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何某
Public
花国
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明くる朝の熱を
花巻さん何があったんすか?みたいな話
普段、洗い物はわりとすぐ終えられる質なのに、今日はなんだか手元がおぼつかない。
グラスふたつを洗い上げるのにどうしてか5分以上もかかっていた。究極に眠いのもある。体が重いのもある。腰から背筋に沿って、背中の筋肉という筋肉が痛みに悲鳴を上げている。
体調が悪いのではなかった。単に昨夜、文字通り抱き潰されそうになったのが原因だ。何が起爆剤になったのかは知らない。ただ、彼が玄関扉を開けてただいまと言い切る前から「そう」だという気配があったのだけは確かだった。外出中、どこで何を拾ってきたのか見当もつかない。靴を脱ぎながらこちらを見据える視線は鋭く、けれど勁烈とした熱をもって俺をとらえていたことだけが事実のすべてだった。
花巻さんのスイッチはいつも唐突に入る。九割方お前が理由だよと笑われたことがあったけれど、じゃあ残りの一割が何なんだという話をせずに今の今まできたことを後悔することになるとは思いもしなかった。だって今は平日の早朝だ。
いつもならまだ余裕で寝ている時刻だった。俺の貴重な睡眠時間を奪った張本人こそ呑気に眠っていて、起きがけに肉のない脇腹を抓っても寝ぼけながら笑うだけで全く起きなかった。
「ふー
………
」
寝たいと本能が訴えるような溜息が出る。腹が空いているのかも定かじゃない。体中がなにか、膜に覆われている感覚がずっとある。身体はこの上なく疲れて、眠気も限界値を突破しているのに気分だけが妙にすっきりしているのが不思議だった。
「早いじゃん」
「
……
!」
おはよ、と掠れた低い声が肩の上を通る。痛む背中に満遍なく張り付いた体温は布越しのものだったけれど、服を着ているのは俺のほうだ。
「寝れなかった?」
「っそ、うじゃない、すけど」
「はは。ひっでえ声」
「
……
誰のせいですか」
「俺」
悪びれる様子もなく、むしろ満悦の表情で花巻さんは俺の喉をくすぐった。
「
……
これから仕事なんすけど」
「風邪ぎみって言っとけ」
「素直に暴漢にやられたって言います」
「騒がれんぞ」
その言葉には深慮があった。仮に、暴漢にやられたと誰かに言ってしまえば面倒なことになるのは必至で、それは俺が最も嫌悪する事態だ。花巻さんはこういう微量の毒でさえも見つけてすぐに解毒してしまう。だから彼に嫌味なんて言えなかった。言えるはずがないのだ。無駄な抵抗は無駄に疲れるだけだったし、上手く躱されることが分かってなおやり続けるなんて消費行動以外の何物でもない。
俺の腹と腰を守るように締めていた花巻さんの手が緩んで降りていった。
「ちょ、っと
……
」
「んー?」
「今からとか絶対無理ですって、」
「うん。しない」
「じゃあ何ですかこの手
……
」
容赦なく際どい箇所を撫でつけられていって、膝の力が抜けそうになる。後ろから抱きしめられて支えられていたおかげで尻もちをつくことはなかったけれど、体をそのまま花巻さんに預ける形になったのはいい状況とも言えない。
「んー、おまじない?」
「はあ?
……
ッ、なに、」
おまじないって何のこと、と言葉になったかは分からないが、伝わってはいたようだった。
「英が今日ずっとえろい気分でいてくれますようにって」
「
……
っぁ、」
「俺のことで頭いっぱいになっちゃう1日にしてやろっかなって思ってさ」
「ば、っかじゃね、
……
」
こういう時の悪態がちっとも効かないことを、俺も彼も分かっている。おまじないなんかじゃない、くだらなすぎる願掛けに、悪あがきみたいな言葉をくっつけても花巻さんは楽しそうに笑うだけだった。好き勝手に俺の身体を弄る手の甲を抓って止めてやろうとしたより先に動きが急に止まる。
「お前が寝れなかったのってさ、」
「
……
え?」
「今も物足んねえってカオしてっけど、やっぱそう?」
「
……
は?」
左耳に花巻さんの息が触れる。深く息を吸った気配がして、逃げなくちゃと思った時にはもう遅かった。
「もっと激しくしてほしかった?」
「ッ、
……
!」
グラスありがとな、と小さく笑いながら耳裏に軽いキスをひとつ落とし、いやらしさのない触れ方で俺の腰を軽く叩いてから、花巻さんはいつもと変わらない足取りでテレビを点けにリビングのほうへ消えていった。
「
……
」
最悪だ。最悪のことが、たったいま確定してしまった。
俺は今日、休み明けの仕事にうんざりしても、出先で昼飯を食っても、この家に帰ってきてもきっと、花巻さんによって灯された熱を持て余し続けているだろう。
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