らん
2017-09-19 23:09:41
4498文字
Public
 

ジュダとカノジョ。

wired発売カウントダウン1日前。

夜風を取り込み、換気の意味も込めてわずかに開いた窓から入る風が心地良い。その風によって鼻腔を刺激する美味しそうな香りを吸い込む。カノジョは鍋の中でコトコトと煮込まれ、丁度よい具合にとろみの出てきたミートソースにかけていた火を止めた。
時刻は午後九時。今日はツイッターでの企画のため事務所に居るジュダは、おそらく終わり次第自宅まで直帰の流れになるだろう。ハラ減った、そう言われた時のため、というより、自分があげられる特別のひとつとしてカノジョは遅い夕食の準備をしていた。
粗熱を取るまでは冷蔵庫に移すことも出来ないので、エプロンを一度外してリビングに移る。果たしていつ帰ってくるのだろうか、そう思いながらツイッターをチェックすれば、アンケートが既に回ってきていた。全員のアンケートに回答し、満足したところでスマートフォンから手を離す。今度はテーブルに置きっぱなしの『特別』を弄びながら、カノジョはリビングからは遠すぎて文字がぼやけてしまうカレンダーを見やった。

地元でCDを受け取り、予想通りポスターが数少なくなっていることを確認してからジュダの家にやってきたカノジョがまず見つけたのは、リビングのテーブルに置かれた書きかけの楽譜だった。
作業部屋ではなく、リビングで書いていた名残のようにラグの上に落ちていたボールペンを拾い上げて定位置に戻す。それから読めない楽譜と対峙してみても、この曲がどんな音色になるのかカノジョにはまるで想像がつかなかった。
楽譜はそのまま残しておき、その後冷蔵庫を確認して食材を買い足しに近くのスーパーまで足を運ぶ。もう一度戻ってきた際、ふと目に入ったカレンダーの文字に目を見張る。
カノジョが書いた四文字をまるで既読したかのように、今度はジュダの筆跡でお馴染みの絵文字が描かれていた。片手をあげて星を飛ばす、あまりにも馴染みすぎたモノ。
「気づいたんだ……
ここでジュダもメッセージや電話を寄越さなかったのが彼らしいとでも言えばいいのか、カノジョと同じ手段を選んだことが可愛く感じて破顔する。これなら、何か新しい音を思い浮かべない限りジュダが帰ってこないという事態は免れるだろう。
そうして時は進み今に至るワケだが、カノジョは今更になってこれで伝わるだろうかと頭を悩ませる。
大好きだと伝えることに躊躇はないし、曲がサイコーだったとはやく伝えたい気持ちも本物だ。ただ、メッセージに対する返答は『コレ』でいいのかと少しばかり心が落ち着かない。それでも、思いついたものはひとつだったのだから悩んだって意味もないことは理解していた。
溜息にもならない吐息をこぼす。夜風の心地よさと過ごしやすい気温の中、カノジョはゆったりとした時間の流れに身を任せるよう瞳を閉じた。

ドタバタと忙しない足音で、カノジョは落ちかけていた意識を現実に引き戻す。待ってると言ったから、玄関の鍵は締めていなかった。多分きっと、この足音はジュダのものだという確信があった。
みっともなく涎を垂らしてはいないかと口元を拭い、瞬きを繰り返して覚醒を促す。腕時計を確認すれば一時間に満たない程度のうたた寝をしていたようだ。手に持ったままの特別を握りしめ、リビングに繋がる扉が開いたと同時、カノジョはソレを手放した。
「なあ、……って、ハ、?」
飛び込んできた家主の眼前まで迫った特別はそのまま落下していく。咄嗟に手で受け止めたジュダは訝しげに眉をひそめた。
「おかえりなさい、ジュダ」
「あ、おう……ってか、ナニコレ」
「なにって、紙飛行機」
「それは見りゃ分かるケド。そうじゃなくて、スゲー急いで帰ってきたヤツに対して飛ばすかフツー?しかも全然飛行距離ねェし。ヘタクソ」
「ジュダまで届けば成功だからいいの!」
わけがわからないと目を白黒させながらも、ジュダは肩にかけていたバッグをいつもの調子でソファの近くに放る。手にした紙飛行機はそのままにカノジョを抱きしめれば、躊躇うこともなくジュダの首に両腕が回った。
「チョー疲れた、ダルい、眠い、もームリ」
「お疲れ様。明日発売日なのによく帰ってこれたね」
「ハ?アンタが待ってるって書いたんじゃん」
「書いたけど……
「けど、じゃねえし。新曲の感想もメッセージの答えも何もないし、ただ待ってるって書かれてたらそりゃ帰ってくるだろ。つか、クソ面倒くせぇ方法取りやがって……
気づかなかったらどうしてたワケ?耳元で囁かれた声は数日ぶりというだけでカノジョの身体を震わせた。
「っ、……その時は待つつもりだったよ」
「あっそ。まーいいけど。……で、どうだった?」
「どうって?」
「だぁから、曲。音源でちゃんと聴くのはじめてだろ」
かち合った視線に捉えられて離れることができない。カノジョはただありのままの本心を間髪入れず、満面の笑みで答えた。
「もちろん、最高だった!」
その答えに満足したように、ジュダも笑みを返す。当たり前だろ、普段通りの不遜な態度で、何も変わらないようなその顔に見える目の下の隈にカノジョはキスを落とした。
「ナニ、アンタからとか珍し。……誘ってんの?」
……う、ん」
そんなことないと赤くなるカノジョを予想していただけに、ジュダはつい今しがたの返答をもう一度聞き返しそうになり、すんでのところで堪えてみせた。代わりに片側の口角だけをあげ、自分で出した答えに赤面しているカノジョの唇にキスをひとつ。
「いいじゃん、アガった。……けど、どんな気持ちの変化なワケ」
「え?」
「いっつも急なのは困るーとか言うじゃん。してほしいって顔するくせにオレのせいにするし?でも今日はそうじゃないから」
……笑わない?」
「アンタ次第」
帰ってきた直後からは考えられないほど生気を取り戻したジュダのオレンジアンバーが細められた。意地悪、言いはせずとも少しだけカノジョが口を尖らせれば、ブサイクだとからかう彼の頬を人差し指で押しつぶした。
「さっきあげた紙飛行機がね、この前のジュダのメッセージへのお返しなの」
「はぁ?それ、今の状況と関係ある?」
「あるの」
「ていうか、ちゃんと意味分かったのかよ」
「見れば分かります」
どうやら口を割る気はないらしい。ジュダはダリぃとひとつ溜息をつきつつも右手に持ったままだった紙飛行機を見やった。随分と細長く不格好な紙飛行機は折り紙や広告とは違う。この質感はむしろ、ポスターのそれだった。
垣間見える蒼と黒、それに黄の色彩に既視感を覚え紙飛行機を崩していくと、それはまごうことなき今回のジャケット、つまり自分の顔が印刷された販促ポスターだ。
「人の顔に人のカオを折ったモン投げてくるとはどーいった趣味なのか説明してもらってイーデスカ」
呆れた声をかけてもカノジョは曖昧に微笑むだけで、ジュダはなんなんだともう一度ポスターを見やる。そこでようやく、この紙飛行機の意味に気づいた。
左肩に乗せた白鳩に、その英語によるメッセージは書かれていた。同じことで返さなきゃ気が済まねえのかよ、笑いだしたくなるような気持ちは、その一文の意味により霧散する。
……負けた」
「え?なに?」
「ベツに」
溢れた愛しさを表面に出すのなら、それはキスが一番手っ取り早い。どんなご機嫌取りの時もカノジョはたかがキスのひとつで動揺して、焦って、それでいてどこか嬉しそうにするから。ジュダにとっても、カノジョにとっても、伝えやすい愛情表現だった。
例に違わず口付ければ、身じろぎをしつつも受け入れようと力を抜くカノジョの姿をうっすらと開けていた瞳で見ていた。何度も啄むようなキスに対して目を瞑って耐える姿はいつだってそそるものがある。
「アンタはオレのモンって、認めたってコトでいいんだよな?」
ポスターに刻まれたカノジョの字は、あまりにも単純な愛の文句だった。
『I'm yours forever.』
私は永遠にあなたのものです。
これまで何度だってジュダからアンタは「オレのモノ」だと言われて、そのたびにカノジョは頷きはせずとも認めてはいた。けれど、今回はじめてカノジョからハッキリと意思表示をしたのだ。オレにはアンタしかいない、そんなストレートな愛の返答として、そして、これまでのすべての愛を込めて。
誘ってんの?うん、そんな単純な流れも、今日ばかりは素直な「してほしい」の合図も何もかも、カノジョがあげたいと思った『特別』のすべて。
カノジョはジュダの問いかけに視線を伏せて小さく、しかし確かに頷いてみせた。
「たくさん特別貰ったから、お返ししたいの。でも、私の我儘ばっかり叶っちゃった」
キスしてほしい、抱きしめてほしい、私を思って会いに来てほしい。たった数日会えなかっただけでぽかりと空いてしまった寂しさと恋しさを埋めてほしい。
考えていたことは言わずともすべて叶えてくれた。特別をあげるはずが、またジュダから特別を貰っているようだ。
飛翔にかけた紙飛行機はともすればガラクタに過ぎないだろう。本来なら手紙でもしたためるべきだったのかもしれない。それでも、これがカノジョに出来る特別なお返しだった。
「紙飛行機、捨ててもいいよ」
「ハ?バカじゃねーの、捨てねえし」
……折ってごめんね?」
「どうせ時期過ぎたら残ったやつとか廃棄なんだから、別にいんじゃね」
「さっき人のカオ折るとか〜って言った……
「そりゃ言うだろ。アンタのためにさっさと帰ってきたのに……なんて、」
宙を舞ったポスターと同時、カノジョの身体もソファに沈む。見事にテーブルに乗るまでを目線で追う暇はカノジョには無かった。そんな隙を与えてくれるような男ではないのだ、目の前で心底機嫌が良さそうに笑う、篝火のヴォーカリストは。
「オレのが会いたかったし、」
今度はかぶりつくように塞がれた唇からは、吐息と甘い声がない混ぜになってにじみ出ていく。聞き慣れたはずなのに、いつ聞いても自己を高めていくカノジョの音を拾い、ジュダは思いつくだけのフレーズを頭の中に描いては閉じ込めた。
今は書かない。貰えるものは今貰うべきで、せっかくここまであけっぴろげにされたカノジョを放置するという選択肢なぞ今日は存在すらしなかった。
「これまで我慢したぶん、全部くれ。明日もあるし、」
机に放置していた新曲のフレーズは、カノジョの為の曲。カノジョを思い浮かべて描いたとびっきりのラブソングだった。後で思いついた全てを書き足そうとカノジョのてのひらと自身のてのひらを重ね合わせる。ひとつひとつ絡まっていく指に、血の通っているからこその体温を感じ、ジュダは淡く笑った。
「ーーオレのモンなんだし、オレの好きにしていいよな?」
どうぞお好きに、あなたのものですので。
恥ずかしさが勝って言えない代わりに、カノジョはジュダが可愛いと褒めてくれるだけの笑顔で返す。もうご飯は意味ないかな、分かりきったことを思い返すのはやめて、どちらからともなく声を絡め取った。