【カブミス】秘密の中

ミスルンのため、今までなんとなく付き合っていた女の人たちに別れを告げるカブルーと、それを見ていたミスルンの話。

 今まで誰彼かまわずおしゃべりをしたり、手紙のやり取りをしたりしていたというのに、もうそんなことをしたいという欲求はなくなってしまった。
 あれほどまめに色々な人から相談を受け、アドバイスをし、感謝されて心地よくなっていたというのに、もうそんな自分でいたいという欲求はなくなってしまった。
 その代わり、あなたを見ると自分の小さな部屋に閉じ込めてしまいたくなるようになった。そしてぎゅうと抱きしめて、離したくないと思ってしまうのだ。自分でも自分勝手だと思う。欲望をあなただけに移行させて、それをまた充足させようとしているのだから。でもいい、でもいいんだ。俺には今は、あなただけなのだから。
 
 
「すまない、好きな人ができたんだ」
 だからこうやって一緒に酒を飲んだりすることはもう出来ない。そう言うと、クラシックなカクテルのふちを余裕たっぷりに長い爪でたどっていた女は、バーカウンターで、「こんな時に言う? サイテー」と俺の頭から酒をかけ、席を立っていった。
 花畑で子羊たちに餌をやり、俺に花輪を渡してくれた、いつも手紙に押し花を入れてくれる少女に同じことを告げると、俺の頬を叩いてから、「好きだったのに!」と泣かれてしまった。
 メリニに定住し、魔術学校の講師をしている魔術師にも同じことを言うと、今度は魔術をかけられ、スライムで息を出来なくされ、危うく窒息するところだった。彼女曰く、「遊びだったっていうの? 許せない!」とのことらしい。
 俺はさまざまな女たちに水をかけられたり、酒をかけられたり、叩かれたり、殴られたり、池に突き落とされたり、魔術をかけられたりしたが、全部「期待させといてすまない」で貫き通した。勝手に終わりを告げた。
 手紙のやり取りをしていただけの女たちにも、大切な人が出来たからもうやり取りはできないと、短い別れの手紙をいくつも書き、郵便配達人に渡した。俺をなじる返事が来たり、来なかったりしたけれど、俺はもうそれ以上女たちに手紙を書くことはなかった。彼女たちが望むカブルーになることはなかった。
 それから、酒場の主人に迷惑がかかってはならないと、あの秘密基地のような部屋も引き払った。とはいえ、この頃になると俺はライオスさんから宰相補佐のための部屋と、領地や屋敷をもらっていたので、不自由はなかったけれども。
「あんたってサイテー!」
 夕暮れ時、これで最後だと城付きの侍女に別れを告げ、これまでの女たちにされたのと同じように水をぶちまけられてとぼとぼと歩いていると、俺に与えられた部屋の扉の隅に、灰色の髪をした、華奢な体格の愛しい人がいた。彼は腕を組み、壁によりかかり、こちらを見て笑っている。これは、あれを見られていたと考える方がいいだろう。でもまぁ、他と比べればそれほど酷い終わり方でなかったことだけは、幸いしただろうが。
「禊はすんだのか? 色男」
 ミスルンさんは、静かに笑いながら、いつもより軽やかな声で言った。いつものもの静けさは今はなくて、俺の様子を面白がっているようだった。俺は濡れた巻き毛を絞りながら、「一応、終わりました」と言った。それから頬を膨らませてからため息をつき、「見てたんですか? 悪趣味だな」とも。
「とんでもない。お前は誠実だなと思っていたところだ」
 ミスルンさんが言う。
 廊下に灯った明かりが彼の義眼をはめた目元を照らし、その窪みを痛々しいものとして俺に見せたが、でも俺はそれすら愛おしかった。暗く、深淵を覗くような黒い目も、明るい灯火の中ではゆらゆらとゆらめき、きらめいている。そこに口付けたいと思う。かさついた唇も淡く、薄く粘膜の色を持っていて、俺はそれに触れたい、と思う。やっぱりあなたに、今すぐにでも口付けたいと思う。
「誠実というか、面倒ごとが嫌なだけです。あなたには迷惑をかけたくないし」
「それが誠実ってことなんだ」
 ミスルンさんが笑う。そして俺の濡れた黒い巻き毛に手を伸ばして自分の指を濡らして、俺がしてきたことを楽しそうに眺める。俺はくすぐったくて、でも俺をどう思っているのか気になって、彼を試すようにこう言う。
「でもこれで、今日からあなた一人ですよ、あなたに振られたら、俺は真実一人きりになってしまう」
 だからどうか俺を受け入れてください。そう言って、俺は彼に近づく。ミスルンさんに近づく。するとミスルンさんは腕を組むのをやめ、廊下の明かりを背景にして輪郭を輝かせて、あろうことかこんなことを言った。
「じゃあお前は私の男か?」って。真剣な顔で、確かめるように。
 俺は唾を飲み込む。真剣な視線を受けて、彼に愛されている自分が、どう答えたらもっと愛をもらえるのか考える。俺は欲望ばかり抱いている男だから、どうしたらもっとミスルンさんに愛されるか、そればかりを考える。
 俺と具合よく付き合っていた女の子たちがそうしたように、付かず離れず付き合う? いや、そんなことは出来ない。したくない。ずっとくっついていたい。ずっと肌を合わせていたい。ひとときも離れたくない。
「えぇ。……でも気をつけてくださいよ。俺は独占欲が強いので」
 俺はそう言って、これは正解だったろうかと悩んで、濡れた髪のまま、濡れた服のままミスルンさんにさらに近づく。すると彼は俺の腰に腕を回して、重要な立場にある役人や、俺くらいしか部屋を持たない階層の廊下で、俺の腰に腕を回し、ぐっと下半身を押し付けてきた。もちろんまだ兆しちゃいない。彼は何かを確かめようとしているだけで、そこには欲望なんてない。でもこのままじゃ濡れてしまう。その時、ふと、花の香りがした。さっき侍女に振り掛けられたのは、ハーブが混じった水だったのだろう。
「お前が誰かの肌に触れていなきゃやってられなかったのは分かっているつもりだ。寂しかったんだろう? 突然幸福な生活が消えて。……それでも、お前が別れを告げた女は多すぎたがな」
 確かに、幸せだった生活が消えてから、俺は女の人だけでなく、他人に執着するようになった。
 母さんがいてくれた時はそうじゃなかった。愛されていると信じられていた時はそうじゃなかった。でも母さんが消えてから、ミルシリルにはあんなに愛されていたというのに、それだけじゃあ満足できなかった。でも、俺が今まで女の子たちに別れを告げるのを見ていただなんて、この人も結構意地が悪いな。いや、嬉しくもあるんだけれども。
「え、全部見てたんですか?」
「全部じゃない。少しだけだ」
 ミスルンさんが少し膨れっ面になって言い訳をする。
 俺はそれをとても可愛く思って、密かに俺を観察していたのかと思うとくすぐったくって、思わず彼の頬に何度も何度も口付けを落とした。
「遠くから侍女の足音が聞こえる」
 ミスルンさんが言う。でも彼は俺から離れない。キスを落とされ続けても、俺から離れない。
「いいんです。彼女たちは秘密を見て見ぬふりをする訓練を受けてるから」
「私は自分の男をひけらかしたいが?」
……噂にはなると思いますよ。恋の話ならね」
 俺は笑って、「あなたにもっと触れたいな」って言う。「あなたが言ったみたいに、俺は誰かの肌に触れていなきゃ苦しい、寂しがりやみたいだから」って、そんなことを言う。
 すると、ミスルンさんは満足げに笑って、俺の唇にそっと触れから離れて、俺の濡れた手を取って、宰相補佐室の扉を開ける。
「ここに偶然いいところがある。寝床に行こう。お前は私を欲しがっている顔をしているから」
 ミスルンさんが笑う。俺は敵わないなって彼に言って、侍女の足音が近づいてくる中、さっき頭からかぶった水がただよわせるハーブの匂いをさせて、自室に入り込む。
 ミスルンさんにずっと触れていたい。彼が許してくれるのなら、朝も昼も夜もずっと、あなたとともにありたい。そんなことは叶わないと分かってはいるが、そういう睦言を交わすくらい、俺には許されるだろう。
 俺はそんなことを考え、宰相補佐室の扉を閉める。ギィ、と音が鳴って、俺たちは秘密の中に入る。誰も見ることの出来ない、秘密の中に入る。