吾妻
2024-09-19 14:03:59
5885文字
Public アークナイツ
 

葡萄は互いを見て熟す【2】


2.

《状況は把握しました。連絡が取れてよかったです。では、今はその集落に滞在しているんですね》
 CEOの落ち着いた声音が耳を打つ。通信は明瞭だ。ここまでの道中を思えば少々不自然なほどに。
 テキーラは、町の入り口付近の道路脇に立ち、端末を耳に当てつつそれとなく周囲に目を走らせた。
「こっちは特に大きな問題はないから、合流ポイントを指定してもらえればそこに向かえると思うけど……
《それについてなんですが……数日その周辺に留まることは可能ですか?》
 アーミヤからの提案は、想定していたものとは違っていた。てっきり新しいランデブーポイントを決めて、そこで合流を図るものとばかり思っていたのだが。
《実は、私たちもそちらに向かう用事ができてしまって。あちこちで通信障害が起こっているようなので、下手にお互いが動くより、こちらからお二人を迎えに行こうかと……
……用事?」
 当初の予定にはない行動だ。自分たちが本艦を離れたあと、なんらかの状況変化があったらしい。
《ここ数日、お二人が滞在している地域周辺で事故が頻発していて、物資の流通が滞っているみたいなんです。なので、提携企業からの要望で、直接薬品を届けにいくことになったんですが……
 そこまで言うと、アーミヤは声を落とした。
《事故ではなく人為的な破壊活動の可能性もあるので、お二人には気をつけていただきたいんです。そういう事情もあって、できる限り連絡のつく場所にいてもらえると私たちも安心で……。数日中には合流できると思いますから》
「なるほど。そういうことならこの付近に滞在できるように調整してみるよ。定時連絡もするつもりだから、状況が変わったらその時に」
《はい。……ドクターのこと、よろしくお願いします》
「任せて。危険な目になんて遭わせないから」
 最後に少女らしい心細さを覗かせたアーミヤを気遣い、テキーラは通信を切った。
「事故……ね」
 果たしてそれは本当に〝事故〟なのか。アーミヤは理由もなくあのような憶測を口にするタイプではない。十中八九、人為的な工作があると見るべきだ。
 では一体なぜ? この一帯は未だ開拓途上ではあるが、国道が敷設されたことにより今後大幅な発展が見込まれている。苦労して建てたであろう通信基地局を破壊してまで、何をしたいというのだろうか?
 何も映っていない端末の画面を見下ろしつつ思惑に耽っていると、近づいてくる足音を耳が拾う。
「どうだい? お仲間と連絡はついたかね」
 音の方を振り返れば、にこにこと愛想のいい笑顔を浮かべた初老の男が立っていた。町に着いた際、あの父娘の出迎えに現れた人物だった。
「お陰様で助かりました。町長さんの様子はその後どうですか?」
 どうやら発作で倒れた老父はこの町の町長らしい。はじめは余所者に警戒心を見せていた町の人々も、町長からの事情説明後には目に見えて態度を軟化させたので、彼は随分と慕われているようだ。
「もうピンピンしとるよ。果樹園の様子を見に行くって言い出してセルマに叱られとった」
「果樹園……?」
 セルマというのがあのヴァルポの娘であるのは察しがつく。だが〝果樹園〟とは。この町では何かを栽培しているのだろうか?
「ところでお前さんたち、今日の宿のアテはあるのかね? そろそろ日も暮れるし、夜になると何かと物騒だろう。町長は宿に泊まってくれていいと言っとる」
 男の態度からは何の含みも感じられない。他の住人たちもそうだ。対面当初こそ訝しげな視線を向けられはしたが、受け入れられてからは好意的に接してもらえている。みな素朴で、善良だ。
 気にかかることはいくつもあるが、アーミヤの言う通り下手に動かないほうが得策だろう。今後の方針をドクターと話し合う必要もある。申し出はありがたかった。
「ありがとうございます。正直今晩どう過ごすか困っていたので、お言葉に甘えさせてもらえると……
「うんうん、そうしなさい。あんたの嫁さんにもそう伝えてあるでな。先に宿屋に行っとるはずだ」
「助かりま――……ん?」
 少々話がうますぎる気もしたが、それよりも引っかかる単語があった気がする。勘違いだろうか?
「ところで、あんたの嫁さんは技術者さんか何かかね? 水撒き機の不調の原因をスパッと言い当てて……もう寿命かと思っとったが、ちゃんと動くようになったわい」
「技術者というか、学者というか……。その……
「なるほどなぁ。何にせよ助かった。礼を言っといてくれ」
「はぁ……
「宿屋はさっきあんたが車を止めた通りにある。看板も出とるからすぐにわかる」
 そこまで言って満足したのか、男は踵を返した。町の方へ戻るのかと思いきや、途中で道を左手に曲がり、なだらかな坂道を下っていく。あちらに件の〝果樹園〟があるのだろうか?
 いや、今はそれどころではない。報告しなければならないことも、確かめなければならないこともある。
 端末をしまいこみ、テキーラは逸る気持ちを抑えつつ宿屋へ足を向けた。


            *


「ドクター!?」
「ん? あぁ、おかえり。無事に連絡はついた?」
 教えられた客室の扉を勢いよく押し開くと、のんびりとした声が出迎えてくれた。
 ドクターはすでにマスクを取り払い、窓際に寄せられたソファに腰かけて寛いでいた。住民からの差し入れなのか、テーブルの上には立派なブドウの乗った皿が置かれている。
「本艦との連絡は無事についたよ。それで今後の方針について相談したいんだけど、それよりも――
 それよりも重要な問題がひとつあるのだ。
 先だっての老人との会話だけなら彼の勘違いで済ませられたのだが、宿の主人からも「奥さんはもうお部屋にいらっしゃるので」と言われてしまったら、流石に勘違いとは思えない。
「どうして俺とドクターが夫婦だってことになってるの……?」
「嫌なの?」
「嫌なわけないけど、急にそんな話になってるからびっくりして……
 ドクターはテキーラの問いかけに対して、ムスッと唇を尖らせてみせた。どうやら「町にやってきた余所者二人は夫婦の間柄である」という認識は、住民たちの集団幻覚などではなく、彼女がわざと彼らに信じさせた情報らしい。
 確かにテキーラとドクターは、プライベートでは恋人同士である。しかし、不測の事態に巻き込まれているこの状況下で、夫婦を演じることに何のメリットがあるのだろうか。
 ドクターはまぁまぁとテキーラを宥め、視線で向かい側のソファを示した。どうやら座れということらしい。
「他に客もいないからと、町長と宿屋の主人が二部屋を用意しようとしてくれてね」
 テキーラが大人しく向かい側のソファに収まるのを見届けて、ドクターは皿の上に乗せられたブドウを一粒拾い上げた。
「この状況だから、あまり離れ離れになるのは得策じゃないと思ったんだ。身を守るにしろ、何かを相談するにしろ、二人きりになれるほうがありがたいし。ただ、ここは年配の方も多い場所だろう? 〝恋人〟だけだと押しが弱い気がしたから、いっそ夫婦を名乗れば早いかと思ったんだよ」
……なるほど」
 とりあえず、ちゃんと考えがあってのことだと分かって良かった。いや、もちろんドクターが考えなしに妙なことをすることなんて――ないとは言えないが、少なくとも非常事態でふざける人ではない。
 実際に、二人同室を実現しているわけで、他愛のない嘘の効果は得られていると言っていい。
 それでも何というか、元々親しい関係であるからこそ、妙に落ち着かない心地にはなってしまう。
「それで、アーミヤは何か言っていた?」
 ドクターの問い掛けで冷静になった。そうだった。今後の相談をするためにテキーラは彼女と合流したのだ。
「実は――
 気を取り直し、アーミヤとの通話内容を掻い摘んで説明する。
 ドクターは質問を差し挟むこともなく、最後まで説明を聞いていた。その眼差しは摘み上げた葡萄の粒に注がれている。
……わかった」
 全てを聞き終えたあと、ドクターは短く頷いた。
「驚いたりしないんだね。アーミヤさんからの提案、ある程度察しがついてたの?」
「君だって違和感を覚えているだろう? この町の人々はみな親切で、私と君が別行動を取っていても害意を見せたりはしない。むしろ何かと世話を焼いてくれるくらいだ。おそらく本心からもてなしてくれているんだろう。それでも、彼らには秘密がある
……うん」
 具体的に何がおかしいかまではわからないものの、拭い切れぬ違和感がずっと付き纏っている。その居心地の悪さを、テキーラも確かに感じていた。
 何かが決定的にチグハグで、うまく噛み合っていない。善良なはずの町人たちから、なぜか仄暗い後ろめたさを感じる。
 それらのネガティブな感情は、自分たちに向けられているものではなさそうだ。だとしたら、一体何に対する感情なのか?
 住民たちがほぼ例外なく抱いている虚無感は、どこから生まれてきているのだろう?
「数年前までこのあたりは広大な果樹園だったらしい」
 ドクターの指先が、大粒のブドウの皮を丁寧に剥いていく。深い紫色の皮を一枚めくれば、鮮やかな黄緑色の果肉が顔を出す。
「けれど、ここ数年でそれらのほとんどが新しくやってきた地主に買い上げられて、閉鎖されているんだ」
 ドクターは、皮を剥き終えたブドウをテキーラの口元へ差し出してきた。
「セルマが私の目の前で木から切ってくれたものだし、さっき私も食べてみたから平気だよ」
 どうやら手ずから食べさせてくれるつもりらしい。
 今日はどんな風の吹き回しなのか。これも夫婦の真似事の一環なのだろうか。
(いつもこっちが食べさせようとすると、恥ずかしがってむくれた顔するくせに)
 果汁で濡れた指先も、期待を孕んだ眼差しも、随分と蠱惑的だ。こんな状況でもなければ色々と美味しく頂きたいところだが、流石に分は弁えている。テキーラはソファから腰を浮かせて身を乗り出し、ドクターの指先ごとブドウの実を口に含んだ。離れていく指先をちろりと舌先で舐めたのは、せめてものお返しだ。
 〝あーん〟をされるのはこんな気分か。確かに少々気恥ずかしい。しかし、そんな羞恥心は口内に含んだ果実の甘さで一瞬にして消え去ってしまった。これほど糖度の高いブドウは、ドッソレスでも滅多に味わえない。おそらくこの町の〝果樹園〟で育てられたものなのだろうが、かなりの上物だ。
「買い上げられた土地が何に変わったか、わかるかな」
……もしかして、国道?」
 バラバラに散らばっていたピースが、徐々に一つに組み上がっていくのを感じる。しかし、それによって描き出される〝答え〟は、残念ながら美しいものではなさそうだ。
「移動都市の外で果樹を栽培できる土地なんて、天災が起こる可能性が限りなく低い場所に決まっている。クルビアは、国境付近まで国道を敷設する〝開拓〟を、ここ数年特に強固に推し進めていて、天災の被害に遭いにくい土地は喉から手が出るほど欲しいんだ。たとえ、少々強引な手段を使ってでも」
「町の人たちは、その地主との間に何らかのトラブルを抱えている可能性が高いってことだね。ドクターは、この辺りで多発している〝事故〟は、ここの人たちの仕業だって考えてるの?」
「いや――
 ふるりと首を一度横に振って、ドクターは側にある窓から町の中心と思しき大通りを眺める。
「彼らは何かを隠してはいるけど、積極的な害意のようなものは感じられない。あと、気づいている? この町、若い男性を全然見かけない」
 ドクターの視線を追うように、テキーラもまた窓の外を眺める。通りでは、赤子を抱えた若い女性と、彼女の両親らしき老夫婦が和やかに会話している。
「初めは過疎化が進んでいるだけかもしれないと思っていたけど、その割にはセルマのような若い女性や子どもたちも見かける。だとしたら、本来この町にいるはずの若者たちは、どこに消えてしまったんだろうな?」
……
 しばしの沈黙ののち、ドクターは口の端を笑みの形に緩めた。部屋中に張り詰めていた緊張がほぐれ、和らいでゆく。
「いずれにせよ、我々は部外者だからね。数日後にはここを去る通りすがりに過ぎない。一方的な正義感や義憤で首を突っ込むべき問題かは判断ができないな」
……うん」
 一時的な憐れみで問題に介入するのは得策とは言えない。最後まで責任を持てないのなら、徒に事態を引っ掻き回すだけになる可能性もある。
(それに……
 理不尽な強権を振りかざす地主と、虐げられる住民たち――。事態はそんな単純な構図なのだろうか? まだ見えていないものがある気がする。
「まぁ、数日は滞在させてもらえるんだし、失礼に当たらない程度にこの町を知ろうとするのは悪くないだろう」
「そうだね」
 おそらくドクターも、テキーラと同様の疑念を抱いているはずだ。その上で〝観察〟を選ぶというのなら、彼女の判断に従うまでのこと。
「そろそろ日暮れか。町を見回っていたときに知り合った酒場の店主が、夕食をご馳走してくれるらしいんだ。一緒に行くだろう?」
「いつのまに……
 ソファを立つドクターを見上げながら、テキーラは驚きと感嘆の混ざった声を漏らした。別行動を取っていたのはほんの僅かな間だというのに、複数の住民と打ち解けているとは恐れ入る。
 テキーラ自身、コミュニケーション能力にはある程度の自負があるのだが、ドクターのそれは対外交渉スキルともまた違うように思える。一見するとただの不審人物なのに、受け容れてしまいたくなる不可思議な魅力が、彼女には備わっている。それすらも彼女の並外れた観察力と人心掌握術の為せる技なのかもしれないが。
「ああ、そうだ。私たちのことなんだけど」
 当然の如く部屋に一台しかないダブルベッドの上に社用車から運び入れた荷物を広げながら、ドクターが口を開く。
「ん?」
「私たちは職場で知り合って、最近結婚した新婚夫婦ってことになっているから」
「えっ」
 通信圏外では無用の長物と成り果てていたタブレット端末を操作しつつ、顔もあげないまま、ドクターは。
「だから、以降は〝ドクター〟は禁止だよ。ちゃんと名前で呼ぶように。いいね、エルネスト
 他愛もない世間話のように、そう言った。


【つづく】