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2024-09-23 15:03:33
14526文字
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深海へようこそ 4

ACのパイロットにはなりたくないけどこっそりシミュレーターで遊んでるアーキバスの事務員が、フロイトに見つかってしまう話
フロ夢


二次検査当日。シミュレーターに座った私とライナーに与えられたミッションは、輸送ヘリの護衛だった。
「ナツキさんこっち終わりました!」
「ありがと、私も……今っ!」
独立傭兵のACをミサイルで包囲し、アサルトブーストで接近してキックをお見舞いする。敵ACは破壊され、プラズマを撒き散らしながら倒れた。
私の後ろを輸送ヘリが通過していく。振り返ってそれを見れば、さらに奥にはライナーのACが飛んでいた。
あれから練習を重ね、ライナーと私の連携は向上していた。パイルバンカーを担いだ二脚のライナーが自由に飛び回るのを、私の四脚がミサイルで徹底的に支援する形にして、どのミッションでも対応できるようにした。そのおかげか、本番となった今日の結果も、悪くないものになっていた。
「ポイント5通過、確認しました。ナツキさん、ミッション完了です!」
「お疲れライナー、結構いい線いってたんじゃない?」
「えへへ、ナツキさんのおかげですよ」
私の隣に着陸したライナーは、パイルバンカーを持ち上げて左右に振る。ならば、と私も左手につけた太陽守を軽く振った。

その時だった。
途切れ途切れの通信が入る。

……──ミラ・ヴェル……に伝達、任務の追加を通──す。敵ACの撃破を……
「えっ? 待って、ライナー、今、」
ライナーの方を向くと敵軍タグが貼られていて、愕然とする。彼はまだ動かない。ライナーではなく、今の相手に通信を入れる。
「司令部、こちらミラ・ヴェルナツキー。ミッション目標について伝達をお願いします」
がガッ、とノイズが走ったのち、流暢な声が聞こえた。
『ミラ・ヴェルナツキー。こちらヴェスパー第八隊長、ペイターです。新たな目標を設定しましたので、撃破をお願いします』
嘘だろ、と唇を噛んだ。現在の私とライナーは、ヴェスパーの指揮命令系統下にある。ヴェスパーの上席の命令には従わなければならない。だが背景が見えない。同じ指揮下に入っているのに、互いに殺しあう必要がどこにあるのか? こういった内容も含めた検査なのだろうか。
しかし、理由を聞いたところで意味はないのだろうとため息をつく。上からの命令であれば、末端はそれを受け入れるしかない。
……第八隊長、承知しました」
私もライナーも、まだ動かない。仕留めるには今が格好のチャンスだ。私はジンチョウをジャンプさせ、ホバリングをしようとして──
ライナーのACゲラーデが、パイルを展開して飛び掛かってきた。まずい、避けきれない!
「ライナーも同じ命令ってわけね……!」
コックピットに設置された大きなボタンを殴るように押す。ACの背中からプラズマ放射機関が飛び出て、バリバリと稲妻を迸らせながらチャージを始める。杭が私のコアに触れる寸前で、ようやく光が全身を覆った。パルスアーマーに弾かれたライナーのパイルバンカーを見て手汗が噴き出す。危なかった、少し遅れたら終わっていた。
ホバリングしながら急いで距離を取っていると、ライナーから通信が入った。
「ナツキさん、手加減してもいいんですよ!」
私は思わず舌打ちをする。
「ライナーが本気でやれって言ったんでしょ!」
「それとこれとは別です!」
肩に積んだ6連ミサイルと右手のハンドミサイルを撃つ。ミッションの後だから残弾が少ない、慎重に当てねば……と思ったら、弾数がミッション開始時に戻っていた。よく見ればAPもパルスアーマーの回数も回復している。なるほど試験としてこの展開も折り込み済だったということか。しかし趣味が悪い。
ライナーのレーザーオービッドの射程から逃げるが、アサルトブーストを使ったライナーの猛攻により逃げきれず、被弾が痛い。
結局ライナーに否定されたけども採用した三連レーザーキャノンで脅してやろうか、と思いつつ、ミサイルに留める。焦るな。相手はパイルを持っている。向こうは弾数無制限だが、こちらはフルチャージ4回で虎の子が死ぬ。
「ナツキさんはパイロットになりたくないんですよね!」
言うな。折角覚悟決めてきたのに。
「僕の飛びたい気持ち、譲れないんです!」
やめてよ。
私が手加減すれば、このあとすぐ私はファクトリー行きだ。でもライナーは空に近づく。
私が全力で行けば、私はパイロットとして死に一歩近づく。ライナーは空から遠ざかる。
「なんでそんなに強いんですか、ナツキさん……
いつの間にか相手のAPは半分まで削れている。こちらが優勢だ。
私はどっちの選択肢もとれないままなのに、何故ライナーの方が折れそうになっているの。
ライナーって、こんなに弱かったっけ……
「僕の方が、ACのこと好きなのに……!」
ライナーの辛そうな声を聞いて、私は操縦桿を割れそうになるくらい強く握った。

ずっと、私はACが嫌いだ。

まだ四則演算を指を使いつつ声に出しながらやっていたくらい、私が幼かった頃のことだ。
父が死んだ。
父は公的機関のACパイロットだった。公的機関といっても、完全な統制を民草に敷いているわけではなかった。役割としては歴史に語られる地球圏の警察に近いが、後ろ盾も資金も足りない。強いものに巻かれつつ、でも弱きを助ける姿勢は輝いていた。母はよく言っていた。「お父さんはカッコいいんだよ」。私もそう思った。
たまに父が私をACのコックピットに入れてくれた。時折父と喧嘩した時は勝手に立てこもって、でも起動のためのキーは持ってないから、動かしたことはなかった。「俺の相棒なんだ」と、父はACを撫でながらよく言っていた。傷だらけだったけども、カッコよく見えた。
父はある任務に行って、ドッグタグ一枚になって戻って来た。父のAC……アーマードコアはその名称とは裏腹に、父のことを守ってくれなかった。葬儀が終わった後の伽藍堂のガレージで、「相棒だからって、お父さんを連れてかないでよ」という私の泣き声がやけに響いたのを、よく覚えている。
保険金も見舞金もたくさん出た。生活には困らなかった。母と質素に、しかし大きな愛情を受けて育った。
ずっと。ずっとずっとずっと、ACは嫌いだ。
アーマードコアなんて嘘だ、父を奪ったACなんて嫌いだ、そう思っていた。
なのに。
アーキバスに入社してしばらく経って、初めての適性検査を前に不安になっていた私を見たパイロットの同期が、ちょっといじってみなよと私をシミュレーターに座らせてきた時に。

なんて楽しいんだ、そう思ってしまったのだ!

初めて動かした仮想空間のACは、私の思い通りに動いた。もうあまり思い出せないお父さんに似たところがあったんだと、驚きつつも嬉かった。でも、もしこれが私の棺桶になってしまったら何人泣かすことになる? 私の攻撃で、誰かの棺桶を作ってしまったら? と絶望した。ACに泣かされた側だったから、私の抱いた感情の矛盾に苦しんだ。
でも、仮想空間なら……誰も死なない。そう思った私は、私でも止められなかった。深夜になれば人のいないシミュレーターに通い、ガチャガチャと好き勝手に動かして、朝になる前に寮へ帰る。バレたら適性検査を受けさせられるから、コソコソと。誰にも見つからないように、誰も泣かせることのないように。
楽しかった。操縦している時、嫌なことは全部忘れられた。
狂いそうだった。あれだけ嫌いだったACを好きになりそうな私自身が、嫌いだった。
もしかすると、もっと没頭できる趣味はあったかもしれない。でも、私は数多の娯楽の中で一番最初に、ACに出会ってしまったのだった。
私がアーキバスに入ってひとり立ちできたことで安心したのか、夫にしたい人を紹介する前に母も亡くなってしまった。お父さんのところに行っておいで、私は大丈夫。そう言ってお別れをした。
でも空を飛ぶわけにはいかなかった。私が死んだら、私の経験した悲しみを再生産してしまうことになる。婚約者にそんな思いはさせたくない。それに、顔も知らない誰かを殺して、同じような悲しみを産むのも嫌だった。
電子の海でジンチョウと泳ぐこと、それが私のできる最適なしあわせの形だ。
空は、飛ばない。
……ああ、そういえば。お父さんは「夜明け前の空をACで飛ぶと、星が近くにいるような気分になる」と言って私に写真を見せてくれたことがある。
私はその時、なんて答えたんだっけ──

⭐︎

シミュレーターが鎮座している隣の部屋、演算ルームにて。ホーキンスは隣のペイターに話しかけた。
「さて。ペイターくんは二人をどう見るかい?」
ペイターははい、と返事をする。
「先にライナー・フランツについて申し上げます。インファイターにしては被弾を気にしすぎているように見受けられます。スタッガー限界の見極めが甘くクイックブーストを雑に出しているため、EN残量がなくなった際の被弾が多すぎます」
「なるほど、軽量逆関節に乗ってるペイターくんらしい意見だね。一次試験の時に酷評していたミラくんはどうだい?」
「これでD判定は詐欺です」
ペイターは端末に映したミラ・ヴェルナツキの履歴書を見ながら言った。ホーキンスは頷く。
「うん、私もそう思う。でもね、一次検査でも片鱗はあった。視線は既に敵を捕らえているのに、なかなか引き金を引かないのは何故だか……わかるかい?」
ペイターは思案する。
……武器のリチャージを待っていたのではないでしょうか。一次試験の規定機体は、スタッガーを取りづらい構成になっています。敵を確実に撃破するために、クールタイムを取っていたのではないでしょうか」
「ペイターくん、それは出撃回数を重ねている私たちだから言えることだ」
ホーキンスは続ける。
「いいかい? 実戦経験のない人間が敵を見たら、普通は『なんとしてでもすぐに対処したい』と思う。私たちはスタッガーを取った方が効率がいいと判断できるが、初心者はミサイルやライフルを計画もなく撃ち続けて、敵からの攻撃はすべて避けようとする。一次試験のミラくんはクイックブースト回数が多くて被弾を気にしすぎていたように見えるが、敵への攻撃は全てワンテンポ遅れていた」
ホーキンスは一次検査の結果をディスプレイに表示させた。再現動画も隣で流す。
「脳波測定の結果も見たんだけどね。ミラくんの敵影認識速度はかなり速い。だが攻撃までの反応速度は遅く、武器の運用効率も悪い。おかしいと思って動画を見たら、近接してしつこく追従する敵に、ミラくんは頑なにレーザーダガーを使わずミサイルで対処していた。いくら初心者は近接武器を使わないといっても、あの距離なら使う人の方が多い」
ホーキンスがシークバーを動かして、当該のシーンを映す。ペイターは言う。
「この敵ですね。ブレード以外の武器はクールタイムに入っています。ホーキンスさんのおっしゃるように、初心者が敵をすぐに対処したいと思うのであれば、ここでレーザーダガーを振らなければ筋が通りません」
「ああ、ここまで見てようやく気付いたよ。ミラくんには検査の数値を誤魔化すために、何かしていた。裏を返せば、何かできるだけの技量がある。なぜ検査でそんなことをするかは知らないけど……母数が多い定期検査は数字だけしか見ないし脳波測定もやらないから、落とすのが普通だろうねぇ。スネイルに進言してよかったよ」
「慧眼、流石です」
「ペイターくんも見抜けるようになろうね」
「精進します」
「そう固くならないで、動画を見てすぐ気づいたんだから優秀だよ。さて、ペイターくんはミラくんをどう見る?」
ペイターは一呼吸おいていう。
「敢えてミラ・ヴェルナツキーの欠点を申し述べるならば……協働作戦にパイルを持ってきた僚機がいるにも関わらず、3連レーザーキャノンを持ってくるところでしょうか」
「あっはっは! 言えてるねぇ」
ホーキンスは腹から声を出して笑う。
「ホーキンスさんのご意見はいかがですか」
「そうだね……ミラくんに足りないのは、粘り強さかな」
「なるほど、勉強になります」
「ならば、今押すべきボタンは?」
「こちらかと」
ペイターは躊躇なく、コンソールにある「実弾詰まり」のボタンを押した。

⭐︎

「うわ、ジャムった!?」
ジンチョウに積んだ、右手のハンドミサイルと左肩のミサイルがエラーを起こしている。どうやら中で弾が詰まったようだ。このままだとどちらも巨大な文鎮だ、急いでどちらもパージする。
それはライナーも同じようで、ライナーもマシンガンとミサイルをパージした。いくら私が身軽になってスピードが速まったとはいえ、相手もそれは同じ。むしろ、攻撃まで時間のかかる私の太陽守と三連レーザーキャノンで追い詰めるのは難しい。このままでは、ライナーがずっとレーザーオービッドを展開しながら私の周りを飛んでいるだけで、私のAPはゼロになる。
でも、それでいいんじゃないか? ここまで本気を出した。ライナーのAPは残り三〇〇〇、いい線いってると思う。ここでサボっても、そんなに不自然じゃないし。私は検査に落ちて普通の人生に戻れるし、ライナーは空を飛べる。
その時だった。
「ナツキさん」
「何」
ライナーが話しかけてきた。勝利を確信しているのか、自信に満ち溢れた声だ。

「ナツキさんは本当に綺麗に飛びますね。ですが、僕だって負けません……!」

私の中で、何かがはじける音がした。
血管なのか、シナプスなのか、堪忍袋の緒だったか。何もわからないけど、何かが体の中で爆発した。
気がついたときには残数1のパルスアーマーのボタンを押していて、アサルトブーストでライナーに突っ込んでいた。右肩の三連レーザーキャノンのチャージが終わり、斉射!
渾身の一撃を、ライナーは身軽になった体で難なく避けた。
「だから二連にしておいたほうがいいって言ったじゃないですか」
「うるさい」
太陽守でライナーの行く手を阻む。逃げられるが、ライナーのEN残量は確実に減らせている。レーザーキャノンをノンチャージで小刻みに放ち、ライナーを追い詰める。残弾ゼロ。仕方ない。でも、ようやっとライナーの懐に入った!
「ナツキさん、アーマー切れてますよ!」
ライナーがパイルを展開する。
あ、こいつ馬鹿だ。ご丁寧にチャージしている。そりゃあ、私の方がAP多いからって、チャージしないと一撃で倒せないからって、でも短絡的だ。
だって、私のキックの方が速い!
「ライナー。今まで空飛んでるって思ってたの?」
「え」
ジンチョウのキックが、パイルよりも早くライナーのACゲラーデにめり込んだ。大きくふっとばされたライナーに太陽守を振り、スタッガーに陥れる。ここでようやくレーザーキャノンをパージして、太陽守も捨てて、最速でライナーに突っ込む。
ジンチョウが、右手を大きく振りかぶる。
「ここ、海の中だよ」
ライナーの返答を聞くまでもなく、コアにジンチョウのパンチが届く。ACゲラーデはこの瞬間をもってAPがゼロとなり、大破した。
「僕も、ナツキさんも、飛んでた、のに」
ライナーの小さな声が途切れると、コックピットに検査終了の字が浮かんだ。

真っ暗になったシミュレーターの中で、操縦桿を持っていた私の手が震えている。
私より立派な背景を持つライナーを弱いだなんて、思いたくなかった。でも薄々気が付いてはいた。実際、弱かった。私が四脚として支援に回り、練習中も一対一で戦うことはなかったから、気づかないフリができただけだ。
ライナーの夢を殺してしまった。いつものように淡々とAIを殺し続ける日々が続いていたのなら、こんな罪悪感を感じることはなかっただろう。
だけど。強くてごめんなさい、なんて言ってはならない。それは分かっていた。
もしライナーが私に会わなかった場合──今日の試験の相手が、違う人間だったとする。最後まで検査をパスしてパイロットになったとする。
それでもライナーがいつか、強さに蹂躙される日はきっと来る。
レッドガンのミシガンは強いと聞く。アイスワーム撃破に向けて提携に向けて動いているレイヴンも、相当だという。企業の後ろ盾を持たずに生き延びている独立傭兵たちだっている。RaDも敵に回したくないと、参謀チームが言っていた。ルビコン解放戦線も舐めてかかると刈り取られる。その先も、顔も名前も知らない誰かに。
ライナーが本当に棺桶になってしまう前に、助けてあげただけ。電子の海の中なら、まだ死なずに済む。
……正常性バイアス、気持ち悪い」
舌打ちをする。イフに逃げるな。そんな気持ちで殺したんじゃない。今までダラダラあげた理由は、全部本心じゃない。自分を正当化する幻想だ。

本当は。

あの時、実弾武器が詰まって私が諦める寸前に。ライナーが「ナツキさんは本当に綺麗に飛ぶ」といったからだ。
私は飛んでない。泳いでいるだけ。
私が飛んだら誰かが悲しむから、海の中で十分だと必死に自己暗示をかけているのに。私自身が翼につけていた拘束具が緩んでしまいそうで、どうしても許せなかった。
揺らいだ心を校正するために、私は呟く。
「私は飛んでない、海にいる、飛びたくない、空には行かない、飛んじゃダメ、泳ぐ、飛ばない、潜る、飛ぶな、ジンチョウは飛ばない、飛べない……うん、私は飛ばない」
キャリブレーション完了。
ジンチョウのデータ読み込みをリセットしてシミュレーターを這って出ようとすると、入り口にはペイターがいて、手を差し出してきた。私は甘えてその手を取る。
「ミラ・ヴェルナツキー殿。二次検査、ご苦労様でした」
小さくお疲れ様です、と返す。
「以上をもちまして、二次検査は終了となります。本日はみなし勤務の措置をとりますので、現時刻をもって勤務解放となります。ごゆっくりお休みください」
わかりました、と言ってヘルメットを外す。乾いた外の空気が心地いい。でも気分は完全には晴れない。
……一つ聞いてもよろしいでしょうか」
私の言葉にペイターは頷く。
「なんでしょう」
「二次検査ではミッション遂行の可否ではなく、動きを見るとおっしゃっていましたよね。ライナーは私との対戦では敗北しましたが、本検査は結果と合否は直結しませんよね?」
ペイターは首肯した。
「貴女のご認識の通りです。結果は他の被験者の検査が全て終了した後に審議されますので、私から申し述べることはできません」
ペイターは咳払いをする。
「仮定の話ではありますが……私の裁量で審議結果を決定できるのであれば、ライナー・フランツは落とします」
……そうですか」
私が落胆してつぶやくと、ペイターは顔色を変えずにいう。
「ご自身の心配ではなく、人の心配が先に出てくるのですね」
「僚機として共同練習していましたから」
「私には理解しかねますが……
ペイターの表情は変わらない。薄情だなと思うが、特に怒りは抱かなかった。実際に戦場に立つ人間は、そんな悠長なことはできないだろう。
「今日はありがたく休ませていただきます。ヘルメットここに置いておきますね」
私はシミュレーター内の椅子にヘルメットを置く。部屋を去ろうとすると、ペイターがいう。
「ご自身の結果は気にならないのですか?」
──飛ばないのですか? そう問われているようにも聞こえた。
しかし、キャリブレーションされた心に翼はいらない。首を軽く横に振って、私はシミュレーター室を出る。
ああでもどうしよう。もし二次検査で合格したら、次は最終検査だ。モラトリアムはあと一回しかない。聞いとけばよかったかな。ペイターに「お前も落とす」と言われれば安心できたかも。
でも、もしペイターが「貴女を推薦します」と言ったならば。
……やっぱり聞かなくてよかった。私に翼はいらない。



なんとなく寮に真っすぐ帰る気分にならず、第四研究棟の屋上で柵にもたれかかって空を眺めていた。ぼんやりしていたら夜になっていた。穴場だと目星をつけていたが、ここまでとは。ここにシミュレーターがあればフロイトに見つからなかったのかも、と思ったのだが。
なぜか私の隣にはフロイトがいる。
「ミラ、知っているか? スタンニードルランチャーはレイヴンが担ぐんだそうだ」
「あんのクソボケ茄子……! ウォルターのところに輸送するの、セキュリティ厳しくて面倒なのに……!」
「スネイルが茄子か。そう呼ぶのを聞くのは初めてだ、面白い」
「オープンフェイス、茄子っぽいでしょ」
「そうだな」
私はパウチに入ったゼリー飲料を、握りつぶしながら吸って飲む。隣にいるフロイトが私の手元を一瞥した。
「何。アンタはさぞかし美味しいもの食べてきたんでしょ」
ゼリー飲料から口を離して、アーキバスの式典服に身を包んだフロイトを恨めしげに見た。上層部との「ちょっとしたパーティー」があったらしく、伸びかけの髪や髭は整えられている。
馬子にも衣装、と言いたいところだが。あまり気にしたことはなかったが素材はいいようで、アーキバスのエースパイロットに相応しい姿だ。この顔で優しく話しかけられれば、惚れる女もいるだろう。
「食べる暇もなかった」
「そう。飲む?」
私が冗談で飲みかけのゼリー飲料を持ち上げれば、予想と反してフロイトが手を伸ばしてきたので慌てて一歩下がる。
「ちょっと。本気にしないでよ」
「くれないのか?」
「飲みさしをあげるなんて、私はしないから」
ジャケットの大きいポケットから二つ目のゼリー飲料を取り出して、フロイトに向けて山なりに投げる。今日のご飯が半分になってしまったが、フロイトを黙らせられるなら安い。
私とフロイトは空を見ながら並んで、吸い口からエネルギーを摂取する。
「美味い」
「本当にお腹すいてたのね……
「ああ」
コレを美味しいと評するとは、フロイトは相当きていたのだろう。パーティーで何があったかは知らないが。
「俺はアイスワームの方に行きたかった」
「アンタは同時並行の違うミッション行くんだっけ。スタンニードルランチャー、撃ちたい?」
「ああ。だがミシガンやレイヴンのいる作戦だ。スタンニードルランチャーを担がなくとも、十分面白いだろうな」
フロイトはため息をついた。
「上層部の相手をすることも、確実に勝てる相手ばかり倒すことも、つまらない」
私は黙って聞く。ゼリー飲料は相変わらず甘ったるいだけで、虚構の胸焼けがしそうだ。

「加えて、ミラはACに乗ろうとしない」

じゅっ、と音を立ててパウチが空になった。
「アンタの娯楽に付き合うつもりはないから」
「お前は逃げているだけだ。逃げているから、あんな泳ぎ方になったんだろう?」
フロイトは懐から端末を取り出すと、動画を再生する。二次検査のシミュレーターのキャプチャだ。ライナーを倒すためにジンチョウが画面の中で動いている。
見たくない。倒したくて倒したのではないのに、結局ライナーを否定せざるを得なくなった姿は無様だ。その後、必死にキャリブレーションしたことも思い出したくない。
「目を逸らすな」
フロイトが私の肩を抱いて寄せる。横並びでフロイトの端末を覗き込まされる。後ろになでつけられたフロイトの髪から、僅かに整髪料の香りがした。
「ちょっと、近いって」
身を捩って逃げ出そうとするが、フロイトはさらに手の力を強めた。
「見たく、ない」
「ここだ。お前を動かしたものはなんだ?」
ジンチョウがアサルトブーストを始めた瞬間で、フロイトは動画を止める。通信記録までは残っていないらしく、フロイトはあのライナーの言葉を聞いていないようだった。
「別に前から、動いていたじゃない」
「いいや、違うな。ここから後、お前の殺意を明確に感じる。動きが違う」
フロイトは動画を再開させる。私がライナーを否定するために最速でライナーを殺した姿が映っている。
耳から毒を流し込まれているような心地だ。逃げられない。今のフロイトは、私を逃がしてくれない。
私の矛盾が、体の中を暴れ回る。
「違う。私は飛んでない」
「ミラ」
フロイトは私の肩から手を離すと、私の顎をその手で掬った。
「俺は『泳いでいる』とは言ったが、飛んでいるとは言っていない。それだな?」
「え」
フロイトが笑っている。怖い。
「飛んだんだな?」
「とんで、ない」
私は飛ばない。誰も泣かせないために、そう校正した。

なのに、どうして。私が一番泣きそうになっているんだろう。

フロイトの瞳に私の顔が写っている。深い深い深淵に、私の涙が落ちていく。
私の海にあるしょっぱい水が、空に飛んでいく。
いかないで。このままじゃ、海で泳げなくなっちゃう。
「泣かせるつもりはなかったが……
フロイトは目を閉じると、私の眦に口を寄せて、涙を食べた。空に飛んだ海水を、フロイトがかき集める。
「それでミラが飛ぶのであれば、海が枯れるくらい泣かせたい」
フロイトは海水を食む。私のキャリブレーションを、肉体ごと崩しにかかる。
なんて横暴なんだ。身を捩ってもフロイトの力が強くて抜け出せない。抵抗する私を察したのか、フロイトは私の腰に腕を回してさらに引き寄せた。私の中にある海の表面張力が、フロイトの手のあたたかさでゆるむ。
うそだ。そんなところから海が漏れ出るなんて。隠すように股を擦り合わせると、フロイトは吐息で笑う。
「ああ、分かったぞ。お前の海は──」
その時だった。
「フロイト、何をやっているのです」
スネイルが階段の近くに立っていた。あれだけ疎んでいたスネイルの声が、今は救世主に思える。
「スネイル、いいところなんだ」
「途中で抜け出さないでください。貴方はヴェスパーのエースなのですよ」
「あんなにつまらないものに真面目になれるのか、スネイル」
「つまらなくとも、それで仕事が早く済むならやるだけです。駝鳥にかまっている暇があるのなら、一分でも長くACに乗れる手段を取りなさい」
私の腰に回ったフロイトの手が離れた。
「鳥の一匹も飛んでいない空を飛んで、何の意味があるのだろうな」
フロイトは小さくつぶやいて、スネイルの隣を通り、屋上を後にした。あとに残された私とスネイルの視線が合う。
……そこまでひどい顔をするのなら、貴女も少しは拒否したらどうです」
「アレを拒否できる人がいたら、教えてほしいですよ」
「全く。お互い苦労しますね」
私の皮肉を聞いて、スネイルは眼鏡を人差し指で押し上げた。
「まだ貴女の二次検査の結果は出ていませんが、仮に貴女を最終に上げたならば、対戦相手はフロイトです。心して臨むように」
そう言い残して、スネイルも屋上から去る。温度が離れたせいもあって、風が身に染みるようになってきた。寒い。でも、暖かさを知らなければ寒いままでも平気だったんだけどな。首を上げて小さく瞬く星をちらりと見て、私は大きなくしゃみをした。



寮に戻って私用端末をタップすると、不在着信がたまっていた。4件。さすがに多い。全て私の友達からだ。不安が搔き立てられる。急いでかけなおす。
電話は驚くほど早くつながった。
「あ、ミラ! 繋がったよかった!」
「どうしたのメアリ、急に電話なんて珍しい」
「私が送った写真、早く見て! すぐ!」
「そんなに言わなくても見るから──」
友人とのチャットルームに数枚の写真が送信されていた。写っているのは私の婚約者と、知らない女。背景には白いシーツ。二人の肩は顕になっていて、婚約者が女の頬にキスをしてい、
「ミラ、落ち着いて聞いて」
床に落ちた端末から、友人の声がする。首を下に傾けて表示された写真を見れば、まるで酔っ払いが吐いた道端のゲロを眺めているみたいだと錯覚する。
違う、ゲロじゃない。なんでゲロから友達の声がするの、違う、ちゃんと見なきゃ。でも写っているのはゲロじゃないか。

なに、これ。

「それ、その女のSNSにのってた」
なんで? ハネムーン行こうって、言ってたじゃん。
「レオさんの匂わせみたいな投稿、最近多かったの。怪しいかもって思ってたんだけど、決定的な証拠なくて黙ってた。そしたらランダム投稿にこれが出てきて、もう、やっぱりって、ごめん」
友達は嗚咽をこぼした。ふと、窓の外の空を眺めた。何光年先の星から届いた友人の涙が星となって、小さく瞬いていた。私の目じりにも流星が走って、光が歪む。優しくて暖かくて、こんな星を見せてくれた友達の気持ちが本当に嬉しくて、だからこそ私の頬からゲロに落ちた涙がもったいないと思った。
「メアリが謝る必要ないよ。ありがとう、心配して、くれて」
ゲロに涙を落とさないように、私は目を腕でこすった。
「ミラ。お願い。死なないって約束して」
「私、そんな声してる……?」
「してる」
「そっか」
涙が止まらない。心がどんどん瓦解していく。だって、私の体は鉄でできてない。アーマードじゃない。ただのタンパク質だから、どろどろに溶けてしまう。
「お願いミラ、死なないって言って」
……ごめん。今の私、約束できないかも」
「嘘でもいいから言ってよ」
「ごめん」
「やめてよ!」
「だって!」
ダメだ、叫んじゃった。この怒りをぶつけるべきなのは友達じゃなくて、ゲロのはずなのに。
「好きだったんだよ……? 一緒に暮らすために、ちょっとの間だけルビコンに行ってもいいと思えるくらい、好きだったんだよ」
「ミラ……
「私、ルビコンにいる意味もうないよ。でも戻っても何するの?」
「ミラ、やめて。私はミラにもう一回会いたい」
「分かってる。分かってるんだけど……
立つ気力もなくなって、その場に座り込む。
「つらいよ。頑張ってきたのに。こんな気持ちになるくらいなら、いっそ何も感じない方が楽だった」
「ミラ、ダメ。まだやんなきゃいけないこといっぱいある、アイツにごめんなさいって言わせるとか、私とおいしいもの食べるとか、」
「ごめん」
「ミラ!」
私は指を伸ばして通話を切った。相変わらず端末にはゲロが表示されている。
すごく楽しそう。新しい女、私よりスタイルも顔もいいじゃん。すっごいの捕まえたね。
もう見てくれないんだね。私、ルビコンで結構頑張ってたのに。上司の無茶ぶりをいっぱい聞いて、こんな僻地で働いてたのに。
ゲロの写真をゲロのチャットルームに転送する。すぐに電話をかける。つながった。
「どうしたのミラさん、こんな時間に」
「写真。楽しそうだね」
「え……あいやこれは違うんだって、結構長くなっちゃうんだけど説明させて!」
慌てている。でも、もう話を聞く気力もない。
「説明はいらない。レオさんが何を言っても、たぶん、信じられないと思うから」
「待ってよミラ、聞いて」
「ごめんね寂しい思いさせちゃって。私がレオさんの心を捕まえておけなかった」
「謝らないで、俺が悪いんだ、だから」
「いままでありがとう。さよなら」
まだなにかしゃべっていたようだったけど、電話を切った。着信拒否にして、チャットルームからも退去する。これ以上連絡が取れないように封鎖した。
窓を見る。相変わらず星が綺麗だ。
でも、もう、いいかな。生きなくてもいいや。生きる理由、なくなっちゃったし。次の検査で手加減すれば、それを見たスネイルが私をファクトリーに送ってくれるだろう。なんだ、自殺って案外簡単じゃん。生きるのは難しいのに。
納得しているのに、私の足はいつもの場所に向かっていた。人気のない事務員寮のさらに僻地にある娯楽室。一世代前の、先進局が魔改造を施したシミュレーター。

私の、ゆりかご。

いつものように座って、いつものようにメインメニューを開く。VRゴーグルをつける。右手と左手は操縦桿に。
「ダメだ」
涙がとまらなくて、ゴーグルの中に浅瀬ができる。目元があたたかい。頬が引きつって、堤防が少しだけ壊れて海水が外に流れていく。操縦桿から手を離して、膝を抱えて鼻を鳴らす。涙だけ出ればまだ可愛いのに、鼻水もいっぱい出てくる。
いつものように、私を校正できない。生きていくために、私を構成できない。
ACに出会わなければよかった。強くなければよかった。
婚約者のためでも、フロイトのためでもない。かといって私のためでもない。ただ暇を持て余して、シミュレーターで遊んでただけ。それを本当の日常に侵食なんてさせたくなかった。海は海のままでいてほしかった。責任なんて負わずに、どこまでも海の底まで泳いでいたかった。
だから誰にも見つからないように、みんなの寝ている夜に潜水してたのに。私の海水を全部奪って死線だらけの空に海を作ることができる、反則のような男に見つかってしまってから、私はもうペンギンではいられなくなっている。
「消えてくれよ、イレギュラー……
手が滑って、操縦桿近くのボタンを間違えて押してしまった。当たり所が悪く、AC擬人化ギャルゲーが開く。全然気分ではないけど、この間開いたセーブデータを、改めて眺める。
そういえばこのギャルゲーで、ロックスミスちゃんがぐいぐい来るシーンを見たような。ロードする。
ロックスミスちゃんが私に戦いを持ちかけている。選択肢はこの間と同じ二つ、「ああ、今すぐヤろう」「ヒッ、逃げろ!」である。
なんとなく、前回は選ばなかった「ああ、今すぐヤろう」を選んでみた。すぐにエッチなシーンに入る。ロックスミスちゃんと主人公は精魂尽き果てて、柔らかなシーツに倒れ伏す。
そしてロックスミスちゃんは言った。

「この程度? つまらない人」

黄色の目は侮蔑に染まっている。私は息を飲んだ。キャリブレーションでつまずいていた計測器の針の震えが、この瞬間に止まったかのように感じた。
この子はロックスミスだけど、もしかしてフロイトもそう言うんじゃないだろうか?
シミュレーターの温室育ちに、戦う理由も背景もない。海の中でしか己を保てない、ペンギンの着ぐるみがなければ寒さに震えて死んでしまう、つまらない人。それが私だ。
逃げれば追ってくる。ならば、立ち向かわなければならない。VRゴーグルを外して、腕で涙を拭いた。
「戦わなきゃ」
ヴェスパーの首席に、私は無価値であると思わせる。パイロットにしても無意味、ファクトリーに送っても無意味だと分からせればいい。スネイルも、ACについては首席判断に頷くだろう。
そうすれば、私は今までの日常に戻れる。空を見ずとも、海で泳いでいられる。
手加減はダメだ。アイツはそんなのすぐ見抜く。
全力をぶつけて、可能性を全て見せて、「所詮お前はそこまでか」と思わせればいい。普通の人間の背伸びは、普通の人間が一番よく分かるはずだ。私が本当に空を飛べないことを知れば、フロイトも興味を失うだろう。
今までにないキャリブレーション結果に驚きつつも、一番信頼度が高いような、そんな気がする。悪いがこちらは本気だ。決意と共にシミュレーターの椅子から立ち上がれば、ちょうどフロイトが娯楽室に入ってくるところだった。
「ここにいたか。さっきの動画の──」
「動画見るより、早い方法がありますよ」
アンタの期待を、全て折ってやる。
驚いたようなフロイトの前に、私はしっかりと二本の足で立って、目をのぞき込んだ。
私の涙を全部吸おうとしてくる深淵に、挑戦状をたたきつける。そんなに水が欲しいなら、思う存分海水を流し込んでやる!
「ヴェスパー首席隊長殿。最終試験では、ジンチョウと共にロックスミスを海底までご招待しましょう。そしてアンタの肺を潰してやりますから」
私が言うとフロイトの口角はみるみる上がり……満足げに頷く。
「ああ、楽しみにしている」
フロイトは私の頭を雑になでると、私の涙で濡れた眦にキスをした。