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きなこ湯
2024-09-23 14:24:23
4206文字
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幽霊香る
学園内で怪異に遭遇する特待生と草薙伯玖の話。
ギイ、ギイ
――
と。
鉄の擦れる音が、夕暮れの中庭に人知れず響いている。
特待生はぼんやりと歩く足を止め、ぐるりと周囲を見渡した。辺りに自分以外の人間の姿は見られない。校舎の方角から、わずかに人の声が聞こえてくるばかりだ。足元を通り抜ける夕風はひんやりとしていた。物音は、存外近くから聞こえてくる。なぜだかその場から離れる気にならず、視線を左右に巡らせると、すぐそれに気が付いた。ブランコが夕風に揺れ、錆びた物音を響かせている。
本校舎から出て舗装された煉瓦道を歩き、蓮の花が浮かぶ噴水を横目に右手へ折れると、特別教室が集まる区画へと辿り着く。その道の途中、公園でもない芝生の上に、そのブランコはぽつんと設置されていた。しかし、ブランコへと続く道筋は見当たらない。特待生の目の前には腰下までの高さがある鉄の柵が並んでいた。奇妙な光景を前に、ふと思う
――
どうしてこんな場所にブランコが?
ギイ、ギイ、と。ブランコが夕風に揺れ、鉄の擦れる音が人知れず響いている。その緩やかな動きを眺めていると、なぜだか懐かしい気持ちがした。夕暮れ時が惜しかった、子どもの頃の感覚を思い出す。夕焼けチャイムを疎く思い、しかしルールを破る度胸もなく、また明日と手を振ったあの日のことを。あの頃の自分は、果たしてこんな未来を想像していただろうか。
特別教室区画へ向いていた足をぐるりと方向転換させ、特待生は来た道をわずかに引き返した。目の前には鉄の柵があるが、なにも封鎖されているわけではない。少しだけ遠回りをすれば、ブランコへ辿り着くことは容易だった。
柵の終着点まで戻り、補導から芝生へと片足を踏み入れる。さくり、靴の裏が柔らかい草と土を踏んだ瞬間、
「
――
あんた、何してる⁉」
背後から右腕を強く掴まれ、特待生は後ろに大きくよろめいた。転びそうになるところを、引っ張った本人が肩を掴む形で抱きとめる。掴んだ指がやや食い込むくらいに力が入っていた。特待生が仰ぐように後ろを振り返ると、逆光に透ける若草色が見える。
「
……
伯玖、さん」
茫然とつぶやくと、伯玖は見開いた眼をわずかに伏せ、短く嘆息した。
「もう一度訊くよ。おまえさん、今、何をしようとした?」
「な、何って」穏やかだが語気の強い声にたじろぎながら、拙い言葉をどうにか続ける。「その
……
ブランコがあるなと、思って」
「思って?」
「の、乗ろうと、しました」
「
……
はぁ、うん、ありがとね。その様子じゃ知らんのでしょ。乱暴にして悪かったよ。痛むところは?」
「な、ないです。ぜんぜん。あの、伯玖さん。
――
私、何か危ないことを
……
?」
伯玖は薄らと苦笑いを浮かべて頷いた。
「あのブランコね、先客がいるのよ」
「先客?」
「見えない?
――
いや、見えるはずだ。おまえさんでも、影ならね」
影。伯玖に促されるまま視線を落とし、特待生はあっと声を上げた。
――
影がある。ブランコに乗っている、少年の影が。
「一応、学園が管理してる〝無害な〟怪異だから、命をとられるまではないかもしれんが。でも、さっきの様子を見る限り、引き止めて正解だったかな。どうみても
――
引かれてたぞ。向こうに」
「ひかれ
……
」言葉の末尾が頼りなく途切れる。「は、伯玖さん。助けてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。ま、大事なお姫様が目の前で他の男に拐かされてる姿なんか、おれも見たくはないからね」
「ひ
……
、そ、そうですか
……
」
「お。照れてる?」
「困ってはいます」
「あら。そうむくれなさんな、可愛い顔が勿体ない」
伯玖の片手が、慣れた様子で特待生の頭を撫でる。特待生は少しばかり不満そうに眉根を寄せながら、されるがままになっていた。その大人しい様子を眺めた後、伯玖はするりと彼女の手を取る。
「さて、危なっかしいお姫様をエスコートでもしますかね。どちらへ向かうご予定で?」
「えっと
……
怪異情報学室へ」
「承知しました」
特待生の手を引きながら、そっと横目で背後を伺う。ブランコは夕風に揺れ、鎖が擦れるかすかな物音を響かせていた。普段より大きく揺れるのは、それが言葉なき自己主張の一環であるからか。
不満そうな影の主に向け、伯玖は静かに眦を細めた。
――
やらんよ。この子はダメだ。
「伯玖さん?」
「
……
ん、ああ。すまんね。さ、行きましょーか」
そっと握った手を見下ろし、伯玖は心の内でつぶやいた。
――
この子はダメだ。どこにもやれない。おれが拐ってきたから。危なっかしい後輩から目が離せないのも困りものだと思いながら、自嘲ぎみに苦笑をこぼす。
・
「伯玖さん! こんにちは。お散歩ですか?」
「あ
――
ああ、
……
」
伯玖は返す言葉に窮し、曖昧に頷いた。
季節外れの冷たい風が吹き抜けた。冷や汗の浮かぶうなじに触れる。まるで、嫌な悪夢でもみているような光景だ。
夕暮れ時の廊下に、長い、ながい影が落ちている。伯玖と特待生の足元に、みっつの影。まっすぐに差し込む西日に照らされ、影の境界線がくっきりと浮き上がってくるようだった。三人目の影は
――
ぐらり、ゆらり、ぐらりと
――
特待生の背後に高く吊るされている。
どこから連れてきたんだそんなもの。伯玖は引き攣った口元をどうにか笑みの形に押し留め、視線を向けたことを気取られないよう特待生を見下ろした。伯玖を見上げる彼女の態度に大きな変化は見られなかったが、何も気付いていないとするには真剣な眼差しに見える。
「
……
そう、日課のお散歩。あー、おまえさんが隣を歩いてくれればもっと良いんだが、付き合ってもらえるかな」
「もちろん、喜んで」
その返事を受け、伯玖は特待生の肩に腕をまわした。薄い肩が強張っている。手のひらで擦るようにしながら、空いた反対の手で怪具ホルダーを引っ張り出した。首元に冷気が忍び寄ってきた。饐えた匂いを振り払うように、笛へ息を吹き込む。
「
……
、よし。気配はないな。ひとまずは除けただろ」
そうつぶやくと、特待生は深く胸を撫でおろした。かたく握った両手がかすかに震えているのを己の腕の中に見下ろし、伯玖は静かに得心した。
――
やはり気付いていた。自分がよくないものに憑かれていることを。藁にも縋る思いで助けを求め、伯玖へ話しかけたのだろう。
「大丈夫かい」そう声をかけてから言い直す。あんなたちの悪いものにつきまとわれて、大丈夫なわけがない。「いや、無理はしなくていい。気分が悪かったり、体調に変化は?」
「ないです、ぜんぜん。助けてくれてありがとうございました」
「どういたしまして」
こんな場所で立ち話を続けても、と特待生の手を引いて中庭へ歩き出す。夕焼けが一帯に広がっており、伯玖はその眩しさに目を細めた。
店じまいの後なのだろう、人の気配のないキッチンカーの近くにあるベンチへ座り、空いた隣をぽんと叩くと、特待生は律義に軽く会釈してから浅く腰掛けた。揃えた膝の上に置いた拳は、かたく握って強張ったままだった。
無理もないと素直に思う。縊首体の幽霊が自分の背後にひたりと寄り添って離れない
――
その上、自分には抵抗する手段がない。そんな状況で気丈に振る舞えと言うのはあまりに酷だ。
慰めの言葉がいくつか浮かび、しかし伯玖は何も言えずに開いた口を閉ざした。口下手な方ではないと自負していたが、なぜだか彼女の沈黙を破ることが躊躇われた。
やがて、特待生は結んでいた手をゆるりと開き、長く息を吐き出した。
「すみません。助けてもらったのに、こんなで」
「いや。おまえさんが謝ることじゃないでしょ」
「
……
ありがとうございます。伯玖さんが隣にいてくれると、安心します。私ひとりじゃ、何もできませんから」
「そう謙遜することもないでしょうよ。おまえさんが素知らぬふりを徹底していたのはよかった。ああいうのには、そもそも気付かないことが一番効く」
「やっぱり。でも、なかなか離れてくれなくて」
「そういうときは、素直におれを頼りなさい。まあ、おまえさんが大丈夫だと判断した人なら、おれじゃなくてもいいけどね」
「
……
ありがとうございます」
伏せたまぶたを見下ろし、伯玖は静かに嘆息を堪えた。
――
おれを頼れ。嘘偽りのない本心だ。彼女が怪異に脅されて助けを求めているとき、最大限に手を差し伸べる心の準備がある。それは、本来ならばこんな場所へ連れてこられるべきでなかった彼女を、他でもない自分が拐ってきたからであり
――
彼女を不自由な世界に押し留めてしまったことへの独り善がりな自責もあった。
おれが拐ってきたから、彼女はここにいる。
ここにいて、目に見えぬ首輪をはめられ、表面上ばかりの人間扱いに甘んじることを強いられている。
羽根を切られた鳥の苦しみと屈辱を、味わせている。
「くどいようだが
――
本当に、おれはいつだっておまえさんの力になるよ」
「
……
」
「だから。もし、おれを同じだけ危険な目に遭わせると遠慮しているなら、それだけはやめてくれないか」
「
……
、
……
伯玖さん」
「うん?」
「ありがとうございます。本当に」
特待生は俯いていた顔を上げ、隣に座る伯玖を見上げた。
夕風が吹いて、肩の上で切り揃えられた髪をはらりと揺らした。目元が隠れる厚い前髪の向こうに、伯玖をまっすぐに見返す瞳がある。一欠片の疑いもない眼差しだ。
ああ、と自嘲しそうになる。伯玖にはできる範囲で彼女を助ける心積もりがある。だが、こんな男を信じてくれるなとも願ってしまう。
おれなんかを信じて傷付くさまは見たくない。
「
――
私を助けてくれたのが、伯玖さんでよかった」
――
違う。眼差しに宿る信頼が潰え、いずれは失望に冷えるのだと思うと、さすがにやりきれない。
それだけの浅はかな動機だ。
彼女の手を引いて銀河鉄道に乗り込んだあの日の伯玖は、こんなに息の詰まる思いを味わうなどほんの少しも想像していない。己の浅慮に、他者へ向ける眼差しの薄さに嫌気が差す。
これは何かの罰だろうか。たとえば、自由を愛するものからそれを奪った、ひとでなしへの。
「はは。そうも言ってもらえるとは、光栄だな」
まっさらな首筋から花の死臭が立ち昇る錯覚をおぼえ、伯玖はそっと視線を逸らした。
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