夜。船をひたひたと覆う気配がする。料理人はぴくぴくと心地悪そうに見聞を発動させていた。海の中なのか、海の底なのか、それとも停泊している原っぱしかない見晴らしの良い平坦な小さな無人島からなのか。それとも船の中なのか。気配が膨大であちこちからするから、わからない。
「うー!気持ち悪い!!」
「サンジほどではないじゃろ」
「どっからするか何なのかはまだわからねぇのか」
「わからねぇ。移動してる」
「気持ち悪いかもしれねぇけどさ、ここはみんなでスルー作戦でどうだ!ニ日で記録貯まるんだろ、ナミ」
「そうだけど、何なのか分からない以上、もう少し情報がほしいわよ。ロビン何か情報ない?」
「もう少し調べてみるわ」
「匂いも海と土と葉っぱのにおいしかしないぞ!」
「サニーも点検したが、何もねぇしなぁ」
「そうですねぇ。船が近づいたらしき音もしませんし」
情報を10人で精査するも、何もわからない。害がないならそれでいいが、もしあるものなら気持ち悪いし早めに駆逐したいというのが、仲間の共通意見だった。
「よし!もっかい探そう!このままじゃねれねぇ!」
「だな。島みてくるか」
「おれはもっかい気配辿ってみる」
「わしも海をさがそう」
「気をつけていくぞ!!」
仲間たちは夜ながらも頷きあってばらばらに分かれて気配を探しに行く。料理人は赤い瞳を燻らしながら、食料庫に入り、両方の扉をかちっと閉める。理由は、
「……」
ひたり、ひたり。こちらについてくるような気配がするからだ。ここには誰もいないはず。船を探しているのはほぼいないから。それに、何故か狙われているような、そんな心地がした。
「おれが、狙いなのか?さっきから」
苛立つように言う。返事は沈黙。何も、返ってこない。
「正体を……?」
そう言いかけた時に気づいた。食料庫の床がぬるぬるとぬめりがあるもので、濡れていることに。
――たす、けて。
聞き覚えのない必死な声が頭に響いたことに。料理人は先程までの語気を抑えて、はっと息を呑んだ。
「レディ?」
そう、女性の声だ。聞き覚えのない、若い、どこか幼い、女性の声。
――たす、けて。だし、てあげ、て。
「落ち着いて、おれは……」
料理人は姿も見えぬ声に慌てた。心の底から悲しそうな声。頭に響き続けるような声。足元のぬるぬるが増えて足首にまで達した。まさか、これは。
「レディの、涙……?」
しゃがんで、掬おうとした時に気づいた。そのぬるぬるが、もったりと変化して足を絡め取ったことに。
――たす、け……て。
「な……」
そして、気付いた。そのぬるぬるが大きな影となり、料理人を背後から覆ったことに。
「うわぁっ!」
べたりと貼り付けられるような異物感とともに、体が背中から床に押し倒された。頭は痛くなかった。何かにもにゅりと抑えられたから。両手を広げたまま、床に張り付けられただけ。
「なんだ、これ……、く」
ちらと隻眼を背に向ければ、透明なぬるぬるが白く濁り床いっぱいに広がっていた。時間がたつと少しねとねとと硬くなる。接着剤のようだ。
「レディ、話を聞いてくれ!おれは!!」
女性なのかわからないが、感覚でわかって、必死に話しかける。その柔らかなねとねとからも、何かの気配があったから。
――たす、けて!
だが、暫定のレディは話を聞かず。さらに波のように上からその液が覆いかぶさる。
「うわぁっ」
そしてそれは、床に磔にされた彼の顔より下を、とろとろと撫でるように包んでいく。
「ん、っ……レディ、おちついて、おれは……あ、っ」
何が起こっているのかどうされているのかわからない。けれど、戸惑いや全身を冷たいものにのそのそと包まれる感触よりも、彼は泣いている女性の方を心配した。
――おねがい。
「え……!?」
――めを、とじて。
「目……?こう……かい?」
律儀に、きゅっと目を閉じると、視覚の情報が何もわからなくなった。その体は覇気でも使って脱出しない限りとうにネトネトもちもちになった何かに絡め取られてひくりととも動かない。後はレディの言う通りにされるだけ。
――おとなしく、力を抜いて。
「ちから!?……う……、ん!?ん……く、ふ」
――すぐ、終わるから。
もっちりとした何かが口を塞いだのがわかった。律儀に瞳を閉じたまま。ずぶずぶ、ぬるると背中が力を帯びて抱き上げられ、料理人は立たされた格好にされたのがわかった。
「っ、んっ、は……!?……ん、うっ……」
首をぬるると擦られ、腹を何か丸く捏ねられて酸素を吐き出されながら、まるでお人形のようにあちこち粘つくそれに体を締めつけるように跳ね上げられるのが服の上から感じる。
「……んう、く……、ふ……」
元々レディに抵抗できない体が痛みに軋み、無意識の抵抗で漏れた吐息を何かが受け止めてただただ酸素が奪われる。彼女の望み通りに力を少しずつなくしていくのがわかった。ぴちゃん、ぬる、ぴちゃん、ぬる。耳から得る情報は奇妙な水音のみで、意識がふうと遠のいていく。
――ごめん、なさい。
あちこちを貪られるような動きがひたと止まる。まだ微かにあった意識の中で聞こえた謝罪の声とともに、ぎしりと逆の扉が開く音がした。口枷がぬるっと外れる。
「っ、は、けほ」
かすかに咳き込みながら、瞳を思わずぼうっと開けると、微かに飛び込んできた世界。
「う、……っ……?」
その体がどのような状態にいるかをようやく知覚した。闇に溶けるような、海から生えてきた巨大な黒いゼリーのような大きな体。その大きなもちもちとした手によって、細身の体が鷲掴みで抱き上げられてどこかに攫われていく。そして、手はちゃんとした手でなく親指を大きくして、彼の口を塞いていたのだと。
――!あなた、まだ……。
「け、ほ……れで、ぃ……つぎ、は」
酸欠にトロンとした目で、肩まで指に縛られた体をひくっと揺らす。もしかしたら、彼が怖くて抵抗を抜いてから助けてほしいのかもしれない。もしかしたら事情があって、締め付けてしまったのかもしれない。そう思うと、責める気はなかった。
「どう……したら……いい?」
精いっぱい、吐き出して問う。高い身長。どこか幼いような。顔は、見えなかったが。
――あなたを、気を失わせてから、わた、さ、なきゃ。
「だれ、に」
――そうしたら、たすかる、から。
「おれ、は……、ん、ん」
そんな奴は、ぶっ飛ばすのに。そういう前に、また口をくっと塞がれた。柔らかく抱き上げながら先程のように体をあちこち強く揉まれていく。
――だから、また、めをとじて。
「……っ、ん!?ん、うう」
――すこしでも、いたくないように、するから。
青い顔をして、頭を背にこぼし、息を奪われ、体中をまた痛みに侵されるだけになってしまう。
「ゴムゴムの……」
「極……虎」
だが、そんなでかいのが現れたとすれば、
「鷹ライフル!!」
「狩ィ!!」
当然、仲間たちは気づくのだ。
――う。
「……っ」
その攻撃で指がまた口元から離れた。度重なる攻撃に、料理人はくったりと手の中に沈み、力なく咳き込む。
「おい!サンジを返せ!!!」
「女の声がしたぞ。あのアホ、また――」
「おい!!そいつをちゃんと気絶させて渡せ!!」
下卑た声がした。突然現れた大きな船。賞金稼ぎらしき男たちが乗っている。
「そうしたら、こいつを返してやるよ!」
「……うう、ジュリアン!!!」
――はかせ……!!
「う」
料理人は気付いた。小さな檻の中に囚われた、博士のような男。この女性が大事に思っている人物なのだろう。きっと。事情はさっぱりわからないが。
「何いってんだ!!そんなの許さねぇ!!」
「動くなよ、麦わら!!ロロノア!今は気絶で済ませているが殺すこともできるんだ!女が弱点の黒足をな」
「なにぃ!!」
「ぐ」
船長と剣士は動きを止めた。料理人は瞳を赤くする。そして、彼らとちらとアイコンタクトをとろうとするが、
「さぁ、体中をぎちぎちに締めて、悲鳴を響かせてから、気を失わせて連れてこい!ここに」
――っ、ごめん、なさい。
「っ、く」
またぬるぬるとした手がお腹のあたりに這わされた。今度はきつくされたのがわかる。
「でないと、博士を……!?」
強い波が起こった。慌てる声が響く。ぐらっと女の体が揺れ、料理人の体も揺れた。
「っ、なげて」
――え。
「はやく!!」
強い手が、料理人の言通りにした。男たちが慌て、博士を人質に取る前に、咳とともに右足を振りかぶり、
「メテオ・ストライクっ!!!」
「ぎゃあっ!!」
そのあたりの敵を、蹴飛ばし殲滅しながら着地する。
「レディは、とびきり優しくしてくれた」
「!」
「だが、てめぇらは、許さねぇ!!!」
「ギャァァァ!!!」
息を整えながらも怒り、燃え盛る炎で、敵を蹴飛ばす。
「間に合ったか!」
「あぁ!ありがとう、ジンベエ!」
「サンジ、よかった!」
「ったく、早く言え!!」
船長も剣士も続くようにそこに乗り込んだ。船の上に化け物三人揃い踏み。海の中からは、操舵手が顔を出し、手を振った。
「もう大丈夫じゃ」
――っ。
「サンジは、さすがじゃな」
操舵手は海の中で泳ぎながら、巨人らしき女性に笑いかける。
「許さねぇからな、お前!!」
「騒がせやがって!」
「レディを、いじめんなァ!!!」
怒りの技なき、同時攻撃。元締らしき男は、星となって消えていった。
―――――
――博士ぇ!
「すまんかった、ジュリアン。油断しててな」
謎の博士とジュリアンと呼ばれる女性はいつの間にか普通の巨人の女の子となり、大きな体と小さな体で抱き合って涙を流した。料理人は息を取り戻しながら、ふ、とわらう。
「なぁ、なんでお前とろとろしてんだ?」
「この子は、巨人族で、何故か昔からトロトロ体を溶かすことができたり、固めたりできるんじゃ」
――そのりゆうを、はかせに研究してもらってるの。
「ふぅん。でも!おれの仲間に変なことすんな!サンジは苦しかったんだからな!」
――……ごめんなさい。
「くらっ、余計なこと言うな!大丈夫さ!ほら、なんともねぇ!!!」
「余計なことじゃねぇぞ!」
「アホ」
「アぁ!?」
ぐるぐると腕を回す料理人を見て、船長は怒り、いつもどおり剣士がぼやいた。
「まぁ、もう夜遅いし、詳しい話はまた明日聞かせてくれよ」
「おう、ジンベエが他のみんな呼んでくれてるしとりあえず寝よう!」
「だな」
――わかった。
「あぁ、行こう」
博士と巨人の子は、海賊の船を奪い拠点に帰っていった。料理人はふ、と安堵したように笑い、サニーに戻っていく。
「サンジ」
「あ?」
「もう、我慢しなくていーぞ!」
「とっとと寝ろ、アホ」
「……なんだ」
ふら、と料理人が倒れこむ。キッチンのソファーにぐったりと横たわる。
「ばれて、たのか」
「当たり前だ!チョッパー帰ってきたら呼ぶからな!」
「けっ」
ふうと眠る料理人。船長はししっと笑い、剣士は呆れたような顔をして毛布を乱暴にかけてやる。こうして、一つの事件が無事に終わった。
……かに見えた。
――博士。
「あぁ。トラブルはあったが無事に麦わらの一味と接触できた」
――……また、あの人をさらうの?
「今度はいい。お前はもう寝てなさい」
――はぁい。
ぴっぴっぴっぴっ。モニターが高鳴る音がする。
「この男について、詳しく聞かせてもらうぞ」
サングラスをかけた男。そのスーツには66の文字が、刻まれていた。
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