【SS】懐かしい人に会う話

本当は「箱根で暴れる親世代のSS」というタイトルだったんですが、なんか綺麗におさまっちゃったんで懐かしい人に会う話ということにしました。臨床医学会に旅行気分でやってきた沖田先生、桔梗さん、嘴馬先生の小話です。
親世代の顔は固定ツイートにあります▶︎ https://x.com/asnshk_0108/status/1826627750721159343
9/20 追記 過去絵ですが沖田夫妻&親戚ヅラ嘴馬先生の絵貼っときました

主な登場人物
沖田蒼司
東医所属、総合診療医。箱根温泉に釣られて久々の学会参加。嘴馬のパワポ作成を手伝った。

沖田桔梗
蒼司の妻。小料理屋・和菓子屋『花やぎ』の女将。蒼司にくっついて旅行に来ている。

嘴馬遼士郎
東医所属、心臓外科医。講演を頼まれたが絶望的にパワーポイントを作るのが下手くそ。喋りは上手い。







お大事に、と柔らかい声が診察室に響く。心臓外科の界隈では知らぬものがいない名医__嘴馬遼士郎の声だった。普段は手術ばかりやっている男だが本日は異なるらしい。
東医はチームで複数の患者を受け持つ形式であるため、必然的に偉い立場とはいえ嘴馬にも診察業務は回ってくるのだ。

「嘴馬先生、ちょっといいですか」

若い医師クラーク__佐々田弘毅が遠慮がちに嘴馬を伺う。いいぞ、とデスクトップに表示された造影画像を見つつ彼は続けた。

「臨床医学会から書類が届いております」
「げ。も〜〜うそんな時期なのかよ」

嘴馬は薄緑がかった封筒を受け取って器用に指だけで封を切った。
臨床医学会とは、細分化された学会とは異なり「臨床医学のすべて」を扱う。そのため毎年こうして各大学の外科、内科を預かる教授陣へご丁寧に招待状__ならぬ果たし状が送り付けられてくるのだ。何せこの学会、規模が規模だけにいがみ合う大学同士も顔を合わせることとなる。当然そこには単純な学会、懇親会以上の意味が含まれていた。

「うわ出た記念講演、今年も聞きにこいってか、めんどくせえんだよなぁ」

そして嘴馬は律儀に二枚ある紙の隅々にまで目を通して、 「えっ。何これ俺が講演すんの?」
「まあ、任意だとは思いますが……」 佐々田は若干困り眉になりながら続ける。「断られた例はあまりないんじゃないですか。よく知りませんが」
「ええ〜〜ヤダよ〜〜。何でだよ? 何喋るんだよ。どうしろっていうんだよ」
「俺に言われても……あっ。でも今年はつくば医学特区じゃないんですね」
「ん?」

嘴馬は佐々田が眺めているチラシを受け取る。そしてかなり熱の入った口調でつぶやいた。

……今年、箱根温泉じゃん。えっ絶対参加する」

と。


一方その頃__有給を消化していた沖田蒼司は、買い出しにスーパーマーケットを彷徨いていた。ポケットに突っ込んでいたスマホが震える。幼馴染であり、同じ職場で働く嘴馬遼士郎からだった。
極めて短く、『今年箱根温泉だぞ』とある。蒼司が所属する総合診療科からは、部長である神代信が参加する事になっていた__が。

「箱根か……

無論蒼司にも参加の誘いはかかっていた。神代が「沖田くんもどう? 臨床医学会」とやたらニコニコしながら言っていたのを思い出し、あの笑顔はそういう意味だったのかと納得する。
しかし何よりも真っ先に思ったのは妻__桔梗のことだった。そもそも大学病院勤めというのは、東医はマシな方であるにせよ休日にいきなり呼び出されるのがザラの職である。結婚してこの方、二人で旅行へ行った回数など指三本で事足りてしまう。

「はこね……

鮮魚コーナーの前で箱根を連呼してうんうん唸っている美丈夫と、不安そうに見つめる売り場担当者という謎の構図が出来上がっている。
蒼司はふと視線の先にあった秋刀魚へ視線が向いた。年々漁獲量が減って高騰しているが、今年はまだ比較的安い。そういえば臨床医学会に参加するとホテルも安めにちょっといいところを押さえてもらえると聞いた事がある。いやでも桔梗は医者ではないからなぁ、と蒼司は頭を捻っていた。
塩焼きに大根おろし、一応生姜も。あと味噌汁の具は__温泉卵……いや違う、そうじゃない。

「こちら……脂が乗っていてとても美味しいですよ……!」 恐る恐る売り場担当者が蒼司へパック詰めされた二尾をそっと差し出した。
「あっ、ありがとうございます」

何も考えずに受け取って籠へ入れる。夕飯が全自動で決まった。
とりあえず帰ってから考えよう。蒼司は嘴馬へ『桔梗に相談する』とだけ返事を返す。妙に表情豊かな馬のスタンプが返ってくる……『エエヤン』じゃないんだよ、と思いつつ、蒼司は心ここにあらずのまま帰路へついた。
うん、箱根温泉には行きたいな。




「箱根温泉? 臨床医学会の会場が?」

器用に里芋の面取りをしている沖田桔梗は問いかけた。隣で人参の皮を上手い具合に包丁でくるくると剥いている蒼司は、

「正確には、箱根温泉にある大きいホテルが会場なんだけど……大体四日ぐらい」
「さっき嘴馬君から連絡があったわ。彼、心臓外科学の講演を頼まれているそうね」
「でも遼士郎、資料作成が絶望的に下手くそだからなあ……

蒼司はかつて諸事情から参加した外科学会のことを思い出した。要旨はともかくパワーポイントはどうしたらこの出来になるんだという代物であった。

「ふふ。いいわね、箱根温泉」 桔梗は鍋の灰汁を取りつつ、「蒼司さん……あなた、普段から休みなく働いているでしょう。良い機会よ。強制的に休みが入れば休めるのではなくて?」
「それは……そうなんだけど。ねえ、桔梗」

料亭クオリティに飾り切りされた人参が鍋へ投入された。相変わらず器用ね、と桔梗は愛おしげに微笑んでいる。

「い、一緒に行きませんか。箱根」
「まあ。うふふ、よろしいの?」
「良いに決まっているでしょ」 むしろ駄目な理由が無い、と蒼司は花のように微笑む桔梗の表情をじっと見つめた。
「旅行なんて久々。楽しみにしているわ」

ほんのりと紅色に染まった頬に右手を遣る桔梗は、まるで恋する少女のように可愛らしい。
沖田蒼司はそんなことを、後に語っていた。


***

__二ヶ月後 箱根温泉
第××回 臨床医学会年会



てめえこの野郎俺をダシにしてスーパーいちゃつきタイム挟みやがって、と言いたげな嘴馬、旅行(デート)に奮発して小袖を新調してうきうきの桔梗、午前のポスター発表を終えて完全に旅行気分の蒼司。
横に三人並ぶと桔梗の小さいこと、しかし彼女は実に平均的な日本人女性の身長である__彼女を挟む男二人がデカすぎるだけなのだが、一層彼女は華奢に見えた。

「あーあ、もう最悪だ。なんだって俺が講演なんか」
「でも好評だったじゃん」
「性に合わねえんだよ。偉そうに壇上で話すのは椿の方が上手い」 嘴馬は己が弟子として鍛えている四宮椿の名を口にした。彼女は蒼司と桔梗の実の娘である。
「あら、そうなの?」
「それは言えてるかも」
「つか蒼司。お前なんでポスター発表なんかしてたんだよ」
「柿渓先生のご家族がみんなインフルに罹っちゃって」
「ありゃあ。……でもお前、ほとんど発表っつうか完全にレアキャラを見つけたっつうんでみんなが群がってただけじゃねえのあれ」
「うん、ポスターや要旨の中身はほとんど話していないね。すさまじい挨拶の嵐だった」
「ちぇー、俺もポスターセッションあいさつ運動で終わってくれりゃあよかったのになあ」

嘴馬は隠すことなく文句を垂れている。
すでに二日目の日程まで全てが終了し、大ホールは懇親会の様子を呈していた。酔っ払ってできあがっている姿もちらほら見受けられる中、三人は慎み深く酒を避けていた。完全に職業病の嘴馬と下戸の蒼司では意味合いも違うが、特に嘴馬は後で部屋に戻ってからでも良いだろうと思っているのだった。
ビュッフェ形式で料理をつまみつつ、蒼司はこちらへ近づいてくる人物を認めた。いかにも昔の外科医という雰囲気で、顔を顰めた厳つい風貌の老人である。

「西園寺先生?」

蒼司は思わず驚いて声を上げる。かつて東医ではなく、東都大学病院の時代__若き日の蒼司と嘴馬が所属していた『第一外科』。そこで蒼司と嘴馬をまとめて外科医として育てたのがこの西園寺頼央だった。

「おお! 沖田ァ!」

西園寺は相変わらず剛健な男であった。深いブラウンのスーツ。少し翻って見えた裏地には洒落た柄物の生地が使われている。磨かれた革靴に伸びた背筋。軽くオールバック風にした白い髪と、伸び放題の太い眉毛は昔からのトレードマークだった。
大股で蒼司と嘴馬へ近づき勢いよく肩を叩く。桔梗は一歩後ろへ下がり彼へ優雅に軽い会釈をした。

「久しいな。外科医を辞めたと聞いた時はたまげたぞ」
「色々、一口には説明できない事がありましたので」
「そうか。しかし元気そうで何よりだ。時に嘴馬、心臓外科の部長なんぞになりおったらしいな? あのオペの下手くそだったお前が! 偉いな!」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でる西園寺にされるがままの嘴馬は、「うわああ」と妙な声を上げながら、

「もうそれだいぶ前の話ですよ。つうか俺は……
「次の教授を決めねばならんだろう」

西園寺は打って変わって真面目な顔つきになり続けた。

「嘴馬、お前が実家の総合病院を継げとせっつかれとることは知っている」
「まあ、はい」

曖昧な返事を嘴馬は返す。
生粋の医者家系であるこの男にとって、実家問題はかなり悩ましい話である。噂程度ではあるが嘴馬が近いうちに心臓外科を去るのでは__という話も持ち上がっていた。

「沖田。お前はもう外科に戻る気はないのか」
「ありません」 一瞬桔梗が目を見開く。「僕よりも外科医に相応しい人物が、すでに心臓外科にいるでしょう」
「ふ、ふふ、あっはっはっ!! 確かにそうだな! いや残念だ……
「勘弁してくださいよ。西園寺先生、絶対引き抜こうとするじゃん」

唇を尖らせ嘴馬は横からヤジを飛ばした。きょとんとした顔で蒼司は二人を見ている。

「引き抜く? 別に引き抜いてはおらん。儂が声をかけた若いのが、好きでうちに来るだけだ。その辺の話はともかく一度会ってみたいもんだな。『医学における万能の天才』と名高い女傑に」
「あら。嘴馬君、あの子はここに来ていないの?」
「来いとは言った」

苦い顔をして一度お冷を飲み、嘴馬は続ける。

「が、行くとは言われてねえからなあ。来ねえと思う」
「そう……でも確かに、嘴馬君も学会で椿もとなれば、流石に問題が生じるかしら」
「おいおい桔梗さん、うちの心臓外科医たちを舐めんなよ? 俺と椿がいない程度であたふたする奴らなんかじゃねえよ。死にかけの患者が押し寄せてきたって全員きっちり元気にして帰すに決まってんだろ」
「うふふ。頼もしくて宜しいわ、大変失礼致しました」

桔梗は袖で口元をそっと隠しながら笑った。実に気品ある振る舞いである。
西園寺はその様子を見て桔梗へ声をかけた。

「ところで、ご挨拶が遅れて申し訳ない。貴方は沖田の奥方だな。西園寺頼央と言う。滋賀県にある、静海大学病院の院長だ」
「こちらこそ。沖田桔梗と申します。西園寺先生のことは夫からよく聞いておりました」
「そうか……。ん? 待て。失礼だが、どこの大学の出身だ」
「東都大学の法学部です。と言っても、二年しかおりませんでしたけれど」
「中退したのか?」
「いいえ。修了しました」

桔梗はさらりと言ってのけた。それはつまり、本来六年ある法科大学院までのカリキュラムをたった二年で修了した、という意味に他ならない。
当時をよく知る嘴馬と蒼司は涼やかな顔だった(当時それを聞かされた時はすさまじい衝撃を受けていた)が、徐々に西園寺の顔が驚愕に塗り替えられてゆく。

……思い出した。沖田と嘴馬の同期に、ものすごい才媛がいるという話を聞いた事がある。他の学部であるが故に誰かまではわからなんだが……貴方だったか。今は何をしている?」
「蒼司さんの実家の和菓子屋を継いでおります。今は小料理も少々」
「誰も並び立てぬほどの抜きん出た才覚を持ちながら、それらを敢えて使わぬ道を選んだのか」 西園寺はにやりと笑った。桔梗はどこか嬉しそうに、
「ありがとう存じます。大抵のお方は『勿体無い』と仰せになるのだけれど、流石に嘴馬君と蒼司さんを導いたお方だわ」
「そりゃあ買い被りすぎだ、奥さん。思ったことを口にしたまでよ」

そうは言っても惜しいという感情を滲ませる西園寺は、チラリと蒼司を見た。視線には「一体どうやってこんな女を射止めた?」という問いかけが存分に含まれているが、蒼司はそれに気づいているのかいないのか、さらりと受け流して微笑みを浮かべるにとどめた。

すでに二十一時を回ろうかという時刻である。嘴馬はしこたまケーキやミニシューを皿に乗せてセルフサービスのコーヒーを飲みながらスマホを眺めていた。そして視線に気づき、これはお前らの分、とデザートフォークを差し出す。

桔梗は昔もこうやって嘴馬君の音頭で甘いものを食べたわね、と懐かしさに浸りつつ、チョコレートが使われた丸い小さなムースケーキにフォークを入れた。








おまけ 親世代の絵