溶けかけ。
2024-09-19 20:46:33
1567文字
Public ほぼ日刊
 

葬送の日

昨日のツイの喪服の話です。
暗いです。


 いつもの正装を脱ぎ、黒いドレスを身に纏う。水神を表す青い帽子には留守番を言い渡し、黒い帽子を被って、靴も靴下も履き替えたフリーナは鏡の前で崩れ落ちた。どんなに黒を纏おうと、海の色をした色違いの瞳や淡い波のような髪は少しも隠れてくれやしない。フリーナをフリーナ足らしめる色合いは今の彼女にとって酷く憎むべきものだった。

「悲しむな。神は悼むことはあっても悲しむことはないんだ」

 目を閉じて、自らの悲痛な叫びに蓋をする。

 ――どうして? なんで悲しんでは駄目なんだい?

 そう、問い詰めてくれるなと痛みを訴える心臓を押さえつける。彼が死ぬくらいなら僕が死ぬべきだった――いや、神である僕を守って死んだのだから、誇りに思うべきだ。
 フリーナ人としての僕フリーナ神としての僕がせめぎ合う。どちらも正しく、どちらも間違っていることをフリーナはよく知っていた。



「あんたのせいよ! あんたのせいで、夫は……っ!」

 フリーナの胸倉を掴み上げた女性は彼女を大きく揺さぶりながら嗚咽をもらす。ごめんなさい、とは口が裂けても言えなかった――神は謝らない。それが、フォンテーヌの神たるフリーナの役目であった。

「なんで夫が死ななきゃならなかったの……!? 神様なんでしょ!? なんで、なんで……っ 助けてくれなかったの……?」

 女性が手を振り上げた。参列者たちがざわめき、あちらこちらから小さな悲鳴が上がる。フリーナの瞳は真っ直ぐと目の前の女性を捉えていた。

「そこまでだ」

 振り上げた手がフリーナの頬を張ることはなかった。静かで冷酷なまでに冷え切った声は今しがた降り出したばかりの雨の中でもはっきりと人々の耳に届く。

「この国の神を傷付けることは、最高審判官である私が許さない」

「ヌヴィレット様……

 ヌヴィレットは事の成り行きを見守っていた民衆を見回すとよく通る声で告げる。 

「彼女には心の整理をつけるための時間と場所が必要だ。どなたか落ち着ける場所へ案内しては頂けないだろうか?」

 鋭い眼差しを向けられた葬儀場の関係者が女性に駆け寄り、黒いタオルを被せると、覚束ない足取りに合わせてゆっくりと建物へと向かっていくのにヌヴィレットは胸を撫で下ろす。あの様子ならば、女性が風邪を引く心配はしなくて良さそうだ。一先ず、彼女のことはいい。問題は――

「君も少し頭を冷やすべきだ」

 手を上に向けて差し出す。ずぶ濡れの我らの神はその手をパシンと振り払った。

「余計なお世話だ、ヌヴィレット」

 手袋越しで叩かれた手はじんわりと熱を持つ。音よりも余程強く叩かれていたようだ。

「僕は神、フリーナだ。キミの命令に従うつもりはない。それとも、最高審判官様は神より偉くなったとでも?」

 二の句が告げなくなってヌヴィレットは目を細める。先程、女性と話していたときに感じていた感情の揺らぎが今は感じられない。悲しみ、憤り、後悔――そういった負の感情もまるで初めからなかったかのように霧散した。手足たる水を通してみても、凪いだ湖面があるだけだ。

「フフッ……最高審判官であるキミはただ見守ればいい。所詮、僕もキミも彼女を際立たせるための舞台装置の一つでしかないのだからね」

 黙り込んだヌヴィレットに満足そうに笑いかけたフリーナは軽やかにターンをするとステップを踏むかのように歩み始めた。
 遠ざかって行く背を睨めつける。

 ――隠された、と気付いた。
 全ては底の見えない水底へ沈められ、二度と浮上することはない。

 ヌヴィレットは自身の選択が誤りであったことを理解した。溢れたミルクは戻らない。一人で重荷を背負う彼女と荷を分け合うことなど、今の彼には到底不可能なことであった。