いを
2024-09-21 18:24:25
5074文字
Public 刀神
 

マザーとグースとお嬢さん

桂木
・ポラリスさん【EN_Hot_water】
お借りしています。

 ポラリスが、地図を持ってきた。
 墨で書いたような綺麗な黒いペンで書かれた地図で、ある建物を朱墨汁で丸く囲っていた。旧●●邸と書かれている。桂木は知らないが、その土地では有名な大地主だったらしい。おそらくその家の主が落ちぶれたか死んだかのどちらかだろう。大地主なら腐った家をそのままにしておくことはないだろうから。
「以上が下緒院からの情報です」
 と、彼女は付け加えた。
「それじゃ確かだな。あ、いや。疑ってるってわけでじゃないんだけど」
「分かっています」
 頷いてからポラリスの指が駅を指した。
「最寄り駅……▲▲駅から徒歩十分ほどで、この旧●●邸に着くようです」
「分かった。じゃあ明日、よろしくな」
「はい」
 地図を受け取ると、彼女は「では」と軽く頭をさげて部屋から出て行った。
 分厚い鉄の扉がゆっくりと閉ざされていく。地図を懐にしまうと完全に閉じる前に左手で扉を押し、隙間に体を滑り込ませた。
 長い廊下にひとりの男が立っている。綾祢の名前を桂木に教えた刃佩流の刀遣いだった。
「久しぶり」
「うわ。びっくりした。って、あなたですか」
「あんときはありがとな」
 男はすこし薄い眉をぎゅっとひそめて、嫌そうな顔をした。そんな顔をされると悪いことをしていたような思いになる。
「べつにいいですけど。桂木様、バディを組めたようですし閲覧権限も過去含め不問です。あの資料倉庫の中見たかったら言ってください。持ち出し厳禁ですけど」
「意外と甘いんだなぁ」
「刀神殿には分かんないでしょうけどね、手順や手続きがめんど……複雑なんですよ。あなたのバディも信頼に足る人物ですし」
「だろうな」
 気の抜けた返事に、さらに男の眉間にしわが寄った。きっとこいつは真面目なんだろうと思う。
「それじゃ、俺はこれで。今日は残業なんかしてらんないんで!」
 忙しそうな口調をしながら男は廊下を小走りで去っていった。そういえばあの男の名前はなんだったか。記憶をさらってもぱっと出てくる名前はなかった。
 残された桂木は少しの間唸ってから、やがて諦めてその場から足を踏み出した。

 翌日ポラリスと天照で待ち合わせをし、電車に乗った。▲▲駅に向かう電車の中はかなり空いていた。一般人があやまって妖刀に触れないように、混雑する時間帯をずらしたのだろう。
 つり革に背中を曲げながらつかまりながら、高速で流れる景色を見ていた。ずっと見ていたら目が回りそうなので、となりに立つポラリスに視線を向ける。
「廃墟なんだっけ、そこ」
「はい」
 唐突な質問にも、彼女は静かに答えた。
「下緒院の方からの情報によると、長い間手入れされず野ざらしになっているようです。かなり大きな屋敷だったようですし、倒壊にも注意しなければなりませんね」
「ああ……。そうだな」
 どんなに立派な建物でも土地でも、時間がたてば死んでいくんだなと思った。

 旧●●邸に向かっている途中、老いた木の細い枝が足もとに落ちてきた。もう満足に実もつけられないのだろうか。ちいさな実は所々あるだけだし、その実もしわしわになっていた。
 その枝を見下ろしてから顎をあげる。古い道はアスファルトにはなっているが、時折割れていたり、ヒビが入っていたりした。そこから草が生えていたりもする。
 道の左側に、黄金の稲穂がゆらゆらと揺れていた。重たそうに頭を下げている稲穂は美しかった。
「どうしましたか」
 立ち止まった桂木に気付き、ポラリスも足を止めた。
「もうじき新米がとれるなぁ」
「そうですね」
「やっぱり、昔から稲穂はきれいだな」
 ざっと強い風が桂木の波打つ髪をさらう。きらきらと稲穂の先が太陽に反射するように、輝いて見えた。
……
 じき、刈り取られるのだろう。この稲も。すべて刈り取ったら次の年のために田を焼くのだろう。そして、大きな煙が空を覆うのだろう。
 それ以上見ぬようにして、そっとその場をあとにした。

 旧●●邸は、桂木が思っていたよりもひどい場所だった。大きな洋風の家が文字通り傾いている。奥の巨大な柱がやっと支えているような状況だ。
 清浄な空気にまじって、泥と木の腐った臭いがした。
「ひどい有様だな。まさに廃墟だ」
「この惨状ですから、人間や刀神が紛れ込んでいてもおかしくは……。桂木様」
 なにかに気付いたのか、ポラリスは刃物のような鋭い声で桂木の体を制した。
 もぞ、となにかが動く。壁が腐り、むき出しの傾きかけの柱の後ろから大きななにかが見えた。
……綾切か」
「分かりません」
 ポラリスが豊和の柄に手を当て、ゆっくりとその柱に近づく。泥水がところどころにたまり、ヘドロのようなものも浮いていた。
「綾切の異能のこと、お前に共有してたよな」
「はい」
「この辺りは泥水が多い。気をつけろ」
 長細いものが見えた。白く長い髪の毛だ。見間違うはずもない。
 太刀、綾切。過去に天照にいた刀神だ。刀遣い数人を殺害し、天照の目をかいくぐりながら逃走している。日本中に拠点のある巨大な組織の目からは絶対に逃れられない。それもきっと綾切も分かっているはずだ。――本当に、狂っていなければ。
 綾切はふたりに気付いていないとでも言うように、長い体を折りたたんでこちらに背中を向けている。
……この臭い」
 ポラリスがぽつりと零した。眉根がかすかに寄っている。
「腐臭だな。人間を食っているのか、あいつ……
 耳を塞ぎたくなるような、一心不乱に血肉を啜る音が響いた。
「強襲を仕掛けます」
「ああ」
 ポラリスの踵がふっと音もなく浮く。彼女が取ったのは雪魄桂木刀だった。
 大股で飛ぶように走り、二歩、三歩で綾切まで辿りついた直後に妖刀桂木を振り抜いた。風の音もさせずに綾切の首を貫く寸前、ポラリスの手が止まる。
……君は」
 綾切の前には綾祢が立っていた。彼女の首まで数ミリ。妖刀であれば、一般人の首などたやすく落とすだろう。
 だが綾祢は臆することもなく、ただ亡霊のように立っていた。
 焦げ茶色の長い髪の間から目玉が白く浮き出ているように見える。
「雪魄桂木刀・伍号……。お父さんの仇の名前。そうよね、綾切」
 彼女の目はポラリスと桂木を見ているようで、どこか遠い場所を見ているようだった。
 骨をかみ砕く音、それを呑み込む重たげな音をたて、綾切が立ち上がる。
「そうだ。主の仇だ。綾祢」
……
 ポラリスが手を下ろそうとするが、それを桂木が制す。
「待て。主」
「彼女は一般人です」
「そうだ。一般人だ。だが天照の目を欺ける一般人はそういない」
 綾祢のかさついたくちびるがなにかをかたどるように動いた。
「!」
 ポラリスの視線がわずかに下を向く。土天符だった。呪術に精通する家の人間ではない、一般人が符を使えるというのか。いや、そんなはずはない。まさか――
 彼女の足にかかる重力がどれほどのものか、桂木には分からない。
「お前、素質・・が」
「綾祢もおれも狂っているのだから安心しろ。雪魄桂木刀・伍号。お前に約束を、したな。苦しんで苦しんで折れろと」
 ポラリスの目は動かない。ゆっくりと語る綾切の言葉を聞いているのか、それとも策を練っているのか。
「苦しんだか? 死んだ方がましだと思えるくらいに。苦しんだか、雪魄桂木刀・伍号」
……俺は」
「いいやまだだ。お前は苦しんでいない。一番近い人間を亡くしていないのだから」
「今の主は関係ない。お前たちが殺したいのは俺だろう」
「なら関係ある。お前が信頼を寄せる人間が散ったら、苦しむだろう。まるで、人間みたいに」
 ポラリスの髪の先が風にのって揺れる。けれど、彼女は動かない。
「おれも! 主を、殺されたのだ! お前に! 目の前で首を落とされ! なんて惨い……こんな惨いことが許されるのか……天照は。いいや……いいや許されてはならない、終わらせなければ……おれが……綾祢が……
「あいつは天照を裏切った。極秘情報の流出だ。一度なら何とかなったかもしれないが、あいつは」
「お父さんは正義の味方だった」
 綾祢の顔が、ようやく見えた。
 彼女の父がみせた写真のころとまったく違う顔だった。髪は乱れ、肌は荒れ、くちびるは割れて血が滲んでいた。
「天照は妖魔から人間を守るのが仕事でしょう。敵は妖魔だけで」
「そうだったらよかったが」
 ポラリスの声が桂木の耳に届く。
 静かな音程だった。
「綾切から聞いたんだな。私たちのことを」
 綾祢はじっとポラリスに目を向けている。射貫くような視線だった。
……それだけでは回らないのが人間だ」
 焦げ茶色の髪がわずかに揺らいだ。怒りか、悲しみか、それとも――狂っているから分からないと、自分に言い聞かせているのか。
「嫌ッ!!」
「!」
 彼女の叫びが引き金となって、桂木の体が沈む。ぬめった、ヘドロの浮いた水が髪を、着物を濡らした。
 ――自分の体にも符が貼られていたのか。
「桂木様」
 泥水に押しつけられる重さはどれほどか分からない。ただ、これだけで死ねるほど刀神の体は脆くはないようだった。
 それでも動きを封じるのには十分だった。腕をつっぱねようとも片腕ではどうしようもない。
「いい子だ綾祢。そうやって2年前もおれを縛ったのだ。天照の犬は」
 がちがちと綾祢の歯が細かく震えている。喉が奇妙な音を立ててもいた。このままでは生気を致死量まで吸われ、いずれ死ぬ。
…………っ」
 桂木の噛み殺した呻き声が耳に強く響いた。髪と着物が泥を吸って、余計に体が重たい。 
 目の前にあるポラリスの足がわずかに動く。桂木の符に生気を与えたため、ポラリス側の符の力が緩んだのかもしれない。
「綾祢、どけ。その刀遣いは」
 綾切が綾祢の肩を押した直後だった。勝機が訪れたのは。
 ポラリスが持ったままだった妖刀桂木をコンマ五秒で鞘に納め、豊和を引き抜いた。
 豊和の鞘からばちりと火花が散らせながら、綾切の肩に刃を埋め込んだ。
「お、お……お前……
 一つ目が痛みに限界まで見開いた。
「綾切!」
 喉を裂くような悲鳴。綾祢のひび割れたくちびるから血が噴き出す。
 意識を逸らしたからか符の効力が消え、膝をついた桂木が綾切の真上を見上げた。
……ポラリス殿!」
 咄嗟に名を呼ぶ。しまったと思うが、彼女の腕を引いた直後にポラリスがいた場所に雷が落ちた。
 地面を震動させるほどの雷だった。
「桂木様、崩れます」
 やっと建っているだけだった柱はやはり脆く、ゆっくりと音をたてて崩れる。いつかの雪山でみた、雪崩のように。
 土ぼこりが舞う。
 綾祢と綾切の姿は腐った屋根や柱、割れたままの窓ガラスと一緒くたになり、消えていった。
……
 ポラリスは一呼吸おき、豊和を鞘に納める。
「おそらくまだ生きているでしょう。致命傷には至りませんでした」
「そうだな」
「傷を癒すには相応の生気が必要です。念のため下緒院に依頼してこの辺りの結界を強めてもらいましょう。パトロールの強化も。……桂木様」
「ん? ああ。悪い、大丈夫だ。着物と髪はこの通りだけど」
 両方とも泥まみれだ。
 すこし笑って、毛先をぎゅっと絞ると黒い水がしたたり落ちた。
「綾切……。また人間を」
「刃佩流に報告します。よろしいですか」
「ああ」
 頷くと、土が混じったにおいのする風が吹いた。
「きっとまた、否応なしに会うだろうしな。……今日のとこは帰るか」
「はい」
「ところで、ここ言い当てた下緒院の奴、どんな奴だった?」
 ポラリスは、すい、と空を見上げたあと、桂木に向き直った。
「四十代半ばの男性でした」
「そっか。悪いけど、礼だけ言っておいてくれ」
「分かりました」

 帰りはもう、日が傾いていた。
 橙色の光は稲穂をじゅうぶんに照らしていた。
 まるでただただ美しくあろうとするような。そんな風に感じた。

「あ、俺こんなナリだし、天照に戻るまで刀に戻ってるよ」
「そうですね。それがよいかと」
「なんか久しぶりに眠いし……。悪いな」
「いえ」

 数十年ぶりに夢を見た気がする。
 くちなしの香りがする、刃佩流の男とその娘の夢だった。
 すぐ近くには白く長い髪の毛の、一つ目の刀神もいた。

「綾祢の名前はね、お父さんのバディの綾切から綾の字をもらったんだよ……