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らん
2018-03-25 23:21:36
1811文字
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帝國スタア 不二
地下室に来る度、思い出すものが有った。
何日にも渡る放置で朦朧とする意識、鞭で叩かれて破れていく皮膚、水に沈められて喘ぐ呼吸、縛られた身体の圧迫、幼い頃、私が間違う度に行われた折檻の数々。
どの情景にも色など存在せず、ただあるがまま、私はセピアの記憶を手繰り寄せる。痛みの感覚を失ったこの牢で、私は幾度となく自分を人形にしてみせた。それが、この家での正常だった。
正常はセピアの色をしている。何を思い返しても、どう考え直しても、脳裏に蘇るものはすべてセピア。
私の中に宿る色彩は、ただひとつ、セピアのみだった。
いつから、だと云えばいいのだろう。私にとっての色彩が、セピアから色を変えていったのは、いつから、だろうか。
観客から貰う花や装飾品、贈答されるもの、世間一般で云えば「綺麗」「綺羅びやか」「華やか」と評される全てのものがセピアに見えていた。
劇場も、演じているものも、すべてがセピア。そして、私に関わるものすべて、セピア。
兄が死んだ時もセピアは変わらず、あまつさえ母の首吊り死体を見ても世界はセピアだった。
だのに、どうして、彼女だけは色彩を纏っているのか。
公演中、オーナーを探す。探し出すのは簡単だった。其処だけ色が滲むのだ。何色と云えばいいのだろうか、あまりにも長い間セピアのみだった私の虹彩は、彼女を色で例えるにはあまりにも幼稚すぎた。
強いて言うならば、彼女は橙だと思った。
夜に宿る洋灯のひかり。蝋燭に灯した小さな焔。陽光にかき消えてしまうが、月の下では照り輝く、柔らかな色。まるで、金木犀のような、淡い香りと共にまみえるあの色。
そんな色が、私の地下室に閉じ込めた途端色褪せていくようだった。
彼女は私の生き方を間違っていると云う。ならば、私の生き方は間違いなのだろう。証明は簡単だ、彼女の色彩が消えていく事、それだけで良かった。
彼女の色彩は消えていくのに、彼女に触れられた私の掌にはその色が宿った。着物を破り、手当してくれた華奢な手指。あの小さな爪から移ったのだろうか。
私にとって色彩は、すべて彼女で出来ていたのだと、その時気付いた。
彼女が微笑う度に世界が少しずつ色を取り戻していた。彼女の言葉ひとつで艶やかになっていく情景、彼女の行動ひとつで様変わりする佳景、何を於いても、何を以てしても、私の中の何もかも、彼女が色をつけていく。
捨てられていくだけの花に色がついて見えた。以前彼女は、私に捨てられようとしていた花の束を勿体無いと苦く笑っていたっけ。あの花も、今見たら鮮やかな色をしていたのだろうか。
たった一輪で何が変わるのか。分からないまま、私は一輪の花を貰い受けた。其れはまるで彼女のような橙をしていたことを、憶えている。
そんな花を貰って、彼女は、微笑った。
幼い私が呻き、泣き、苦しんだ牢獄で。私の瞳から色を奪った寂しい場所で。私が痛みを捨て、人間を止めた、この地下室で。
セピアが消えていく心地だった。褪せていたひかりがまた輝く様だった。彼女を彷彿とさせる一輪は彼女ではなくて、嗚呼、どうしようもなく情けない、幼い頃の私だったのかもしれない。
赦された訳ではないのに、許されたと思った。セピアにして蓋をしていたものが、色づいて痛みを呼び戻すようだった。その感傷の痛みさえ、まるで毛布に包まれたような、錯覚を起こすようで。
一輪を見て、彼女が微笑う。幼い頃の私のような、寂しい一輪を見て、優しく笑む彼女を見て、私は此の人を愛しいと、そう色づいた感情に名をつけた。
多分、きっと、そこから。
「不二君、お早う御座います」
「
……
お早う御座います、まだ朝餉には早い時刻ではありませんか?」
「ええ、でも、海から見る朝陽がとても綺麗なので、どうしても貴方にも見て頂きたくて」
共に床に就いた彼女は、洋装の薄い寝間着を着たまま窓辺に手をついていた。射し込むひかりの眩さに数度瞬きをして、私は起き上がると彼女の傍へ歩を進める。
夢ではない事を確かめるように後ろから抱きしめれば、彼女は私の胸に頭を預けてきてくれた。その様が愛らしくて、私は小さく笑みを溢すと腰に回した手に力を込める。
「朝焼けですよ、不二君」
「朝焼けですね、
……
貴女の色だ」
はじめて二人で見たこの朝焼けも、貴女の色として覚えておこう。
地震と共に壊れたあの屋敷に置いてきたセピアは、もう二度と蘇らないだろう。
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