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きなこ湯
2024-09-23 14:23:21
4285文字
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おつかれ焼きカレー
任務帰りのマークスに焼きカレーを作って労う候補生の話。
主に候補生の生い立ちなどを大幅に捏造しています。
寮の共用キッチンは自由に使っていいことになっている。なので、冷蔵庫に私物をしまう時はきちんと記名しておく必要がある。さもなくば、ちょっと冷やしておくだけのつもりだったプリンなんて跡形もなくなっているのが常である。もっとも、記名さえしてあればたいがい自分の手元に戻ってくるぶん、良心的とすら言えるかもしれない。飢えに寒さに追い立てられた人間は品よく書かれた名前などわざわざ気にかけるわけがないと知っている。
せいぜい二、三人分用に作られた小さめの鍋を取り出し、蓋を外してからコンロにかける。鍋の半分ほどを満たすのは、一晩寝かせた残りのカレーだ。
慌ただしい平日と違い、日曜の朝は比較的ゆったりと時間が流れている。早朝とするには遅い時間だが、予定もないのにわざわざ起き出すには少しだけまだ早い。もちろんキッチンに人の気配はなく、カレーを温め直すかすかな音ばかりが静かに響いている。
空気を入れ替えるべく一番に窓を開けたからか、キッチンの中はやや肌寒い温度で満ちていた。上着を持ってくればよかったかもしれないと襟元を寄せながら、もう反対の手でおたまを握って鍋の中をぐるりとかき混ぜる。冷蔵庫から取り出した時には表面に薄い膜を張っていたカレーは、しだいに他人行儀な顔をとろりと崩しはじめ、スパイスの利いた魅力的な匂いを立ち昇らせた。
食欲をかき立てるそれに思わずうっとり目を閉じて鼻歌を口ずさむ。スパイスとは何とも偉大な存在だ。過酷なサバイバル訓練で食うに困って何とか捕まえたカエルの肉すら、スープにしてカレー粉を振りかければなかなか良質な夕食に様変わりする。連合軍指定の標準装備の中にスパイスの類は含まれていないが、少なくとも野営が想定される作戦では必需品となるに違いないと信じている。
ふわりと漂う白い湯気を見上げ、その行く先を視線で追うと、キッチンの入口で赤い双眸と目が合った。
癖が強くてところどころ跳ねている灰色の髪は、普段以上に自己主張強く荒れていた。寝癖ではなく、徹夜明けの任務帰りだからだろう。防寒具や上着は脱ぎ、黒の半袖インナーとズボン姿だ。目の下には薄ら隈が浮かんでおり、顔色もどこか青ざめていてあまり良くない。
狙撃手としての任務は多岐にわたる。マークスは絶対非道の行使できる貴銃士という役目だけでなく、優れた狙撃手という役目で任せられる任務も少なくない。昨日の夜に士官学校を出たことを考えるに、夜の間に待機場所へ移動し、夜明けを待っての精密狙撃を求められたのだろう。ほとんど徹夜の任務である。
ぼうっとしたまま佇む様子を見るに、一度寮に戻って仮眠をとってはみたものの、空腹で起きてきた
――
といったところだろうか。
そんな推測を裏付けるように、ぐう、と腹の虫が大きな声を上げた。もちろん私ではなくマークスの。
マークスはパッと両目を見開き、腹部をさすりながら重い足どりでのろのろと近寄ってきた。
「
……
マスターの、カレー」
すぐ目の前にまで迫ってきたマークスの顔を見上げ、その気迫に押されながらぎこちなく頷く。
すると、マークスはくしゃりと顔をしかめた。
「俺だって、マスターのカレー、食べたかったのに
……
!」
――
思い返せば、私が自分用にカレーを作りはじめたところで召集がかかったような気がする。
「マークスのぶんもあるよ」
そう言うと、マークスは私の顔と鍋の中身とを交互に見返して、それからしゅんと眉尻を下げた。
「でも
……
」
マークスは困ったように呟く。軍務は肉体労働だ。カールや在坂のように派手なインパクトこそないかもしれないが、体格の良いマークスだって人並み以上によく食べる。少なくとも通常の一人前では物足りないタイプだ。
私がカレーを温め直す様子を見ていたから、私ひとりで食べるものだと思われたのだろう。もちろん最初はそのつもりだったが、お腹を空かせた相棒がとぼとぼ帰ってきたのを見て、まさかそのままにしておくなんてことはできない。
「まあ、見て」
予定変更。二日目のカレーをただ温めなおすだけだなんてもったいない。せっかくなら一工夫加えるべきだ。
グラタン用の耐熱皿をふたつ、解凍したご飯を二人ぶん、それからピザ用チーズと卵、マヨネーズを持ってくるようマークスに指示する。一瞬ぽかんと目をまるくしたマークスは、ハッとして「了解した、マスター!」と応えた。まるで作戦行動中のように切れのよい声だ。
耐熱皿にご飯を敷き、温めなおしたカレーを回しかける。カレーライスとするにはカレーと米の比率が悪い。おたまを大きめのスプーンに持ち替え、カレーとご飯を軽く混ぜ和えた。その様子を、マークスが後ろから心配そうに覗き込んでくる。
だいたい混ざったところでご飯を均し、中央にくぼみを作る。そこに卵を落とし、マヨネーズを全体に薄くかけ、それからピザ用チーズをたっぷり、満足するまで乗せる。
あとはふたつの耐熱皿をオーブンに入れ、焼き色が付くまで待てば完成である。
オーブンの前に椅子を持ってきて座る。マークスも隣に来て、大人しく座った。落ち着かない様子で大きな手を握ったり開いたりしている。しばらくその仕草をぼんやり眺めていると、マークスは歯切れ悪く切り出した。
「マスター、その。ひとりで食べなくてよかったのか? 俺がいると、マスターのぶんが減るだろう」
「大丈夫。焼きカレーにするならひとりだと多いから」
「
……
マスターがそう言うなら、わかった。俺のためにありがとう」
「どういたしまして」
オーブンの中のグラタン皿がじゅう、と泡立つ。チーズがとろけるさまを眺め、もう少しかなとぼんやり考えていると、マークスがぽつりとつぶやいた。
「マスターはすごい。なんでもできる」
「なんでもって、そんなことないよ」
「ああ、マスターにできないことがないとは思っていない。えっと、そうじゃなくて、俺が言いたいのは
――
」言葉が続かずもどかしそうに両手を組む。「俺が知らないことをたくさん知っているし、俺にできないことがたくさんできる。俺はマスターの相棒で一番の銃だけど、でも、俺には足りないものが多すぎるんだ。
……
たとえば、マスターが作るカレーは世界一うまい。俺に、あんなにうまいものは作れない。何度やっても
……
なんだか、マスターのカレーみたいに、甘くてうまいカレーにならないんだ。それが、俺は
……
」
「悔しい?」
マークスは首を横に振った。
「違う。悔しいじゃなくて
……
さみしい?
……
もどかしい
……
あなたの役に立ちたい。そのために
……
」
ジーッとタイマーが鳴る。マークスは肩を強張らせて一瞬硬直した。驚いた犬みたいだと思って口元が緩むのをこらえながら、ミトンを掴む。
ふわ、取り出したグラタン皿から白い湯気が立ち昇る。スパイスの香ばしい匂いと、とろけたチーズ、ぷっくり膨らんだ卵がつやつやと輝いていた。乾燥パセリを軽く振りかけて、スプーンと一緒にテーブルへ並べる。
「できたよ」
そう声をかけると、マークスはハッとして立ち上がった。
「あつあつのうちが美味しいから、食べよう」
「わかった」
スプーンの先でそっとチーズの海を裂く。ぷつり、解けた卵の黄身が半熟のまま流れ落ちた。軽く和えてから掬うと、湯気が一層濃く立ち昇る。ふう、ふうと息を吹いてひとくち食めば、甘口カレーにチーズと卵、ほんの少し隠したマヨネーズがこってり絡んで、
「んん、おいし~い
……
!」
「
……
はむ、ん、んん
……
!」
それはもう、おいしい。
ただし、この場面をライク・ツーに見られたらお終いだ。焼きカレーをおいしく作るコツは、まず一番に摂取カロリーを考慮しないことである。
マークスの様子をちらりと伺う。焼きカレーの味がお気に召したらしく、はぐはぐと口に運んでは時々熱そうに目を細めている。ピッチャーから水を注いで渡すと、マークスは「ありがとう」と頷いてグラスを受け取った。
「おいしい?」
「ああ! やっぱり、マスターはすごい」
「それはよかった」
食べっぷりを見ていればわざわざ訪ねるまでもなかったが、マークスの声で感想が聞きたかった。
拙いくらいにまっすぐで、人に慣れていないから純粋で、でも愚鈍ではない、私の相棒。マークスが私を誉めそやすたびに、マークスの目に写る誇らしい所有者でいたい気持ちが強くなる。きっと、マークスは私のだめなところを知っても離れてゆかないだろう。それはわかっているが、それでも時に似合わない背伸びをしたくなるのは、マークスが人の形をしているからだ。
「
――
私がカレー作る時はね、マンゴーチャツネを入れるんだ」
「マンゴー
……
?」
「チャツネ。隠し味ってやつ。これを入れると、カレーが甘くてまろやかになる」
「そうなのか
……
」
「お米を使うのは、潜伏先のお手伝いさんが日本にルーツがある人だったから。だから、料理はわりと日本式に馴染みがある方だと思う」
マークスがスプーンを置く。まっすぐこちらを見上げる眼差しを見返し、頷く。
「聞いてほしかったんだ。マークスに、私の話」
「俺が知らない頃の、マスターの話」
「うん」改めて言葉にすると、気恥ずかしさが混じる。「きっと、これからもずっと一緒にいるから」
持ち主とその武器というだけでなく。言葉を交わし、手を繋ぐ、そういう相棒二人で生きてゆくなら。これからずっと先の人生に、マークスが私の隣にいてくれるなら。昔話は得意でないが、知ってほしいと願ってしまう。
未来の話をするために、過去の話をしてもいい。私にとって、マークスはそういう存在だ。
「マスター」
凛とした声が応えてくれる。
「嬉しい。俺は、まだ知らないことが多いけど、マスターと一緒なら大丈夫だと思うんだ。だから
……
」
マークスは立ち上がり、私へ手を差し出した。大きな手に自分の右手を重ねると、ゆるりと引き寄せられる。マークスはわずかに首を傾け、私の手の甲に額を擦りよせた。灰色の癖毛が肌を撫でる。
「だから。これからもずっと、俺をあなたのそばに置いてくれ」
触れあった肌の体温が馴染む。来年も、十年後も、五十年後も。マークスと手を繋ぐ未来があったらいい。人の身体は苦労が多いだろうけれど
――
何度でも労いのカレーを焼けるように。
未来への祈りを込めて、私は触れた手を握り返した。
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