ぱちん、と。目が覚めた。すっきり、完全覚醒である。アゼムは目を開いて、自分を覗き込むエメトセルクを確認して、おはよ、と声をあげた。
頬に風が触れている。緑の香りがする。エメトセルクの向こう側に、綺麗な青空が見える。ちらりと当たりを見渡して、なるほど、ここはアーモロートから騎獣にのって少し飛べば辿り着く草原だ。気性の穏やかな魔法生物だけがいるここは、ピクニックにも最適である。そん
どうやらエメトセルクは騎獣にアゼムを抱えて跨り、ここまでやってきたらしい。確かに青い空と緑の香りと生き物の息遣いは、アゼムの目を覚ますのに確かにぴったりだ。へにょりと不機嫌そうな唇からおはよう、と返された声に、アゼムは口元に笑みを浮かべた。
「別にアーモロートの君の部屋でも起きれたと思うよ?」
「……対外的に、お前は旅に出てることになっている」
「へぇ」
逃げないから降ろしてよ、と笑えば、エメトセルクの騎獣グラニは風を潜り抜けそっと草原に降り立つ。小さな白い花が綺麗だなあ、と眺めていると、エメトセルクはアゼムを抱えたままグラニから降りた。さ
裸足だ、とアゼムが自分の爪先を眺めていると、エメトセルクが草原に腰を下ろして膝の上にアゼムを抱え、パチンと指を鳴らす。あっという間に姿は模範的な市民の格好になってローブと赤い仮面だけが落とされている。うん、確かに話をするのに、顔が隠れるのは嫌だ。アゼムはまだ少し気怠い腕を持ち上げるとエメトセルクのフードを落とし、その仮面を外した。深く刻まれた眉間の皺がよく見える。けれども、見えないより見える方がいい。
「ねえ、エメトセルク。君と話がしたいんだ」
「……お前はまず、私を責めようとは思わないのか」
「全く。だって、私は旅に生きる生き物だから。あそこにいる限り、必ず私は停滞して寝ちゃうだろうと思ったし、君は優しいからそんな私を閉じ込めて置けないだろうし」
「…………期限があるから、気にも留めないと。……襲われても、助けも呼べない状況だったんだぞ」
「君と私は親友だから、男と女のあれそれなんて起こるわけもないし」
「…………」
じぃ、とエメトセルクの顔を見る。眉間の皺が少し深まって、瞳に微かに昏さが宿る。それを、アゼムは見ていた。
「って、思っていたんだけど、ねえ」
アゼムは腕を持ち上げて、自分の首筋に触れる。
「ね、エメトセルク。鏡創ってくれる?」
「…………」
エメトセルクは無言で拒絶すると、アゼムの手を掴んで首筋から指を退けさせた。それを受け入れ、アゼムはそのままエメトセルクの指先に自分の指を絡める。僅かに、エメトセルクの目が見開かれた。
「……ハーデス。出会わなきゃ、だなんて言ってごめん」
もしかして、と。ほんのり期待して。でも何度もその期待は勘違いだと振り切って。でも、でも。やっぱり。やめることができないのなら、ほんの少しだけ。
「……お前と、出会わなかった生に、価値なんてない」
「そこまで言う? 君、私のこと本当に大好きだなあ」
あはは、と笑って。絡めた指先に少しだけ力を込めた。
「それがね、苦しかった」
ねえ、鏡創ってよ、ともう一度ねだる。口を閉ざしたまま無言のエメトセルクにお願い、と声を重ねれば、ほんのりと開いた隙間から溜息が溢れた。ぱちん、と音が鳴って、アゼムの上に手鏡が一つ落ちてくる。繋いだ指先を離すのが惜しくて、反対の手で掴んで覗き込む。少し首を傾けて、わあ、と呟く。
「……何も起こらない、と。思っているのはお前だけだ」
時折、女友達が恋人に付けられた、と言っていたので覚えはある。内出血のように幾つもの痕が散らされていて、噛み跡まである。すごい、と呟いた感想に、感想がそれでいいのか、と返される。
「あのね、ハーデス」
「……なんだ」
「私、嬉しい」
ふふ、と溢れる笑みのまま、鏡を放り投げてエメトセルクに抱きつく。エメトセルクの体が固まって、はっ、と短く息を吐く音が聞こえた。
「私がどんなにくっついたってそう言った目で見てくれないし、抱き付いても一緒に寝ても手を出してくれないし、きっと君にとって、私は永遠に交わらない友人なのだと思ってた」
「………………お前、は」
吐き出された声が僅かに震えている。動揺しているのがよくわかって、それすらも嬉しい、と思ってしまう。どうしようもなく嬉しくて、滲んでいく。
「それが、苦しくて、辛くて。こんな思いするのなら、いっそ出会わきゃ、なんてね、考えることもあった」
でもね、と。アゼムはじわりと視界が揺れるのを感じて、誤魔化すように目を閉じる。それでも隙間から溢れるものを止めることはできなかった。
「ハーデス。君の、感情が知りたい。聞かせて」
彼は、どんな言葉を発するのだろう。その、最初の吸い込む息の音一つ漏らしたくなくて、アゼムはそっと息を止めた。
「…………ずっと、ずっと。お前への感情を隠さなくては、隣に居られないと思っていた。たとえ望む関係になれなくとも、それでも親しい友で、お前が私を呼んでくれるのならば、構わなかった」
ゆっくりと、エメトセルクがアゼムの体に腕を回した。恐れるように、確かめるように、ゆっくりと力が入って、アゼムを閉じ込めていく。
「お前と出会わなかった人生に、意味なんてない。どんな形であれ、そばにいて欲しい。お前を繋ぎ止められるのであれば、精神でも体でも依存してくれとすら思った」
「ハーデス」
嬉しい。その執着が、こんなにも嬉しいだなんて。
エメトセルクが掠れた声でアゼムの名前を呼んだ。夢の狭間で、何度も聞いた声と、同じ甘さだった。
「お前を、愛していると、告げていいか」
ふは、と涙に濡れた笑い声がエメトセルクの胸の中で響いた。ほとんど言ってるようなものだよ、なんて笑って。アゼムは目を開くと、頬をエメトセルクの胸にすり寄せた。互いの体に腕を回して、きつく、きつく、少しでも鼓動と熱が伝わるようにと願って、抱き締める。
「君に恋しているよ、ずっと、ずっと」
アゼムの囁くような言葉に、エメトセルクは細く息を吐いて、私もだ、と滲んだ声を返した。
エメトセルクとアゼムがついに付き合い出したらしい、と聞いて、ヒュトロダエウスは目を丸くして驚いたものだった。
「だって、監禁されてたんでしょ? 完全に関係が終わってしまうかと思ったんだよワタシは」
「バレてんじゃん!」
わはは、と手を叩いて笑うアゼムに、エメトセルクは不機嫌そうな顔で無視を決め込む。
「対外的にはキミは旅に出ている、って言っていたけどね。この人と来たら、やけに付き合いが悪くなるし、毎晩どころか昼も必ず食事を用意してどこかに行くしで。これは絶対アゼム関係と思ったね」
ヒュトロダエウスがニコニコと笑いながらビスケットをアゼムに差し出す。それを受け取ってぱきん、と半分口にして、これ美味しい、と頷きながら残った半分をアゼムはエメトセルクに差し出した。エメトセルクがアゼムの手から直接残ったビスケットを啄むのを見て、ヒュトロダエウスはひっそりと笑みを浮かべる。
「で、霊極に体内エーテルが寄っていたらしいけど、もう大丈夫なのかい?」
「すっかり元気! エメトセルクからもたくさんエーテルもらったし!」
「ならよかった」
「それに次から監禁するときは普通にエメトセルクの寝室にしようねって約束したし問題ないと思う!」
「…………ん?」
「おい」
エメトセルクの手が伸びてアゼムの口を塞ごうとして、けれどもそれを避けながらアゼムはにやりと笑った。
「たまにはね。この人、私無しでは生きて行けないみたいだから、たまにはね!」
「それはお前も同じだろう」
余計なことを言うな、と睨むエメトセルクにからからと笑うアゼム。本当に、お似合いの、似たもの同士の恋人である。
ヒュトロダエウスは置いてあったビスケットを一つ、さくりと食べたけれども、それはやけに、甘さが控えめに感じた。
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