らん
2020-10-05 19:04:31
2472文字
Public
 

エースとリドル


※1章終了後のいつか。

オレはエース・トラッポラ。それだけだった。
トラッポラ家の末っ子で、7個上の兄の弟で、器用貧乏で、でもそのことに特に不満もない、ただのエースくん。
出来ないことを出来るようにするために、馬鹿みたいに頑張る奴を見るとどうして出来ないのか疑問に思うし、努力の無駄じゃね?って思う。
人よりよっぽど出来ているのに、だらけないで継続するヒトを見るとどうして拘るのか理解に苦しむし、労力の消費じゃね?って感じる。
そんなどっちつかずな人間が、オレだった。できることだけ出来ればいいし、皆が出来ないことをオレが出来なくても気にならなかった。だって、オレだけじゃないから。誰かしら共感者がいるからだ。でも、オレはどちらかといえば出来てしまう側の人間で、そうして、それがオレの『普通』で、疑いようもない『当たり前』で、すべてだった。
「君は理解を拒んでいる馬鹿なのか、それとも、知ろうともしない阿呆なのかい?」
……バカとアホに違いってあるんスか」
眠れなくてトレイ先輩からもらった一口サイズのタルトをひとり食べていれば、珍しく寮長が顔を出した。時刻は零時も過ぎて、普段なら寝ているはずなのに。
珍しいですね、会話を続けてみれば意外と寮長は応えてくれる。勧めたタルトは断られたけど。
「読書に熱中しすぎた。ダメだね、以前はもっと自己管理できていたのだけれど」
「いーじゃないっすか。夜更しなんて今のうちしか出来ないって兄ちゃんも言ってましたよ」
「出来ることをすることと、出来ることに制約をかけて守ることは別物だよ」
「えー、寮長はそーいうトコ堅いっつーか、制約は制約でも、時には緩めることも必要じゃん?って思うんですけど」
「勿論、それはこの前学んだけれどね。これは僕の矜持の問題だ。僕は僕自身に課したものをある程度は遵守していたいのだよ。他者を過度に巻き込むことは、今後なるべく控えるつもりだけれど」
……どうして、」
守らなきゃいけない矜持なんてクソくらえだと、オレは考える。そんなもので縛られて、何もできなくなるほうがよっぽど怖いから。
寮長はトレイ先輩ほどではないけれど、ある程度の習慣として備わっているであろう手つきで紅茶を淹れ始めた。温めたカップにまずミルクを注いで、充分に蒸らした茶葉から親しんだ香りが立ち込める。これはアッサムなのだと教えてくれたのは、意外にもデュースだったっけ。
ゆっくりとカップに注がれた紅茶はミルクと混ざって、なんとも美味しそうなミルクティーが出来上がっていた。
「砂糖は?」
「へ、ッ?!」
「君の分だよ。砂糖は好きかい?それともストレートにチェリーのジャムでも入れようか」
「あ、いや……ミルクで。砂糖は一個だけ……っつか、普通オレが淹れる感じですよね?!」
「別に深夜に寮長が下級生に注いではならない、なんていう女王の命は無いよ。どうせ君はまだ寝ないんだろう?ならば問題ない」
寮長手ずからのミルクティーは、トレイ先輩の淹れる紅茶よりずっと甘く感じた。寮長ってやっぱり甘党、なんて、使ってる茶葉もミルクも同じハズなんだから違うワケもないのに。
「どうしてと、君は問うたね」
ゆっくりと一口を含んで嚥下してから寮長は、まるでなんでもなかったように話を戻す。
「これまでの生き方を、自分だけは否定したくないからだ。……君は、まるで駄々っ子だとあの時の僕を評したが、そうやって生きてきた自分を、自分だけは許してあげたい。だから、これからも出来る範囲で守るんだよ」
……でも、寮長は、頑張りすぎっつーか……確かにあの時はマジでオレもムカついてて、つい言っちゃったコトだけど、」
「つい、で出てきた言葉ほど本心だろう?取り繕わずにこぼれる言葉は、本心に他ならない」
「いや、確かにそうかもなんですけどォ!……寮長はそんなことしなくても皆に認められる実力があるのに、なんでまだ頑張ろうとするんですか」
「それが、僕の生き方だから」
凛と、寮長は言の葉を落とす。自分だけの、自分を持っている。
リドル・ローズハート寮長は、ただのリドル・ローズハートではないのだ。
(ああ、すげーなあ)
なんだってなんとなく出来る。皆が一様にできないことは俺にも出来ないけど、なんとなく出来ることはとても多い。そこで満足しているオレにはまだ少し、届かない範囲の話だった。多分寮長の感覚に一番近いのは、デュースなんだろうなということも瞬間的に解ってしまう程度のオレの感覚に少し泣きそうだ。
「理解を拒んでいる馬鹿なのか、知ろうともしない阿呆なのか、とはじめに言ったけれど。馬鹿は勉強ができなくて、阿呆は一般常識がないんだよ。……エース、君は何になりたいんだい」
……分かんねーっす」
「闇の鏡は君をハーツラビュルに導いた。それだってひとつの標だろう。君には他の者よりも度胸があるし、友人も居る。それだけは忘れちゃいけないよ」
コトリ、ソーサーに置かれた寮長のカップは既に空だった。ポットの中の残り一杯は君にあげよう、そう言って寮長は欠伸を噛み殺す。
「夜更しできるのは今だけかもしれないけれど、遅刻するのはこの僕が寮長の間は許さないよ」
「はい、寮長!」
「おやすみ、よい夢を」
時刻は零時も過ぎた頃。寮長が残してくれた紅茶はミルクティー用に濃くなっている。キッチン内を漁ればチェリージャムはすぐに見つかった。ミルクティーを飲み干してストレートを注ぐ。スプーン二杯分のジャムの香りは大好きなチェリーパイよりも淡く香った。
オレはエース・トラッポラ。それだけだ。
自分のための自分なんてまだイメージも湧かない。普通だとか、当たり前だとか、誰もが考えつく何かだったり、そういった凡庸さに目が眩むお年頃。
悪いことではないだろう。けれど、今日だけは、なぜか割り切れなかった。
紅茶は文句無しに美味しかった。多分きっと、今度はオレも作れるだろう。それでも、この味を知れることはもうないだろう、それだけは断言できる。