招致されたのはピート・ミッチェル大佐で、理由は後進の育成に付随するなんとかかんとか。ルースターは半分くらい聞いていなかった。その随行者として選ばれたのは、父親が故人であるニック・〝グース〟・ブラッドショーだからでも、後見人がピート・〝マーヴェリック〟・ミッチェルだからでもない。功績から選出されたポジションに惑っていると、マーヴェリックが並び立ち、〝よろしく頼む、ブラッドショー大尉〟と握手を求めてきたことで自負に変わった。
「こちらこそ、ご一緒できて光栄です、ミッチェル大佐」
力強く握手を返す。心からそう思う。遺恨あるプライベートな事情や誤解が解けてからの私情は抜きにして、このトップ・オブ・トップであり、現役の伝説的パイロットの隣に並び立ち、別基地に招致される事実をこそ誇りに思った。
だから、ルースターはその光景を目にした時、階級や肩書きなどは紙面上のもので、それを認識しているのは身内だけであり、はたから見たのならば、ピート・ミッチェルという人は初老に差し掛かる人物で、ただひとにしか見えないのだと認識した。
◇
マーヴェリックとルースターがサイクロンに呼び出されたのは、説教ではなかった。サイクロンの執務室に向かう道中、マーヴェリックはいやいやルースターまで巻き込んだやらかしが最近あったかいやないはずだ、と終始悩んでいて、ルースターはこの人呼び出されたら叱られるのが当たり前に身に染み付いてんなオイなどと呼び出された理由について、それぞれが自らを振り返っていた。
呼び出された内容は、別基地への派遣だった。特殊任務を成功させ、一人の死者を出すこともなく、しかも生還を果たした隊長と、その隊長を補佐したヤングガン。
サイクロンは重々しくそれを厳命したけれど、先方のフライト訓練校から是非ともと請われた優越と、うちの子自慢、そして派遣先でさえ多大なるうちの子たちがやらかすかもしれない可能性に完全に顔が歪んでいた。喜怒哀楽に天地を行ったり来たりしながらも、招致自体に断る明確な理由も言い訳もなく、サイクロンは別基地からの懇願を受け入れた。命ぜられた二人は恭しくその命を戴き、派遣任務を拝命したのだが。
2日後には基地に着く、という夜、立ち寄ったバーで、絡まれる若い女性たちをマーヴェリックが助けに入ったのがことの発端だ。
地元の連中がたむろす賑やかなバーで、ルースターが追加のアルコールを取りに行っている間に起きた出来事だった。
どうやら血気盛んな地元の若い青年たちと、声をかけられたらしい女性たちとの間で行き違いがあった。と、いうよりも、早い話しがセクシャルハラスメントに近い驕り高ぶりの振る舞いをしていた地元の青年たちは、嫌がる女性たちに酔ったまま絡み、見兼ねたマーヴェリックが仲裁に入った──というのが現状だ。
ルースターがビアを携えてテーブルに戻ればマーヴェリックの姿がなかった。身振りを交え、こんな人知らない?とバー内で聞きまくり、やがて辿り着いた先、人だかりの中央に件の人物を見つけた。そして、親切にも野次馬の一人がことの成り行きを教えてくれたのだ。だったらお前ものんびり見てないで彼女たちを助けろよ、とルースターは野次馬に非難の目を向ける。
しかしよくよく騒ぎの中心人物たちを眺めれば、絡む青年たちはなかなかに良い体格をしていた。スポーツでもやっているのか、鍛え上げられた肉体の様子から、あの集団に諫言できる者はいなかったのだろう。いや、いた。マーヴェリックだ。
どうやら雲行きの怪しい絡まれ方をしている女性たちの困り果てた顔に、仲裁を買って出たらしい。
「おい、邪魔すんなよおっさん!」
「彼女たち嫌がってるだろう?」
「うるっさいなぁ!説教かよ!見てわかんねーの?彼女たちも楽しんでんじゃん!」
──そうは見えないけれど。
青年たちの言葉にルースターは呆れる。確かに最初は楽しく飲んでいたのかもしれないが、あのタチの悪い酔い方に女性たちは恐れ慄いたらしい。身を寄せ合って、マーヴェリックの後ろに隠れている。体格のいい青年たちに囲まれたなら、逃げ場がない。
状況を把握したルースターは、マーヴェリックのフォローに回ろうと踏み出す。しかし、対角線上にいたマーヴェリックの鋭い眼光が飛んできた。〝お前まで巻き込まれるな〟、と。
その視線に気付いた者はいないだろう。ルースターは思わず背筋を伸ばした。
女性たちをさりげなく自分の後方から移動させ、守りながら仲裁している。ルースターへの視線の牽制は、互いの立場から、ここで騒動を起こすなという意味だろうけれど今更だろうに。幸いにして二人ともラフな私服だし、青年たちの指摘通り、マーヴェリックは〝おっさん〟なのだ。はたからみたのならば。
顔立ちはいささか華やかに過ぎるが故に、まさか彼が海軍の凄腕パイロットだなどとは思わないだろう。
仕方なし、マーヴェリックの後方に回ったルースターは、男たちがマーヴェリックにヤジを飛ばすのを横目で見ながら女性たちを誘導し、野次馬の間に紛れ込ませ逃した。野次馬たちは今や逃げる彼女たちよりも、無謀にも血気盛んな青年たちの前に、空気を読まずに立ち塞がったお節介な〝おっさん〟に興味津々だ。
身の程知らずとマーヴェリックを侮ったまま、面白がった青年のうちの一人がテーブルの上のそれをマーヴェリックに差し出した。
「あの子たちに飲んでもらおうと思ってたんだよ。代わりに飲んでよ、おっさん」
「そりゃあいいや。せいぜいセクシーに飲んでもらわないと」
酔いも手伝い、悪ふざけの延長で勢いづいた彼らの高笑いは不快だった。ルースター自身の頭は煮えたぎるような怒りとひどく冷静で冷めた部分があって、それは青年たちがマーヴェリックの矜持を傷つけるような振る舞いをしようとするからだった。
手を使わずに飲むそのカクテルは、その名の通り、そのものの行為を示唆する。それを女性たちに飲ませようとしていたのならば、やはり仲裁に入ったマーヴェリックの判断は正しい。それなりに熱気が渦巻くバーの中で、断りにくかろう空気感だ。ペニーのバーとは明らかに違う場末の雰囲気ならではの、冗談にまぎらせた無礼な振る舞い。
ルースターは行いを止めようと一歩踏み出す。しかし、やはりマーヴェリックが視線で制して来る。マーヴェリックの後方に位置するルースターは、斜め後ろに流された視線に射抜かれ正気か、と視線で返す。
──あんたが道化になる必要などない。
視線で訴えたけれど、マーヴェリックは後ろ手に腕を組むと、そのまま顔を下げてテーブルに置かれたショットグラスをかぷりと口で覆った。周囲で囃し立てる口笛や小馬鹿にするようなヤジが飛ぶ。憤怒したルースターは頭から湯気が出るかと思った。
けれど、マーヴェリックはルースターに流したのと同じくらいの鋭さで、今度は青年たちを流し見た。あおのいた口と、嚥下する喉仏が動く。張った胸筋は盛り上がり、存外に鍛えあがられたマーヴェリックの体つきに気づく者もいた。
「ン、」
こくりと動く喉仏、背面で腕を組んだおかげで逸らした分強調される、上向いたヒップ。
ルースターの隣に立っていた野次馬のうちの一人、マーヴェリックを取り巻いていた青年のうちの二人がそれを見て生唾を飲んだ。
ルースターは熱を帯びた視線に晒されるマーヴェリックを初めて見た。いや、初めてではない。幼い頃、マーヴェリックを見て華やいだ声を上げる女性をみて、〝大好きなマーヴを自慢に思う〟自分もいたし、物心ついてからは、マーヴェリックが抜きん出て目立つ容姿をしていることは重々承知していた。
ただ、こういったあからさまな視線を、齢六十に近い彼が受けている様子を目にして、ルースターは言い表し難い感情に見舞われた。
見た目だけならばマーヴェリックは遥かに若々しく見えるし、美丈夫であることを十人が十人否定しないだろう。けれど、こうもあからさまな欲を含んだ眼差しで見られること、それは、自分だけの宝物を、箱を開いて見せつけるのとは違う。箱を閉じて牽制する術を、ルースターは未だ知らないのだ。
葛藤する心の裡は、翻ってマーヴェリックへの怒りへと矛先が向いた。
──なんてもん見せてんだあんた。
ショットグラスを覆った小ぶりな唇の端から、アイリッシュクリームがゆぅるりと垂れ、重力に沿って落ちていく。あおのいたため、頬から耳に向かって。
マーヴェリックは飲み干したショットグラスを、背後で腕を組んだまま、咥えた姿勢でテーブルに戻す。けふ、とかぼそい咳をして腕を解くと、頬に筋を作ったクリームを指で拭って、極め付けに赤い舌でぺろりと舐めた。
「……年寄りには少しあますぎるなぁ」
ちっとも老いを感じさせない容姿で嘯く。
青年たちは何某かに圧倒され、うろ、と視線を逸らす者、もぞもぞと居心地悪そうにする者と多様だった。
もはやルースターの握り締めたアルコール瓶は血管の浮いた弾けそうな腕と共に割れそうな勢いだった。
リーダー格らしき青年が、彷徨わせた視線のまま肩をすくめ、取り繕うように髪をかき上げる。
「……シラけた。帰ろうぜ」
そうだなそうしようと言う仲間たちの声がけと共に、青年たちが散っていく。マーヴェリックはただそれを眺めた。バー内は何事もなかったような喧騒を取り戻すも、数人がマーヴェリックの元へふらりと近寄る。
ルースターは持ち前の200ポンド超えの体格と高身長でそれらを蹴散らし、マーヴェリックの元へ向かう。腕を掴む。
「どうしたブラッド。ものすごいかおしてる」
〝ものすごいかお〟は、マーヴェリックにはどう見えているのだろうか。憤怒の顔なのか、迷子のような子供の顔なのか。敢えて幼子にかけるような愛称でルースターを呼んだマーヴェリックは、どこまでも賢しく腹立たしい。
──本音が見えないではないか。
道化に徹して場をおさめただけなのか、それとも、見た目だけの性的な眼差しでの評価を、過去も今も多々受けてきたことを〝今の立場〟のルースターに曝け出してもいいと思っているのか。それを、ルースターがどう思うかを、マーヴェリックは見定めているのだろうか。
美しいグリーンアイズは澄んでいて、ルースターには計り知れない。だからルースターは、ただ、マーヴェリックの腕を掴んだままでいた。
「マーヴ」
「ぅん?」
「ホテルに帰ろう」
誰の視線からも遮ることはできない空のような広さを持つ人だけれど、マーヴェリックが繋いだ手を振り解こうとしないのはこの先ルースターだけだ。そう思いたい。
指定された宿泊先へと戻る道中、二人は一切口を開かなかった。
◇
──などというセンチメンタルなあの日の俺の心情を返してほしい。
招致された基地内にある、マーヴェリックが講話をするための会場に案内されると、爆発的な拍手で迎え入れられた。
それはいい。そこまではいい。任務達成は聞くに及ばず、そのためにこの基地に呼ばれ、訓練生たちの歓迎を受けているのだから。
見覚えのある光景だ、とルースターは思った。
マーヴェリックが教官として、ルースターの前に再び姿を現したあの日。ルースターは過去から現在に至るマーヴェリックとの確執と、突然現れた諸悪の根源への感情で、当時は周囲に気を配る余裕がなかったが、どうやらあの時、ハングマンたちはマーヴェリックの登場に頭を抱えていたらしい。曰く、前夜、ペニーの店で、慣例を破った〝おっさん〟を放り出したが、その放り出した〝おっさん〟が教官だったと。今では笑い話しだ。あれは、三人に悪気があったわけではないからこそ、上官に対する振る舞いをマーヴェリックは笑って許した。そもそも自分がルールを破ったのだから、と。
しかし今回は違う。多くの訓練生が集まり、左右に人垣が割れる中、見覚えのある顔が数人。マーヴェリックを視界に入れた彼らは目を見開いた後、頭を抱える者、背を向けて目を合わせない者、冷や汗と薄ら笑いで取り繕う者と様々だ。
マーヴェリックに続いて訓練生たちの間を歩くルースターは、大きな背をかがめてマーヴェリックの耳元に小さく尋ねた。
「……わかってたのかよ」
「今回特に優秀だと言われている訓練生たちについては中将に前もって資料をもらっていた。顔は全て覚えているよ」
「なるほどね」
再顔合わせした体格の良い青年たちの血気盛んさに、ルースターは今更ながら納得した。
──レジェンドたる教官が近日中に来訪することを知りながらの悪酔いとはいい度胸だ。
自分達が悪酔いするようなことをしておきながら、ルースターは棚上げしてマーヴェリックをエスコートするかのように壇上に導いた。宿泊先での余韻を露とも見せないルースターの上官はなるほど若々しい。
手のひらを押し返す弾力ある肌感触を思い出しながら、ルースターはマニュアルを机上に放り投げるマーヴェリックに口元だけで笑った。
「諸君、実力を見せてもらいたい」
デジャビュだ。ルースターは終わりのないドッグファイトを思い返す。
そして今回ホンドーの役割を担うのはルースターらしい。
──腕立て200など生ぬるい。体力は有り余っているらしいし、あいつらは倍だな。
バーでマーヴェリックに絡んだ連中に対してだけルースターはペナルティを二重にすることを心裡だけで勝手に決めた。
そう考えたとて、結局ドッグファイトが終われば誰も彼もがマーヴェリックに魅了されるのだろう。知っている。それこそ分かりきった結果だ。
余韻冷めやらぬベッドの中で、ルースターがマーヴェリックを軽んじた連中に対して未だ治らない怒りを抱くことに対し、マーヴェリックは〝君が怒る必要はない〟、と粛々と諭した。それでもと尚も反論しようとするルースターを睥睨し、マーヴェリックは宣ったのだ。
『ブラッドリー、君、何か勘違いてないか?僕は別に怒ってないわけじゃないぞ。仕返しは自分でする』
その冴え冴えとした表情に、実際ちょっと冷えた。色んなところが。
思い返し、マーヴェリックに絡んだ訓練生が必死に腕立て伏せをする中、数を数えながらルースターは空を見上げた。マーヴェリックの乗った戦闘機のベイパーがはるか伸びていく。
「ぶ、ブラッドリー・〝ルースター〟・ブラッドショー大尉ぃいぃ……!!い、いま、な、何回っすか…!!」
「……悪い。大佐の飛び方に見惚れていた」
見覚えのある訓練生たちは、腕立ての姿勢のまま、〝あ、こいつ〟みたいな顔をしてルースターを見上げた。その表情に、ルースターは口角だけ上げて笑った。
「見惚れてたらどこまで数えたか忘れた。もう一回はじめから」
未来のトップガンズの悲鳴が空に飛んで消えた。
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