らん
2018-01-18 12:27:42
3149文字
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星屑の花束(前編)申渡夢小説

スタミュ

名前名前それは今思えばとてつもなく軽い言葉で、あまりにも重たい約束だった。
「あたし以外と結婚しないで」
本気でその時はそう思っていた。
あたし以外と結婚しないでほしいな。あたしが栄吾のお嫁さんになりたいな。
申渡って名字を貰って、今の名字を書くことが少なくなって、郵便物や署名や判子なんかも申渡になる。左手薬指にお揃いの指輪が嵌って、食べるものが同じになって、どっちが洗濯物を干すのか決めたり、寝る時の枕の相談をしたりする。
おはよう、いってきます、ただいま、おかえり、おやすみ、朝から晩までの挨拶が全部交わせる。じゃあね、また今度、は要らない世界。
そんなありふれた未来を想像していたのだ。
栄吾と付き合って浮かれていたあたしのこぼしたお願いは、とてつもなく重くて痛々しい。言葉にしてから軽はずみに飛び出した言葉の重さに気づいて誤魔化そうとしたのに、栄吾はひたすらに真っ直ぐ、あたしの目を見て誓ってくれた。
「お約束します」
付き合ってもあまり繋いだことのない掌がすくわれて、キスこそなかったものの、高校生のあたし達にとってはほんのちょっとだけ照れくさい恋人繋ぎ。
二人で帰る下校路のイルミネーションがまるでチャペルの煌めきのようだった。なんて今更言ったら、栄吾は笑うかな。きっと、「素敵ですね」って目を細めるんだろう。あたしね、栄吾のそういうところが大好きだったの。



「海外?」
オウム返しに繰り返せたのはたったの四文字。かいがい、つまり、外国だ。この小さくて人口の密集した島国から海を渡りブロードウェイに立つ。栄吾は、海外からのオファーを受けたらしい。
話したいことがあると呼び出されたのは栄吾がよくレッスンするトレーニングルームの近場で、私は珍しいと思いつつラフな格好で飛び出した。
栄吾は高校生の頃から順序を踏む人で、律儀な人だったから、こうして突然呼び出されるということは切迫した何かがあるということだろう。
大学生もそろそろ終わりの頃、私は内定を貰った今、授業もほとんど取らずバイトもやめて暇人の極みだった。だから飛び出せたのだけど。
それで練習終わりの栄吾から告げられたのは、「スタァとして海外に行くこと」だった。
高校生の頃からミュージカル生としてスタァを目指していた栄吾にとって、これはまたとないチャンスだ。この機会を逃したら二度目は訪れないかもしれないし、活躍する場も失ってしまうかもしれない。
高校を卒業してから、チーム柊は個々人での活動もさることながら、五人全員で集う舞台も開けるほどには知名度が高かった。あの学校でも特に秀でていたチームなのだと教えられたのは風の噂や周囲の反応で、栄吾は辰己や他のメンツが凄いのだとまるで自分の功績のように語ることはなかったけれど、自分の実力を過小評価もしていないところがあたしは大好きだった。
だから、いつかは海外に、という彼の夢を知っていたし、あたしも絶対に行けると思っていた。大好きな人の夢が叶うのは嬉しい。そして、誇らしい。
これまでの努力を、涙を、笑顔を知っている身としては、諦めなければ叶う事だと勝手に思っていた。
実際、あたしに話してきた栄吾の目は揺らいでいなかった。行く気なんだろう。行きたいからこそ、あたしを呼んだのだろう。
分かっている。理解している。これはとてもすごいこと。
ずっと栄吾が頑張って、努力して、時には悔しさで泣く姿だって隣で見てきた。客席から舞台で輝く栄吾を観てきた。誰よりも真面目で、ひたむきで、でも意外と負けず嫌いで、手を抜かないで、どんなに端役でも最善を尽くす彼を視てきた。
あたしの中では誰よりも輝く、最愛のスタァ。
それだというのに、どうしてあたしは今泣きそうなんだろう?
これは嬉し泣きじゃない。悲しいのだ。
栄吾が離れていくのが寂しい。こんなに傍に居たのに、これから隣に居られないことが悲しい。あたしより輝く人を見つけて、その人の隣に並んでしまうかもしれない不安が怖い。栄吾の夢の成就を素直に喜んであげられない自分が虚しい。
ねえ、あたしが行かないでと言ったら栄吾は悩むかな。多分、ううん、絶対悩むよね。
そんな彼の優しさに甘えてしまいそうな自分が足枷になることが、一番嫌だ。
負担をかけたいんじゃないの。あなたにとって、ほんの少しでいい、一ミリだっていいから、あたしが糧であってほしいの。変わらない居場所で在ってほしかった。癒される場で居たかった。本当だよ。
だからね、今の私じゃダメなの。
「すごいじゃん!おめでとう、ずっと夢だったもんね、あたしも嬉しい!」
無理矢理笑顔を作ることがこんなにも難しいのかとビックリするほどぎこちない笑顔だった。それでも笑わないと泣いてしまいそうで、泣くことで栄吾に不安を与えることさえも避けたかった。
これはあたしの問題であって、栄吾の問題じゃない。栄吾は夢のために、栄吾自身のために生きていくべきだ。こうしてあたしを呼び出して伝えてくれたのは、少なからずあたしを気遣っている面があるということ。栄吾は、そういう人だから。
名前、」
あたしの名前を呼び捨てするのに一年かかったね。たまに無意識で呼んでくれる時も嬉しかったけど、定着してからはもっと嬉しかった。呼んでほしくて、あたしも栄吾の名前を沢山呼ぶようになった。応えるように返されるあたしの名前を、はじめて愛しいと実感した。
大好きだよ、あたしのスタァ。ずっとずっと、大好きなの。でもね、今こうして喜べない時点で、あたしは栄吾の枷になっちゃうから、もうさよならだ。
あたしは、栄吾にとっての花でありたかった。
「海外行くんでしょう?頑張ってね、どこかで応援してる」
遮られる気がして、どんどんと口数が増えていく。どうかお願い、このまま何も言わないで。聞いていて。栄吾の声をこれ以上聞いたら、あたしは我儘に栄吾を縛ってしまいそうなの。そんなの嫌だよ。
あたしが惚れたのは、舞台の上で笑う栄吾だから。
「こんな状況で言うのも申し訳ないんだけど、あたし達さ、別れようか」
「ほら、海外に行くなら丁度いい機会かなって。あたしは日本から一緒についていけないし、海外に行ったらこっちのこと気にかけるのも大変でしょ?」
「それなら別れたほうがお互いに楽だと思うんだよね!きっとあっちに行ったら好きな人も出来るだろうし、出来なくてもミュージカルに身を入れたいだろうし、……うん、それがいいよ。あたしも適当に生きてくし!」
……じゃあ、バイバイ。ニュースで名前聞けるの、楽しみにしてるね」
さよなら、申渡くん。
自分勝手な女だと嫌ってほしい。わけがわからないと怒りを全部あたしに向けて、さっさと忘れて新天地で輝いてほしい。あたしに分けてくれた恋や愛のすべてをミュージカルに注いでほしい。
本当に一言も喋らせずに、あたしは栄吾に別れを切り出して、事実、別れた。
付き合う前、「さよなら、申渡くん」と言って別れる度、栄吾が「また今度」と返してくるのが常だった。次があるんだと小さな事なのに嬉しくて浮かれたっけ。そんなこと、栄吾はもう覚えてないだろうなあ。
走ってその場から逃げ出した。言い逃げするあたしの背中に返ってくる声は何も無かった。これでいい。これで良かったよね、そうでしょう?
申渡名前、結構語呂が良いでしょ、そう笑ったあたしに栄吾が贈ってくれた言葉がリフレインする。
「似合いますね」
今のあたしには似合わなすぎて笑っちゃうや。
走りながら泣くと鼻水のせいで息が出来なくなることを、22年間生きてきてはじめて知った。
栄吾と別れて帰る時、一度も後ろを振り返らなかったのもはじめてだった。