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きなこ湯
2024-09-23 14:25:47
4449文字
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きっと寂しくない
七月、奇妙な孤独死を遂げた事件の調査任務へ行く草薙伯玖と特待生の話。
伯特ワンライのお題「孤独」より。
現場は東京近郊の住宅街のはずれにあった。都内の中心部まで電車一本で三十分から一時間ほど、いわゆるベッドタウンである。鈍行のみ停まる閑静な駅を出て、やや寂れた商店街を通り過ぎ、団地を横目に延々と続く坂道をのぼった小高い丘の上に建てられた一軒家だ。戸建住宅や団地を見下ろせる場所に位置しており、年季の入った築四十年ほどの物件。この場所まで来ると周囲はシンと静寂に満ちている。時々、南風に乗って電車の走行音が聞こえてくるくらいで、人の生活音はあまり届いてこない。まして日付の変わる一時間半前という遅い時間ならば、すれ違う人の姿など見当たるわけがない。
錆びた街灯を頼りに階段をのぼり終わったところで、伯玖は後ろを振り返った。
「大丈夫かい」
「はい」咄嗟にそう応えてから、ハッとして続ける。「でも、あの、少しだけ休憩してもいいですか?」
「ああ、うん。この階段は結構きつかったでしょ。水飲む? これ、駅の自販機で買ったやつ」
「ありがとうございます」
差し出されたペットボトルを受け取り、キャップを開ける。パキ、と新しいものを開封した手応えがあり、特待生は内心申し訳ない気持ちになりながらありがたく口をつけた。すっかり息を上げている自分と比べ、ここまで先導してきた伯玖から疲労の気配は感じられない。どちらかというと線の細い柔和な印象が強かったが、しかし軟弱そうな雰囲気はない。いくらか姿勢を崩してもどこか品があるように見えることには、草薙伯玖という人間に一本通るしなやかな芯の強さがあることを思わせた。
咽喉を通る冷たい水が心地よい。三分の一ほど一気に飲み込んだところで、特待生は口元を拭った。いくらか呼吸も整い、落ち着いて伯玖を見上げる。
「ん、もう大丈夫?」
「はい。お待たせしてごめんなさい」
「いーの、これくらい。ま、ゆっくりしていられないのも事実だけどね」
六月末、住宅街のはずれにある一軒家から一人の遺体が発見された。半ミイラ化の進んだ遺体の損壊は酷かったが、発見現場とその状況から、身元の特定は早い段階で終了する。身元は件の家で長年一人暮らしをしていた老人だった。
孤独死である。
周囲に人の気配がないことを入念に確かめ、立ち入り禁止のテープをそっと潜る。伯玖に手を支えられて踏み込んだ敷地からは、深くふかく木材の奥底に染み込んで消えない異臭が色濃く漂い、マスク越しにも不快感が強い。一部崩れたブロック塀の内側には縁側と中庭があるはずだが、そこにもびっちりと袋詰めされたゴミの山が築かれていた。
遺体の発見が遅れたことの理由には、その人物に近親者がいなかったこと以上に、現場の環境があった。近辺でもゴミ屋敷として有名だったという。
「うわ、こりゃまた酷いな。おまえさんは無理しないで、外で待っていても
……
」
「大丈夫です。お邪魔でなければ、一緒に行かせてください」
「
……
そう、わかった。だが、無理はしなさんな。しんどくなったらおれに言うんだよ」
「はい」
特待生が力いっぱいに頷くと、伯玖はそれ以上追及してこなかった。
ギギ、錆びた引き戸が甲高く軋む。懐中電灯を点けて家の中を照らすと、壁の半ほどまで積み上げられたゴミ袋の表面がてらてらと反射した。足元を何か小さな影が過ぎったような気がしたが、それが虫か鼠か、はたまたもっと別の何かだったかまではわからない。自身の衛生観念に基づく本能的な嫌悪感がぞわぞわと背筋の神経を逆撫でる。思わず呻きそうになった声をぐっと呑み込み、特待生は伯玖に続いて土足のまま廊下に踏み入れた。
酸のようなにおい、生ごみの腐ったにおい、木材の湿気たにおいが混じり、二重にしたマスクを易々と貫通する。その上、梅雨が明け本格的な夏本番を迎えたこの頃、夜半になっても執拗にまとわりついてくる蒸し暑さだ。うなじの後ろ髪や前髪が汗で肌に張り付き、行き場のない気持ち悪さが重なる。
廊下から台所、洗面所、物置から押入れに至るまで、家の中はゴミの山であふれていた。懐中電灯の明かりがすぐ近くで反射して、思わず目を細める。どうにか進んだ先にある寝室はゴミが壁のように迫り、四方八方にぎっちりと押し込まれている。
「こりゃあ、熱心なことで」
伯玖は淡々とつぶやき、寝室の中をぐるりと懐中電灯で照らした。かろうじて歪んだ畳が見えるのは部屋の中心に敷かれた万年床の蒲団のみで、そこを盆地にゴミ袋の山脈がぐるりと巡る。
まるで、あらゆる隙間を徹底して埋めるように。
「
……
本当だ。窓も目張りしてあります。こんなに入念に
……
」
「ただの出不精でこうなったとは、ちょっとばかし考えづらいな。それに
……
ほうら、出てきた」軍手をつけた手で敷布団を捲る。湿気で波打つ畳には、擦れて文字も見えなくなったお札が何枚も張り付けられていた。「件のご老人は〝家の外から訪ねてくるもの〟に酷く怯えていた、これはもう間違いないな」
事前資料によって判明している点は、主にふたつ。
ひとつ。老人は家から一歩も出られない状況にあり、人知れず死んだ孤独死であること。
ひとつ。最後の目撃証言によると、老人は「家の外から訪ねてくるもの」「建物などにある隙間の影」に酷く怯え、恐慌状態にあったこと。
孤独死自体は珍しい事象ではない。しかし、二、三年前までごく普通に暮らしていた人間が、一歩も外に出られず家の中で餓死したというのは異常だ。DAが調査を指定したことには、現行の法ではかれない〝何か〟の影響を想定してのことである。
「〝訪ねてくる〟類いの怪異には前例がかなりある
……
今回もそうなら、まあ、身元を辿っていくのが妥当だな。お札まで出りゃあ異常なのは間違いないし
……
ん、特待生?」
ぶつぶつと推論を独り言ちていた伯玖が、不意に後ろを振り返る。
呼ばれた特待生はハッとして顔を上げ、立ち上がって首を傾げた。
「すみません。何でしょう?」
「いや、独り言だったから別に聞いていなくて構わんけど
……
そうじゃなくて、気分でも悪いか? しゃがんでたろ」
「ああ」
特待生は納得したように不安げな表情をやわらげ、首を横に振った。
「私は大丈夫です。気分が良いと言ったらもちろん嘘ですけど、そうじゃなくて」
歯切れ悪くそう言ってから、特待生は控えめに足元を指さす。指輪の嵌った人差し指が二人の足元
――
遺体の横たわっていた蒲団から、すうっと玄関に繋がる廊下を指していった。
「道ができてるな、と思って」
「まあ、警察の現場検証もあったしな。おれたちがはじめて踏み入ったわけじゃあない。遺体を運び出すにしても、通路は開けなきゃならんだろ」
「それは、そうなんですけど。でも、基本的にこういう現場って捜査のために保存されますよね」
「ああ。捜査が終わったから、明日この現場には清掃が入る。それより前に状態を確認するのは今夜が最後のチャンスだ
――
そういう話だったな」
いまいち結論の読めない会話だ、伯玖が困ったような苦笑交じりに言葉を返すと、特待生は平淡な声で言った。
「
――
この道は家の主が作ったものだと思うんです」
「
……
、どうしてそう思う?」
「捜査のために踏み入った人たちがいたんだと思います。遺体を運び出すために、この道をひらく必要があった。外からこの家に踏み入るなら、玄関から部屋の中へと移動させた痕跡があるのが自然じゃないでしょうか」もう一度、華奢な指先が足元を指す。「でも、この畳の汚れは、部屋の内側から玄関の方角へ向かっています」
伯玖が足元に懐中電灯を向けると、たしかに畳の擦れた痕跡が残っていた。ひとつやふたつではない。自分を守るために築いたゴミ山を力いっぱいに押し退け、擦り、中身の染みた汚れである。
「
……
たしかに、そう見えるな」
――
しかし、外から訪ねてくるものに怯え、家の中に閉じこもって息絶えた老人が、一体なぜ?
当惑が沈黙に滲んだ。じっと足元を見下ろす伯玖に、特待生が慌てたように手を振って言葉を続ける。
「あ! あの、たいしたことじゃないんです。本当に。今回の事件には関係のないことだと思いますし
……
その。つまらないことを言って、すみません」
「おまえさんが謝ることはないよ。おれ一人じゃ見逃していただろうし」
「でも
……
べつに、大した発見じゃありません。当たり前のことというか、普通のことというか」
「当たり前のこと?」
伯玖が繰り返すと、特待生は不思議そうに頷いた。
「ひとりで死ぬのは怖いです。きっと、得体の知れないものに生活を脅かされるのと、同じくらいに」
淡々と言い放った特待生に、伯玖は一瞬返す言葉を失った。それに気付いた素振りはなく、彼女は懐中電灯を胸の前でぎゅっと握った。華奢な指に、不似合いな指輪が行儀よくぴたりと寄り添っている。
「外に出られないくらい、この家の人を脅かした怪異は恐ろしかったんだと思います。でも、家の中で飢えて、苦しんで、怯えて、誰にも助けを求められなくて。それで迎えた最期もきっと、怪異と同じくらい苦しかった。私には
……
なんとなくですけど、そう思えるんです」
「
……
」
「外からくる怪異に怯えていたなら、外に出ようと道ができているのはおかしいかもしれない。ですが、そもそも餓えて衰弱死するまで家の中に閉じこもっているほうがおかしい。だから、その点が重視されないのもべつに普通だと思います。なので
……
その。さっきの言葉はただの感想なので、気にしないでください。調査には関係なさそうですし
……
」
「
――
特待生、」
それから彼女の名前を呼ぶと、特待生はきょとんを目を見開いた。
「はい、なんでしょう」
「
……
今夜の調査は充分だろう。さすがに、長居するわけにはいかんしね。誰かに見つかる前に、そろそろお暇するとしよう」
そう言うと、特待生は素直に「わかりました」と頷いた。
伯玖は特待生の手首をゆるく掴み、そのまま現場を後にする。長く続く階段を降り、家の影が夜空に黒々と浮かぶ踊り場まで来たところで、重ねづけしていたマスクを外した。じっとりと生温い夜風が吹き、嫌な汗が浮かぶ首元を誤魔化し程度に冷やしてゆく。
伯玖が特待生の手を引く間、二人の間に会話はなかった。掴んだ彼女の手首をちらりと見下ろし、喉の入り口までせり上がってきた嘆息を呑み込む。結局、銀河鉄道へ乗り込むまで掛ける言葉が思いつかなかった。
星の海を、列車が泳ぐ。他に乗客のいない列車の中、二人は座席の中心に並んで座っていた。
ふと、特待生が何でもないことのようにつぶやく。
「伯玖さんが見つけてくれたから、私、きっと寂しくないですよ」
「
――
、」
――
勘弁してくれ。もう、七月なんだぞ。
悲鳴じみた心の声とは裏腹に、伯玖の口は使い古した苦笑を浮かべるのみだった。
銀河鉄道は、DAへ到着するアナウンスを淡々と告げている。
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