衣更真緒は先端恐怖症である。いつからなのか当人に覚えはないが、鉛筆の先さえも彼にとっては恐怖の対象だった。ともすれば、お化けよりもこわいもの。
そんな彼の幼馴染、朔間凛月は吸血鬼である。彼が血を渇望するようになったのは、物心ついた時からだったかもしれない。自分がお化けよりもこわいものであることは、小さな真緒の顔が白くなったことで明確に刻まれた。
先端恐怖症と吸血鬼、この二つの事実が結びつくと考える人は多分、ほとんどいないのだろう。肝心の真緒本人ですらその事象はイコールで結ばれていないし、そもそも凛月の「吸血鬼」発言は嘘だとも彼は思っている。
つまり、真実は朔間凛月の心の内にだけ存在しているのだ 。
衣更真緒の先端恐怖症は、朔間凛月が原因だと。
◇
朔間凛月は吸血鬼である。
この事実は揺るぎないものだった。彼の兄である朔間零に至っては「自称」吸血鬼だが、凛月のそれは紛れもない事実であり、凛月は吸血により生気が養われている。
物心つく頃には既に血を欲する衝動というものが存在していた。その頃はまだ仲睦まじく過ごしていた兄の血を欲した時、兄は弟が「どういうもの」なのか理解したらしい。
その後からだっただろうか。
兄が留学をするようになった。
生まれた時から太陽の光に当たると湿疹や発作を起こす病を患っていた長兄が死なないために、それなりの財力を持っていた親が海外の医療を頼るのはそう難くない考えだと思う。実際、凛月は親の行動に疑問を抱かなかった。
はじめは短期間で、頻度もそう多くは無かったはずだ。元より身体の弱い兄は既に寺の者との繋がりもあったくらいで、そんな兄に無茶を強いるわけにはいかない。
それだけの留学だと、小さなこどもであった凛月は思っていた。
「おにいちゃん、はやく体がなおるといいね」
「うん。凛月のためにも、俺、がんばるよ。凛月も、お日様を浴びちゃだめだぞ。俺よりも弱いんだから」
凛月のため。兄よりも太陽に弱い。それでも、凛月は海外に行かないし、家に居ることを強いられた。そこでおかしいとすら思わなかったのは、無知すぎたせいなのか。
自分の為と紡がれる本当の理由さえ、俺より弱いと言われる理由さえ知らないくらいに、幼い頃の記憶。
そうして零が留学をしていた頃に、事件は起こった。
家が近所の、ひとつ年下の男の子。よく一緒に遊んでいたその子ーー真緒は、軽くピンクがかった赤髪が特徴的だった。ほとんど外に出ない凛月のことを怖がりもせず、むしろ世話を焼くような、そんな子だった。
それは、凛月にとってはただのじゃれ合いだった。幼くして出来た友が嬉しくて、自分や家族とは違う絆が嬉しくて。自分の中の本能をそのまま見せただけ、だったのだ。
だって、どれだけ真緒と凛月が違っても真緒は離れなかったから。そんなバカみたいな、あやふやな絶対感で、軽率に。
目の前で泣いて、気絶した真緒を見た時、衝撃はあれど意味は理解出来なかった。どうして、なんで、だってきっと、まーくんにも牙はあるはずで。
牙がないというのなら、じゃあ、りつがおかしいの?まーくんが、おかしいの?
幼心に刻まれたその記憶はいまだに色褪せない。それ以降、真緒は尖ったものが全てダメになった。本人は当時の記憶を何も覚えていないが、凛月だけは鮮明に覚えている記憶のひとつだ。
それから、凛月は真緒から吸血することを一度たりともしなくなった。
◇
凛月が倒れたと真緒のスマートフォンに連絡を入れたのは、真緒と凛月のクラスメイトであり、凛月の所属するユニットのメンバーでもある嵐だった。
「着替えてたら突然倒れて……!」
六限にあった体育の帰り、教室で着替えていたら突然倒れたというのだ。まさか、そんな。
授業が終わってから着替える暇もなく生徒会業務に駆り出されていた真緒はその一報を受けるなり、突き動かされたように走り出す。どうして、なんで、だってもう太陽は落ちていて、これからが凛月の時間のはずで。
「吸血鬼」という凛月の言葉を、真緒はひとつの病気の暗喩だと捉えている。彼はアルビノではないけれど、きっとそういう類のものを患っているのだろう。
本当は違うのかもしれないという疑念だってあるけれど、それを確かめる術が真緒にはなかった。だから、病気だと思うことにしていたのだ。
そんな相手が倒れたと聞けば余計に焦る。落ち葉も枯れ果て、ここからの季節は冬。そんな時期の廊下の冷たさなんてものともしなかった。ただ、保健室へと向かうために走るだけ。
「凛月!」
勢いよく開けた保健室のドアから叫べば、近くで待機していたみかがヒッと小さく息をのむ。おざなりにごめんと謝れば、みかは目を合わせはせずとも気にせんといて、と手を振った。
「凛月は?」
「い、一番奥で寝とる。多分、気絶しとるだけや」
「サンキュ」
普段なら保険医である陣が腰掛けている可動式の椅子に腰を下ろしていたのは晃牙だった。ちらりと真緒を見、興味を失ったように視線をどこか別へと彷徨わせる。それでも保健室から出ていかないのは、彼なりの気遣いなのだろう。
「真緒ちゃん!」
「鳴上、凛月は?!」
「弓弦ちゃんにここまで運んでもらったんだけど、気絶ですって」
「気絶?なんで」
「多分、ここ最近はお昼も活動してるからじゃないかしら……ハロウィンの時にも、一度失神してるのよ、凛月ちゃん」
「は?!」
はじめて聞かされた事実に驚く真緒の表情を見、嵐はやっぱりという風に溜息をつく。
「真緒ちゃんには言わなかったのね。余計な心配をかけたくなかったのかも」
薄暗闇の中、血の気が失せたように真白の肌をした凛月は白いシーツに巣食われていくように見えた。漆黒の髪が縁取りをしていなければ、消えそうなほどだ。
なんで、なんて、真緒には言えなかった。凛月はいつだってそうだ。普段は存分に甘えてくるくせに、突然年上ぶって、突然悟ったように笑う。
昼にも起きて活動するようになっていたことは、真緒だって勿論知っていた。もしかしたら病気が少し回復傾向にあるんじゃないか、なんて思っていたくらいだ。
朝起こしに行けばこれまで通りまだ寝たいと駄々をこねるけれど、以前みたいにサボろうなんて言わなくなったし、授業にも居眠りは減らないが出席している。
それを簡単に見ていた自分に反吐が出そうだった。
「……鳴上は、知ってたんだ?」
「晃牙ちゃんもね」
「……そっか」
俺、そんなに信用なかったかな。
つづくかも
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