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景生
2626文字
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花足
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片影
親友の縁あってか、花村はどうにもその男を見過ごすことが出来なかった。あからさまにふらついた足取りの足立の腕を掴んで、声を掛ける。振り向いた彼の顔は赤く染まっていたが、酔っ払っている様子には見えなかった。
「あれ。きみ、悠くんの」
「どうも。なあ、刑事さん。送ってくよ」
簡略的な花村の物言いに、足立は首を傾げた。どうして彼に送ってもらうのか、理由が分からない。そう言った表情を見せている。花村にはそれが伝わっていたが、一々説明するのに気が引けた。然程交流の無い人物からの、突然の申し出に困惑する足立。そんな彼を尻目に「あんたの家はどこ」と、花村は強引に話を続けた。
「あはは。どうしちゃったの、花村くん」
思い出したようにぎこちなく花村の名前を呼ぶ足立は、笑ってはいるものの疑心的な含みを持っていた。掴まれた腕は拒否を示すように、微かに引いている。けれど花村は手を離すことはなく、しっかりと足立を留まらせている。その一方的な花村の行為が、足立に警戒心を抱かせた。
「刑事さんは忙しいので、離してくれる?」
二十四時間営業のジュネスの明かりが、外に立ち止まる二人の影を伸ばす。深夜も迫る辺りの静けさが、周囲に誰もいないことを知らせていた。花村は何かを話そうとするも、どう話すべきか迷っている。彼に悪意は微塵も無い。善意のみの行動であったが、足立にはそれを察することが出来ずに、他意のある無言の返事と受け取った。
「ねえ。よく分からないけど、僕はきみの遊びに付き合っている暇は無いんだよね。離してよ」
体調が思わしくないのもあってか、普段は覗かせないような、余裕のない足立の顔が姿を現した。飄々とした態度が鳴りを潜め、花村は鋭い視線に晒される。切り替わるような姿に花村は驚くものの、それよりも言葉の折々に足立から漏れる、苦しそうな息遣いに注意が向いた。どことなく先程よりも顔が火照っているようにも窺える。額に落ちる色味の悪い汗が、店の明かりに浮かび上がった。
「あのさ」花村は腕の手を緩める。目を落としながら、決まりの悪そうな口調で彼は言った。「具合悪そうだから、家まで送ってくって意味っすよ」
花村の言葉に、はたと足立の表情が固まる。予想だにしていなかった返事だったのか、足立は何か言うでもなく、ただ口を少し開けている。花村もこれ以上何を喋るべきか分からないようで、二人は暫し黙って向き合っていた。
「手、熱い」
先に静寂を裂いたのは花村だった。腕を緩く掴んでいた手が次第に降りていき、力無くぶら下がる足立の手のひらに触れた。熱を帯びた感触が伝わり、かっかと燃えるような体温に花村は不安を覚える。視線を上げれば、先程よりも体調の優れない、赤いような青いような、複雑な毛色で揺らめいた足立の顔が目に入った。
「ほら、行こうぜ」
焦燥に駆り立てられて、花村は腕を掴み直す。引き寄せて道なりを進むが、足立が拒むことは無かった。
聞き出した自宅に着く頃には、足立は既に歩くのもままならず、花村の肩を借りていた。玄関で足立を降ろし、靴を脱がせる。倒れそうになったので自分に寄り掛からせると、ぐったりと体重を預けられた。
「大丈夫か、あんた」
返事は無い。立たせるのも辛そうに見えて、花村は足立のスーツのジャケットも脱がせていく。仕立ての良い生地が滑って鳴り、すとんと床に落ちた。皺になりそうだが、当然、病人の介護が優先だ。汗の吸い込んだワイシャツに手を掛ける。すると足立が拒むように手を柔く添えてきた。自分で脱げるという意思の瞳を向けられて、花村は手を離す。
足立が床を押し上げて、よろよろと立ち上がった。思わず介助に近寄るが、ひそめられた眉の下でやめろと睨まれて、花村は伸ばし掛けた手を止めた。
足立はワイシャツとスラックスを脱ぎ落とすと、シャツだけ着て、ほとんど雪崩れ込むようにベッドへ入った。
「おい。何か食えそうか」
枕に頭を深々と潜らせる足立に向かって、花村が訊ねる。精一杯の返事だというように、首を横に振られた。
「じゃあ、薬だけでも飲んでくれ」
ここへ来る間、花村がずっと持っていたジュネスのビニール袋。食べ物や飲み物、栄養剤等が入っており、足立のために用意していたのが窺える。風邪薬を取り出して、ペットボトルの蓋を開けると、それを差し出した。
けれど足立の手付きは覚束無い。震えるような指先に見兼ねて、花村は足立を支えながら、口元に薬を寄せた。今度は拒まれることはなく、足立は素直に受け入れる。渇いた唇が指に触れた瞬間、花村は無意識に瞬きを二回繰り返した。目の前に見える光景が、現実味の無い、霞みがかったような気配がするのに、触れた感覚がやたらと生々しく、その感触だけはっきりと頭に上ってくる。
「飲んだか」
水の入ったペットボトルを受け取ると、足立は目を瞑ったまま頷いた。口の端から溢れる水さえ気にせず、彼はまたベッドの中に沈んでいく。見下ろしたまま、花村は何も言わずに、滴り落ちるそれを手の甲で拭ってやった。
ふと、足立がこちらを見た。
「
……
もう、帰んなよ」
彼は掠れ声でそう言って、最後に小さく礼を添えた。返事をする間もなく、足立の寝息が聞こえてくる。熱に浮かされているような、苦しそうな呼吸だった。
ほとんど気絶みたいなものじゃないかと、花村は眉をひそめる。一体いつから具合が悪かったのだろう。こんな拗れるまで痩せ我慢をしていたのが意外で、普段の飄々とした、戯けた彼からは想像出来ない姿だった。
物珍しさに足立の寝顔を見つめる自分に気付いて、花村は顔を逸らす。妙な居心地の悪さを感じて、ひとまず買ってきたものを冷蔵庫に入れた。動作混じりに、ため息を一つ漏らす。振り返ると、足立の部屋が視界に広がった。
必要最低限の家具だけ揃った、殺風景な部屋。春に越してきたばかりだと聞いていたが、そのせいだろうか。まだ室内には生活感が乏しい。不思議と、どことなくだが、これ以上は物が増えないような、そんな気配を花村は感じた。
変な奴だと、花村は思う。
ベッドの中で眠り落ちる足立を眺める。
明るく、おっちょこちょいの頼りなげな彼の面影が、その日は妙に翳りを帯びたように見えた。
(本当に、妙な奴)
花村は記憶を辿るように、指先を自身の唇にあてがう。
触れた肌が、まだ彼の感触を残していた。
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