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ひろか
2024-09-21 10:05:05
12189文字
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観劇録
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*観劇録*『lololo〜Monster kingdom〜』感想と考察。
少年Komplexさん本公演『lololo〜Monster kingdom〜』感想と考察です。⚠︎内容に関するネタバレと深読みを含みます。
⚠︎内容に関するネタバレと深読みを含みます。
少年Komplexさん第七回本公演『lololo〜Monster kingdom〜』。
登場人物のほとんどがモンスターであり、そこに少年が迷い込んでいく物語。
前夜祭で明かされた王道RPGの世界観を裏付けるかのように、オープニングの映像はゲームのスタート画面になっていた。
なるほど、ここで"New Game"を選んだ瞬間にこの物語が始まるんだな
…
と思う私。
それはまるで、買ってきたばかりのゲームを開封したような心持ちだった。
『lololo〜Monster kingdom〜』感想と考察です。
作品に関するネタバレと深読みを含みますので、苦手な方はご注意ください。
今作はビジュアルやあらすじ、役名に至るまで、過去の作品以上に作品に関する手がかりがなかった。
ただ、キャッチコピーとして公開されていた"知らないだけ 見ていないだけ それはたしかに存在する"という言葉に、どことなくスタジオジブリの『となりのトトロ』っぽさを感じていて、ジブリ生まれトトロ育ちの私がそわそわしていたのも事実。
思えば万人が愛するキャラクターだからこそ"トトロ"という名前が意味を持つけれど、音の構成で言えば今作の登場人物たちとさほど変わらない。トトロが多くの人から愛されたからこそ、"トトロ"という固有名詞が特別な響きを持つのである。
観劇後に最初に抱いた感想が、名前って愛だな、だった。
正直、役名がまったく覚えられなくて。単純だからこそそこに意味を見出せず、観ている間に混乱しそうだな
…
と思っていた。
けれどどうだろうか。一回目の観劇を終えた時、役の名前が完全に頭に入っている自分に驚いた。それは同時に、私がこの作品で出会った登場人物たちを愛した証拠でもあった。何も知らなければただ音の羅列としてしか認識できない彼らの名前が、いまや特別な響きを持って胸の中に残っている。
それに、彼らがお互いの名前を呼びかける時、そこには明確な愛があった。
親子だったりきょうだいだったり、今作では登場人物たちがそれぞれありふれた、けれど特別な関係で結ばれている。役と役の間にある関係性が、互いに呼び合う時の音の響きにあらわれていた。
今作のテーマのひとつは"名前"だったんじゃないかと思う。
名前を呼ぶ場面がとても多かった印象があるし、全員を丁寧に紹介する場面があったり、とある役の名前にそのキャラクターのアイデンティティ上重要なからくりが仕込まれていたり。名前を呼ぶというのは、それだけで相手の存在を認めて受け入れる行為だと思うんだよね。だからモンスターたちが生きるこの世界において、名前ってとても重要視されているんじゃないかと思ったの。
それは冒頭、中谷智昭さん演じる"案内人"のナナシが、迷い込んできた少年に声をかけるところにもあらわれている。
"案内人"という役割の通り、仮面を被ったナナシはどこかおどけたセリフ回しで少年のことを、ひいては観客である私のことを王国へと誘ってくれた。
前作『STAR CARNIVALー星祭ー』のトレミーもそうだったけど、ショーコンさんの作品で中谷さんに託される役やセリフってその世界の根幹だったり、作品のメッセージを強く担っている気がする。実際中谷さんのセリフ回しはすごく引力があって、ぐっと物語に引っ張られるんだよね。
そんなナナシは少年に「勇者としてモンスターを倒す」という世界のルールを告げた後、もうひとつ重要な役割を果たすのだ。
それが、"名前を聞くこと"。
この場面でナナシは明確に「名前は大事ですよ?」「名前がなければ冒険は始まらない」と名前の重要性を説いているんだよね。その割には彼自身は"ナナシ"
…
つまり名無しに通ずる名前なんだな、と思ったけれど、ここも後々回収されたのでにくいことするな
…
という気持ち。
それはさておき、「名前なんてどうでもいい」という少年にナナシは"ロロロ"という名を与える。
なんだその適当な名前、とロロロ本人にも言われるけれど、物語の顛末を知った身からするとここでナナシはどんな思いで"ロロロ"の名前を彼に返したんだろうかと想像せざるをえない。ナナシ自身は、その名前がたくさんたくさん愛された名前だということをよく知っていたはず。だからこそ彼に"ロロロ"の名前と、もうひとつある"役割"を託した。
その役割がロロロが迷い込んだこの世界の根幹に関わってくるのだけど、ロロロ本人はそんなことはまったく知らされない。
「世界の運命は君に託された」。
そんなナナシの言葉に見送られ、半ば強制的に旅に出ることになる。
冒険譚の主人公というと、最初から才能に目覚めているタイプとごく普通の一般人タイプがいる。室将也さん演じるロロロは後者だ。
『lololo』にはもうひとり、塩澤英真さん演じるアーサー・アイン・アシュタルトなる勇者が登場するけれど、きらびやかな装いの彼と違ってロロロはあくまで素朴で地味な装い。前夜祭で将也さんが「無課金なんすよ」と言っていたのがまさしく言い得て妙。
けれど物語の主人公であるからには、その人物を主人公たらしめる特徴があると私は思っている。ロロロの場合、それは万物に対するフラットなものの見方だった。
「ねぇ、あそぼう!」
カーバンクルのラララにそう誘われ、ロロロは一度は面食らう。「化け物なんだろ!?」と言うものの、ラララの言葉に耳を傾け、「まぁいいけど
…
」と剣を納めてしまうのだ。
この一瞬のシーン、いま思えばとてもいろいろ詰め込んであったんだなと思う。
「化け物なんだろ!?」というのは紛れもなくロロロの本音なんだけれど、この言葉は侮蔑ではない。彼自身が得体の知れない生き物相手に恐怖しているだけなのだ。その言葉を聞いて「そうだよ」と頷き、「でも遊ぶ!」と言うラララは、感覚で生きているようで"化け物"という言葉の意味をよく知っている。
そして、そんなラララを信じられないと言いたげな面持ちで見つめるレレレ。妹の突飛な発言に振り回されるお兄ちゃんなのだと、この時は思っていた。
かくしてモンスター討伐
…
ではなく、なぜかモンスターたちと遊ぶことになるロロロを見つめながらナナシは心底楽しそうに笑っていた。「まさかこうなるとはねぇ」という言葉には、やはり彼がこの王国に住んでいるモンスターたちとはどこか違う、この世界を俯瞰するようなニュアンスを感じた。
ロロロが出会うモンスターたちがみんな本当に魅力的なんだよね。
それぞれの詳細は役者さんおひとりずつの感想を書いた時に述べたのでここでは省くけれど、登場人物の誰もが本当に愛おしくなる。
それがショーコンさん作品の好きなところ。
熱烈な歓迎を受けててんてこ舞いのロロロに、栗山明子さん演じるジジジが王国の民たちを紹介する場面がある。
私はこの場面とっても好きで。舞台作品においてわざわざ登場人物の紹介が組み込まれるのって当たり前のことではない。なぜなら、観ていくうちに彼らのことがわかってくるからだ。今作だってこのシーンがなくてもモンスターたちを知ることができただろう。それでも敢えてこのシーンがあったのは、前述した通り"名前"に重きを置いていたことと並んで、"相手を知る"ことも重要視していたんじゃないかと思った。
知らないって、怖い。
それは常日頃生きていて感じることのひとつだ。人はよく知らないものを怖いと感じる生き物だから、自分とは違うもの、相容れないと思ったものを基本的には避けて通ろうとする。場合によっては恐怖心に駆られて攻撃さえする。
ロロロが最初にレレレとラララを「化け物なんだろ!?」と言ったのは、知らないことは怖いんだということを象徴する一瞬に見えた。
何も知らなければ、たしかに彼らは化け物かもしれない。化け物といえば、勇者に倒されるのが当たり前かもしれない。
けれどひとりひとりを見てみると、なんてことはない。種族や見た目が違うだけでそれぞれに心があり、感情があり、個性がある、とても素敵なモンスターたちだ。それぞれが仕事という名の役割を持ち、この王国で共存している。
その筆頭にいるのが、魔王様
…
ゼゼゼ様だ。
登場シーンこそ容赦なくロロロに襲いかかり、素早くも重い太刀筋もあって圧倒的な存在感を見せつけたゼゼ様だけれど、彼もまた"魔王"の名が拍子抜けしてしまうくらい優しい魔王なのだ。それを知らないロロロはやっぱり刃を向けるけれど、ゼゼ様の優しさをよく知るラララは恐れも怯みもしないんだよね。知るっていうのはきっとそういうことなんだと思う。
ゼゼ様は名目上は魔王なんだけれど、どちらかというと民たちのパパに近いんだろうな、と感じた。
王国の民たちひとりひとりに愛情を持って接し、分け隔てなく、惜しみなく優しさを与える。みんなこの優しい魔王様が大好きなのだということがいろんな場面から伝わってくる。
本当に素敵な王国。
たぶんオープニングからここまでさほど時間は経っていないはずなのに、私はもうこの王国のみんなのことが大好きになっていた。
大好き
…
とはいかなくても、彼らのことを知ったロロロはそれなりに彼らと打ち解けていた。恐怖心は消え、"化け物"ではなく"目の前にいる相手"として彼らのことを見始めていたロロロにとって、翌朝の出来事は相当大きなショックだっただろう。
訪れた勇者に惨殺されていくモンスターたち。
彼らを守ることも、勇者を説得することも許されない。
それなのに、打ちひしがれるロロロをよそにあっけらかんとナナシは告げるのだ。
「彼らはモンスターですよ?」と。
次々と地面から起き上がるモンスターたち。
動揺を隠せないロロロに、随分前に殺されたはずのレレレとラララは何事もなかったかのような笑顔を見せる。
ここのモンスター側の役者さんたちの"何事もなかった感"に、客席で観ている私もさすがにぞわっとした。
つい一瞬前、鬼の形相で、断末魔をあげて死んでいったはずの彼らがいま、こうして笑っている。その異様さとロロロが受けた衝撃が客席まで伝わってきた。
僕たちは死ねないんだよ、とゼゼ様が口にした時、あ、これ知ってる。と思った。
いわゆる不老不死の話はさまざまな物語に出てくるけれど、必ず訪れる死に怯える者たちがいる一方で、死ねない絶望を語る話がある。私はそういう話をいくつか知っていた。
だからゼゼ様の言葉を聞いた時、そういう価値観の世界か
……
と思わず頭を抱えてしまった。"死なない"という特異性を"死ねない"と語る時点で、彼らが終わりの訪れない命に対してどういう心持ちでいるか察せてしまう。
つまるところ、彼らは何十回も、何百回も勇者に殺されなければならないのだ。
ただ造られただけのキャラクターであればそれも関係のない話だっただろう、しかし彼らはシステムに組み込まれた人工知能で心を得てしまったのだという。喜びも悲しみも感じることができる心を持っていながら、殺される恐怖を日々味わい続ける。そしてその恐怖に耐えかねて自我が崩壊していく者もいるというのだから、ただ死ねないよりもよっぽど悲惨だ。
意識が朦朧とする時がある、と語るゼゼ様は、ただこの国を統べる者であるという自身に課せられた役割ゆえに立っているようにさえ見えた。それでも「僕はこの国の民たちを愛している」と力強く言葉にするゼゼ様があまりにもかっこよくて、悲壮で、この人はどんな覚悟で玉座に座っているんだろうかと思った。王としてこの国を治めているけれど、民たちを苦しみから救う力を持たない無力さはいかばかりであっただろうかと。
そしてここでナナシの正体も明かされることになる。
彼はこの王国に暮らすモンスターとはどこか違うと感じていた、というのは前にも書いたけれど、その違和感は彼がゲームシステムそのものだからこそ生まれるものだったのだ。
「僕も彼らを愛おしく思うようになった・・・これがきっと、感情、ってやつなのだろう」と語るナナシは、ゼゼ様には「この世界の神のようなもの」と言われるけれど、それ以上でも以下でもない。あくまで人間に作られたものである彼は、モンスターたちを救うことはできないのだ。
ロロロに託された役割は、そんな彼らの命を本当の意味で終わらせることだった。
通常の勇者が持つ剣とは違い、ロロロに与えられた剣にはその力があるのだという。
「なんで俺?」というロロロの疑問はもっともだ。その理由は明確には語られないけれど、彼らにとってはロロロでなければならなかったのだと思う。ロロロでなければ、彼らはその死を安らかに享受することはきっとできない。
とはいえ、彼にその重責を強いるのは酷なことであると誰もがわかっていた。その重責を十字架に例えて「僕はなんて無力な王なんだろうか」と項垂れるゼゼ様も、「あなたの背中にも同じものが見える」というナナシも、かたちは違えど同じ苦しみの中にいるんだよね。互いに一定の距離を保ちながら、それでもこのふたりは誰よりも互いの心の近くにいた。
「世界の運命は君に託された」。
この世界にやってきた時に言われた言葉が、文字通りの意味と重みを持ってロロロに襲いかかる。元々“モンスターを倒してゲームをクリアする”という当初の目的を果たさなければ元いた世界に戻れないロロロには、選択の余地はなかったといってもいい。けれどロロロはもう彼らを“化け物”とは呼べないのだ。
心というのは厄介なものだ。
心さえなければ、感情さえなければ、物事を決断するのはそんなに難しくないんじゃないかと思う。心さえなければ、もっと世界の理を「そういうものだ」とあっさり受け入れることもできるだろう。モンスターたちが心を手に入れなければ、そもそもこんなにどうしようもない事態には陥っていない。
けれど、誰かを愛おしいと思うのは心がなければあり得ないことだ。心を手にしたからこそ、モンスターたちは互いの存在を慈しみ、愛を持って名前を呼び、ロロロを歓迎した。そして、ロロロにも心があるからこそ、モンスターたちを好きになってしまった。
そこにあるのはどれをとってもやさしい気持ちなのに、どうしてこんなにままならないのか。
動揺と混乱で押し潰されそうなロロロに、レレレはまるでお兄ちゃんのように語りかける。照れくさそうにしながらもどうしてかその身を委ねてしまうロロロは、なんだか本当に弟のように見えた。こういう時にただそばにいてくれる存在ってただただありがたいよね。
そうしてロロロはひとつの決断を下す。
「みんなのことを知ってからどうするか決めたい」と。
やさしい子だなって。やさしすぎる子だなってそう思った。
知らないことは怖いことだと書いたけれど、知るということは心に刻むということだ。心に刻むということは、感情が複雑化するということ。
モンスターたちのことを今よりももっと知ることで、その先でしなければならない決断はもっと過酷なものになる。それをわかっていなかったわけでもないだろう。それでもロロロは運命を託されたものとして、運命の舵をどう切るのかを自分の心で決める道を選んだ。・・・といえば聞こえはいいけれど、もしかしたら決断を先送りにするための時間稼ぎだったのかもしれない。
どちらにせよ、ロロロの選択をモンスターたちがみんな受け入れてくれるんだよね。大人たちはもう事情はわかっていただろうに、自分たちや子どもたちの明日を握る少年の決断を早く知りたかっただろうに。それでもロロロの調査に付き合ってくれる。それは、酷な運命を背負わせてしまったロロロにできる大人たちの贖罪でもあるような気がする。
ロロロの調査の中で登場する重要人物が、アーサー・アイン・アシュタルト。
塩澤英真さんが演じる“もうひとりの勇者”だ。
彼はただのゲームのプレイヤーとしてこの世界にやって来ながら、ロロロたちの計画に巻き込まれてただのプレイヤーとは全く違う道を歩むことになる。
最初こそ「やだね!!!!」とロロロたちへの協力を拒んだ彼は、おだてられやすく乗せられやすい、そして心の目で物事を見て考えられるピュアな少年だった。なりふり構わず暴れ回る姿も、おだてられるとそわそわしちゃうのも大変かわいらしい。絵に描いたように調子に乗っている姿とかいっそ見ていて心地いいくらい。
けれど彼にもまた、重要な役割があるのだ。
それは唯一ロロロと同じ人間という立場から発言できるということ。
この“役割”というのが『lololo』におけるもうひとつのテーマだったように思う。
この世界において人は誰しも何かしらの役割を持っている。それが社会的に重要でもそうでなくても、与えられた役割はその人をその人たらしめるものでもある。だから王国に暮らす彼らには、各々仕事があった。仕事というのは分かりやすくその人が果たすべき役割だもんね。
なにも役割とは仕事に限った話ではない。家族やきょうだいだってある種役割だ。兄だから、姉だから、父だから。そうして背負った役割は、名前以上にアイデンティティとして個々人に刻まれているのだと思う。
明確なものでなくとも、名前がついていなくとも、誰にだって役割がある。それは運命のようなものかもしれないし、自分が選び取ったものかもしれない。たとえその正体がなんであれ、その役割を果たすことを“存在意義”という言葉で説明できるんじゃないだろうか。
アーサーはすべての真実を知ったロロロに対して、RPG、ロールプレイングゲームの“ロール”とは“役割”のことだと伝える。その上で「じゃあ勇者って何?誰と戦えばいいの?」と投げかけるんだよね。それは決断ができないロロロに対しての、果たすべき役割を果たせ、という激励だった。この激励ができるのは、ロロロと同じく人間であるアーサーだけだった。
そして、「同じ痛みを感じていたい」とともに立つことができたのもアーサーただひとり。最初はやはり彼らを化け物と呼び、ロロロのようにあっさりと彼らを受け入れるには至らなかったにもかかわらず、「僕も彼らを好きになってしまった」と言うあたり本当にピュア。彼の存在にロロロがどれだけ救われたかなんて、語るまでもないだろう。
そしてもうひとりの重要人物が、柏木佑介さんが演じたワシルだ。
ワシルがねぇ・・・もう、すっごいよかったの。役としてもお芝居としても本当によくて、彼のシーンは毎公演涙腺がどうにかしたんじゃないかってくらい泣いてしまった。
この世界で、名前が同じ音で構成されていないのは3人だ。
ナナシ、アーサー、そしてワシル。
この中でワシルだけが、名実ともにこの国で暮らすモンスターだ。
時に子どもたちに気さくに声をかけ、時にゼゼ様に甘え、そして時には牢獄にいる。出てくるたびにあれ?と増していく違和感。よくよく聞いていれば、彼を“ワシル”と呼んでいるキャラクターがいないことに気がつく。
“多重人格”。そんな言葉が頭をよぎった。
実際彼は多重人格なのだけど、内側で分裂したタイプではなくて外側からの干渉で3人の人格が押し込まれている状態だ。この世界の理に耐えかねて崩壊しかけたモンスターを救うべく、3人の人格を繋ぎ合わせて造られたキメラである彼。時々によって表に出ている人格が違うから、前述のような違和感が生まれていたのだ。
快活な青年・シシシ。
甘えん坊で臆病な子ども・ルルル。
そしてゼゼ様を恨み報復を果たそうとするワワワ。
その名をつなげて“ワシル”という名を与えられてはいるけれど、誰一人としてその名では呼ばない。事情を知る者はみんな、いま表に出ている人格の名前で呼んでいるのだ。
柏木さんの演じ分けがとんでもなくて、目に見えているのはひとりなのにちゃんとそこに3人が存在していた。
ひとつの体に3つの人格がある苦しみを叫び、元の体に戻ることを願うワワワ。
あまりにも凶暴で、シシシの時とは打って変わって子どもたちを犠牲にすることさえ厭わない彼は、“なんでも願いを叶えられる何か”を求めていた。
この場面ではじめて明かされるそれの存在に、えっ、と一瞬思ったけれど、私にはちょっとだけ心当たりがあって。その方向をみたら、案の定レレレとラララが顔を見合わせていた。
誰かを助けたいと願うのが、そんなにいけないことだろうか。
なりふり構っていられないほどに暴れ、苦しむルルルを救ってやりたいと思ったワワワの気持ちも、壊れていく弟を・・・ロロロをなんとか助けたいと願ったレレレとラララの気持ちも。どちらも誰にも口を挟めないほど、純粋で、ただひたすらに大事な存在のことを想っているだけなのに。
最後の希望さえ潰えた時、ラララがワワワに近づいていく。
「その目は、お兄ちゃんの目だね」とラララが語りかけた時、レレレが後ろでハッとした顔をしているんだよね。
これまで妹のために、弟のためにと必死に頑張ってきたことが全部妹にはバレていたんだと知って、その後に続く「ララもお姉ちゃんだから」にひどく切なそうに笑顔を見せるレレレ。
彼にとってはラララだってこの運命から解き放ってやりたい妹であって、弟を助けたのだって自分たちを殺させるためなんかじゃなくて。自分たちはカーバンクルの裏技でロロロのことを助けたけれど、その想いに差なんてないはずなのに願いを叶えられないワワワがいて。ワワワだけじゃない、この王国に生きるそれぞれに助けたい存在がいるはずなのに。自分たちだけがその願いを叶えてしまった。そのことに、レレレはずっと罪悪感を抱えていたんじゃないかと思う。その罪悪感が全部滲んだここの微笑みを見て、胸が締め付けられる思いだった。
(実際にはロロロが彼の弟だとわかるのはもう少し後の場面なので、初回観劇時は理由も分からずぐしゃぐしゃに泣いたのだけど)
話を戻すと、ワワワに意識を明け渡されたルルルがさぁ・・・「なにがしたい?」というラララの問いかけに、にっこり笑って「ゼゼとおしゃべりがしたい」って言うのがほんとに・・・ルルルはそれだけでよかったんだよね。それに、彼自身は自分の中にワワワとシシシがいたことを“楽しかった”と言うくらいに彼らが大好きで。普通の体ではなくても、頭が割れそうに痛くても、ルルルはそれだけで幸せだったんだよね。
それでも、ワワワはルルルを助けたかった。そんな些細な幸せで満足するんじゃなくて、本当なら出来たこと、行けた場所、見られた景色、全部全部ルルルにあげたかったんだよ。シシシはそんなふたりの狭間で、ふたりの想いもゼゼ様の苦しみも子どもたちのことも、なんとかする方法を必死で探して。
各々がこんなにきれいな心の持ち主で互いを想っているのに、なにひとつとして叶わないこの場面が本当に悲しくて。自分の中からルルルが消えたと悟った時のワワワの顔があまりにも悲痛でやりきれなかった。
王国でのさまざまな出会いや経験を通して、ロロロは余計に答えが出せなくなっていく。
それでも、彼が彼自身の役割を果たさねばならないのは変わらない。だから迷うロロロに対してアーサーだったり、メメメさんだったり、カカカだったり、いろんな言葉をかけてくれる。そのひとつひとつを、ロロロはその心でしっかりと受け止めていた。
最終的にロロロに決意を固めさせたのは、レレレの「あいつのこと斬ってくれ」だったんじゃないかと思っている。
自分がかつてカーバンクルとしてこの世界に生き、レレレとラララの弟だったことを告げられたロロロは、その言葉を聞いて"彼らが彼らであるうちに"幕を下ろすことが自分に返せる最大の愛だと思ったんじゃないだろうか。彼らを知って経験値を積んだ彼は、ようやくその手に剣を取るのだ。
その決意をモンスターたちは黙って聞いている。各々に思うところはあっただろうけど、最後には晴れやかな笑顔でロロロの決意を尊重してくれるんだよね。それはロロロが示した彼らへの愛に対する、彼らからのお返しでもあったんだと思う。
さぁ勇者よ、と語りかけるゼゼ様がとても楽しそうで。ゼゼ様に呼応するように叫ぶモンスターたちも楽しそうで。
彼らはモンスターとして産まれ、生き抜いてきたことをこんなにも誇っているのだと感じた。主題歌の歌詞にも"長いしっぽ三角の耳、化け物というのならそれでいい"という言葉が入っているけれど、人と違い、"ゲームの中のモンスター"という与えられた役割をまっとうしてきた彼らだからこその誇りに胸が熱くなった。
「生きるって楽しいなぁ!」
「そうだねぇ!」
「生きるってつらいなぁ!」
「そうだねぇ!」
ワワワとゼゼ様のこの応酬が大好き。
ここまでたくさんつらい思いをしてきた彼らの最期の戦いがこんなにも清々しいものでよかったと思う。この場面ではジジジがロロロにお礼を言うけれど、本当にふたりとも憑き物が落ちたかのように生き生きとしていた。
最後の一瞬、散り際まで彼ららしく役割を貫き、誇り高く消えていく。
その光景はようやく彼らが手にした眠りであると同時に、ロロロの心をズタボロに引き裂いていくものだった。
そんな弟の姿を見ることは、ある意味レレレの贖罪だったんだろうな。
かわいい弟が苦しみながら仲間たちを手にかけていく光景は、レレレにとってもラララにとってもとてつもない苦痛だったはず。それでも「俺たちはきょうだいだ」と最後まで旅路をともにすることを選んだのは、その重荷を弟ひとりには背負わせない、兄としての矜持でもあったのかもしれない。そして、最後に弟を叱咤することも。
がおー!と襲いかかってくるラララに対して「やめて!来ないで!!」と逃げ惑うロロロ。構図自体はオープニングと変わらないのに、ロロロの悲痛な叫びが心に刺さる。ここまできてもう後戻りなんてできないのに、それでもやっぱり兄と姉を手にかける覚悟なんてロロロにはないのだ。
どこまでも腹を決められない弟を、レレレが力一杯殴り飛ばす。弟妹に対して基本的に甘い彼の全力の拳を、ロロロが思わず固まってしまうくらいの衝撃を持って受けているのが伝わってきた。仮面を被っているということはこの世界では"本心ではない"とか"得体の知れないものである"ことの象徴であって、レレレが弟を殴るなんて暴挙に出たくなかったことくらい見ればわかる。それでもレレレは仮面をしたまま、ただ弟に役割を果たさせるためにひたすら殴るんだよね。
その手はどれだけ痛かっただろう。それでも、殴り飛ばしてでも弟を前に進ませることが、兄であるレレレの最後の役割だったのだ。
「生きろ」「笑え」。
その言葉が、この先たったひとりで歩いていくロロロにとって何よりも酷な言葉であることを、レレレもラララもよくわかっている。
それはロロロの兄として、姉として彼らが言うべき言葉でもあったし、最後までロロロと行動をともにして同胞たちの最期を見送ってきた者としての言葉でもあった。
仮面越しでもわかる優しい眼差しでロロロを見つめながら彼の剣を受けて、彼らもまた消滅していく。ゆっくりと倒れ伏す彼らの後に、仮面だけが仲良くころんと落ちているのが寂しくて悲しくてしかたなかった。
それでもロロロは笑うんだよね。
泣いて、泣いて、それでも笑っていた。
兄たちに言われた「笑え」という言葉を忠実に守るかのように。
ロロロ自身はきっとこの結末に対して後悔はしない。知らなければこんな思いをすることはなかったと思う日もあるだろうけれど、兄や姉の、王国の仲間たちの愛を忘れたまま彼らを消さずに済んでよかったと思っているからこそ、この笑顔が出てくるのだと思う。
心に空いた大きな穴を抱えながら、それでも笑う。泣いているんだけど決して絶望せず、現実の世界に戻っていくロロロをみて、ロロロがこの王国で経験したことやモンスターたちの言葉がしっかり心の中に生きているんだなと思った。
生きるって、楽しくて、つらい。
それは心があるからこそ感じられることであって、人はそんな世の中を、自分の役割を背負って生きている。
「人生のレベルアップは難しいですよ」と茶化すナナシもまた、この世界にたったひとり残された者だった。彼はモンスターたちとともに消えることは許されない。「さみしいなーしくしく」とどこかおどけてみせる彼だけれど、仮面をしていても隠しきれない寂しさが滲み出ているのもよかった。モンスターではなかったとしても彼また、王国で彼らと時をともにした存在だった。
代わりにこの冒険譚を見守った観客たちに、現実という冒険を生き続けなければならない勇者たちに、仮面を外してこう言うのだ。
「世界の運命は、君に託された」。
〈『lololo〜Monster kingdom〜』公演情報〉※敬称略
制作:少年Komplex
公演期間:2024年8月14日〜8月18日
会場:調布市せんがわ劇場
脚本・演出:片山徳人
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