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きなこ湯
2024-09-23 14:33:58
5358文字
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祝福、あるいは
他の男と結婚する元候補生のウェディングドレスを選ぶはめになる横恋慕ライク・ツーの話。
本編3章読了推奨、未来捏造です。候補生に婚約者がいますが、作中には登場しません。
ライク・ツーは一瞬返す言葉に詰まり、目の前に立つ彼女を呆然と見上げた。口を半開きにすらしていたかもしれない。それぐらい、思わぬ痛手を突かれた自覚があった。それなりに覚悟はしていたはずなのに。
そんなライク・ツーを驚いたように見返し、それから彼女は軽やかな笑い声を上げた。
「どうしたの、ライク・ツー。まさか見惚れた?」
鎖骨の見える純白のドレス。普段は飾り気なくおろした髪に隠されているうなじの白さに、なんだか悪いものを見ているような気分にさせられた。実際、本来ここにいるべきは自分ではないとわかっているので、胸の内に滲む後ろめたさも的外れではない。
ライク・ツーは深く嘆息し、肩をすくめて戯けてみせた。
「まあ、一瞬見違えるくらいは当然。俺の見立てなんだからな」
「そうだね。うん、ライク・ツーにお願いしてよかった」
――
俺はぜんぜんよくねぇんだけど。
低い声が喉から漏れそうになり、ライク・ツーは慌てて口を噤んだ。彼女は後ろの全身鏡に移る自分の姿を満足そうに眺めており、ライク・ツーの態度を特に変だとは受け取らなかったらしい。
視界の中心に、まっさらな白がふわりと揺れる。たっぷりとしたドレスの布地は彼女の華奢な身体にぴたりと寄り添い、それはもう本物の〝花嫁〟姿に仕立て上げていた。
フィルクレヴァート連合士官学校を首席で卒業したライク・ツーのマスターは、その後連合軍が有する特殊部隊に配属された。対アウトレイジャーおよび、テロ組織トルレ・シャフ専門の特殊部隊である。
純正品の結晶を使用したマスターでなければ、絶対高貴を使える古銃を召銃することはできない。そのため、正規のマスターである彼女は替えの効かない人材だった。各支部所属であった貴銃士たちは、彼女が士官学校の候補生である間、同じく士官学校の貴銃士特別クラスの一員として生活するようになった。
そして候補生の卒業を機に、彼らの多くが各国支部へ再配属されたのが五年前のこと。ドイツ支部特別司令官ドライゼやその補佐エルメを筆頭に、今やヨーロッパ支部の主要拠点には複数の貴銃士が駐在している。
一方で、変わらず彼女の銃として手元に残った者もあった。元より所有物であったマークス、ロジェ・ド・リリエンフェルトから正式に譲渡されたジョージ、十手。書面上彼女の物となった、スプリングフィールド、ジーグブルート、ベイカー、ベネッタ、カルカノーレ。
そしてUL85A2
――
ライク・ツー。
彼らは連合軍の特殊部隊として、今もなお、軍務に身を投じる生活を送っている。
出会いはいつだったのだろう。士官学校の優等生として卒業した彼女は連合軍の優れた兵士として、やがて平和の世の英雄として名声を高め、ほとんど同じ時間を共有していたはずのライク・ツーにとってすら、彼女の私生活は不透明だった。ただひとつもしやと思うのは、数年前、任務先で出会ったひとりの男としばらく文通を続けていたことだ。自分のことをあまり話さない彼女らしく、急遽告げられた婚約相手のことについても説明は少なかったが、彼女のそばで戦ってきた貴銃士には何となく察するものがあった。
当時大学生だったその男は、やがて彼女を追ってイギリスまでやって来た。それからいくつかの試験としばらくの訓練を受け、イギリス警察の捜査官へと進路を決めた。前線で戦う彼女とは異なり、プロファイリングを専門とする分析官だったが、プライベートな余暇を切り売りして成立する激務であることは通じていた。転じて、お互いの生活に理解があったのもよかったのだろう。
彼女は男の淡白さと論理立てた物言いに理解があり、男は彼女の性根と危うさに理解があった。じゅうぶんな理解に満ちた信頼は固く、つまり自分の女のウェディングドレスをライク・ツーに選ばせるなどという奇特な状況も、簡単に許すことができた。
――
いや、おかしいだろ。
何度目かわからない文句と嘆息をぐっと堪え、ライク・ツーはその場に項垂れた。ドレスの試着を始めて早一時間が経つ。はやく終わってくれと祈る気持ちと、実際に晴れ着を纏った彼女の姿を前にしてこの時間が永遠のものになればいいと願う欲望とが、ライク・ツーの胸中を重くぐるぐると巡っていた。
この場に居るのは、そう遠くない未来あの男のものになる彼女と、ライク・ツーだけだった。
この時間がいつまでも続けばいいのにと願ってしまいそうになる。純白のドレスを纏い微笑む先が、いつまでも自分だけであればいいのに。そんな叶わない欲望が思わず口をついて飛び出しそうになる。
ああ、と、己の浅ましさにライク・ツーは自嘲した。
ずっと前から気付いていた。だが、まさかこんなに打ちのめされるなんて思っていなかったのだ。到底覚悟が足りなかった。詰めの甘さに乾いた笑いが出る。それとも、存外きちんと人に執着することができた、それは銃の身にとって得難いものだったのだろうか。
どちらにせよもう遅い。彼女の幸せそうな表情を崩してまで己の欲を優先できるなら、ライク・ツーはずっと前に彼女を裏切っていただろう。確かに自分は臆病だったかもしれないが、彼女に返しきれない恩があるのも事実だった。それこそ、自分の幸福を返上してもまだおつりがくるくらいには。
「ライク・ツー」
「何だよ」
「髪飾りの色、何が良いかな。私、アクセサリーとかよくわからなくて」
「
……
、ハァ~ッ
……
」
「そ、そんなに大きなため息吐かなくてもよくない?」
「呆れてんだよ。俺にトータルコーデさせる気か?」
「ええ?」今度は彼女のほうが素っ頓狂な声を上げた。「もちろん、全部ライク・ツーに任せるよ。最初からそのつもりなんだから。私が知っている中で、ライク・ツーが一番センスよくてカッコいい」
「
――
、お前さぁ
……
」
ライク・ツーは白旗を振って立ち上がった。鏡面の前に立つ彼女の後ろまで近寄り、相変わらず華奢な首筋を黙って見下ろす。左の方には被弾した大きめの傷痕が残り、背中には終ぞ消えなかった数多くの擦り傷が薄らと浮かんでいる。二の腕まで覆う右腕は、露出された肩口の皮膚が斑に変色していた。裂傷の進行と治癒とを高頻度で繰り返した結果、古い皮膚と新しい皮膚とが入り組んでいる。
純白のドレスには似合わない傷痕だ。この傷を負わせた責は同じ戦場にいたライク・ツーにもあるだろう。彼女の武器として、彼女の盾として、守り切れずに指の間からこぼれ落ちたものがある。あるいは、真っ当な人間らしい感性もその内に含むかもしれない。兵士として栄光の道を歩み続けた結果、擦り減って戻らなくなったものもあっただろう。人の心の柔らかいところは、いつだってまず一番に犠牲にされる。
ライク・ツーは人間ではなく銃なので、その痛みを本当の意味で理解することはできないだろう。あるいは、擦り減った心を目の当たりにして、それを憐れむ感性に欠けている。かつて自分が築いた死体の山に、きっと本当の意味で追悼の念を送れないのと同じように。
だのに、彼女の微笑んで見上げる先が自分でないことに言い表せない虚しさを覚える。都合が良いにもほどがある。人にはなれないと言うのと同じ口で「俺を選べ」などと、どうしてそんなことが言えるだろう。
傍らのアクセサリーボックスからいくつかの髪飾りを持ち上げ、彼女の髪にかざしてやった。色鮮やかな花のバレッタ、くるりと末尾の巻いたリボン、装飾の細かいレース。どれもよく似合う。ずいぶん前から、贔屓目に見ないことがとても難しい。
ふと、鏡越しに視線が交わった。
邪気のない目をする人間だ。かつてのライク・ツーが作った地獄の中で、それこそ人の醜い部分を嫌というほど体感しただろうに、彼女の瞳の中には煌めく星の光が散っている。いつまでも前だけを向き続ける、あまりにも眩しい光だ。
その視線が、一瞬気まずそうに逸らされる。誤魔化すように揺れた手が肩から覗く傷に触れた。
「こう
……
近くで見ると恥ずかしいね」
ともすれば聞き逃しそうな声だった。
それが彼女の珍しい弱音だと理解した瞬間、
「
――
見せつけてやれよ」
ライク・ツーは、自分でも驚くほど力の入った声でそう答えていた。簡単に結い上げていた髪を解き、手早く編んで飾り立てる。白く華奢なうなじはもちろん、肩口の傷も大きく見えた。彼女の肩が強張ったのを見下ろし、逡巡した後、その肩にぽんと両手を置く。
これは激励だ。同じ戦場で互いの命を預けた人間に対する、最大限の讃歌でもある。
「
……
」
「胸張れ。背筋伸ばして。そう、お前は前だけ向いていればいい。ほら見ろよ、俺が見立ててやったドレスならお前は世界で一番綺麗だ。もし、それでもお前の背中に指をさすヤツがいるなら、そいつは俺がキッチリ殺しておく」
「
……
、ライク・ツー、なんだかマークスみたいなこと言ってるよ」
「主人が同じだからな。不服だが、少しは似るところもあるんじゃねぇの」
そう答えると、彼女は驚いたように目を見開いた。
「あはは、そうなんだ、そっか」ようやく強張った肩から力が抜ける。「
――
ライク・ツー、ありがとう。本当に。ライク・ツーがいてくれてよかった」
「そりゃどーも」
ライク・ツーは静かに息を吐いて、鏡の前から離れた。先ほどまで腰掛けていたソファーにどっかりと座り、もう一度深く嘆息する。
今度はまっすぐ鏡に写る姿を見返している背中を眺め、ライク・ツーは思わずつぶやいていた。
「感謝してるってんならさ、教えてくれよ」
「なにを?」
不思議そうに振り返った彼女と視線が交差する。
交わって、同じ場所は向いていない。
「
……
なんであの男にしたんだ?」
できる限り平淡な声で言おうと思ったのに、隠し切れない嫌味が滲んでいた。愚鈍ではない彼女が気付かなかったわけはないだろうに、それには特に反応を示さず、
「なんで、か」
と、困ったように微笑んだ。
互いに激務だったと思う。共有した時間なら、あの男より貴銃士たちのほうが比べようもなく長かった。特別何かに惹かれ、狂うような恋ではなかったのではないか。とてもそんなふうには見えなかったから、ライク・ツーはどうして彼女が結婚すると決めたのか、その理由を知らない。
ライク・ツーは銃で、彼女は人間だ。生涯を共にすると誓うに相応しい相手ではない。そんなことはわかっている。そうではなく
――
同じ場所で命を預けた俺ではダメだったのか。お前の願いを果たすため、お前の盾として身を賭してきた俺ではダメだったのか。他の誰かと将来を誓うことが、これまでの生き方以上に必要なものだったのか。
それが、どうしても惜しく感じてしまう。
誰かのものにならなくたって、生涯を誓わなくたって、ライク・ツーは変わらず彼女の武器で在り続けただろう。彼女を守り、彼女のために戦い、命を懸けて、どんな場所でもそばに居る。擦り減った心に最大限寄り添う努力をする。そういう存在では何が。
「看取ってほしいなって思った」
俺じゃ、お前の人生に何が足りない。
「
……
看取る?」
「そう」気恥ずかしそうに頬を赤らめて続ける。「あの人と話をして、なんとなく想像できたんだ。清潔なシーツの上で、穏やかに死ねるんじゃないかって。その傍には、きっとあの人がいてくれるんじゃないかって」
「
……
」
「わかってるよ。たぶん、そういう未来はない。私はいつか戦場で死ぬだろうし、それが一番いいと思っていることに変わりはない。自分の命の使いどころを見誤るつもりはないよ。それは向こうもわかっていると思う。だけど、はじめてだったんだよ。穏やかに死んでもいいかもしれない。そう思ったの、はじめてだった」
「
……
、それで、看取るって?」
「うん。この人に私の人生の最期を見届けてほしい。私の識別票を届けてほしい。そう思ったから」
「
……
そっ、か
……
」
――
それは、俺じゃダメなわけだ。
ライク・ツーは笑って彼女の顔を見上げた。まっすぐに。迷いなく。
最大限の敬意と、感謝と、信頼とを胸に。
「
……
お前は幸せになる。お前の命の使いどころなんてものはやってこないし、清潔なシーツの上で家族に見守られながら死ぬんだ。戦争は終わった。お前の戦いがこれ以上血腥いものである必要はないし、それを担うのは俺の役目だから。だが、未来に絶対なんてない。何が起きるかは誰にもわからない。もし、お前が家族のもとに帰れなくなったら
――
」
あり得ない過程だ。マスターが死ねばその貴銃士はその場で消える。だから、これは果たせない約束だ。そう頭ではわかっている。
でも。
「俺が。必ず。どんな手を使ってでも、お前の識別票を持ち帰ってやる」
力強くそう言うと、彼女はくちびるを噛んで頷いた。
窓の外からは白い陽の光が差し込んでいる。一度は失った栄光を手に、取りこぼした未来を前に、ライク・ツーは今度こそと噛み締めた。誰も失わない未来のために、最期まで彼女の銃であろう。これは紛れもない祝福だ。
ライク・ツーは視界が滲むほど眩しい光に目を細めた。
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