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きなこ湯
2024-09-23 14:28:08
1979文字
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噓から出た心
任務先で倒れた特待生を介抱する草薙伯玖の話。
episode5読了前提の内容です。
ぐったりと項垂れて動かない特待生を担ぎ、伯玖は息を切らせてトンネルを抜けた。意識のない人間を運ぶ時と同じく、だらんと力なく投げ出された手足をまとめて抱え上げると、人間ひとりぶんの命が正しく肩に圧し掛かる。その生々しい重みに冷静な意識を揺るがされそうになり、伯玖は余裕なく自嘲しながら息を吐いた。
トンネルと言えば心霊スポットとして有名である。今回の調査場所も漏れなくそういう話であり、警戒するとすれば化けて出てくるものだと早合点していた。通行止めを無視して進んだ先には自然発生したガスが充満しており、気付いた時には同行していた特待生が伯玖の後ろでひっくり返っていたのである。
いくらグールとは言え、元は人間の身体である。伯玖自身も特待生と同じだけガスを吸い込んでおり、頭の奥がきつく絞られるように痛んだが、それ以上に彼女の容態を優先するべきだと判断した。幸い、トンネルを出てすぐに今は使われていないバス停が残っている。担いでいた彼女をベンチに横たわらせ、伯玖はその前に膝を付いた。顔の上に手をかざす。息している。まだ生きている。安堵で手が震えた。
まぶたを閉ざしてぴくりとも動かない顔は青白く、半開きの口の端からつうと一筋、涎が垂れ落ちた。
頭部にそっと手を差し込み外傷がないか確認する。背後にいた彼女が気を失った時どのように転倒したのか、伯玖はちゃんと見ていなかった。
――
外傷はない。だが、頭を打った可能性は高い。安易に動かすわけにはいかない。
逡巡の末、伯玖は震える手でネクタイを解き、シャツのボタンを外して襟元を緩めた。何かを吐いた様子はないから、吐瀉物で咽喉が詰まることはないはずだ。仰向けに寝かせた状態でもう一度呼吸を確認し、そう自分に言い聞かせる。
あとは。
――
あとはもう、祈るくらいしか。
だらりと柳の葉のように垂れた右手を取り、両手で包むように握り込む。普段よりも体温の低いように思える指先を額に寄せ、しばらくの間そうしていた。
・
目を開く。視界の四方が歪んでいた。息を吸って吐くと、肺の底に泥でも詰まったかのような吐き気が込み上げてきた。くちびるを噛んで堪え、眼球だけを動かして周囲を見渡すと、すぐそばに項垂れる伯玖の姿があった。
「
……
はく、さん」
状況に理解が追い付かない。当惑しながらそうつぶやくと、伯玖が弾かれたように顔を上げた。切れ長の瞳が余裕なく見開かれ、まっすぐに自分を見下ろす。伯玖にしては珍しい、何ひとつ取り繕わない直線的な眼差しだった。なぜだか抜き身の刃物を突き付けられたような緊張感が迫り、息を呑む。
「怪我、いや違う、気分は。どこが痛む? 呼吸は苦しくないか?」
「
……
だ、いじょうぶ、です。少し
……
目が回って、気持ち悪い、くらいで」
伯玖は深く息を吐いた。
「
……
そうか、よかった。昴流さんに連絡してあるから、もうじき迎えが来るはずだ。それまでは安静にしておこう」ぶつ切りの声が次第に柔らかくなり、普段の調子に戻ってゆく。「おれが悪かった。ガスなんて想定していなかったんだよ。本当に
……
本当に申し訳ない」
「い、いえ。助けていただいたみたいですし、そんなに謝らないでください。むしろ、私のほうがご迷惑をおかけしたみたいで」
「迷惑なわけない
――
いや、違うな」
俯いた瞳が左右をさ迷い、ふと一点に留まる。
その顔をぼんやりと見上げていると、不意に伯玖の指先が頬を撫でた。ややかさついた指の腹が輪郭をなぞり、喉元を通って、鎖骨に触れる。
「
――
おまえさんを脱がせる役ならいつでもと言ったが、こんなのはもうごめんだ」
「
……
、
……
伯玖さん」
「なに?」
「冗談、下手になってますよ」
返す言葉が見つからず、特待生がどうにかそう言うと、伯玖は虚を突かれたように目をまるくした。
それから、彼らしくない表情でぎこちなく笑う。
「
――
そうかも。自分のせいで大事なお姫様に危険な橋渡らせて、おれ、結構参ってるんだわ。だから、責任取って慰めてくれない?」
「えっ?」
「少しだけ。少しの間だけでいいから、こうさせてくれ」
伯玖は特待生の手をとり、かたく握った。スティグマを強化させる指輪の力を使うためではなく、ただ人肌に触れていたい、そういう意図だとすぐにわかる。特待生は握り込まれた自分の手と、目を閉じて指先を額に寄せる伯玖の顔とを見比べた。いつも飄々として揺らがないこの手が恐怖に震えたのが本当に自分のせいであるなら、彼女には抵抗する理由がない。
特待生はそっと伯玖の手を握り返し、もう一度だけ「ごめんなさい」とつぶやいた。伯玖は項垂れたまま顔を上げなかったが、触れた指先に力がこもる。やがて降り始めた雨がバス停の錆びた上屋を叩き、周囲には単調な雨音ばかりが周囲に響いていた。
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