旅行会社が運営しているツアーに参加しようと持ちかけてきたのはマーヴェリックだった。〝感謝祭はどう過ごすんだい?〟と、空飛ぶ時とは別人なほど、こちらの出方を窺うような表情で尋ねて来た人を前に、ぞんざいにあしらうことなんてできるだろうか。
「もちろんマーヴと過ごしたいよ……だめ?」
マーヴェリックに対しては世界一のわがままが通用する自負がブラッドリーにはある。なにを置いてもブラッドリーを最優先にするだろう予測もつく。本当のところ、マーヴェリックの中でのそんな基準をいい加減取り払い、今ひとつ距離を近づけたいところだけれど、未だマーヴェリックは、離れていた期間を心の距離と捉えているところがあるので、慎重にことを進めたい気持ちもあった。
なにより、感謝祭を過ごす家族は共になく、互いだけが拠り所であるのだから、当然その日は一緒に過ごすものだとブラッドリーは思っていた。どう誘いをかけるか、と迷っていた矢先、マーヴェリックが誘いをかけてくれたのだからありがたく享受することにした。
ブラッドリーの返答に破顔したマーヴェリックが告げて来たのが、先の旅行会社のツアーだ。
「遊覧飛行?」
「そう。基地から離れて、小旅行も兼ねて。どうだろう?」
ブラッドリーの予想していた過ごし方とは異なる。てっきりブラッドリーの自宅でターキーを食べ、フットボールを見ながらのんびり思い出話しに花を咲かせでもするのかと。そういうのが好きだろうとブラッドリーは思っていたので、マーヴェリックの提案に混乱した。
──マーヴェリックと旅行?二人だけで?
「守った地を、自分たちで操縦せずに空から眺めるのもいいだろう?」
教官のような顔で告げられた言葉に、冷静になる。キャプテンである顔と庇護者の顔と、友人の顔と。邪な気持ちは淡雪のように霧散し、結局その願いを叶えたくなってしまったブラッドリーは苦笑して返答した。
「うん、いいよ」
「決まりだ!じゃあスケジュールなんだけど、」
共に過ごすことを喜ぶその顔が見れただけでいい。それに、旅の途中で距離を近づけるチャンスはきっとある。少なくとも、感謝祭の間だけはマーヴェリックの時間は自分だけのものだから、とブラッドリーは自分を納得させた。
◇
「いやいやいやどういうこと?」
基地からブラッドリーの車で数時間。辿り着いた先の飛行場で、ツアー客であろう人々が乗り込むプライベートジェット機は定員8名ほどの規模だった。それはいい。遊覧飛行のツアーに参加すると聞いていたのだからそれはいい。間違っていない。ブラッドリーが疑問を呈したのは、そこに乗り込む自分達以外のツアー客の様相だ。
新婚夫婦二組と、老夫婦が一組。乗り込む前のツアー会社のアテンドとの会話を聞けば、悟る。そもそもツアーコースを確認すればひとめで分かる内容だった。〝幸せな恋人たちの岬〟を訪れる遊覧船だとか、〝永遠の愛が続く丘〟へのケーブルカーだとか。完全なハネムーン仕様のツアーだ。ツアーの一環、終盤の遊覧飛行にのみ参加を希望していたらしいマーヴェリックは、ツアー客から向けられる自分達への好奇の目など全く気にしていない。スイートな空気が流れる中、ツアー客たちの暖かく見守るような視線に、ブラッドリーはその背を丸めた。
方や背が高く体格の良い口髭の男と、それなりに年経た小柄ながらにやたらと上半身に厚みのある男。共に柄物のシャツにサングラスとくれば不審者の装いだ。しかも、ツアー趣旨からすれば甘い関係にあるはずにも関わらず、随分と年が離れ、実際のところ未だ色のつく関係には至っていない距離の不自然さ、似ていないのだから親子でも兄弟でもない男二人組は、機乗まで好奇の目に晒され続けた。
「ちょっとマーヴ、どういうつもりだよ!」
あまりにも場違いの自分達に対して、参加を申し込んだ苦言を呈すも、マーヴェリックはどこ吹く風だ。
「いいからいいから」
旅行会社のアテンドが、乗り込む前に〝良い空の旅を〟、と変わらぬ笑顔で繰り返すそれに、ブラッドリーは引き攣った笑いを浮かべて返す。半ばマーヴェリックに背を押される形でブラッドリーは機内に乗り込んだ。その力技は流石というかなんというかブラッドリーは若干の現実逃避をしたい気分だった。
体幹のブレない上官兼後見人兼片想いの相手が案内するまま、ブラッドリーとマーヴェリックは機内の最後尾の席に着席した。
山間部と海沿いを周遊する空のツアーは夕暮れ近く、時間通りに戻れば美しい夕焼けが見えると機長のアナウンスが流れる。
機内のカップル達はベルトの届く範囲で身を寄せ合い、窓の外を眺める。ツアー内容からしていささか不似合いなブラッドリーとマーヴェリックが同乗していることなど、彼らはもう気にせずそれぞれの世界に浸っている。
隣席のたおやかで優しげな老婦人は、ブラッドリーとマーヴェリックに声をかけ、マーヴェリックは楽しげに老婦人とその配偶者と会話を交わしている。他人の領域を侵すことなく、老夫婦はブラッドリーとマーヴェリックにどこから来たのかを尋ね、〝サンディエゴ〟と広く答えたマーヴェリックの言葉に、老婦人はまぁ素敵なところ、若い頃はよく泳ぎに行ったわねぇあなた、そうだねダーリン、なんて会話を楽しんでいる。
──勘弁してくれ。
幾度めかの無言の引き攣り笑いで会話に加わっていたブラッドリーは、離陸と共にそっぽを向いた。
「ブラッドリー」
「なに」
「機嫌を損ねた?」
「……別に。異なる視点で街を見るのは確かに面白いから良いよ。ただ」
「ただ?」
「〝息子のようなものです〟って答えは嫌だ」
老夫婦との会話でマーヴェリックが自ら関係を示唆したその言葉は、ブラッドリーの心を差し貫く。明確な言葉ではないけれど、気持ちは伝えて来たつもりだ。冗談に紛らわせ、あしらわれることの方が多い告白の行方は、空に浮いたままだ。いい加減、真剣に捉えてはもらえないのだろうか。親子に見えることを肯定したくはないし、またこの庇護者に、『親代わりモード』にシフトされても困る。
精一杯の抵抗で、マーヴェリックの顔を見ることなく、ブラッドリーは無言のまま窓に目を向け続けた。
◇
それは遊覧飛行の終盤、陽の落ちた山間部を飛んでいる時だった。
『ご利用ありがとうございます。短い空の散歩はいかがでしたか?』
機内に流れる機長のインカム越しの問いかけに、客の数人がそのフライトに対して拍手と賛辞を送る。機内の廊下の先、こちらに背を向け操縦する機長の姿が見える。
『ありがとう、みなさん。お礼ついでに、みなさんの人生の中での貴重な5分間を私にください。OK?ありがとう。窓から見える景色はいかがでした?美しいでしょう?何度見ても美しいと私も思います。さて、ここから数百キロ先に、海軍航空基地があります。えぇ、みなさん当然ご存じでしょう。実はね、私、そこの戦闘機乗りだったんです』
機長の言葉にブラッドリーは思わず顔をあげた。機内も少しの興奮でざわつく。
『数年前に退役した私は、民間の旅行会社から、遊覧飛行のパイロットとして声をかけてもらいました。以降、多くのお客様をお乗せし、空を飛んだ。現役時代とは比べ物にならないくらい穏やかなフライトです。現役時代はそりゃあもう!思い出しますよ。破天荒なパイロットがいましてね。アヴィエイターですよ。私より10歳以上年下の、小生意気で手に追えないやつでした。上官も同僚もみんな手を焼いていたけれど、コンビを組んだ相手とは抜群の飛び方をするんです。私は訓練学生であるそのコンビに憧れていた』
ブラッドリーはそっと隣を盗み見た。マーヴェリックが笑みを浮かべ、肘掛けに肘をついて目を瞑り、機長の言葉を聞いている。
『素晴らしいアヴィエイター達ばかりだった。彼らが命懸けで守った世界。綺麗だったでしょう、みなさん。こうしてあの時から変わらず、今日もまた私が美しい光景をみなさんに見せられるのは、次世代に続く優秀な後継者達がいるからです』
機内は静まり返り、機長の優しい言葉に皆が耳を傾けている。
『今日本日をもって、私はこの民間機のパイロットを降ります。いやぁ、年でね』
ジョークに寄せたその報告に、乗客達が一斉に拍手を送る。
『ありがとう、ありがとう。今日この良き日にあなた達を乗せて飛べることができて良かった。こんな名誉はありません、キャプテン』
乗客に向けた言葉に思えるも、乗り合わせた客達は皆が心得、後部席を振り返って、ブラッドリーとマーヴェリックに向けても拍手を送ってくれた。
「……なんてサプライズだよ、マーヴ」
「いや、僕も、こんな感動的なスピーチをされるなんて思ってもみなかった。グースを知るパイロットがラストフライトに呼んでくれたから、君と引き合わせたくて」
窓の外、美しい夕焼けが山に沈んでいくと、同時、フライトも終わりを告げる。
静かに着陸する機内、心得た優しいツアー客達は、ブラッドリーとマーヴェリックを最後尾に置いて次々に降りていく。みながみな、降りた先の機長と握手し、ハグを交わしていく。老夫婦が席を立ち、無言で会釈し先に降りていく。
「僕らも行こう、ブラッドリー。機長に君を紹介させてくれ。ブラッドリー?」
なかなか座席から立ち上がらないブラッドリーに、マーヴェリックが首を傾げる。
「……椅子が小さくてケツが抜けない」
マーヴェリックは吹き出した。
「ブラッドリー坊や、嘘だろう!ヒップが大きすぎるのか!?君かわいいなぁ!!」
「うっさい、早く手を貸してくれよ」
「はいはい」
子をあやすようなあしらいに差し伸べられたマーヴェリックの手首を掴んでブラッドリーは思い切り引き寄せた。
「ぅ、わ」
勢いよくマーヴェリックはブラッドリーの懐に包み込まれる。がっちりと背に回された太いブラッドリーの腕からは逃れられない。
「、っ、こら、ぶらっど、」
「ありがとう、マーヴ。俺の知らない父さんのこと、またひとつ知ることができる」
静かに耳元で告げられたブラッドリーの言葉に、マーヴェリックは抵抗するのをやめ、その大きくなりすぎてしまった背に腕を回す。
「どういたしまして。彼が引退してしまう前に君と会わせることができてよかった。さぁ、行こう、ブラッドリー、機長が待っているよ」
身を起こし、椅子に挟まったというブラッドリーを引き上げようとする。しかし。
ブラッドリーはいとも簡単に立ち上がった。
「……ケツが抜けないって」
「そんなこと言ったっけ?機長が待ってるんだろ。さぁ、行こう、マーヴ」
「まて、まて、ブラッドリー、手を、手を離すんだ、もう繋ぐ必要ないだろ!」
立ち上がると同時、どさくさに紛れ、ブラッドリーはマーヴェリックの右手に左手を絡め、五指の股の間までしっかりと繋いだ。
「マーヴが振り解けないほど手が大きくなったブラッドショー家の長男を機長に紹介してくれるんでしょ」
「手どころかひとめ見て君がおっきいのはわかる!」
「……マーヴさぁ……あんた、言い方」
「言い方?いや、それより誤解され……」
「ハネムーン仕様のツアーに申し込んどいて誤解も何も」
抱えられるように仲良く手を繋いで機体からひきずり降ろされるピート・“マーヴェリック”・ミッチェルの姿に、待ち構えた機長が腹を抱えて泣き笑うまで、あと数秒──。
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