らん
2018-02-06 01:21:35
1964文字
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ジュダとカノジョ。

ディアヴォ。

息を止めてみる。数十秒経つと苦しくなって、中に溜まった二酸化炭素を吐き出して酸素を取り込むように口が開いた。当たり前の、人体構造上なんら問題のない行為だ。それに抗うように、息を吸わずにもう一度止める。苦しくなる。吐き出す。何度繰り返しても、メロディが降ってこない。どうして、なんで、だろう。
ぐう、と人体構造上なんら問題のないほど腹が音を出すので、なんの気なしにキッチンに立ってみた。買い置きしてあったホットケーキミックスはこれで底をつきそうだ。牛乳はないから水で粉を溶いた。卵は消費期限が一日過ぎていたけれど、気にせず投入。目分量のわりに綺麗にタネが出来たと思う。
フライパンに適当に油を垂らして、中火で温めてからタネを全部ぶちまけた。一枚で大きいホットケーキが好きだから、それ以外考えられなかった。弱火にして、フタをして、何分待つかは決めていないけど、することもないので気泡が潰れていく様を見届けようとしたらフタは水蒸気で曇って何も見えなかった。
「ジュダが作るなんて珍しいね」
カノジョがくすりと声に笑いを滲ませた気がした。珍しいというより、作ったことなんてないけど。
「アンタが作るより美味いの作れるかも」
「ありえそうだから冗談になってないよ……
「ハ、そこは素直に威張っとけよ」
カノジョはいつだって笑っていた。ウソ、オレが泣かせることも多かった。諦めさせることや、呆れさせること、怒らせること、羞恥を煽ること、幸せを与えること、笑わせること、なんだって共有してきた。歌も、曲も、想いも、何もかも。他人だからこそ相互理解を求めて、不器用すぎたかもしれないけれど、確かに理解し合っていたはずだ。
……アンタが焼かないから、オレが自分で焼いてんだよ」
ごめんねさえももう聞けない。ありがとうなんてもっと聞こえない。
「ジュダ、大好き」
あんなにも愛してやまなかったカノジョの言葉が、もう更新されることはない。カノジョの声はすべて奪われてしまった。オレがユダだから見放されたなんて絶対言わないけれど、あまりにも呆気なく消え去った。
ホットケーキの甘い香りがする。アンタが焼いたヤツはもっと美味そうな匂いがした。おかしいな、オレだって同じもの使ってんのに。牛乳を使わなかったからだろうか。
「アンタの作ったヤツが一番に決まってんだろ」
もう何を探してもカノジョの匂いがしない。声が聞こえない。何よりも愛していたカノジョが居ない。
沈丁花の香りが自分のスーツについている気がして、ホットケーキの甘い匂いと混ざるように感じて泣きたくなった。違う、これじゃない。こんな線香の匂いはいらない。知らない。
家族じゃなかったオレに遺されたカノジョのものは、オレの部屋に置いていったモノが全てだ。クローゼットの消臭が有能すぎて笑えない。アンタの匂い、残ってないんだ。
だから、こうしてホットケーキの匂いに縋っている。
「ジュダ、明日の朝はパンがいい?ご飯がいい?」
あのバカみたいなやりとりまたしてくれよ。ホットケーキって言うからさ。とちおとめ用意しとけ、って、言わせろ。アンタ、オレのカノジョだろ。
「なんで、」
棺に眠っていたカノジョの死に化粧が忘れられない。最期まで笑顔だった。まるで今にもオレの名前を呼んでくれそうな、笑顔だった。
こんな時ですら曲を作れると思っていたのに、作れなかったと言ったらアンタは怒るだろうか。オレだって作りたい。でも、アンタの為の曲なのにアンタが居ない。どうしろって言うんだよ、作る意味ねーじゃん。
……なんで、」
ホットケーキの甘い匂いに焦げの匂いが混じる。急いでフタをあければ気泡はもうほとんど潰れていたから、ろくな確認もせずにひっくり返した。そこそこうまくいったけど、ちょっとだけ焦げている 。
やっぱ、アンタみてーに焼けねえや。
……なんで、いないの」
気づけばボロボロに泣いていて、ああ、カノジョはついさっき焼けたんだと吐きたくなった。それでも吐かずにホットケーキを焼き続けた。完成した一枚ででっかいホットケーキは美味しかったかどうか記憶がない。アンタが買ってきた最後のミックス粉だったのに。
「ジュダ、大好き」
目の前で笑っている幻影にサヨナラした。どうか忘れてとアンタは言いそうだから、その前に曲を書かなくちゃ。アンタが聴けなくて後悔するような、そんなラブソングを書こう。絶対忘れてなんかやらないから、なあ、オレが逝くまで死ぬほど楽しみにしてろよ。
アンタの笑顔を脳裏に描いてみる。涙が止まらなくてどうしようもないけれど、口の中で消えていくホットケーキの味も分からないけれど、ようやく音が繋がってきた気がした。
もう聞こえない、アンタの優しい声のトーンで曲を書こう。