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らん
2022-06-05 22:12:17
4146文字
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HiMERUと風早巽と十条要
「ぼく、雨の日が結構好きなんです」
電話越しに伝わる弟の声の柔らかさに応えるよう、彼は普段よりもゆったりとした間でその理由を問うた。
彼が海外からかけていることを知らない要は、きっと兄も同じ空模様を見ていると思っていたのだろう。兄の生活している海を越えた土地は雲さえなく、今日も暑いだけだったけれど、ニュアンスから読み取った彼は弾む弟の声に耳を傾ける。
「小さな頃、お母さんはいつも外に出ていたんですけど、雨の日は家に居たから。
……
家に居ても、ずっとアイドルのことを見ていたけど、一緒にアイドルのビデオを見れて嬉しかった」
「それでも、アイドルがイベントをするとなったら雨の日でもめいっぱいオシャレして出かけてて。真っ白な服でも着ていって。その時、アイドルってどんよりとした空の日でも人を笑顔に出来るんだって気づいたんですよ」
アイドルに妄執し狂った母親の願ったアイドルになるため玲明学園に籍を置いている要のことだ、きっとこれは雨が降るたびに思い出す数少ない優しい記憶と、覚悟の話なのだろう。
「ぼくもアイドルになったら、そんなふうに色んな人を笑顔に出来たらいいなあって
……
だから、こうしてお兄ちゃんと話しながら、アイドルとして、HiMERUとして生きられて嬉しいです」
ありがとう、お兄ちゃん。
要は、笑う声がとても澄んでいる。どうしようもなくてろくでもない親の下に生まれても穢れなかった、稀有なもの。
「俺も今、雨が好きになったよ」
お前が好きだっていうなら、お兄ちゃんも好きだ。なんて、要に言ってやることはついぞ無かったけれど。
「今日のトークショーはHiMERUとしてファンを元気にしてやろう」
「はい!」
弾む声に乗せられた覚悟がどれだけ重かったかなんて、あの時の彼は知らなかった。
*
遠くに見える人影を視認した瞬間、HiMERUは降ろしていた腰を反射で上げた。しかし、結局逃げ場はないことを悟ると今一度簡易ソファに腰を降ろす。
『HiMERU』の完璧さをほんの少し壊すことにもなるが、HiMERUはひとつ深く息を吐き切ると狸寝入りを決めることにしたようだ。腕を組み、背もたれに深く背を預けた。
デビュー直後、ひいては今も問題児グループではあるもののCrazy:Bは着実に仕事を得ており、多忙な日々を送っているせいか仮眠を取っていても窘められることは殆ど無い。自身を含めこはくも基本は人前で無防備な姿を晒すことに抵抗があるため、滅多に眠ることはないけれど、ニキあたりはいまだにイビキをかいて寝ることもある。
(それに比べればマシでしょう)
スタッフにとっては珍しく仮眠を取っている、くらいの認識になるであろうことも自覚しているので、HiMERUは躊躇いなく目蓋を下ろした。
視覚を閉じたことにより鋭くなった聴覚が拾う音は独特なものだ。リノリウムの床にスニーカーの靴底が擦れて小さく音を鳴らしている。ズリ、そんな引きずる音も混じって、少し不快に思えた。
「おはようございます。本日も宜しくお願いします」
頭上から落ちる声のそれは、嫌気が差すほど爽やかなテノール。
風早巽。HiMERUの天敵だ。
「風早さん入ります!お願いしまーす!」
スタッフ達のまばらな反響を右から左へと聞き流し、なおもHiMERUは起きることをしなかった。
今日の収録は同じではないものの、スタジオが向かい合わせだということを誰か教えておいて欲しかった、だなんて、そんなものは事情を知らせていないのだから仕方のない問題だろう。ただの独りごちる愚痴のようなもの。
HiMERUは引きずる足音が近づいてくるのを感じつつ、睡眠時の呼吸を心がける。挨拶なんて要らない、そう言外に態度で示しているつもりだが、巽には伝わらないのも常だった。
「HiMERUさん、お疲れ様です」
無音。返すものはただそれだけで良かった。ズリリ、引きずる音がなおも近づく。何故近づく?苛立つHiMERUの内心を余所に、彼の横に突如降りてきた重さによって、巽がHiMERUの隣に座ったのだということは理解できた。
「HiMERUさんが仮眠を取っているなんて珍しいですな」
「随分お疲れのようでしたから。風早さんは5分後リハ予定でお願いします」
「分かりました」
向かいスタジオの番組スタッフと巽の会話はすぐに終わり、パタパタとスタッフの足音は遠ざかっていく。仮眠を取ったせいでスタッフがあまり近づいて来なくなるのは誤算だった。このままでは5分間は巽と座っていなくてはならない。
「HiMERUさん、今日は雨ですね」
わざわざ寝ている相手に話しかける馬鹿がどこに居るのか、HiMERUは知らない。狸寝入りがバレているのかと肩に力が籠もりそうになったけれども、ぐっと堪えて眠っているフリを続けた。案の定、巽は馬鹿だったらしい。返答を貰う気など無かったようで、相槌を待たずに言葉を紡ぐ。
「雨の日になると脚が酷く痛むのですよ。HiMERUさんは後遺症など残っていないと聞いていますから、本当に良かった」
引きずる足音は、やはり巽の悪くなった脚が悲鳴を上げている音だったようだ。杖でもつけば良いのに、なんて、HiMERUに言うことは出来なかった。
「
……
HiMERUさん、雨の日は、まだ好きですか?」
俺は、今も好きですよ。
人が聞いていないことを免罪符にして懺悔でも始めるのか。組んだ腕の内側で握りしめた拳が、HiMERUの手の平に爪の跡を刻む。苛立ちで速まる心の臓と共に荒くなりそうな呼吸を今一度直し、やっぱりHiMERUは起きてやらなかった。
「ふたりでユニットを組もうと言った時、話してくれましたよね。たとえ雨の日でも、ファンを笑顔に出来るアイドルになりたいと。そんなアイドルになれたと思うから、雨の日が好きだと」
どうやら要は憧れの巽にも同じ話をしていたらしい。過程を経て少し変わっている理由も、結論としては同じものを選択しているあたり、やはり要は純真で、汚れていたはずなのに、綺麗だと思った。
「俺もその考えに共感をしました。君が言うのなら、俺も好きになれると思っていたし、今も思う。けれど、雨の日になると痛む脚が、あのとき一度壊してしまったHiMERUさんを思い出させるんです」
だから少しだけ苦しくなったと溢す声に、HiMERUは今度こそ浅い呼吸を抑えきれなかった。
(結局、お前はお前の事を考えられていない)
一体何の為に要が壊れてもいいと思ったのか、ちっとも知らないのだ。
巽を同じ人間にしようとした要は、神を堕落させた異端児だ。だから、壊された。お前のせいで、ファンだけでなくお前のためにも生きようとした太陽のようなあの子が、壊れた。
それは『兄』として要を見ていた身内の感傷で、十条要が風早巽に望んだことはただひとつ、「風早巽は風早巽の為に、エゴでいいから笑ってほしかった」のだ。
雨の日が好きだと言うのなら、要を思い出せ。思い出した上で苦しいとのたまうなら、今も何も感じることのできない要の代わりに永遠に苦しめ。
それさえ出来ないのなら、今すぐ、要を、目覚めさせてみろ。
漏れる怒気をこんな間近でも感じない巽のことが、HiMERUは嫌いで、憎悪して、そして、哀れに思えた。
「
……
それでも、君がアイドルとして活躍しているところを見ると、こんな雨の日も好きだと思うんです。ありがとう、壊れた後もアイドルを続けてくれて。君がアイドルでいてくれるから、俺は、俺のために笑えます。そして、俺を好きなファンのために前を向けます」
その懺悔は、今のHiMERUにとって受容し難いものだった。
(要は今も、雨さえ分からないのに。
……
それなのに、お前は、俺に要の夢が叶っていることを伝える)
目蓋の裏が滲む感覚に気づき、HiMERUはより強く瞑る。もっと憎ませてほしかった。もっと無知で居てほしかった。要のことを、理解しないでほしかった。
『HiMERU』の最上の褒め言葉は、『アイドルで居てくれてありがとう』だということを、きっと巽は知らないだろう。そう、知らないのだ。HiMERUに対して無知なのに、無意識に最適解を選ぶのが風早巽という男だった。
(俺はまだ、要にこの姿を見せられないのに)
ふたりで創り上げた『HiMERU』がアイドルとして求められている姿を、要は知らない。伝えたくても今は術がない。
それなのに、巽は生きているだけで伝えることが出来る。
あの子の願った全てが、風早巽だから。
「
……
そろそろ5分経つと思いますよ、風早巽」
「おや、起きてたんですか」
「ずっと隣で喋られたらさすがに起きます」
「それは失礼しました。独り言ですので、お気になさらず」
独り言をべらべら喋られている方が気に障るだろうというのは声に出さず、溜息と共にすべてを出し切る。HiMERUはやんわりと目蓋を押し上げ、瞳に隣の人物の表情を映した。薄っぺらい顔で笑うな、聖人野郎。
「雨の日は、HiMERUも好きです」
全部聞いていたんですね、今度は照れ笑う巽にもう一度溜息をこぼし、滲んだ憎悪と醜悪な自身の身勝手さを声に込める。
「それと、HiMERUはいつだってアイドルです」
雨の日だけじゃない。いつだって求められるアイドルだ。それが要の望んだ、なりたかったアイドル。
アイドルを追いかけ続けた母親に認められる、絶対的なもの。
「風早巽、どうして脚が痛い雨の日でも表舞台に立つのですか」
「それは、
……
俺が、アイドルだからです」
理由は、要が与えただろう?
「ならば、笑いなさい。HiMERU達は、アイドルなのだから」
奥からスタッフが巽を呼んだ。にこやかに応えた巽は、HiMERUと今一度向き合う。
「ありがとう、HiMERUさん」
今日も頑張れそうですと笑う巽に、HiMERUはもう用件はないとばかりに目蓋をおろした。
隣の重みがなくなって少し浮く感覚に、相変わらずズリズリと脚を引きずる音が鼓膜に残る。
雨の日は、要のことを思い描く。彼の覚悟を請け負ったHiMERUは、ほんの少しだけ目蓋の裏で要の最後の姿を映し出した。
END
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