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きなこ湯
2024-09-23 14:36:07
5183文字
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明日へ繋いで
元候補生から遺言を託されるドライゼの話。
候補生の卒業後を捏造しています。
通された部屋は狭く、こぢんまりとしていた。大柄なドライゼは率直に窮屈だと思ったが、彼よりずっと小柄な彼女にとっては適切なのだろう。たとえば窓際に置かれた一人掛けのソファにドライゼが座ればぎゅうぎゅうと身体を押し込むような体勢になるだろうが、彼女ならぴったりのサイズに違いない。
若くしていくつかの勲章を持つ彼女の功績と比べれば、何というべきか、質素な部屋だった。余暇を楽しむための雑貨が少ない。だが、家具や床板にしみこんで消えない油や火薬のにおいがほんのりと香り、銃の身からすると本能的に落ち着く空間ではあった。
「狭い部屋でごめん。紅茶でよかった?」
「
……
! 申し訳ない」
「ううん。私も正直狭いなって思っているから」ポットにティーコージをかけながら、ドライゼの向かいに座る。「たまに寝泊りしているだけの部屋だと、どうしても手狭になるね。あれでも寮室は広かったんだなって実感してる」
連合軍研究組織カサリステの〝マスター〟は、その権利を右手に宿したまま、士官学校を首席で卒業した。
現在はアウトレイジャーおよび国際テロ組織トルレ・シャフへの対抗を主目的とした特殊部隊の一員として、日々軍務に身を投じている。
連合軍を代表する〝マスター〟は、本来の業務以上に多忙である。時に外交役を担い、並行してカサリステの研究協力も行う。プライベートの時間を削り、切り売りしてようやく成り立つような立場だ。ドライゼがドイツ支部に戻って数年、彼女と共有する時間は在学中より大きく減ったが、その名声は留まるところを知らず、ドイツ支部まで届いている。
ドイツ支部特別司令官宛てに手紙が届いたのが一ヶ月ほど前のこと。ドライゼはどうにか時間を作り、彼女の住まいのひとつがあるイギリスを訪れていた。
士官学校で生活していた貴銃士のうち各国支部への派遣が決定した者は、各地に生活の拠点を置いている。一方で彼女個人が所有する銃については、イギリス支部周辺にある兵士の生活区画で暮らすことになった。ちょうど都市部から少し外れた場所に空き家があり、マークスをはじめとした十挺の貴銃士と彼女が共同生活を送っている。
とはいえ、彼らは銃で彼女は人間だ。そうでなくとも多忙な人であるので、その家とは別に個人でアパートを一室借りている。ドライゼが招かれたのはそちらだった。
彼女は紅茶に砂糖をたっぷり二杯落とし、ぐるぐるとかき混ぜた。甘党な彼女らしい仕草に安堵のため息が出そうになる。候補生であった頃から彼女を特別幼いと感じたことはなかったが、プライベートで踵の高い靴を履くようになった彼女はすっかり本物の大人となっていた。大人びていた子供が名実ともに成長したその変化に、老いを知らない銃の身がどうしても馴染まなかったのが、変わらぬ部分を見つけて勝手に嬉しくなる。
「エルメと二人だとドイツ支部は静かで寂しいんじゃない?」
「そうだな。手のかかる部下は少ない。時々、士官学校の賑やかさを思い出す。そちらはどうだ? ジーグブルートとゴーストは、あなたに迷惑をかけていないだろうか」
「特別なことは何も変わらず。賑やかなのはいつものことだけどね」
「指導が必要であればいつでも言ってくれ」
「頼もしい。ああ見えてふたりとも寂しがりだから、時間を作ってみんなで集まりたいね。ドイツに行くことがあったらよろしく」
「ああ」
会話が途切れる。
ドライゼはカップの取っ手を厚い指先でなぞり、短く深呼吸をしてから切り出した。
「それで。俺に頼みがある、というのは」
「うん」
一ヶ月前彼女から届いた手紙には〝ドライゼに頼みたいことがある〟と簡潔な言葉で記されていた。同時に〝急用ではない〟とも。
こうと定めた目的を果たすため多少の無理は辞さない人間だが、適切なタイミングで人を頼る選択肢は持ち合わせている。唐突な相談を持ち掛けられたこと自体に驚きはなかったが、その内容がどうにも想像できず、胸の内には薄らと不安が滲んでいた。
ドライゼが目の前にある顔を見返すと、彼女は手元のカップに視線を落とし、もう一度「うん」とつぶやいた。
「ドライゼに頼みたいことがある」
「ああ。俺でよければ力になろう」
「ありがとう」
彼女は一度席を立ち、引き出しから一通の手紙を取り出した。シンプルな白の封筒だ。宛名は書かれておらず、またそう厚みがあるわけでもない。そもそも封を閉じてすらいなかった。
奇妙な一通の手紙を受け取り、ドライゼは首を傾げる。
「これは?」
「遺書」
彼女は平淡な声でそう告げた。
思わずその顔をまじまじと見返す。片手に持つ四角の紙が途端に重く感じられた。
遺書。遺言。己の死後を託すもの。この紙切れには人間一人ぶんの尊厳に等しい言葉が刻まれている。
ドライゼは慎重に言葉を選んで尋ねた。
「
……
、その予定があるのか」
「ない。
……
って、言いきれるほどでもないかな。今の生活を続ける以上、これまでの幸運が変わらずに私を助けてくれる保証はないから」
「では、質問を変えよう。あなたにどの程度そのつもりがあるのか、それは知っておきたい。そうでなければこれを受けとることはできない」
「こうと断言する予感があるわけじゃない。ごく単純に万が一の備えだよ。識別表と同じ」
「
……
、そうか
……
」
無意識のうちに握りこんでいた手を開き、ほっと息を吐く。ドライゼの様子を見て、彼女は申し訳なさそうに眉尻を下げて笑った。
「変な話をしてごめん。ドライゼには、私の遺書がここにあることを覚えていてほしくて」
「
……
? 把握しているだけでいいのか」
「うん」
机の上に肘をつき、手持ち無沙汰に手を組む。華奢な右手にはまだ新しい包帯が巻かれており、かすかに消毒液のにおいがした。ドライゼと会う前に裂傷の手当てをしたのだろう。
「マークスとライク・ツーには話してある。けど、二人が次のマスターに応じるのか
――
そもそも、次の誰かが二挺を選ぶのか、どうしても確信が持てない」
「
……
ああ、なるほど」
「うん」彼女は静かにドライゼを見上げた。「ドライゼならほぼ確実に、次のマスターにも選ばれるだろうと思う」
貴銃士とそのマスターは相互に依存関係となる。
人の肉体を保持するにはマスターの生存と裂傷の維持が必須であり、裂傷の維持には古銃・現代銃双方の能力が必要だ。それゆえ、貴銃士は己のマスターに致命的な危害を加えることができないし、適切な信頼関係の構築ができない人間にマスターは務まらない。
互いに生命線を握らせているのだから、必然的に信頼は深まる。死後の尊厳を託したいと願われることが、不自然にならないくらい。だが、運命共同体であることが死後を委ねるに高いハードルとなっていた。
その点を、彼女の貴銃士たちの中で、ドライゼはもっとも的確にクリアしている。連合軍ドイツ支部特別司令官。強兵アウトレイジャー戦において最高責任を負う優秀な指揮官であり、前線で戦う心強い戦力のひとつ。ドライゼの持つ価値は彼女が主人であることに依存しない、彼自身が確立させた替えの利かない種類のものだ。
銃が破壊されない限り、ドライゼにはほぼ確実に次がある。
「承知した。その時は、必ずあなたの言葉を守ると約束する」
ドライゼが力強く返答すると、彼女はこわばらせていた肩をほっと緩めた。
「ありがとう」
「礼を言われるほどのことでもない。もちろん、万が一が訪れないことを願うばかりだが」
「そうだね。私も、そう簡単に死ぬつもりはないよ」
遺書を手渡す。
その白い封筒を見下ろし、彼女はぽつりとつぶやいた。
「
――
私、ね。ヴィヴィアンが死ぬ前、たぶん、遺書を託される人間だったんだ」
ヴィヴィアン・リントンロッジ。彼女の親友だった故人だ。ドライゼがその人となりを直接目にしたことはないが、他でもない彼女に親友とまで言わしめることから、その人の好さがありありと想像できた。後になって複雑な立場に置かれていたことが判明したが、彼女の心の中心に居続けるその人間は、おそらくいつまでも変わらずに善い人間なのだろう。
「後のことを、私に託そうとしてくれていた。それだけ私のことを信じてくれていたんだ、と
……
思う。でも、」
ぽつぽつと語る声が震え、途切れた。静かに深呼吸を繰り返す。
「でも。私、縁起でもないって言って、受け取らなかった」
「
……
」
「ずっと、ずっと後悔してる
……
ヴィヴィアンは私を信じて、頼ってくれたのに。その信頼を手酷く裏切った。その後
……
ヴィヴィアンの遺留品から、遺言書は見つかったんだけど
……
でもね、なんだか、あの日見た封筒と違うような気がして。きっと、別のものに書き換えたんじゃないかって、そう思ってる」
「それは、あなたの思い過ごしである可能性もある」
「そうだね」自嘲ぎみに笑い、短く嘆息する。「どちらにせよ、私はヴィヴィアンの遺言を裏切った。結果的にじゃなく、自分の意志でこっちの道を選んだんだ。だからきっと、私を信じなくて正解だったんだと思うよ」
「そんなこと、」
「ある。
――
だって、たとえ化けて出たヴィヴィアンに罵られたって、過去をやり直せたって、きっと同じ道を選ぶと確信している。ドライゼ、私はそういう人間なんだよ」
彼女にしては乱雑に言い切る。それからゆるりと顔を上げ、気恥ずかしそうにはにかんだ。
「ごめん。変な話しちゃった」
ドライゼにとって、ヴィヴィアン・リントンロッジは一度も言葉を交わす機会のなかった故人だ。親友だった彼女を通してしか知らない、縁遠い相手である。
その一方で、主人たる彼女には一定の理解があると自負している。だからこそ、自分の事について語る言葉の少ない彼女にこうも言わしめる存在の大きさを、ドライゼは改めてひしひしと実感した。
同時に、浅ましい羨望が腹の底に溜まる。かの人間が羨ましい。いつまでも彼女の心の中心にいられる存在が。貴銃士を人とするか銃とするか、その扱いは人によって分かれるが、彼女は完全に後者としてドライゼを見上げる人間だった。それゆえドライゼは、彼女の親友がいる心の柔らかい部分に踏み入ることが許されない。そして彼女の所持する銃の中には、すでに替えの利かない特別が存在する。
それはドライゼがどう足掻いたとして変わらない事実だった。
「
――
、
……
いや、マスター」
名前を呼び、それから〝マスター〟と呼びかけると、彼女はきょとんと眼をまるくした。
「
……
? うん。どうかした?」
「約束する。必ず、あなたの遺す言葉を守ると」
「う
……
うん。ありがとう」
「俺はあなたに救われた。あなたが俺の手綱を握っているから、俺は獣を飼い慣らすことができる。
……
このような恩義を感じる貴銃士は多いだろう。あなたを守り、あなたの願いを果たすと誓う銃は、俺以外に大勢いる」
「う、うん
……
?」
立ち上がって見下ろすと、小柄な彼女が一層華奢に見えた。その手で狙撃銃を背負う未来もあっただろう。あるいはもっと穏やかな別の未来も。あらゆる可能性を想像し、やはり己にもっとも適した役目はこれしかないと確信した。
「あなたの後悔も間違いもすべて、俺が背負おう。あなたが道半ばで歩みを止めた時、俺はその先を目指すと約束しよう」
死後を託される相手として。
あなたの尊厳を守り、あなたの名誉を守り、あなたの果たせなかったものを継ぐ存在であろう。
たとえ、この身があなたのものではなくなったとしても。
いつか、あなたの手が俺を繋ぐ手綱を手放しても。
「
……
ああ、そっか」
ドライゼを見上げる瞳には、淡く星の光が宿っている。そこが如何なる世界の果てであろうと、そう決めたなら歩みを止めない、あまりにも眩しい人間の眼差しだ。
「託しても、いいんだ」
噛みしめるようにつぶやいた彼女に、ドライゼは力強く頷いた。
「ああ」
逡巡の後、ドライゼは彼女に片手を差し出した。無骨なその手とドライゼの顔とを交互に見返し、それからふっと眦を緩め、彼女は右手をそっと重ねる。
肌に触れる。体温が伝わる。
――
ドライゼの腹の底には獰猛な獣がいる。それは人の血を好み、心から暴力を愛する獣だ。しかしそれが彼女を害することはない。ドライゼはそれを許さない。
もう大丈夫だと何度も確認しては、彼女への感謝の念が尽きずに湧いてくる。これから先、人間と親しみの握手を交わすたび、彼女のことを思い出すだろう。
だから、俺はあなたの信念を未来へと継ぐ役目を負える。
「うん。
――
ねえドライゼ、ぜんぶ背負って生きてくれる?」
繋いだ手を、力を込めて握り返した。
「必ず」
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