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らん
2022-05-29 19:37:04
12947文字
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【いずあん】唯一の証明【あんスタ】
2016/6/7に発行したコピー本のWEB再録です。当時お手に取って頂いた方はありがとうございました。
唯一の証明
(ただ曖昧に、けれど確かな)
「
……
何してんの?」
自分自身で驚くほど呆れた声が飛び出たものだと思う。それほどまでに目の前の光景は呆れ返るものだったのだから、許してほしい。
木曜日のユニット練習の日、最近一応は『プロデューサー』と呼んでもいいかな、と認めてやった転校生ことあんずも交えての放課後。デュエル以降、ほぼKnightsが専有しているスタジオに一番遅れて入ったのは俺だった。
面倒なことに日直が6限の授業の課題ノートを職員室まで届けに行くはめになって、運悪く日直だった俺はそちらに駆り出されていたのだ。終わってからスタジオに向かって、扉を開けてまず見た光景がコレだなんて、呆れる以外ないだろう。なんて最悪な日だ。
俺の目の前には、あんずのリボンを結んだなるくんと、なるくんのネクタイを結んだあんずが居た。
「あら、泉ちゃん。遅かったわねェ」
「いや、マジで何してんの? なるくんリボン似合わないんだけど」
「失礼しちゃうわァ
……
でも、あんずちゃんは似合うでしょ?」
心なしか嬉しそうに見えるあんずはネクタイをそっとなぞっていて、なるくんに促されるまま視線を合わせていたけれど、俺は端的に、素っ気なく一言を返す。
「女子はリボンのほうがいいんじゃない?」
制服は外界との視覚的な区別を付けるための境界線でもある。ネクタイよりもリボンのほうが女だということは分かりやすいし、そもそも、これまで制服の時はリボンだった印象の方が強いから、目の前のあんずはなんだか新鮮でもあり、違和感もあった。
「少なくとも、なるくんよりあんずの方がリボンは似合うでしょ」
「ひっどーい! もう!」
「俺がおべっか使うわけないでしょお? はい、邪魔〜。さっさと着替えてレッスン始めるよ」
なるくんとあんずの間を割くように突っ切って、指定服に着替えていたかさくんと、寝ているくまくんを蹴り起こす。
つれないツンデレさん、なんて溜息をこぼしたなるくんの一言でお決まりの台詞を吐き出して、なんとなしにあんずを見れば今日もあいつは表情を曇らせていた。
ああ、また、そうやって。
何が不満でそんな顔をしているか、理解しているから尚更視界に写り込んでしまうのだ。
(バッカじゃないの)
あんずは今日も、男になろうと努力している。
*
何がどうして気づいたか、は俺にも分からない。ただ、夏になってあんずは胸元のリボンをほとんどしなくなった。
元から学院は服装に関して、式典以外の時はわりとルーズだ。カーディガン、ベストの形状や色は勿論、ベルト、装飾品なんかも自由。それはネクタイにも言えることで着脱は本人の判断に任されていた。そしてそのルールは唯一の女子生徒にてプロデューサーであるあんずにも適用されている。
夏だから、暑くてリボンをしなくなったと見ることも出来るだろう。けれど、春からずっと、一度もほどかなかったリボンをしていない姿は、確かな違和感をもって俺の感覚を奪ったのだ。
「あんた、リボンつけるのやめたの?」
「え、あ、制服のですか? はい、やめました」
「ピンクのサマーベストだけだと、なんかチャラいね」
衣替えをしてひと月は経っていた頃、唐突に外されていたリボンのない胸元を見て、レッスン途中とはいえ思ったことを素直に言葉に出せば、あんずは目を丸くする。
「ちゃ、
……
? 先輩からそんな言葉を聞くと思いませんでした
……
」
「るっさい。なんで外したの」
「邪魔だったので、」
笑った顔はどこまでも薄っぺらくて、その時、こいつは暑いから、とか、そういう安易な理由で外したのではないことをうっすらと気づいてしまった。気づかなければ良かったのに、あいにく俺は鈍くないから分かってしまったのだ。
こいつは、何かがあってリボンを外したのだと。
(こいつ、男になりたいんだ)
どうして、だとか、なんで、だとか。そういう疑問は特に生まれなかった。唯一の女生徒、圧倒的な男社会、そんな中で対等になるためには何かを捨てるしかなくて、それが多分、あんずにとっては『女であること』だったんだろう。
『女であること』をハッキリと理解してしまった原因は分からないけれど、あんずが男になろうとしている確信を持った瞬間、俺の中には憤りや焦燥、そういう苛つくものが生まれた。
俺が認めた『プロデューサー』は、唯一の女生徒で、転校生で、スカートを翻してがむしゃらに前を向いて、めげずに走っていた『あんず』なのに。
認める気すらなかった俺が認めた存在を、本人によって否定されたようでとてつもなくムカついたのだ。むしろ、そっちにどうして、なんで、と聞きたいくらいだった。
「
……
あんたさぁ、」
「はい、って、うわぁッ!」
バインダーに記されたスケジュール表とにらめっこしていたあんずがこっちを向いて、視線がかち合った。それと同時にあんずの髪をおもむろに一房取り、引っ張る。
突然の出来事だったせいか、軽い衝撃でもあんずのバランスはグラついた。
「髪、邪魔じゃないの? 縛れば?」
違う。言いたいのは、そうじゃなくて。
柔らかいセミロングの髪はさらりと俺の掌からこぼれ落ちていく。掴めないことにも苛つきそうで、俺は腹の中にわだかまるどす黒いものを必死で抑えつけた。
「
……
そうですね。次からはヘアゴム持ってきます」
ご指摘ありがとうございます、なんてやっぱりあんずは笑って、そこは笑うところじゃないと思いつつ俺も頷いてしまうのだから仕方がない。
切ってきます、と言わなかったことに安堵して、それどころじゃなかったのだ。よかった、なんて、
――
なにが?
そこで唐突に気づいてしまった自分がどうしようもないほど嫌になった。どうして俺は鈍感になれないんだろう? ゆうくんの時みたいに、鈍ったフリしていつも通りを繕えばいいはずなのに。
(もしかしなくても、俺の言葉が原因、か)
プロデューサーの時は女扱いなんてしない。それこそ周りみたいに甘やかしもしない。けれど『あんず』は女として扱って、女であることを認めて。そのくせ『プロデューサー』の時には女であることを示すようなものをわざわざ指摘する。たとえば、髪、とかスカート、とか。
(ちゃんと『プロデューサー』って認めてから、スカートで動けるわけないでしょ、って言ったの、俺じゃん)
馬鹿なのは誰だ。どう考えても俺じゃないか。
他のメンバーの元まで走るたびに揺れるセミロングを見ながら、どうしようもないほどやるせない感情に苛まれた。
*
鬱憤が溜まった時は身体を動かしたほうがいい。そこに話を聞いてくれる誰かが加われば、最高。
そんなご都合主義な居場所が、幸運なことに俺には存在している。強制参加でもあったけれど、ゆうくん目当てで入ったような部活が俺にとっての片意地を張らない場所だった。
「げぇっ、瀬名先輩
……
なんで居るの?」
「俺、テニス部副部長だよぉ? 居ちゃおかしい?」
「ほとんど来ないくせにーっ!」
2週間ぶりに顔を出したテニスコートでは、案の定毎度話相手になってくれる桃くんが準備運動をしている最中だった。桃くんは自主練も怠らず、なんだかんだで勉学、生徒会、ユニット、部活の全てをこなしている。そこは一年生にしては褒めてやっても良い所だ。不遜な態度はいただけないけど。
悪口とも取れる言い草は無視して、二人で柔軟を始める。交互に互いの背中を押してやり、ほぐれた所でコート内に立てば、さっきまでは気にならなかった陽射しの眩しさが目にしみるようだった。
「あっつーい! 日焼け止めが塗っても塗ってもとれるワケだ
……
」
夏は紫外線が大敵なのだ。入念に塗り直しをしても汗をかけば日焼け止めは取れる。それが嫌で基本は室内から出ないのだけれど。
ここまで来てバックレようものならさすがに桃くんが可哀想なので、トンボ帰りはしないことにしてやった。感謝してよねぇ、こぼれた呟きは桃くんに届かない。
「どっちからサーブ?」
「俺日陰側だったら良いや。だからサーブはあげる」
「ハァ?! テキトーなんだから! まあいいけどさ? ラリーで良いよねっ」
「別にワンゲームしてもいいけどね。審判いないからダルいし、ラリーでいいよお」
春よりも安定した桃くんの球は軽やかに俺の元まで届く。手慣らしにこちらも桃くんの打ちやすい場所まで返して、小気味良い音が続いた。
なるべく互いの打ちやすい所に返して、呼吸やテンポに慣れた所で話し出すのがお決まりのパターン。今日もそれは変わらなくて、俺はスナップを少し効かせて球を打ち返しつつ、最初の一言を紡ぐ。
「桃くんはさぁ、女が男になりたがる理由ってなんだと思う?」
「何それー! なぞなぞ?」
「純粋な疑問ー」
男になりたいって思ってる奴がいてさー、別に女であることを否定とかした覚えは全然ないんだけど。でも、俺の言葉も一因なのかなーって。
ガットに球が当たって相手の元まで届くのを見守りながら、俺の脳内で再生されるのは『女らしさ』を取り除いていくように見えるあんずの姿。
女であることの何が悪いの? プロデューサーであることと、男であることは別ものでしょ? そうすぐに言えたなら良いのに、俺の中の何かが邪魔をして言えないのだ。
それはきっと認める、認めない、とか、そういう次元の話。俺がその台詞を言えないのは、言うことで何かが変わってしまいそうだから。
(俺は、ゆうくんが一番)
それが覆されそうで、怖い。
「んー、理由
……
強さの証明、とか?」
「
……
強さ?」
「女だからって馬鹿にされないための強さ、女だからって守られないための強さ、まあ、そういった一人で立てるっていうことの強さのためかな」
強さのために、今までの自分を捨てるのだろうか。捨てられるのだろうか。
――
捨てられるんだろう。そんな人が、俺のすぐ近くにも居るから。
(王さまも、ゆうくんも、あんずも、バカだなあ)
ラリーを機械的に続けながら、思い浮かぶ人々の顔に苦笑する。アホなほどまっすぐで、愚直すぎたから、壊れた人達。その中にあんずも入るというのだろうか。まだ、引き戻せる所にいるのに? 俺はまた、壊れていく様を見るのだろうか?
俺もバカだ。喉の奥で呟いた言葉が心臓を締め付ける。それでも、表面上はいつも通りを装うしかなかった。
やんだ会話を引き戻すように、桃くんは力強いサーブを決めてくる。
「瀬名先輩が『ゆうくん』以外の話なんて珍しいね?」
その言葉に動揺したことを悟らせないよう、桃くんの居る位置とは真逆のラインぎりぎりを狙って球を返した。バックハンドは上手くなったよねえ。言わないけれど。ラリーなのに! なんて文句も無視だ。
「はい、桃くんの負け〜初心者に負ける桃くんダッサーい」
「卑怯だぞ愚民のくせに!
……
そんなに苛つくほど関心があるなんて、珍しくない? まあ、先輩はいつも苛ついてるけどねっ」
「ぶち倒すよぉ、桃くん?」
桃くんが取りそこねて転がったボールを回収に向かっている間、ネット際にかけてあった二人分のタオルとペットボトルの水を掴んでベンチを目指す。駆け寄ってきた桃くんにタオルと水を渡して、二人並んで腰を下ろした。
喉を潤す水分はだいぶ生ぬるくて、クーラーボックスにでも入れておけばよかった、なんて今更。
「あんずのことでしょ、さっきの」
「さてねぇ?」
「ボクは女の子じゃないから、分かんないけどさ。あんずにも思う所はあるんじゃない? 社交界みたいなもんでしょ」
圧倒的な男社会。女は道具であり、飾りであり、武器になるのは笑顔とおべっかの世界。
そんな世界に浸かりきっている桃くんは事も無げに言い放つ。多分、あんずが聞いたら泣いてしまうのではないかと思うくらい、残酷で、当たり前のこと。
「女は女でしかないのにね」
それ以上でも、以下でもない。
俺も全くの同意見なので少し頭を撫でてやって、かき乱してやった。怒る顔は歳相応のもので、ついさっきまでの冷酷さはどこにもない。かさくんと同じように、この子も現実をありのまま受け止める子だ。
「女プロデューサーだから、とか、言ったことないはずなんだけどねぇ。プロデューサーはプロデューサー、女は女。混同させる方が馬鹿なことくらい、あいつは分かるのかと思ってた」
「瀬名先輩は言葉が殺人級にキツいから〜」
「やっぱりぶち倒すしかないかなぁ、もーもくん」
落ち込んでいた雰囲気を和ませるように冗談を叩く桃くんは、俺とは違う世界を長く歩いてきていて、それでも、俺と同じように色々なものを見てきたのだろう。
ありがとね、今日もこぼす感謝の言葉は、やっぱり桃くんには伝わらない。それで良かった。
(壊れる様に気づいちゃったし、今までみたいに傍観なんか出来やしない)
俺の中で燻る感情を認めることは今だって怖い。不変を愛する俺が、自分から変わるなんてしたくもない。けれど、それ以上に、この腹の中にあるどす黒いものを取り除きたくて仕方がない。
そのために、ほんの少しだけ。全部は言わないから、少しだけほだされてあげる。
あんずのためじゃなくて、俺の安寧のために。そんな言い訳と共に、ペットボトルの中のなまぬるい水を流し込んだ。
*
ほだされる日は唐突に訪れた。
単刀直入に言えば、あんずと喧嘩をしたのだ。Knightsに関しての全権限はリーダー不在の今、謹慎処分も解けた俺が握っている。そのため、ユニットに関しての話し合いは俺がつけることになっていた。
今後のライブスケジュールに関して他ユニットとの鉢合わせがないように調整すること、メンバーとプロデューサー間での方向性のすり合わせが主な議題で、放課後、Knightsのユニット練の前に。その段取りで邂逅した俺とあんずは廊下を歩きながら語気を荒くしていく。
ユニットの方針とあんずの考えるプロデュース案が噛み合わず、互いに皮肉を交えて会話していたのはいつも通り。むしろはじめから噛み合うなんて考えてすらいなかった。そこまでは想定内だった。
問題はそこからだ。
雲行きが怪しくなったのは俺がきっかけだった。以前指摘したことを受けてなのか、あんずは髪をひとつに無造作にまとめていて、色気も何もあったもんじゃないとからかったのだ。そこから、あんずの周りの空気がどんよりと重くなる。
「言いたいことがあるならはっきり言えばあ?」
「別に、何もないです」
「じゃあその暗い空気どうにかしてくんない?」
これは、一種の賭けだ。
『女であること』を捨てようとしているあんずに対して「色気」なんて必要がないことを分かって挑発したのだ。だって、きっと、みんな優しいから深く入り込んでくれないでしょ? 憎まれ役ぐらい買ってやる。
歩くスピードが少し速くなったあんずに合わせて歩幅を大きくする。男女差はこういうところでも顕著で、覆せない。
「あんず」
「
……
色気って、必要ですか?」
「は?」
突然の質問に、咄嗟に反応はできなかった。
いきなりどうしたの、なんて聞くことも、必要でしょ、ということも違うのだろう。あんずが聞きたいのは「不必要」の一言で、今の自分の肯定なんだろう。
――
そんなこと、してやらない。
「プロデューサーとしては要らないよ」
「じゃあ、」
「でも、あんずは女の子でしょ」
プロデューサーとしての自分と、あんずとしての自分を混同しているから目の前の女はちぐはぐになっていく。どうして自分にそこまで自信がないの、なんて聞くのはきっと野暮だろう。
ピタリと止まった足に合わせて俺も止まる。今日もあんずはジャージ姿で、最後にスカートを履いていたのはいつだったか、遠い記憶の彼方だった。
髪をあげているのに、俯いているせいであんずの顔は一向に見えない。もう一度名前を呼べばようやく頭が上がって、睨むような視線とかち合った。
「私はプロデューサーです。だから、色気なんていりません」
「プロデューサー以前にあんたはあんずでしょ。転校生は嫌なのに、プロデューサーはいいの?」
「っ、だって、そうじゃないと」
その後の言葉は飲み込まれた。それじゃあ俺にはなんにも分かんないよ。全部教えてよ。汲み取ってあげるほど、俺は優しくなんかない。
「学院にとってのあんたはプロデューサーでも、俺達にとってはプロデューサーで、あんずだよ。あんたがどれだけ男になろうとしても」
「
……
、どう、して?」
震えた声と一緒に、あんずの表情も色を失っていく。軽く青ざめた顔はありのままの『あんず』だった。
「どうして、そうやって、
……
っなんで私がそうなろうと思ったのか、知ろうともしないくせに!」
がらんどうの教室が並ぶ人気のない廊下に悲痛な叫びは満ちる。起爆スイッチを押した落とし前はつけるよ。少しだけほだされてやるって、決めたから。
「男になりたいなら全部変えればいい。口調も、髪も、変えればいいんじゃない? それであんたが満足するなら」
あらかじめジャケットのポケットに潜ませていた鋏をあんずに手渡してやる。冷静な俺だったら、冷静なあんずだったら、ここでこうやって鋏の受け渡しなんてしなかっただろう。でも、生憎と今の俺もあんずもとうの昔に冷静さはかき消えていた。
持っていたバインダーを捨て置いて、あんずは俺の掌から鋏を奪う。乱暴にほどかれた髪ゴムがはらりと髪をなびかせた。
陽に当たって軽く茶に見えるその髪は、いつだって綺麗だ。男とは比べ物に出来ない何かがある。
俺の前に立って宣言するように、泣きそうな顔であんずは笑う。見ててくださいね、なんて、まるで何かを断ち切るような掠れた声で。
左手で適当に掴まれた髪を挟んで、右手に持たれた鋏が開く。目を瞑ったあんずは覚悟なんか決まってない。衝動に突き動かされているだけだ。その証拠に、腕は震えていた。
(バカだよ、ほんとに)
俺も、あんたも。
開いていた距離をたったの一歩で埋めて、両手で掬い上げるようにあんずの頬を伝って指を這わす。髪にまで伸ばした指は、うまいこと鋏の間に収まった。
「いいよ、切りな」
俺の指と一緒に、切りたいなら切ればいい。男になりたいなら俺を捨てればいい。プロデューサーでいたいなら切らなければいい。それだけのこと。
見開かれた瞳は揺れて、あんずの開いた鋏は依然として止まったままだった。あんずの髪と、俺の指を間に挟んで震えている。
両手であんずの髪をかきあげたまま、俺はあんずと額を合わせた。
「っ、はな、して、」
「どうして?」
「だって、」
「
……
ねえ、いつ、誰が、『女』だからって理由でプロデューサーを馬鹿にしたの?」
女としてのあんずを認めなくても、誰もがプロデューサーを『プロデューサー』として認めていたはずだ。そこに男女の性差は入らなかったはずなのだ。Knightsがそうであったように、きっと、
「あんたの愛してるTrickstarは、女だからってあんたを蔑ろにする馬鹿しかいなかったの?」
「っ、皆がそんなことするわけない!」
「じゃあ、なんであんたは男になろうとしてるの」
それこそアイドルへの冒涜じゃないの?
女だから、なんてアホらしい理由でプロデューサーを馬鹿にしていなかった俺達をあんたは信じずに、男になろうとしているの?
問うた全てに返ってくる音は言葉になっていなかった。違う、とただそれだけがハッキリと聞こえるだけ。
どこか遠くで笑い声が聞こえる。無邪気な、何も知らなそうな、能天気なそれは今の俺達とかけ離れていて、なんだか俺達だけ別世界に居るようだった。
「違い、ます
……
違う、」
「何がどう違うの」
「っ、私が、弱いから
……
ッ」
いまだすくい上げたままのあんずの顔は泣く一歩手前だった。潤んだ瞳からはいつ涙がこぼれてもおかしくない。我慢するように唇を噛み締める仕草に、俺はゆっくりと息を吐く。
力無く下ろされた右腕から鋏を奪い返してポケットにしまう。ようやく拘束をほどいてやれば、あんずは項垂れたまま動かなかった。
「どうして自分を弱いと思ったの。なんで男になることに繋がるの」
今度はふるふると首を横にただ振るだけになってしまったことに苛立って、聞こえないくらいの小ささで舌打ちをかます。
さっきまで勇ましかった姿はどこかに消えて、目の前のあんずは本当に何も持たないただの『あんず』だった。
「あんず、」
「い、言ったら、終わっちゃう」
「
……
なにが?」
「私は、プロデューサーだから
……
っ」
「だから、なにが
……
っ!」
胸に鈍い痛みがあって、そこであんずの両手に押されたのだと理解した。突き放すように、距離を取るように、あんずが俺を遠ざけようとしたのだ。
「
……
そんな弱い力で退けないよ」
両手首を掴んで、また俯いてしまったあんずの表情を探る。名前を呼べば呼ぶだけ、あんずは小さくなっていくようだった。
「皆の思いを冒涜したわけじゃないんです。ただ、私が弱いだけなんです」
「
……
」
「プロデューサーとしての私と、あんずの私は別です。だから、あんずは『女』でいい。それで良いって思ってました。
……
でも、もう駄目なんです。男になろうとしないと、!」
プロデューサーとあんずが一緒になってしまいそうで、怖いんです。
ついぞ溢れた涙が廊下に落ちる。パタリと垂れた透明な血は、あんずの我慢の結晶だ。
「駄目かどうかは、あんたが決めることなの?」
「
……
っ、はい、」
「どうして?」
そこでまた押し黙るから、痺れを切らす。掴んでいた両手を解放して、もう一度あんずの顔をすくい上げた。ぼろぼろと雫が頬を伝って、噛み締めすぎた唇はうっすらと血が滲んでいる。
ヒドイ顔。普段ならすぐに発したであろう言葉を飲み込んで、もう一度聞いた。
「どうして、だめなの」
「
……
っ、瀬名先輩の、迷惑になるから
……
」
「俺が迷惑するの? じゃあ、俺が判断することじゃん。なに?」
「いや、」
「あんず、」
「言いたくありません!」
強情なやつ。ああそうだ。あんずはこういうやつだった。
がむしゃらで、無茶苦茶で、めげることを知らなくて。他人の痛みに敏感で、自分の気持ちを後回しにして。それでも、まっすぐで、弱いくせに強くて。
そんなあんただから、俺は好きになったんだと思うよ。認めたくないけれど。
この気持ちを認めたら、何かが壊れそうで怖いけど。でも、今だけはほだされてあげるから。
「全部忘れてあげるから、いいよ。聞いてあげる」
「
…………
え、」
「その代わり、俺が言ったことも、やったことも、全部忘れて」
「せ、なせん、ぱい
……
?」
戸惑うあんずの前髪にキスを落とす。睫毛にふりかかる涙を指ですくって、目尻にもキスをした。驚きで固まったあんずを見て少しだけ微笑む。慣れてないことに安堵するなんて、柄じゃないんだけど。
こうやってほだされてやらないと、あんたは何も喋れないだろうから。すごい譲歩してるんだよ? 俺だって怖い。戻れなくなりそうで、嫌だ。
それでも、どす黒いこの感情が少しでも軽くなるなら。
「
……
『プロデューサー』として、俺はあんたを認めてる。『あんず』としても、認めてる。そこを混同なんかしてない。俺は『あんず』を男とか、女とかで認めたわけじゃない」
俺の考えを間違ってるなんて言わないよね?
もう一度額を合わせて、なおも泣きやまないあんずの瞳を見つめた。今度こそ揺れない瞳は生意気で、強がりなあんずだ。
俺の知っている、あんずだ。
「
……
全部、忘れてくださいね」
「いいよ」
囁く声で行われた確認作業。さっきまで聞こえていた笑い声はもう聞こえない。静まりかえった少し蒸し暑い廊下の熱に浮かされたとでも思って二人で忘れよう。それで、全部チャラにしよう。
「瀬名先輩、」
好きです。
ほとんど吐息の本音に重ねるように、唇を合わせた。
これは俺の狡さ。全部忘れることが前提の、そのくせはじめてが欲しかった強欲な俺の馬鹿さ。
あんずの頬に伝った雫の冷たさが、やけに心地よかった。
*
「あんず!」
「あ、はい!」
呼べば翻るスカートは今日も涼しげだった。久々に見たピンクのサマーベストと青のリボンのコントラストは懐かしささえある。
「ここのステージ、俺達の入りをもう少し遅く出来ない? 夏だから日落ちるの遅くて、くまくんが死ぬ」
「分かりました、調整かけてみます。変更が決まり次第連絡しますね」
「よろしく〜」
ひらりと軽く手を振れば、あんずはぺこりと頭を下げる。そうしてすぐに踵を返してまた別の場所まで走り去っていった。
全部忘れることが前提で曝け出した互いの気持ちは、結局うまく忘れられなかった。
アイドルとプロデューサーでの恋愛がご法度なことは互いに知っていたし、それだからあんずが『男になる』ことで感情を掻き消そうとしていたことも理解した。だから、忘れるのが正解なのだ。
それでも忘れられないのは、あの時の俺が優越感ともいえる感情を持ってしまったからだった。特別を貰えたことを、内心で喜んでしまったせい。
けれど、約束は約束。ご法度なのも変わらない。長く業界に居る分、自分の本能的な感情で動くことはもう出来そうにもなかったから、何事もないようにいつも通りの瀬名泉を演じている。
あんずはといえば、あれから吹っ切れたようでまたスカートを翻して奔走するようになった。ジャージ姿も見るし、リボンをつけていないことも多いけれど、前ほどの違和感は感じない。
「ネクタイはもういいの?」
そう聞いたのは、あの日からすぐのことだったと思う。なるくんのヘアアレンジのお人形にされていたあんずに冗談まじりで、それでいて本心で。
質問に対する返答と共に、あんずはこれまでよりも、どんなものよりも甘い笑顔を見せたのだ。それはもう忘れるのが惜しいかな、なんて思うくらい、認めたくないけれど考えてしまうレベルの柔らかい顔。
「リボンのほうが似合うんですよね?」
「
……
チョーうざぁい!」
お決まりの口癖で本心を隠せば、あんずはやっぱり笑うだけだった。そうだよ、リボンのほうがあんたは似合うよ。
忘れることに決めた俺達の本音の在り処はどこにもないけれど、唯一の証明はきっと、その笑顔だ。
END
Epilogue
リスタートマイハート
(ただ鮮明に、けれど夢のような)
好きになってはいけない人を好きになってしまった。
「あんたの名前は転校生じゃなく、あんずでしょ」
その一言から、私の世界が瀬名先輩で溢れてしまったのだ。
名前とか肩書きとか、そういったものを気にする人はほとんど居なかった。親しくなってきたから名前呼びに。そういう流れだったものだから、面と向かってそう言われて、はじめて、私はあんずであることを許された気がした。
真くんに惜しみない愛情を注ぐ人で、自分にも他人にも厳しい人。出会いは最悪で、それこそ苦手な先輩の一人だったのに、たった一言で私の世界は色を変えた。まるで不思議の国に迷い込んだアリスみたいに、ちぐはぐなものを抱えるように。
この気持ちが恋だと気づいてしまった時、私は途方に暮れた。アイドルとプロデューサーは恋愛なんて出来ない。直接言われたわけではないけれど、暗黙の了解だということはこの数ヶ月で身に沁みていたからだ。
どうしよう。どうしたら。
気づいてしまった感情を無しにすることも出来なくて、プロデュースの時も先輩を目で追いかけてしまう自分が居る。
あのアイスブルーの瞳に私を写してくれないだろうか。あの大きくて少し冷たい掌が私の頭を撫でてくれないだろうか。たまに見せる笑顔を私にくれないだろうか。
叶わない願いばかりが渦巻いて、その度に心が悲鳴をあげる日々に段々と疲弊していく私も同時に存在して。瀬名先輩を見ている自分があんずなのか、プロデューサーなのか、分からなくなった。
そこからだったと思う。女だから、あんずだから、こんなどうしようもない感情に邪魔されてしまうんだ。それならいっそ、『男になる』ことを選択しよう。
皆が認めてくれた『あんず』を捨てることに抵抗がなかったわけではない。けれど、『プロデューサー』として生きていけなくなることはもっと嫌だった。
混同してしまう前に、先輩に想いが伝わる前に、はやく、はやく。
気持ちばかりが焦って、状況の変化に自分も追いついていたかどうか、今思えば相当怪しい。今だからこそ笑い話に出来ることだけれど。
「何考えてるのォ、あんずちゃん」
「えー、どんな髪型になってるのかなーって」
「うふふ、編み込みしてー、サイドテールにしようかなって」
「これまた
……
ちょっと重たそうな
……
」
「えーっ可愛いからいいじゃない!」
ぼんやりと遠のいていた意識は嵐おねえちゃんの声で現実に引き戻された。
Knightsのユニット練習はいつも凛月くんが目覚めてから始まる。今日も暑さにバテて眠っている凛月くんが起きてくるまでは各自自由時間、とのことだったので、私は嵐ちゃんのヘアアレンジの実験台になっている最中だった。
髪長い子のアレンジは楽しいわァ、と声を弾ませる嵐ちゃんの腕は確かなもので、日々樹先輩も上手いけれど、嵐ちゃんもとっても上手だ。
「今日のあんずちゃんは久しぶりに制服だし、華の女子高生なんだからオシャレしないと!」
「最近ジャージばっかりだったから動きづらいけどね」
「たまには制服でも来てよォ! 泉ちゃんもリボンが似合うって前褒めてたじゃない?」
「
……
そうだっけ?」
「忘れちゃったのォ? アタシとネクタイ交換した日! リボンはあんずちゃんのほうが似合う〜って言ってたでしょ」
あの時の私は先輩を頭から追い出すことに必死で、先輩にどうにか男らしく見てもらえれば、この気持ちが薄れていくんじゃないかと錯覚していたから。
そんな馬鹿みたいな本当の話を嵐ちゃんに出来るわけもなく、私は曖昧に笑うだけだった。
なんだ、褒めてくれていたのか。ちゃんと聞いておけば良かったなあ。あの時の記憶は、「女子はリボン」なんて判別の言葉だけで埋まっている。
今はちゃんと女の子として扱われていることさえも良い事なんだと思うのだけれど、どうにも恋は盲目であるように、失恋することも盲目なのかもしれない。
そうだ、あの時の私は失恋することに必死だった。
「次会ったら聞いてみるよ」
「ツンデレ泉ちゃんだもん。もう一回言ってくれるか怪しいけどねェ」
噂をすれば、なんとやら。
Knightsの居城であるスタジオの扉が開いて、銀糸の髪を揺らして来たのは瀬名先輩だ。何してんの? なんて少し不可解な顔をしながらも挨拶は欠かさない。
「あんずちゃんが久しぶりに制服だからヘアアレンジしてるの」
「こんにちは、瀬名先輩。凛月くんがまだ起きないので、休憩にしてます」
「うん、見りゃ分かるんだけどさあ。お人形にされてんのね、あんた」
お人形になる気はないんですが。苦笑した私に、先輩はいつも通りのシニカルな笑みを浮かべる。ああ、その顔さえ大好きだった。今でも好きだ。大好き。
あの温もりはきっと、一生忘れられない。それこそ鮮明に、色褪せることもないだろう。
でも、あの時の私達は忘れるって決めたから。忘れたフリして今日も生きるの。『プロデューサー』であるために、『あんず』であるために。
「ネクタイはもういいの?」
貴方から振ってくるなんてちょっと卑怯じゃないですか? お返し、しちゃおうかな。
「リボンのほうが似合うんですよね?」
返ってきたお決まりの口癖に、今日は私の勝ちだな、なんて。
また始めよう。いつか、あの時の恋心に後悔はなかったと笑えるように。
END
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