2024-09-18 12:24:11
3498文字
Public
 

砂糖菓子の鎖で繋いで❹

短め エメアゼ監禁の話

 随分と起きられる時間が減ったな、と。ほんの少し寂しげに響いた声に、そうだね、と返したことを覚えている。多分、寝る前の会話だ。一つのブランケットに包まれて、その下でエメトセルクに抱き込まれて。
 おやすみ、と笑って言って、意識を手放して。そこからずっと、静かで深いところを揺蕩っている。

 薄く、ぼんやりと。意識が浮上する。けれども瞼はまだ重たくて、身じろぎ一つ億劫だった。
 ふと、耳の下の皮膚の柔らかいところに触れられた感覚がある。人の急所に触れられて、けれどもどうしてだか嫌悪感は無い。きっと、その硬い指の腹を、よく知っているからだ。
 指先ですりすりと撫でられている。体温でも確認してるのだろうか。それならばアゼムの体温はきっと少しずつ上がっていて、ほんの少し目覚めかけているのは分かっているのかもしれない。けれども、きちんと覚醒するには、どうしようもなく足りなかった。
 不意に、微かに音が聞こえた。アゼムの名前だ。アゼムの名前を、呼んでいる。
 ハーデス。
 そう、答えてあげたいのに。気怠さが絡みついて、音ひとつ出すことができない。身じろぎ一つもできない程の重たい体で、まだ目覚めにはほんの少し、遠い。けれども感覚はきちんと生きていて、エメトセルクに抱え込まれるように横になっているのがちゃんと分かる。
 彼が起きたということは、勤務に向かうのだろうか。最近はどんな議題について話しているのだろう。それとも、終わって帰ってきたところなのだろうか。重たい体はたくさん眠っていたことだけを教えてくれて、その時間の長さは曖昧だ。
 ふと熱が遠のいていく。指先を撫でていた手が無くなって、エメトセルクがいるのと反対側のベッドが少し沈んだ。アゼムの頭の横に手をついている? 瞼はまだ重い。頬に、何かが触れている。多分、エメトセルクの髪だ。指先がまたアゼムに触れて、その髪をそっと掻き分ける。熱が近い。まるで、覆い被さってるみたい。
 目を開けたいなと思ったのと、首筋に少し濡れた柔らかいものが触れたのは同時だった。生温かい柔らかさが表面をなぞった後に皮膚がほんの少し濡れて、ひんやりとする。舐められた、と気付いた次の瞬間、また違う柔らかいものが押し付けられて、そしてちり、と僅かな痛みが走る。少しだけ、反射的にアゼムの体が震えた。けれどもそれを抑え込むようにのしかかられて、一度離れた柔らかい熱がまた触れて、また僅かに痛む。なんだろう。なんだか、まるで。
…………アゼム」
 呼ばれている。答えたいな、と思っているのに、意識がまたじわじわと重く、沈みだす。
 ねえ、ハーデス。君、今。
「アゼム、……———
 名前を呼ばれている。知りたいことが、聞きたいことが、たくさんあるのに。
 触れて、離れて。不意にまた違う柔らかい痛みが走る。噛まれてる。鎖骨を、エメトセルクが、柔らかく噛んでいる。どうして。ねえ、ハーデス。
 聞きたいことがたくさんあるのに。意識はもっと、もっと、落ちていく。どうして。教えて。知りたい。君の声に答えたい。君と、話したい。起きたいよ。目を覚ましたら、たくさん話をしたいんだ。
 柔く噛んでいた唇が離れて、その場所をエメトセルクが指先で撫でてある。ゆっくりと撫でられる感覚が心地よくて、思考がほどけて崩れてしまう。
 どうせなら。もっと強く、噛んでくれたら、起きられたかもしれないのに。
 それがアゼムがまた眠りに落ちる前の最後の思考だった。


 沈んだり、浮かんだり。それを繰り返している。ようやく瞼を持ち上げて、アゼムはほんの少し首を動かした。抱き込んでくるその人の顔を見るには、少し見上げないといけない。窓のない部屋はやっぱり時間がわからなくて、でもエメトセルクが寝てるのなら夜かなあ、とあたりをつけてみる。少し身じろぎをして、できた隙間から腕を抜いて。アゼムは気怠い重さでどうにか自分の首筋に指先で触れてみた。触れた感覚は、特に何もない。けれども、確かに夢と夢の間で噛みつかれたのを、覚えている。何度か、微かな痛みが走った皮膚を撫でてみる。不思議なものだ。エメトセルクに触れられた時は僅かに肌が粟立ったのに、自分で触れる分にはどうともならない。
 首筋から指を離して、エメトセルクの首元に触れる。少し指を滑らせれば微かに脈を感じて、アゼムは小さく息を吐いた。
「エメトセルク」
 起きて、と。呼んでみる。話がしたかった。けれども思考の淵にまたじわじわと滲むような睡魔が近づいて来ている。せっかく目を開けられたのだから、せめて目が見たかった。
「エメトセルク、……ハーデス」
 僅かに眉間の皺が深くなった。白い睫毛が揺れている。ゆっくり解けて、ぼんやりとした瞳がアゼムを捉えて。僅かに唇の端が緩む、その顔にまた好きだなあ、なんて思ってしまう。
……アゼム?」
「おはよう。でも、もう寝ちゃいそう」
 エメトセルクの手がアゼムの頬に触れる。嫌がる子供のようにさらに深くなる眉間の皺に、声をあげて笑ってやりたかった。けれども出てくるのは、噛み殺せなかった小さな欠伸だ。
「君も、そろそろ分かってるよね」
 ねえ、ハーデス。君と話がしたいんだ。
「私、多分次は自分で、起きれないよ」
…………アゼム」
 予感がした。多分、次の覚醒はきっと無い。アゼムの体は霊極に随分と偏っている。ずっと、ずっと。エメトセルクに注がれ続けた彼の闇のエーテルが働いて、時折目を覚ますことができたけれども。本来これは、そういうものでは無いのだ。しかるべき時が来るまで、体温を下げて、鼓動を遅くして、呼吸を穏やかにする。そうして眠りにつく。生き物の冬眠と同じものなのだ。
 アゼムは旅人だ。長く長く、旅をする。その中で依頼を受けて物事にあたる時、調査をする時、時々待機する時間が生まれる。人里もない場所でそこに辿り着くのも大変となれば、アゼムはよく結界を張り、しかるべき時が来るまで眠る選択をしていた。体を僅かに光に寄せて、鎮静と停滞のエーテルで満たしていく。そうして、時が来て結界が解けるなり仕掛けが作動するなりして偏ったエーテルが均衡を取り戻そうとして活性を取り込み、目を覚ます。長い長い、旅の中で。時々あることだった。
 動きのない、何の心配もない、静かな場所。この部屋は、アゼムが眠る時の環境とよく似ている。エメトセルクはアゼムが時折、旅先で眠っていることを知っているのだから、現状のアゼムについてもよく理解しているはずだ。
 この穏やかに停滞された部屋にいる限り、アゼムの体は、どうしても眠ってしまうのだ。
「いいよ。君がそれでもここに私がいることを望むのなら叶えてあげる」
 親友の顔が、どうしてだか泣きそうに見えた。鼓動を感じていた指先を動かして、そっと冷えた頬に触れる。
「でも、私はね。君と話が、したいよ」
 ああ、眠い。しょうがないよ。だってこの部屋は停滞に満ちていて、そしてエメトセルクというアゼムが一番安心できるものの側なのだから。
…………お前は、出会わなければよかったなどと、言いながら。どうしてそんなに、全て受け入れるんだ」
 アゼムの指先がゆっくりとエメトセルクの頬を撫でる。少し肌が荒れてるなあ、と思いながら、アゼムはどうにか口元に笑みを作った。
「大切な、親友だから……
 エメトセルクの口元が歪む。あれ、思ったのと違う顔だ、なんでだろう。もっと、ちゃんと顔が見たい。
…………どうやったら、お前を私の元に留めて置けるんだ。親友などと宣いながら、お前はいつでも離れて行ける。お前に、私は必要ない」
……ハーデス?」
「こうして囲って、触れたって。どうやっても手に入らない。せめて、体や精神だけでも依存してくれればいいものを」
 不意に、抱きしめる力が強くなった。はーです、と呼ぶアゼムの声が、じわりと溶けていく。眠い。離していたいのに、停滞が体を支配していく。触れた場所からじんわりとエメトセルクのエーテルが滲んで沁みていく。冥界と繋がりを持つその闇のエーテルは星極であれど、アゼムの体はそれを上回る霊極に満たされてしまった。
「どうすれば、お前をそばに留めて置けるんだ。今更もうお前を離すことなんてできないんだ、———
 話がしたい。君の、話が聞きたい。
 どうしようもなく、停滞が満ちていく。
 眠くて、眠くて、堪らない。
———
 名前を、呼ばれている。
 ハーデス。私がね。君から離れられないんだ。ずっと、ずっと。