを知ったのかどうかは知らないが、ミスルンさんは窓辺から腰を下ろし、こんなふうに子どもっぽく言った。
「そうだ、いい場所を知っているんだ」
「いい場所? 涼めるところですか?」
「あぁ。精霊の気配がして、エルフには心地がいいところなんだ」
 へぇ、いいですね。今から行きます? 使用人たちの目をかいくぐって、今からそこに、二人きりで屋敷を抜け出して、行っちゃいます?
 俺がやっぱり子どもっぽくそう言うと、ミスルンさんはその言葉を待っていたみたいに笑って、「使用人には魔術をかけて寝かせよう」だなんて、いたずらっぽくほほ笑んだ。彼は真面目な人だったが、欲望が少しずつ芽を吹き返してからは、こんなふうに笑うこともあった。俺が知らないミスルンさん、みんなを見下していたと振り返ったミスルンさん。でも、そんな昔のミスルンさんにも、あたたかなところや、いたずらっぽいところ、優しいところはあったんじゃないかな。高慢ちきな人だって、一人寂しい夜を過ごすことはあるのだから。
「カブルー?」
「いえ、早く行きましょう。魔術がとける前に」
 俺はそう言ってベッドから降り、靴を履いてミスルンさんの手を取った。ミスルンさんは自分の魔術で涼んでいたのか、その手は冷たかった。でもどこか汗ばんでいて、彼も蒸し暑さに目をさましたのだと思った。でも、それでもよかった。同じ時に目をさまし、同じ時に屋敷を抜け出すのは、ちょっとした魔術を使った小旅行みたいで、面白かったから。まるで夢の中でするような、そんな旅行のように思えたから。
 
 
 使用人を起こさないように気をつけて、俺はミスルンさんに手を引かれ、一緒に近くの小川に行くこととなった。それは普段は目にも留まらないような小さな川だったが、こんなところに精霊がいるのだろうか? 俺たちは川にかけられた橋にまで辿り着くと、空を眺め、ミスルンさんは俺から手を離して、呪文を唱えて空から星を取るような仕草をして、それを川に放り投げた。ほのあかりが川に落ちる。すると眠っていた魚たちが目をさまして、そして小さな虫たちがきらきらと光った。東方の海にいるという夜光虫みたいに、それらは輝いていた。
 フクロウの鳴き声、夜の賢人の気配。彼らは俺たちを歓迎するだろうか? それとも早く帰れと追い返す?
「ほら、上流にある、泉の精霊が流れて来てる。きっと彼らもこの流れで涼んでいるんだろう」
 ミスルンさんが川面を指差す。
 その方向を眺めると、確かに翅が生えた小さな精霊たちが、さっきミスルンさんが川に投げ込んだぼんやりとしたあかりの周りを、楽しそうに飛んでいた。俺はそれを眺めて、もっと近くで見たいと、橋から降り、川の近くに足を下ろした。
「ミスルンさんも、こっちに」
 足を冷やしましょうよ。そう言って、俺は彼を川辺に誘う。川底に生える緑色の藻には、珍しい小さな水棲生物がうごめいていて、彼らが産みつけた卵なんかが月や星の光に輝いていた。俺たちはそこを避けて足を水に浸し、再び手を握った。指の間を流れてゆく水流が心地よく、足の裏にあたる小石が甘く痒かった。さっきまでの蒸し暑さなんてどこかに行ってしまっていて、あたりには自然と風が吹き、いつもの過ごしやすい黄金郷がそこにはあった。
 あんなに蒸し暑く感じたのは、彼の肌を探るときに、ミスルンさんが声をあげるから、それを閉じ込めたくて窓を閉めたからなんだろうか? 俺はそんなことを思って恥ずかしくなって、でも、隣で薄く目を開いて、今夜は義眼すら見えるような顔をしている彼に、そっと触れた。
「あなたは綺麗だ。月の下なら特に。どうしてかな」
「よく言う。そろそろ月が雲に隠れるぞ。月の光に取り繕われた美しさは、バレてしまうんじゃないか?」
 ミスルンさんがどこか寂しげに笑う。
 俺はそれを慰めたくてぐっと口付けをして、川辺の草原に寝転ぶ。彼が言った通りすぐに月は雲に隠れてしまって、あたりはまたたく間に薄暗くなった。それでも川はミスルンさんの魔術でほのあかく光っていて、それはまるで夢のようだった。
 俺たちはキスを繰り返し、お互いの肌を探った。人が来たらどうしようと思ったけれど、今は深夜で、こういうむつみごとも見逃してもらえるだろう。
 ねぇ、ミスルンさん。俺たち、いけないこと、しちゃってますね。
 俺は笑う。
 するとミスルンさんも笑って、でも苦しそうに、心地よさそうにこう言った。
「お前となら、なんだってしたいさ」なんて、甘い言葉を。