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きなこ湯
2024-09-23 14:27:09
4355文字
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海鳴りが聴こえる夜に
深夜のジャバウォック寮でホットミルクを飲む、寝付けない白波蓮と特待生の話。
episode3読了前提の内容です。
浅い眠りの狭間を揺蕩っていた意識は次第に明瞭になり、蓮は重いまぶたを持ち上げた。暗闇に慣れた目は自室の天井を映している。実家ではなく、寮の部屋だ。ひとまず安全な場所に寝転がっている。わずかに安堵し、胸の内に響く不安を落ち着けるべく片手で首元を擦った。ここは陸だ。水は遠い。息ができる。理不尽に自分を脅かすものは何もない。
覚醒するまでの浅い眠りで嫌な夢をみた。わずかに冷や汗を掻いていた。就寝していたとするには早すぎるペースで脈打つ心臓に苛立ちながら、静かに深呼吸を繰り返す。そうしているうちに悪夢の仔細はたちまち薄れ、後には夜の浅瀬に足を浸すような漠然とした不安のみが残った。
枕元に置いたスマホを挿しっぱなしの充電コードごと手繰り寄せ、寝起きでもつれる指を駆使してロック画面を表示させると、時間はまだ深夜二時だった。これから起きているには早すぎる。気分は優れないがどうにか眠ろうと寝返りを打ち、枕の位置を整え直して、それから大きく嘆息しながら起き上がった。やはり、どうにも寝付けそうにない。
スマホを引っ張ってスウェットのポケットに突っ込み、スリッパを足で探ってひっかけた。グール生徒三人のみで構成されるジャバウォックに、深夜の外出を禁止する類いのルールは存在しない。仮にそのようなものがあったとして、蓮は己が割に合わないと判断すればそれを破ることを躊躇わなかっただろうが、それはまた別の話である。
ジャバウォックには得体の知れない怪異動物ばかりが跋扈しているが、基本的にそのほとんどが寮の中まで入って来られないようになっている。特に生徒の私室が位置する生活スペースは、一般生徒の受け入れがあったことの名残だろうか、広さのわりに気味悪いほどがらんと静かだ。
蓮は足早に空き部屋の並ぶ廊下を抜け、階段を降り、給湯室へと向かった。水でも飲んで気分転換しようと思ったからである。欠伸と舌打ちを噛み殺しながら引き戸を開け、息を呑んだ。
暗がりの中、ぽつんとひとつだけ電気が点いている。シンクの上にある、手元を照らす用に設置された小さな蛍光灯だ。
そのわずかな光を遮るように、キッチンの前にひとりの人間が立っている。
「
……
先輩?」
訝しげな声でそうつぶやくと、彼女は弾かれたように蓮を振り返った。
正面に立つと、蓮が彼女を見下ろすくらいに華奢だ。だから、パジャマ代わりに陽が勝手に貸し付けた蓮のTシャツとオーバーオールは、くたびれた襟ぐりが広く開いて随分と無防備である。
「蓮くん。こんばんは」
普段よりも控えめな声がささやく。
生真面目そうに会釈する姿がこの状況に噛み合わず、蓮は愛想笑いとも苦笑ともつかぬ中途半端な表情で彼女を見下ろした。
「何してんすか。こんな時間に」
「その、目が覚めちゃって」
「
……
そっすか」
そうだろうとは思っていた。蓮も同じくしてキッチンを訪れたのだから、ごく自然なことである。
監査を命じられた任務を終えてDAへ帰還した後、彼女は一時行方不明となっていたことから、簡単な健康確認が取られた。その足で報告書作成のためジャバウォックへ向かい、夜も遅いから今日は泊まって行けばいいと言ったのが陽である。彼女の部屋着として蓮の私物が貸し出されることになったのは、同じく自由勝手な寮長の独断による前例があったからで、そこに蓮自身の意思は介入していない。
苛立ちか不満かこれと言い決められぬ不快感に眉根を寄せながら、蓮は黙って戸棚から適当にマグカップを取り出した。水を汲もうとシンクへ向かい、ぼんやりと突っ立ったままの彼女を「そこにいられると邪魔なんで、さっさと退いてください」と雑に押し退けようとしたところで、持ち上げた腕が中途半端なところで止まる。
「あ。蓮くんも飲みますか? ホットミルク」
「
……
」
「
……
あの、蓮くん?」
「
……
べつに、俺はどっちでもいいっすけど」
「じゃあ、二杯作っちゃいますね。マグカップ、貸していただけますか?」
言われるがままに差し出して、あ、と声を上げる。
「片付けまで先輩がやるんすよね、それ」
「え。まあ、そうですね。言い出しっぺは私ですし」
「じゃ、そういうことで、任せましたから」
椅子を引いてどっかりと腰掛ける。中途半端なところで睡眠を遮られたからだろう、身体の奥に泥のような疲労が重しをつけて離れない。まぶたは鈍く垂れ下がるのに、頭の中だけ妙に冴えているから眠れない。眠りたくないわけではないのに寝付けないことがつらい。
何度目かわからない嘆息を深く吐き出す。手持ち無沙汰にスマホを開こうか迷い、眠りたいのに目の覚めるような眩しい画面を見る気にもなれず、結局ポケットからは出さなかった。その結果、自然と視線が目の前にいる人間へと吸い寄せられる。
袖を捲ってもまだ余る。裾はやや引き摺っているように見えるし、肩の縫い目が肘の上まで落ちていた。光源はくすんだ蛍光灯のみで、首元が青白く照らしだされている。
こうして見なくとも、特待生はどこにでもいるような女の子の一人だった。華奢で、少なくとも蓮には腕力で勝てそうにない体躯。己を守るわかりやすい武器の携帯も許されず、ただ〝監査役〟として都合のよい性質を保持している、その一点のみでDAに在籍している。彼女が通年課題の中心人物であることは蓮だってもちろん承知していたが、まさか自分がここまで露骨に関わりを持つとは思っていなかった。
だから、今なら外野の勝手な印象に少し修正を加えることができる。学園の特待生で、グール生徒の監査役である彼女は、存外にタフだ。身体的にではなく、おそらく精神的に。そうでなければ、二度も三度も監査役の任務を完了させられるわけがない。
不意に軽快な電子音が鳴り響く。彼女は電子レンジからマグカップをふたつ取り出し、器用に肘でレンジの扉を閉め、片方を蓮の前に置いた。それから、戸棚に並ぶ砂糖瓶とスプーンを二本持ってくる。
「お待たせしました。お砂糖ほしかったら、これで」
「こんな時間に砂糖とか、太りそうっすね」
蓮の何気ない一言に特待生は一瞬顔を強張らせたが、曖昧に笑って誤魔化した。
「で、でも。眠れない夜には甘いホットミルクが一番じゃないですか?」
「俺は水飲みにきただけなんで、ホットミルクが飲みたかったわけじゃないし」
「う
……
い、いらなかったですか?」
「
……
、飲まないとは言ってないでしょ」
蓮は砂糖瓶の中に落ちた計量スプーンを取り出し、一、二杯を白い水面に落とした。スプーンでマグカップの底をざりざりとかき回し、ひと口啜る。温められた牛乳特有の甘い香りが立ち上り、頬の高いところに薄らと蒸気が触れた。
砂糖を落とした、深夜のホットミルク。わざわざ準備をするのも、飲み終えたマグカップを片付けるのも面倒で、少なくとも自主的に味わうものではない。何とも言えぬ感慨に浸りながら啜っていると、遠慮なく向かいに座った彼女が不意に小さく笑いをこぼした。
「
……
何すか?」
「ああ、えっと。すみません、思い出し笑いというか。大したことじゃありません」
「はぁ。急に笑うの、普通に気味悪いんでやめたほうがいいすよ」
「そ、そうですか。そうですね。すみません、気を付けます」
「
……
」
よく考えなくとも、彼女にホットミルクを頼んだ時点で、こういう構図になるのは自然な流れだった。マシンガントークの陽と言葉の通じぬ叶空しか身近にいないせいで、人とのコミュニケーションの取り方がぎこちなくなっている自覚はある。薄らと居心地の悪さに覆われながら無言でホットミルクを飲み進めていると、不意に、特待生が話を切り出した。
「蓮くんって、スマホのゲームをしていますよね」
「はぁ、まあ。先輩がどれのことを言ってるのかまでは知らないっすけど」
「すみません、私はよく詳しくないのですが
……
でも、なんだかいつも楽しそうに遊んでいるなって思ってました。たくさんあるんですね」
「たくさんっつーか、まあ適当に飽きないのをいくつかDLしてるだけっす。それに、まともに運用できてんのひとつくらいしかないし
……
はぁ、面倒な仕事を押し付けられなきゃよかったのに」
「そのゲーム、そんなに時間がかかるものなんですか?」
「や、ガチじゃないんでデイリーとノルマやりゃ充分っす。せいぜいエンジョイ勢ってところで」
「へえ」
「何、先輩、興味あるんすか?」そう口走ってから、あることを思い出す。「そういや、今ちょうど新規ユーザーの招待キャンペーンやってるんだっけ
……
先輩、スマホ貸してくれません?」
「え? はぁ、どうぞ」
「どうも」
蓮は素早くアプリストアを開き、メインで稼働させているソシャゲのタイトルを打ち込んだ。ブックマークし、ホーム画面へと戻る。
「これ、時間ある時にDLしてくれればいいんで」
「えっ」
「んで、後で招待コードとフレンドコード送るんで
……
これ、俺の連絡先です。ここに送っとくんで、登録してください」
「は、はぁ」蓮からスマホを受け取り、しげしげと画面を見下ろす。「
――
わ、かりました。せっかくなので、私もやってみます。でも、その」
「何すか」
「今じゃなくていいんですか?」
率直な言葉に、蓮は思わず息を吐くように笑った。
「先輩、意外と不良なんすね。もう二時半っすけど、これから新しくゲーム始めるんすか? 明日、普通に授業だけど」
「
……
たしかに。じゃあ、明日以降にダウンロードしますね」
頷きながら、蓮は静かに欠伸を噛み殺した。
まぶたが重い。今ならすんなりと眠れる。そう直感した。
蓮が眠そうにしていることに気付いたのだろう、特待生は空になったマグカップをふたつ持って立ち上がった。
「お喋りに付き合ってくれて、ありがとうございました。もう遅いから、そろそろちゃんと寝た方がいいですね」
「
……
そっすね。じゃ、片付けは先輩に任せたんで」
「はい。おやすみなさい、蓮くん」
もう一度込み上がってきた欠伸を嚙み殺しながら、蓮はのそりと立ち上がった。
去り際、少しだけ迷い、後ろを振り返る。
「先輩。
……
おやすみなさい」
そう不愛想につぶやくと、彼女はぱっと顔を上げて、それから笑顔で頷いた。
自室に戻って布団の中に潜り込むと、さっきまでの苦労が嘘のように素直な眠気が忍び寄ってきた。口の中に、まだ甘いにおいが残っている。両腕で抱き込むように掛布団を手繰り寄せ、目を閉じて、暗闇に微睡んだ。とろとろと、あっと言う間に眠りへ落ちてゆく。
蓮の脳裏に浮かぶ黒々とした漣の影は次第に薄れ、海鳴りは静かに遠のいた。
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